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第15話 あなたの隣に立つために
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春の風が、木々の若葉を揺らしていた。
昨日の茶会の余韻が、まだ胸のどこかに残っている。
「ティナ、今日も朝から筆を持っていたのね」
セリーナ姉さまがアトリエに現れたとき、私は筆を置いて首を傾げた。
「そんなに夢中になってた……?」
「ええ。呼びかけても気づかないくらい」
私は苦笑いを浮かべながらスケッチブックを閉じた。
「描いてると、全部忘れちゃうの。昨日の視線も、言葉も、いったんリセットできる感じ」
「絵が、あなたにとっての“鎧”なのね」
「……鎧?」
「そう。外の世界の声に傷つかないように、自分の輪郭を守るもの。私も昔、言葉でそれをしていた」
セリーナは静かにそう言って、窓の外に目を向けた。
「ジーク様、今日は来るの?」
「……うん。お昼頃にって」
「そう。じゃあ……今のうちに、少しだけ話してもいい?」
「なにかあった?」
セリーナの視線が、ほんの一瞬揺れた。
「ジーク様のご家族、特に父上が、少し強硬な姿勢を取りはじめているらしいの」
「……強硬?」
「“本当にその子爵令嬢と婚約するつもりか”という声が、内部でも出ているそうよ。
芸術家気質の令嬢に、家の重責を任せられるのか、と」
胸の奥が、ひゅうっと冷えた。
(やっぱり……私なんて、って思ってる人がまだいる)
「でも、彼は譲らないわ。レイヴン家の中でも、“頑固な若者”として知られているのよ。
あなたと並ぶことを、もう“引けないところ”まで来ているのかもしれない」
「……姉さまは、それでも応援してくれる?」
「もちろんよ」
即答だった。
「私たちは、“役割”の中で育てられてきた。でもその中で、本当に大事なものを見つけたのなら——それを守るために、少しの無茶をしてもいいのよ」
姉のその言葉に、私は大きく息を吸い込んだ。
昼過ぎ、ジークハルトが屋敷を訪れた。
今日はどこか、少し疲れたような顔をしていた。
けれど、私の顔を見ると、すっと目元が和らいだ。
「……お待たせしました」
「ううん。来てくれて、ありがとう」
私たちはいつものようにアトリエへ向かい、静かに椅子を並べた。
しばらく無言で過ごしたあと、ジークが口を開いた。
「昨日の茶会、ありがとう」
「私こそ。……すごく緊張したけど、やっぱり行ってよかった」
「君の姿を見て、僕は少し救われたよ」
「……救われた?」
「父と、少し話したんだ。やはり君との交際には懸念があると。
“名家としての在り方を忘れるな”と、そう言われた」
私は何も言えずに、ただ彼の横顔を見つめた。
「君の絵を“家のため”に利用するつもりはない。
けれど、それを求める人々の声が、僕を取り囲みはじめている」
「……苦しい思いをさせてごめん」
「いや、君のせいじゃない」
「でも、私はあなたの“負担”になってる。
あなたが大事にしてる家と、私の“自由”がぶつかってるのなら、私はどうしたら……」
言葉に詰まると、ジークがそっと私の手を取った。
「君が僕のそばにいてくれることが、どんな壁よりも意味があるんだ。
負担なんかじゃない。君が自分らしくいてくれることで、僕は“本当に進みたい道”を見つけられている」
「……ジークさん」
「君が、どんな絵を描くか。どんな未来を望むか。
そのすべてを、隣で見守っていたい。だから僕は、君を誰にも“飾り”にはさせない」
私は手を握り返した。
「じゃあ、私も“守ってもらう側”じゃなくなる。
ジークさんが“自分で選んだ道”を歩めるように、私も、隣で支える」
「それは、“婚約”を考えてもいい、という意味かな?」
ジークの問いに、私は一拍置いて、まっすぐに答えた。
「はい。まだ、全部の覚悟はできてないかもしれないけど……
“あなたの隣に立ちたい”って気持ちは、もう本物だから」
彼の目が、ふっと揺れて、やさしく細められた。
「ありがとう、ティナ」
その声が、春の空気に溶けていく。
私はこのとき、はじめて“婚約”という言葉を、自分の意志で口にした。
夜、アトリエでひとり筆を走らせながら、私は静かに呟いた。
「ジークさんの隣に立つって、決めた。
……そのために、私も強くならなきゃ」
窓の外では、風が静かに庭を通り抜けていった。
昨日の茶会の余韻が、まだ胸のどこかに残っている。
「ティナ、今日も朝から筆を持っていたのね」
セリーナ姉さまがアトリエに現れたとき、私は筆を置いて首を傾げた。
「そんなに夢中になってた……?」
「ええ。呼びかけても気づかないくらい」
私は苦笑いを浮かべながらスケッチブックを閉じた。
「描いてると、全部忘れちゃうの。昨日の視線も、言葉も、いったんリセットできる感じ」
「絵が、あなたにとっての“鎧”なのね」
「……鎧?」
「そう。外の世界の声に傷つかないように、自分の輪郭を守るもの。私も昔、言葉でそれをしていた」
セリーナは静かにそう言って、窓の外に目を向けた。
「ジーク様、今日は来るの?」
「……うん。お昼頃にって」
「そう。じゃあ……今のうちに、少しだけ話してもいい?」
「なにかあった?」
セリーナの視線が、ほんの一瞬揺れた。
「ジーク様のご家族、特に父上が、少し強硬な姿勢を取りはじめているらしいの」
「……強硬?」
「“本当にその子爵令嬢と婚約するつもりか”という声が、内部でも出ているそうよ。
芸術家気質の令嬢に、家の重責を任せられるのか、と」
胸の奥が、ひゅうっと冷えた。
(やっぱり……私なんて、って思ってる人がまだいる)
「でも、彼は譲らないわ。レイヴン家の中でも、“頑固な若者”として知られているのよ。
あなたと並ぶことを、もう“引けないところ”まで来ているのかもしれない」
「……姉さまは、それでも応援してくれる?」
「もちろんよ」
即答だった。
「私たちは、“役割”の中で育てられてきた。でもその中で、本当に大事なものを見つけたのなら——それを守るために、少しの無茶をしてもいいのよ」
姉のその言葉に、私は大きく息を吸い込んだ。
昼過ぎ、ジークハルトが屋敷を訪れた。
今日はどこか、少し疲れたような顔をしていた。
けれど、私の顔を見ると、すっと目元が和らいだ。
「……お待たせしました」
「ううん。来てくれて、ありがとう」
私たちはいつものようにアトリエへ向かい、静かに椅子を並べた。
しばらく無言で過ごしたあと、ジークが口を開いた。
「昨日の茶会、ありがとう」
「私こそ。……すごく緊張したけど、やっぱり行ってよかった」
「君の姿を見て、僕は少し救われたよ」
「……救われた?」
「父と、少し話したんだ。やはり君との交際には懸念があると。
“名家としての在り方を忘れるな”と、そう言われた」
私は何も言えずに、ただ彼の横顔を見つめた。
「君の絵を“家のため”に利用するつもりはない。
けれど、それを求める人々の声が、僕を取り囲みはじめている」
「……苦しい思いをさせてごめん」
「いや、君のせいじゃない」
「でも、私はあなたの“負担”になってる。
あなたが大事にしてる家と、私の“自由”がぶつかってるのなら、私はどうしたら……」
言葉に詰まると、ジークがそっと私の手を取った。
「君が僕のそばにいてくれることが、どんな壁よりも意味があるんだ。
負担なんかじゃない。君が自分らしくいてくれることで、僕は“本当に進みたい道”を見つけられている」
「……ジークさん」
「君が、どんな絵を描くか。どんな未来を望むか。
そのすべてを、隣で見守っていたい。だから僕は、君を誰にも“飾り”にはさせない」
私は手を握り返した。
「じゃあ、私も“守ってもらう側”じゃなくなる。
ジークさんが“自分で選んだ道”を歩めるように、私も、隣で支える」
「それは、“婚約”を考えてもいい、という意味かな?」
ジークの問いに、私は一拍置いて、まっすぐに答えた。
「はい。まだ、全部の覚悟はできてないかもしれないけど……
“あなたの隣に立ちたい”って気持ちは、もう本物だから」
彼の目が、ふっと揺れて、やさしく細められた。
「ありがとう、ティナ」
その声が、春の空気に溶けていく。
私はこのとき、はじめて“婚約”という言葉を、自分の意志で口にした。
夜、アトリエでひとり筆を走らせながら、私は静かに呟いた。
「ジークさんの隣に立つって、決めた。
……そのために、私も強くならなきゃ」
窓の外では、風が静かに庭を通り抜けていった。
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