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第100話
しおりを挟む異国の港町は、王都と違って“匂い”が雑だった。
潮、香辛料、油、汗、紙。
人の声も、言葉が雑だ。
母国語の罵声に、帝国語の値切り、交易都市の訛り。
その全部が、同じ石畳を叩いて流れていく。
私はフードを深く被って、露店の列を抜けた。
誰も跪かない。
誰も「王」と呼ばない。
――それが、こんなに楽だなんて。
息を吸う。
吐く。
昔みたいに、喉が裂ける気配はない。
でも、癖は残っている。
嬉しいときほど、先に息を整える。
安心した瞬間ほど、周りを見てしまう。
「姉さん」
背中から、小さな声。
私は振り返らず、指だけで合図した。
リオンは、私の少し後ろ。
胸元の“光の糸の結び目”が、布越しに薄く脈打っている。
守られている印で、監査される印。
守られているのに、見られている。
自由なのに、記録されている。
この世界らしい、矛盾の結び目だ。
王都では、暫定政府の掲示板が毎朝更新される。
税の流れ、孤児保護院の会計、港の積荷、街道修繕。
誰が何を隠そうとしたかまで、空が「ログ」で鳴らす。
嘘ができない世界。
正確には、嘘をつくと“社会が腐る”世界。
そして腐りは、生活灯に映る。
生活灯は消せない。
怖くても、見たくなくても、勝手に点いている。
だから皆、仕方なく“正しくあろう”とする。
正しさって、優しい顔をしてるくせに、結構乱暴だ。
私は知っている。
正義の顔で殺されかけたから。
露店の奥、錆びた看板。
《契約石/回線石/古精霊核 買います売ります》
私はそこに足を止めた。
店主は老人で、目だけが若かった。
私の顔を見ない。
代わりに、私の“空気”を嗅ぐ。
「……随分、静かな人だ」
私は笑わない。
笑う必要がないのに、笑い方を忘れたくもない。
息を整えてから、口角だけ上げる。
「静かなのは、昔うるさかった反動よ」
老人は鼻で笑った。
「回線を嫌う者ほど、回線の匂いがする」
「それ、褒めてる?」
「忠告だ」
忠告。
王都の人間も、よくそれを“優しさ”の形で投げてきた。
――気をつけろ、また燃えるぞ、と。
私は棚の上の石に指を伸ばした。
小指の爪ほどの大きさ。
透明で、中心に薄い影が泳いでいる。
禁忌の精霊石とは違う。
あれは、もう少し“重かった”。
見ている人たちの声が詰まっていた。
これは、軽い。
軽いくせに、冷たい。
触れた瞬間、指先が一度だけ、ちくりとした。
「名前は?」
私が聞くと、老人は肩をすくめた。
「名付けは買い手の仕事だ」
名付け。
契約。
所有者。
精霊同意。
――私は、あの地獄で学んだ。
真実は、いつだって“多数派”が作る。
そして多数派は、いつだって正しいとは限らない。
だから私は、選び直す。
多数派に飲まれないために、多数派を扱う。
嘘と真実の境界を、問いとして残すために。
リオンが小さく息を吸った。
怖がっているのか、期待しているのか。
私は振り返って、目だけで「大丈夫」と言った。
彼の結び目が、ふっと淡く光った。
監査の印が、守りの印として反応する。
それだけで、胸の奥が少しだけ温かくなる。
温かくなる前に、私は息を整えた。
癖。
トラウマ。
生き残りの技術。
老人が言う。
「それを使うなら、街の外れにしな」
「人が多いほど楽しいのに」
「楽しい、か。命があるうちは、何でも楽しいだろうな」
私は石を握り、代金を置いた。
通貨は違うのに、値段の“圧”だけは万国共通だ。
雑踏に戻る。
言葉が渦を巻く。
誰も私を知らない。
それでも、生活灯はどこかで点いている。
空を見上げる。
雲の色が、王都より薄い。
でも私は知っている。
薄い空ほど、映像がよく映る。
私は立ち止まり、石を掲げた。
新しい精霊石は、まだ静かだ。
命令もしない。
勝手に光りもしない。
いい子。
だからこそ、こちらから始める。
私は、カメラ――読者の目線に向けて、不敵に笑った。
息を整える癖のままに、ゆっくりと。
「さて――第2回ライブ配信、始めちゃおうかしら?」
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