『婚約なんて予定にないんですが!? 転生モブの私に公爵様が迫ってくる』

ヤオサカ

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第28話 あなたの言葉が、いちばん遠くに感じた日

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「ティナ、本当におめでとう!」

 母が花のブーケを両手に抱えて、笑顔で出迎えてくれた。

 王宮での式典から数日。
 レイヴン家とミルフォード家の間で正式な結婚に向けた日程調整が始まり、
 ティナは久しぶりに実家へ戻っていた。

 屋敷の中には花の香りと温かい紅茶の匂いが漂い、
 姉のセリーナは、落ち着いた様子で書類を整えながら言った。

「本当に、あなたの絵でこんなふうに道が開けるなんてね。
 昔から、誰よりも静かに芯があったもの」

「……ありがとう。姉さまがそう言ってくれると、安心する」

 セリーナは笑って、そっと肩を叩いてくれた。

 けれど——その場にいた唯一の家族が、ずっと黙っていた。

「……兄さま?」

 ユリウスは、ティーカップを持ったまま、窓の外を見ていた。
 その横顔は穏やかだったけれど、どこか遠い。

「……ああ。おめでとう、ティナ」

 言葉だけはそうだった。
 けれど、目を合わせてくれなかった。

(兄さま、どうしたんだろう……)



 夜。
 ティナはそっと兄の部屋の扉をノックした。

「入っていい?」

「……ああ」

 部屋の中はいつものように整頓され、
 書きかけの手紙や本が机に並べられていた。

「ねえ、兄さま。さっきからずっと……どこかよそよそしい気がする」

 ユリウスは少しだけ間を置いてから、ぽつりと言った。

「……別に。うれしくないわけじゃないよ。
 お前のことは、ずっと応援してきたし、ジークとも親しくしてきた」

「じゃあ、どうして……?」

 ティナは一歩だけ前に進み、兄の前で立ち止まった。

「何か、言いにくいことがあるなら、聞きたい」

 ユリウスはため息をひとつ吐いて、ようやく視線を合わせてきた。

「……ティナ、お前、今すごく遠くに行こうとしてるって思ったんだ」

「遠く?」

「公爵家に入って、国に絵を描いて、
 どんどん大きな場所に進んでいく。
 でも、お前が“小さな部屋で、静かに筆を持っていた時間”が、
 どんどん後ろに流れていく気がして……怖くなった」

 ティナは目を見開いた。

「……兄さま、それは……」

「お前の人生を縛るつもりはないよ。
 でも、“絵を描くティナ”が、誰かの役に立たなきゃいけないものになっていくのが……
 ちょっと、さびしいんだ」

 その言葉に、ティナははじめて気づいた。
 自分がどれだけ“応援されている”ことに甘えてきたかを。

 ユリウスは、姉でもジークでもない場所から、
 誰よりも自然に、そして何より近くで自分を支えてくれていた。

「……ありがとう、兄さま。
 でもね、私は“変わっていく”んじゃなくて、“広がっていく”だけなんだと思う」

「広がっていく?」

「私の絵は、昔みたいに小さな窓辺で描くこともあるし、
 今みたいに王宮で描くこともある。
 でもそれは、私が“どこかに連れていかれる”んじゃなくて、
 “自分の足で選んだ場所に筆を運んでる”ってことだと思うの」

 ユリウスは静かに目を伏せた。

「……そうだな。
 きっと俺の方が、置いて行かれる気になってただけかもしれない」

「そんなこと、絶対にないよ。
 私は“家族に支えられてきた自分”を、ちゃんと持って歩いていくから」

 兄妹の間に流れた沈黙は、冷たいものではなかった。
 ただ、少しずつ溶けていくものだった。



 夜遅く、部屋に戻ったティナは、アトリエ用に持ち込んだスケッチブックを開いた。

 描きたいのは——兄の横顔だった。

 少しさびしげで、でもまっすぐで、
 いつも誰かの背中をそっと支えるようなあの姿。

 筆を走らせながら、ティナは小さく呟いた。

「私は、ちゃんと帰ってくる。
 どんなに遠くへ行っても、この家と、家族と、私自身を忘れないから」

 その言葉が、静かに紙の上に降り積もるようだった。
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