48 / 87
第四番
第47話 天翔ける狼 1
しおりを挟む
空が白んできた夜明け前、静湖は船室で隣に眠る准をゆり起こした。ハンモックに顔を近づけ、小声でささやく。
「准、あのね、流ヶ淵に行ってみようと思って」
准ははっと目覚め、にやりと笑った。
「そう来ると思ってたよ」
静湖は今日も給仕服を着こみ、准も支度をして甲板へ急ぐ。船から降りる縄梯子をかけていると、声が飛んできた。
「どこへ行くんです」
喫茶の建物から出てきた扇が、夜明けの空を背にしていた。二人は事情を説明し、鎧たちが心配をはじめたら行き先を告げてほしいと扇に頼んだ。
「きっと危ない場所なのでしょうね」
扇はため息をつきながらも了承し、二人を送りだしてくれた。
*
早朝の町に人通りはなく、静湖と准は山の入り口まで密やかにたどりついた。
夜明けの空に伸びる木々からは静謐な気が発され、聴こえてくる鳥の声は鋭い。山に分け入る道は石が敷かれているが、太い白縄で封じられていた。
「准、行くよ」
「うん」
静湖は縄の下を、准は上を越えて山に侵入する。
しばらくは山肌の間に削られたかのような道を登った。木立の中、白縄の巻かれた大岩を何度か目にしたあと、目の前が開けた。
森の中の広場だった。苔むした大地の上、見あげるほどの大岩や、いつからあるとも知れぬ倒木に朝陽が差していた。その奥に、それらにひけをとらぬ威容の大樹が立っていた。
准が神妙な表情で、大樹に近づいていく。
「准、どうしたの」
准は少し離れた場所から、大樹をじっと見つめた。
「誰かいる。いや、誰かじゃなくて、たぶん……」
准がそう言ったとき、大樹の肌がふわりと白く浮きあがり、木から溶けだすように大きな白い獣が現れた。ふさふさとした毛を全身にまとう、静湖たちより背の高い狼だった。
狼はゆっくりとこちらに近づき、准の顔先で足を止めた。鋭いまなざしが准に注がれる。その瞳の奥には、思慮深い賢者の目の光があった。准はじっとその目を見つめ返し、おもむろに自身の頭の上でリボンのように結ったバンダナに手をかけた。
ばさり、と准がバンダナをほどく。
すると灰色の髪が全身を覆っていき、准の体の形が変わった。静湖があっと声をあげたとき、そこには大樹から現れた白狼よりひと回り小さな灰色の狼が四つ足で立っていた。
静かに差す陽を浴びながら、白と灰の狼はじっと向かいあう。
「准……」
静湖がおそるおそる近づくと、太い声が心の中に直接響いた。
〝我が一族の者とその友か。なにをしに来た。この先は〈宙〉だ〟
〝あなたに会いに来ました〟
答える准の声も心の中に響く。
〝私に……。だがそれだけではあるまい〟
「お母さんがここでいなくなったと聞いて、見にきたんです」
静湖は声をあげていた。
大きな狼はゆっくりと狼の准の脇を抜け、静湖の前へやってきた。
〝面白い音楽だ〟
「僕が?」
静湖は自分を指さして首をかしげる。
〝流王を思いだす……王よりはずっとかわいらしいがな〟
大狼は同族の准にも体を向けた。
〝〈人〉として暮らしているのか。音は詠めるか?〟
〝え?〟
大狼はひらりと広場の端へ駆け、身をひるがして大きく翔んだ。その姿が淡い青空に映え、山に溶ける。静湖が驚いてあたりを見回して探すうち、またひらりと空から白い尾を引いて大狼は現れ、大地に着地した。
〝音を詠めば、天を翔けられる〟
試すように見つめる大狼の前に、准は一歩進みでる。そして鼻先を静湖に向けて言った。
〝僕、しずの力になりたいんです。天狼として翔ける術を、教えてください〟
おぉぉん、と大狼は天に向けて吼えた。
〝ならばついてくるがよい〟
大狼が森の中へ駆け、准が一度、静湖を振り向いてからそれを追った。静湖は落ちていた准のバンダナを拾い、倒木に腰かけて空を見あげた。
*
「准、あのね、流ヶ淵に行ってみようと思って」
准ははっと目覚め、にやりと笑った。
「そう来ると思ってたよ」
静湖は今日も給仕服を着こみ、准も支度をして甲板へ急ぐ。船から降りる縄梯子をかけていると、声が飛んできた。
「どこへ行くんです」
喫茶の建物から出てきた扇が、夜明けの空を背にしていた。二人は事情を説明し、鎧たちが心配をはじめたら行き先を告げてほしいと扇に頼んだ。
「きっと危ない場所なのでしょうね」
扇はため息をつきながらも了承し、二人を送りだしてくれた。
*
早朝の町に人通りはなく、静湖と准は山の入り口まで密やかにたどりついた。
夜明けの空に伸びる木々からは静謐な気が発され、聴こえてくる鳥の声は鋭い。山に分け入る道は石が敷かれているが、太い白縄で封じられていた。
「准、行くよ」
「うん」
静湖は縄の下を、准は上を越えて山に侵入する。
しばらくは山肌の間に削られたかのような道を登った。木立の中、白縄の巻かれた大岩を何度か目にしたあと、目の前が開けた。
森の中の広場だった。苔むした大地の上、見あげるほどの大岩や、いつからあるとも知れぬ倒木に朝陽が差していた。その奥に、それらにひけをとらぬ威容の大樹が立っていた。
准が神妙な表情で、大樹に近づいていく。
「准、どうしたの」
准は少し離れた場所から、大樹をじっと見つめた。
「誰かいる。いや、誰かじゃなくて、たぶん……」
准がそう言ったとき、大樹の肌がふわりと白く浮きあがり、木から溶けだすように大きな白い獣が現れた。ふさふさとした毛を全身にまとう、静湖たちより背の高い狼だった。
狼はゆっくりとこちらに近づき、准の顔先で足を止めた。鋭いまなざしが准に注がれる。その瞳の奥には、思慮深い賢者の目の光があった。准はじっとその目を見つめ返し、おもむろに自身の頭の上でリボンのように結ったバンダナに手をかけた。
ばさり、と准がバンダナをほどく。
すると灰色の髪が全身を覆っていき、准の体の形が変わった。静湖があっと声をあげたとき、そこには大樹から現れた白狼よりひと回り小さな灰色の狼が四つ足で立っていた。
静かに差す陽を浴びながら、白と灰の狼はじっと向かいあう。
「准……」
静湖がおそるおそる近づくと、太い声が心の中に直接響いた。
〝我が一族の者とその友か。なにをしに来た。この先は〈宙〉だ〟
〝あなたに会いに来ました〟
答える准の声も心の中に響く。
〝私に……。だがそれだけではあるまい〟
「お母さんがここでいなくなったと聞いて、見にきたんです」
静湖は声をあげていた。
大きな狼はゆっくりと狼の准の脇を抜け、静湖の前へやってきた。
〝面白い音楽だ〟
「僕が?」
静湖は自分を指さして首をかしげる。
〝流王を思いだす……王よりはずっとかわいらしいがな〟
大狼は同族の准にも体を向けた。
〝〈人〉として暮らしているのか。音は詠めるか?〟
〝え?〟
大狼はひらりと広場の端へ駆け、身をひるがして大きく翔んだ。その姿が淡い青空に映え、山に溶ける。静湖が驚いてあたりを見回して探すうち、またひらりと空から白い尾を引いて大狼は現れ、大地に着地した。
〝音を詠めば、天を翔けられる〟
試すように見つめる大狼の前に、准は一歩進みでる。そして鼻先を静湖に向けて言った。
〝僕、しずの力になりたいんです。天狼として翔ける術を、教えてください〟
おぉぉん、と大狼は天に向けて吼えた。
〝ならばついてくるがよい〟
大狼が森の中へ駆け、准が一度、静湖を振り向いてからそれを追った。静湖は落ちていた准のバンダナを拾い、倒木に腰かけて空を見あげた。
*
0
あなたにおすすめの小説
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
私の存在
戒月冷音
恋愛
私は、一生懸命生きてきた。
何故か相手にされない親は、放置し姉に顎で使われてきた。
しかし15の時、小学生の事故現場に遭遇した結果、私の生が終わった。
しかし、別の世界で目覚め、前世の知識を元に私は生まれ変わる…
拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました
星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎
王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝――
路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。
熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。
「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」
甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。
よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、
気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて――
しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!?
「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」
年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。
ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
【完結】悪役令嬢の身代わりで処刑されかけた侍女、悪人面強面騎士にさらわれる。
雨宮羽那
恋愛
侍女リーリエは、処刑される予定の主・エリーゼと容姿がそっくりだったせいで、身代わりとして処刑台へ立たされていた。
(私はエリーゼ様じゃないわ!)と心の中で叫んだ瞬間、前世の記憶がよみがえり、ここが読みかけだった悪役令嬢ものの小説の世界だと気づく。
しかも小説ではエリーゼが処刑されるはずなのに、リーリエが処刑されかけているという最悪の展開。
絶体絶命の瞬間、リーリエの前に現れたのは強面で悪人面の騎士ガウェイン。
彼はなぜかリーリエを抱えあげ連れ去ってしまい――?
◇◇◇◇
※全5話
※AI不使用です。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる