水底に届く光の歌を。

泉紫織

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エピローグ

記憶

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 お父さんに水瀬莉音という1人の人間を見てもらえてから、1年ほど経った。もうすぐ受験生になる私は、作曲と勉強の両立を頑張っている。お父さんとは少しずつだけれど、食事中に会話を交わすようになった。まだ緊張はするし、萎縮してしまうこともあるが、着実に距離を縮められていると思う。
「莉音、次の徹さんのコンサートなんだけど……」
 最近、お母さんが少し困ったようにこう切り出した。曰く、いつもは関係者席のチケットをお母さん、妹、弟二人の計4人分しか用意しないお父さんが、今回は私の分とでもいうように、5人分置いて行ったと。
「無理しなくて大丈夫よ。最近じゃあ、少しずつ喋れるようになってきているみたいだけれど、やっぱり怖いでしょう?」
 お母さんはこう言うが、私はこれはチャンスだと思った。
「ううん、行きたい。チケット、そのままにしておいてほしい」
 1人の人間として見てもらったんだ。私も目を逸らしているわけにはいかない。それに、私は才能のなさを自覚してからも、ずっとお父さんの演奏が好きだった。憧れだった。無表情なのに、その細い指から繰り出される音の一つ一つは繊細で表情豊かで、情景が目に浮かぶよう。幼少期からコンクールで金賞をもらい続け、日本でも世界でも名前が知れ渡っているピアニスト。そんなお父さんの音を再現したくて、でも自分の力ではできなくて、辛かったんだ。そうだとしても、あの音の美しさ、心に沁み入る感動は忘れられない。
 それを思い出して、もう一度、あの演奏を観客席から聴きたいと思った。音楽を作る人間として、聴き逃すわけにはいかない。
 こうして、私は新しい自分として現実と真摯に向き合っている。
 
 進級に伴って、私は文系に、舞香は理系に進んだため、クラスは離れてしまったが、一緒に昼ご飯を食べたり休日に遊んだりして過ごす。お互いの悩みを打ち明けた、深いところでつながっている、大切な親友だ。
 1年前くらいは、想い人とどうなったの?なんて聞かれることも多かったが、私が想い人なんていないと言うと毎度不思議そうな顔をしていた。当時は自分でもどこか記憶が抜け落ちているような気がすることが何度もあって、思い出せなくて困っていたけれど、今はもうそんなことも感じない。きっと辛すぎて、変なことを考えていたんだろう。
 
 オールインPとしての活動は比較的順調で、一定数固定のファンがついてくれているし、再生回数もある程度は伸びている。ファンが残してくれるコメントで、誰かを助けられているという実感が湧く。大成功とは言えずとも、夢は少しずつ叶っていると言えるだろう。
 私はこれからも、誰かを救うための音楽を作り続ける。
 
 そんなある日、オールインPのアカウントに編曲の仕事依頼が来た。ファンからのDMはたまに目を通して返しているが、仕事の連絡が来たのは初めてで、飛び上がって喜んでしまう。
『オールインP様 初めまして。いつもあなたの曲に救われています。僕は雪という活動名で歌い手をやっている者です。今回、自分で歌を作ってみたのですが、僕の力ではメロディと歌詞を作ることしかできず、1曲を仕上げることはできませんでした。そこで、オールインP様にぜひ編曲をお願いしたく、ご連絡を差し上げました』
 曲のファイルが添付されている。とにかく、聴いてみようと思い、再生ボタンを押した。
 掠れた甘い歌声。ハッと息を呑むほどに美しい歌声。光を探しているようなメロディと歌詞。
 私は確かにこの曲を、この人を知っている。
 心臓が激しく音を立て、ぐっと懐かしさが込み上がってくる。必死で記憶のページをめくるが、どこにも見当たらない。でも、私はこの曲を弾いたことがある。この歌声を身近で聴いていた。全身の細胞がそう確信して震えている。
 この送り主は誰?私はいつどこでこの人と知り合った?どうして覚えていないの?
 返信も忘れて、もう無我夢中で編曲した。体が覚えていたのか、メロディはすんなりと指に馴染み、どこにどんなコードを置いたらいいのか直感でわかる。ここに何の楽器を入れたらいいとか、裏メロはどうすればいいとか想像がどんどん膨らむ。
 寝る時間も食事の時間も勉強の時間も削って、丸2日かけて完成した曲を書き出す。添付してメッセージを送った。
『雪さま お返事遅くなって大変申し訳ありません。お借りした曲がなんだか懐かしくて、無我夢中で編曲してしまいました。こちら、納品させていただきます。ご確認をよろしくお願いいたします』
 もう一度聴き返してみる。この編曲したバージョンにこの人の歌声が乗ったら、どんなにか綺麗だろう。楽しみで仕方がない。
 すると、すぐに返信が来る。
『早速編曲していただいて、本当にありがとうございます。メロディと歌詞しかなかった曲がこんなにも美しいものに仕上がって、感無量です。もうひとつお願いがあるのですが、もしよろしければ、この曲にタイトルをつけていただけませんか?もちろん、その分の追加料金は払いますので』
 なぜ私がタイトルを?と疑問に思ったが、ふと一つの案が浮かんでくる。まるでもともと知っていたかのように、頭の辞書にその言葉がすでに載っていたかのように。
「『水底に届く光の歌を。』」
 目を閉じてそっとつぶやくと、その瞬きの間に、目の裏に雪が降る公園が見えた気がした。初めて聴いた曲のはずなのに、どうしようもなく熱い思いが心臓を激しく揺り動かす。
 間違いなく、この曲は私の光の歌だ。
 数日後、動画に仕上がった曲が雪のチャンネルで投稿される。雪が降り頻る夜の公園のMVがついていた。
 どうか、少しでも多くの人にこの曲が届きますように。そして、私のようにこの曲で救われる人がいますように。

 水底に届く光の歌を。
 Vocal/Music/Movie 雪
 Title/Arrange オールインP

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感想 2

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みんなの感想(2件)

ふくろう
2025.07.31 ふくろう

投票しました!

重い出だしながら、ドラマを感じさせる展開ですね♪

何だか、応援したくなる主人公です。^_^

2025.08.01 泉紫織

ふくろう様!
投票いただき、ありがとうございます!とても嬉しいです♪
思春期特有の閉塞感を全開にしてみました!そう言っていただけて莉音も喜んでいると思います!
感想ありがとうございました。励みになります!

解除
空心菜
2025.07.13 空心菜
ネタバレ含む
2025.07.13 泉紫織

空心菜さん!!
毎度ありがとうございます😭
まさにその通りです。「向き合う」ことから逃げていたから、莉音は光が見えない水底にいるような気がしていたし、雪斗は吹雪がやまないような気がしていたのだと思っています。そんな中、お互いに触発されて、成長して、向き合えるようになっていく。そんな物語を描いたつもりです。
『進撃の巨人』好きすぎてかなり影響受けているのがバレちゃいました😆
素敵な感想をありがとうございます!本当に励みになります!テスト勉強やってきます😭

解除

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