24 / 31
第24話 揺らがない想いを、誰の言葉にも奪わせない
しおりを挟む
春の空気が少しだけ湿り気を帯びはじめたある日。
朝の食卓に届いた一通の封筒が、私の心に重たい石を落とした。
「お嬢様。こちら、グレイス侯爵家からのお手紙です」
「……グレイス侯爵家?」
手紙の主は、“レアナ・グレイス”。
この国でも由緒ある名門の令嬢で、華やかな美貌と知性を併せ持ち、社交界では“完璧な令嬢”と名高い存在だ。
それだけでも胸がざわつくのに——
その彼女がかつて、“ジークの婚約候補筆頭”だったことは、すでに耳にしていた。
「まさか、直接……?」
私は封を開け、書かれた文を一行ずつ丁寧に目で追った。
ミルフォード嬢
貴女とお話ししたいことがございます。
攻撃の意図ではなく、ただ一人の女性として、
大切な選択をした貴女と向き合いたいと願っています。
レアナ・グレイス
短いが、端正で、心を揺さぶる文面だった。
(……会うしか、ないよね)
指定されたのは、王都中心にある喫茶室だった。
私が少し早めに着いた席に、時間ぴったりに現れたレアナ・グレイス嬢は、噂どおりの存在感だった。
赤みのあるブロンドを美しく編み上げ、淡いベージュのドレスを気品たっぷりに着こなしている。
でも、その表情は意外なほど穏やかだった。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「いえ。……お招きいただいて、驚きましたが」
「でしょうね。けれど、今日は互いを責め合うための場にはしたくないの。
私は、あなたが羨ましいと思ったから来ました」
「……羨ましい?」
「ええ。ジーク様が誰かの隣に、あれほど自然に笑って立つ姿。
私は一度も見たことがなかったから」
私は思わず息を飲んだ。
「あなたが“絵を描く女性”だと聞いたとき、正直、驚きました。
でも……それが、彼にとってどれほど大切な要素なのか、今はよくわかります」
「……そう言っていただけるのは、正直……少し、救われます」
レアナは静かに紅茶を口にし、少し目を伏せた。
「……ただ、私は“家”を背負っています。
だからこそ、貴族社会の中で、婚姻が“契約”であることも理解しています」
「私も、それはわかっているつもりです。
だからこそ……絵を手放さずに、公爵家の婚約者としても歩こうと決めたんです」
「あなたは、強いわ」
その言葉は、批判ではなく、ただの事実だった。
「ジーク様の未来に、私はもう関わらない。……でも、“彼を支える”という意味では、ある意味同志でもあると思うの。
だから、一つだけ忠告させてほしい」
「……忠告?」
「この先、“絵を描くこと”と“妻としての責務”がぶつかる時が必ず来る。
その時、あなたが何を捨て、何を選ぶかによって——
ジーク様もまた、揺らぐかもしれない」
「……」
「だから、覚悟していて。
愛だけでは、すべてを支えられないこともあるから」
私は、その言葉を静かに受け止めた。
否定も、反論もせずに。
「……ありがとうございます。
でも、私は“愛”で終わらせるつもりはありません。
絵も、ジークさんも、どちらも手放さないと決めています。
それがどんなに難しい道でも、私は——自分で選びます」
レアナはわずかに目を見開き、それから微笑んだ。
「……強い人ね。
どうか、あなたの“絵”で、ジーク様の未来を守ってあげて」
その夜、ジークにすべてを話した。
レアナとの会話も、忠告の内容も、
そして、私の決意も。
ジークは話を静かに聞いてから、私の手を取り、真剣な眼差しを向けた。
「ありがとう。話してくれて。……レアナがそう言ったこと、僕は感謝してる」
「……怒らないの?」
「怒る理由はないよ。
だって、君がその上で僕を選び続けてくれているなら、それ以上に強い証明はないから」
「……ジークさん」
「これからも、君の絵と生き方を、僕は信じるよ。
たとえ、どんなことが起きても」
私はそっと彼の肩に寄り添った。
「私も信じる。あなたが私の“道”を大切にしてくれていることを」
春の夜風が、開いた窓からふたりの間を静かに通り抜けていった。
朝の食卓に届いた一通の封筒が、私の心に重たい石を落とした。
「お嬢様。こちら、グレイス侯爵家からのお手紙です」
「……グレイス侯爵家?」
手紙の主は、“レアナ・グレイス”。
この国でも由緒ある名門の令嬢で、華やかな美貌と知性を併せ持ち、社交界では“完璧な令嬢”と名高い存在だ。
それだけでも胸がざわつくのに——
その彼女がかつて、“ジークの婚約候補筆頭”だったことは、すでに耳にしていた。
「まさか、直接……?」
私は封を開け、書かれた文を一行ずつ丁寧に目で追った。
ミルフォード嬢
貴女とお話ししたいことがございます。
攻撃の意図ではなく、ただ一人の女性として、
大切な選択をした貴女と向き合いたいと願っています。
レアナ・グレイス
短いが、端正で、心を揺さぶる文面だった。
(……会うしか、ないよね)
指定されたのは、王都中心にある喫茶室だった。
私が少し早めに着いた席に、時間ぴったりに現れたレアナ・グレイス嬢は、噂どおりの存在感だった。
赤みのあるブロンドを美しく編み上げ、淡いベージュのドレスを気品たっぷりに着こなしている。
でも、その表情は意外なほど穏やかだった。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「いえ。……お招きいただいて、驚きましたが」
「でしょうね。けれど、今日は互いを責め合うための場にはしたくないの。
私は、あなたが羨ましいと思ったから来ました」
「……羨ましい?」
「ええ。ジーク様が誰かの隣に、あれほど自然に笑って立つ姿。
私は一度も見たことがなかったから」
私は思わず息を飲んだ。
「あなたが“絵を描く女性”だと聞いたとき、正直、驚きました。
でも……それが、彼にとってどれほど大切な要素なのか、今はよくわかります」
「……そう言っていただけるのは、正直……少し、救われます」
レアナは静かに紅茶を口にし、少し目を伏せた。
「……ただ、私は“家”を背負っています。
だからこそ、貴族社会の中で、婚姻が“契約”であることも理解しています」
「私も、それはわかっているつもりです。
だからこそ……絵を手放さずに、公爵家の婚約者としても歩こうと決めたんです」
「あなたは、強いわ」
その言葉は、批判ではなく、ただの事実だった。
「ジーク様の未来に、私はもう関わらない。……でも、“彼を支える”という意味では、ある意味同志でもあると思うの。
だから、一つだけ忠告させてほしい」
「……忠告?」
「この先、“絵を描くこと”と“妻としての責務”がぶつかる時が必ず来る。
その時、あなたが何を捨て、何を選ぶかによって——
ジーク様もまた、揺らぐかもしれない」
「……」
「だから、覚悟していて。
愛だけでは、すべてを支えられないこともあるから」
私は、その言葉を静かに受け止めた。
否定も、反論もせずに。
「……ありがとうございます。
でも、私は“愛”で終わらせるつもりはありません。
絵も、ジークさんも、どちらも手放さないと決めています。
それがどんなに難しい道でも、私は——自分で選びます」
レアナはわずかに目を見開き、それから微笑んだ。
「……強い人ね。
どうか、あなたの“絵”で、ジーク様の未来を守ってあげて」
その夜、ジークにすべてを話した。
レアナとの会話も、忠告の内容も、
そして、私の決意も。
ジークは話を静かに聞いてから、私の手を取り、真剣な眼差しを向けた。
「ありがとう。話してくれて。……レアナがそう言ったこと、僕は感謝してる」
「……怒らないの?」
「怒る理由はないよ。
だって、君がその上で僕を選び続けてくれているなら、それ以上に強い証明はないから」
「……ジークさん」
「これからも、君の絵と生き方を、僕は信じるよ。
たとえ、どんなことが起きても」
私はそっと彼の肩に寄り添った。
「私も信じる。あなたが私の“道”を大切にしてくれていることを」
春の夜風が、開いた窓からふたりの間を静かに通り抜けていった。
77
あなたにおすすめの小説
殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!
さら
恋愛
王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。
――でも、リリアナは泣き崩れなかった。
「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」
庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。
「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」
絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。
「俺は、君を守るために剣を振るう」
寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。
灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。
辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。
コテット
恋愛
侯爵令嬢リーナは、王子からの婚約破棄と義妹の策略により、社交界での地位も誇りも奪われた。
だが、彼女には誰も知らない“前世の記憶”がある。現代薬剤師として培った知識と、辺境で拾った“魔草”の力。
それらを駆使して、貴族社会の裏を暴き、裏切った者たちに“真実の薬”を処方する。
ざまぁの宴の先に待つのは、異国の王子との出会い、平穏な薬草庵の日々、そして新たな愛。
これは、捨てられた令嬢が世界を変える、痛快で甘くてスカッとする逆転恋愛譚。
【完結】貧乏子爵令嬢は、王子のフェロモンに靡かない。
櫻野くるみ
恋愛
王太子フェルゼンは悩んでいた。
生まれつきのフェロモンと美しい容姿のせいで、みんな失神してしまうのだ。
このままでは結婚相手など見つかるはずもないと落ち込み、なかば諦めかけていたところ、自分のフェロモンが全く効かない令嬢に出会う。
運命の相手だと執着する王子と、社交界に興味の無い、フェロモンに鈍感な貧乏子爵令嬢の恋のお話です。
ゆるい話ですので、軽い気持ちでお読み下さいませ。
【完結】モブ令嬢のわたしが、なぜか公爵閣下に目をつけられています
きゅちゃん
ファンタジー
男爵家の三女エリーゼは、前世の記憶を持つ元社畜OL。社交界デビューの夜、壁際でひとりジュースを飲んでいたところを、王国随一の権力者・ヴァルナ公爵カイルにスカウトされる。魔法省の研究員として採用されたエリーゼは、三年間誰も気づかなかった計算の誤りを着任三日で発見。着々と存在感を示していく。一方、公爵の婚約候補と噂されるクロード侯爵令嬢セラフィーヌは、エリーゼを目障りに思い妨害を仕掛けてくるが...
たいした苦悩じゃないのよね?
ぽんぽこ狸
恋愛
シェリルは、朝の日課である魔力の奉納をおこなった。
潤沢に満ちていた魔力はあっという間に吸い出され、すっからかんになって体が酷く重たくなり、足元はふらつき気分も悪い。
それでもこれはとても重要な役目であり、体にどれだけ負担がかかろうとも唯一無二の人々を守ることができる仕事だった。
けれども婚約者であるアルバートは、体が自由に動かない苦痛もシェリルの気持ちも理解せずに、幼いころからやっているという事実を盾にして「たいしたことない癖に、大袈裟だ」と罵る。
彼の友人は、シェリルの仕事に理解を示してアルバートを窘めようとするが怒鳴り散らして聞く耳を持たない。その様子を見てやっとシェリルは彼の真意に気がついたのだった。
【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です
hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。
夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。
自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。
すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。
訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。
円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・
しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・
はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる