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第六章:役割

幕間33:年季、血、汗

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 ギル様に同行し、シヴィリア孤児院に到着した私たち。玄関で迎えてくれたのは施設の従業員と思しき女性だった。彼女はギル様を見るなり柔らかな笑顔を見せる。

 姿を見せただけで人々から笑顔を引き出すことができるのか。私の知らない民の顔がそこにはあった。

 ――微かに、嫉妬してしまう。

「いらっしゃい、ギルくん。騎士様も、ようこそお越しくださいました」

「ども。子供たちは?」

「しー。すぐそこにいるの。驚かせてあげて?」

「お任せあれ。さ、行きますよネイトさん」

「ええ、お手柔らかに」

 ギル様は悪戯な笑みを浮かべる。驚かせてやろう、喜ばせてやろう。無邪気さ、というのはこのような表情を言うのだと感じた。いまの私にはできないことだ。羨ましさを覚える。

 女性がすっと身を引くと、ギル様は鞄から小さな箱とステッキを取り出した。徐にそれを放り投げると、軽い音を立てて落下する。扉の隙間から様子を窺うと、子供たちは好奇心に従って箱を囲う。

 そのときギル様が、にやりと笑ってステッキを振るった。

「わあっ!?」

 箱が突然開き、中から小さな人形が現れた。真上に向かって勢いよく飛び上がる。子供たちは驚いて仰け反り、言葉を失う。一瞬の沈黙の後、ギル様が扉を開いた。

「よう! 相変わらずいい顔するねぇ!」

「わー! ギルだー!」

「ひさしぶり! いらっしゃーい!」

 子供たちは雪崩のようにギル様へ押し寄せた。彼は一人一人の頭を撫で、幸せそうな笑顔を見せている。私はただ呆然とその光景を眺めていた。同時に――虚しさを覚えた。

 人々を守るために、笑顔を守るために剣を振るってきた。だが実際、笑顔を生み出すのは守るための剣ではなかった。小さな箱と、ステッキ。一見、玩具に見えるようなものなのに。

 私のやってきたことは無駄だったのだろうか。アンジェ騎士団の意義は……?

「――しさま、騎士様!」

「は――はい?」

 思考の暗闇を晴らしたのは、一人の子供の声。男児が私の手を握っていた。不思議そうな顔をしている。いけない、怖がらせてしまっただろうか。慌てて笑顔を取り繕う。

「申し訳ございません、怖かったでしょうか?」

「ううん? 騎士様も一緒に手品見るのー?」

「あ……はい。ギル様に連れられて、こちらへ……」

「そうなんだー! じゃあこっち! ついてきて!」

 男児に手を引かれ、階段を駆け上がる。小さな体なのに、大人を動かすほどの力強い。それ程の力を引き出しているのは、紛れもなくギル様なのだろう。

 彼は魅力に溢れている。築き上げたエンターテイナーとしての魅力。人々に喜びと活力を与える力だ。いったい、どれだけの研鑽を積み重ねれば、彼のような人になれるのだろう。

 連れてこられたのは、二階の奥の部屋。期待に満ちた空気を肌で感じる。座る子供たちと、テーブルを挟む形で立つギル様。彼の表情からは余裕が窺える。私の到着を確認し、笑う。

「全員揃ったな? んじゃ、始めっか」

 その言葉を引き金に――ギル様はエンターテイナーに“化けた”。そんな印象を抱いた。私をここまで連れてきたギル・ミラーとはまるで別人だ。

 自然と背筋が粟立つ。強敵と相対したときのような、ある種の恐怖を感じた。これから始まるのはただの手品のはずなのに。エリオット様と一緒に観たときとは空気が全く違う。

 この空間はギル様の掌の上。これから生まれる感情も、どのように揺れ動くかも、全て彼の意のまま。そう錯覚させるほど、眼前のエンターテイナーは異質な存在だった。

「――ご無沙汰しております。不肖ギル・ミラー、皆様の笑顔を奪いに参りました。短い時間ではありますが、幸せな夢へ招待させていただきます」

 芝居掛かった口調。わざとらしい言い回しなのに、どこか真に迫っている。笑顔を奪われる、その言葉に体が反応した。奪うという物騒な表現。けれど、怖いと感じることもない。むしろ――この衝動は、なんて表現するのだろう?

 それからの時間はあっという間だった。手品を披露している最中、ギル様は言葉を発さなかった。だからだろうか、常識を覆すような奇跡の連続に集中することができた。胸がざわつく。その現象を言い表すことはできなかったが、悪いものではない。それだけは、未熟な心でも理解できた。

 子供たちの拍手を受け、彼は慎ましく一礼する。その真摯さは、人々を楽しませるという彼の存在を表しているようにも見えた。彼が空間の支配権を握ったとき、他の全てが霞むほどの存在感を放つ。

 ――自己表現の極致、そう喩えることしかできない。

 途方もない時間をかけて辿り着いた領域であることは一目瞭然。彼の努力の賜物、称賛されて然るべき技術だ。ギル様は深い息を吐き、一礼。その仕草もまた、目を奪われる。

「これにて、ギル・ミラーのショーはお終いです。最高の笑顔を頂戴致しました。幸せを噛み締めて、素敵な夜をお過ごしください――ってな」

 その言葉をきっかけに、ギル様が“帰ってきた”ような気がした。彼の支配が終わりを告げたのだと理解する。体が軽い、全身を駆け巡る未知の感覚。自然と、拍手を送っていた。子供たちもそれに続く。

 ギル様の元に集まる子供たち。その顔は笑顔一色だ。彼だからこそ為せるわざ。私の胸は畏敬の念で埋め尽くされていた。絶対に敵わない、どれだけ努力をしたとしても、彼のようなエンターテイナーには到達しえない。

 そう思わされた一方で、これ以上ない尊敬も抱いた。彼のパフォーマンスには年季、血、汗を感じる。ここに至るまでの背景が見える気がした。常人ならばここまでの努力はできない。そう感じさせられた。

 ギル様がこちらを見る。心なしか、始める前よりも余裕が欠けているように見えた。

「どうっすか? 楽しんでもらえました?」

「ええ、とても。貴方が“表現者”である再認識しました」

「はは、どーも。いいもん貰ったし、来てよかったっすわ」

 そう笑うギル様は人差し指を立て、私に向ける。指先は私の顔だが……いったいなにを送ったというのだろう?

 ギル様は満足そうな笑みを映している。意図したわけではないが、彼の笑顔の一端を私が担っている。そう考えれば、実りはあったのかもしれない。

 参考には、なった。人々を笑顔にするために必要なものーーそれはきっと、奉仕の精神なのだろう。

 見知らぬ誰かを喜ばせる、それ以外の感情を殺して奉仕に専念する。ギル様はそれに気づいていないだろう。やりたいからやっている、と笑うはずだ。

 ーー仮に、ギル様が自身の役割を理解して、アイドルに臨んだら? 私はいったい、どんな存在で在ればいいのだろう。
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