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第3章 激動の王国
56.決死の脱獄
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いつの間にか寝入ってしまったヨアヒムは、しまったと思い、独房の窓を見上げたが、まだ月光が窓から降り注いでいた。夜間の方が当番の牢番が少ないだろうとヨアヒムは考え、即時の脱獄決行を決意した。
ヨアヒムは正体不明の男に渡された牢番のお仕着せを着てマントと服を小さく畳んで小脇に抱えた。鍵で鉄扉をほんの少し開けて廊下の気配を探り、誰もいないのを確認すると、するりと独房から出て鉄扉の鍵を閉めた。
ヨアヒムは牢番の振りをして堂々と地下牢の中を歩きだしたが、前から他の牢番が来てしまった。1本通路では身を隠す場所もない。
「おい、お前!」
ヨアヒムは何も言わずに通り過ぎてやり過ごそうとしたが、声を掛けられてしまい、内心ビクリとした。無視して走るか一瞬迷ったが、結局返事をした。牢番はお仕着せの下に笛を隠していて非常時には即時に鳴らして他の牢番達がすぐに駆け付ける事になっている。ヨアヒムも一応は王族の端くれだったから、そのぐらいの情報は知っていた。
「なんだ?」
「なんでお前、チンタラ歩いてるんだよ。ババアが糞壺を換えろってうるさいから、早く行けよ」
「ああ、分かった。すぐに換えるよ」
ババアとは誰かと疑問に思ったが、聞き返してはボロが出てしまう。幸い、歩き出してすぐだったから背後にはヨアヒムの独房があるだけだ。分かった振りをして前に歩きだすと、牢番も同じ方向に歩き出し、しきりに『ババア』の愚痴を言う。どうやらその女性の囚人は、牢番を篭絡して便宜を図ってもらおうとしているらしい。
「あのババア、自分に価値があるって勘違いしてるんだ。30年前の令嬢時代ならともかく、今の薄汚いババアに誰が欲情するかってんだ」
「はぁ……」
「そんなに覇気なくちゃ、毒牙にかかるぞ。気を付けろよ!」
牢番はヨアヒムと別れ、枝分かれした通路に消えて行った。なんとか危機を切り抜けたヨアヒムは、お仕着せの下でびっしょり汗をかいていた。
ヨアヒムは地下牢の入口にたどり着き、重厚な扉を鍵でそっと開錠して外の様子を見た。入口の両側にいた不寝番の牢番は2人ともなぜか床に座り込んで眠っていた。ヨアヒムは彼らを起こさないようになるべくそっと地下牢の扉を閉めたが、なにせ重い扉なので閉めた時に少し音がしてしまい、ヨアヒムはビクビクした。だが、牢番達は何も気付かずに深く寝入っていた。
ヨアヒムは少し歩いて牢番達から見えなくなった所で平民の着る普段着に着替えた。人が通るかもしれない通路で下着姿になって着替えるなど、断罪前には考えられもしなかったが、今やそんな事は言っていられない。
ヨアヒムはうろ覚えの通路を通って地下階を出て王宮の1階に上がった。本来、王宮には夜間でも不寝番がいるはずなのだが、不思議な事にここまで地下牢で偶然出くわした牢番と入口で眠り込んでいた牢番達以外、誰にも会わなかった。
王宮の使用人口には、粗末な荷馬車が1台止まっていた。それがカロリーネとガブリエレを乗せるものだとは信じたくないほど、おんぼろでヨアヒムは怒りを感じた。
ヨアヒムが荷馬車に近づくと、御者は予め分かっていたかのように何も言わずにヨアヒムにすんなりと御者台を譲ってすぐにどこかへ行こうとした。
「旅費と剣は?」
「はぁ? 何の事だ?」
御者が知らないというなら、ここで騒ぐのも得策ではないとヨアヒムは冷静に判断した。
「じゃあ、縄を切るナイフは持ってないか?」
御者は懐に手を入れて探すような様子を見せた。ヨアヒムは一応、すぐに切り付けられないように用心して少し距離を取った。
「へへへ……元殿下、そんなに警戒しなくたって襲いやしませんよ」
御者は懐から出した粗末なナイフを鞘から出さないままヒラヒラと見せたが、ヨアヒムが手を伸ばすとナイフを引っ込めた。
「おーっと……何でもタダじゃないんですよねぇ」
「……分かった。これでどうだ?」
ヨアヒムはズボンのポケットからエメラルドの指輪を取り出して渡した。御者はナイフを持ったまま、もう一方の掌の上に指輪を乗せてしげしげと見つめた。
「うーん……小さいなぁ」
「なっ……! こんなナイフ1000本あっても、この指輪1個の価値に足りないはずだぞ!」
「そんな大声出しちゃ、騎士達が駆けつけますよ」
「つべこべ言ってないで早くナイフを寄こせ!」
「へいへい、分かりましたよ。長居は禁物、禁物。この辺で失礼しますよ」
御者は案外すんなりと引いてナイフを渡し、去って行った。
ヨアヒムはエメラルドの指輪が入っていたのと反対側のポケットをまさぐった。指先に御者に渡した物よりも大きな石の感触が指先から伝わってきた。ヨアヒムは辺りをキョロキョロと見回してから、ポケットからダイヤモンドの付いた指輪を取り出してクンクン匂いを嗅いだ。
「……よかった。臭くない」
ヨアヒムは、身に着けていた指輪2つとアメジストのペンダントを拘束される直前にとっさにポケットに隠し、身ぐるみはがされる前に飲み込んだ。どれも父王に寵愛されていた母の形見であった。もっと高価な宝飾品は父逝去後に取り上げられてしまったが、残りの形見を忠臣セバスチャンが何とか隠し持っていてくれた。
地下牢に入れられて3日目の腹痛は、排泄をずっと我慢していたためだけでなく、指輪やペンダントが大腸にあったからだろう。自分の大便に手を突っ込んで指輪やペンダントを拾い上げたのは最悪な気分だったが、他にやりようがなかった。
その後数日間、ヨアヒムは水をほとんど飲まずに指輪とペンダントを綺麗にするのに費やしたが、1日コップ2杯の水は到底足りず、石鹸もブラシないのでどうしても汚れと匂いを落としきれなかった。仕方なくペンダントを石鹸と歯ブラシ、追加の水に交換してしまった。匂いさえなければ、もっと強気の交換ができたのにと悔しいが、愛しい女性に大便臭い宝飾品を見せる訳にはいかないし、旅費のために換金したくとも臭くては足元を見られて買取金額が低くなるだろう。
ヨアヒムがそんな事を御者台で考えている間に、朝日が昇ってきて辺りがほんのりと明るくなってきた。
ヨアヒムは正体不明の男に渡された牢番のお仕着せを着てマントと服を小さく畳んで小脇に抱えた。鍵で鉄扉をほんの少し開けて廊下の気配を探り、誰もいないのを確認すると、するりと独房から出て鉄扉の鍵を閉めた。
ヨアヒムは牢番の振りをして堂々と地下牢の中を歩きだしたが、前から他の牢番が来てしまった。1本通路では身を隠す場所もない。
「おい、お前!」
ヨアヒムは何も言わずに通り過ぎてやり過ごそうとしたが、声を掛けられてしまい、内心ビクリとした。無視して走るか一瞬迷ったが、結局返事をした。牢番はお仕着せの下に笛を隠していて非常時には即時に鳴らして他の牢番達がすぐに駆け付ける事になっている。ヨアヒムも一応は王族の端くれだったから、そのぐらいの情報は知っていた。
「なんだ?」
「なんでお前、チンタラ歩いてるんだよ。ババアが糞壺を換えろってうるさいから、早く行けよ」
「ああ、分かった。すぐに換えるよ」
ババアとは誰かと疑問に思ったが、聞き返してはボロが出てしまう。幸い、歩き出してすぐだったから背後にはヨアヒムの独房があるだけだ。分かった振りをして前に歩きだすと、牢番も同じ方向に歩き出し、しきりに『ババア』の愚痴を言う。どうやらその女性の囚人は、牢番を篭絡して便宜を図ってもらおうとしているらしい。
「あのババア、自分に価値があるって勘違いしてるんだ。30年前の令嬢時代ならともかく、今の薄汚いババアに誰が欲情するかってんだ」
「はぁ……」
「そんなに覇気なくちゃ、毒牙にかかるぞ。気を付けろよ!」
牢番はヨアヒムと別れ、枝分かれした通路に消えて行った。なんとか危機を切り抜けたヨアヒムは、お仕着せの下でびっしょり汗をかいていた。
ヨアヒムは地下牢の入口にたどり着き、重厚な扉を鍵でそっと開錠して外の様子を見た。入口の両側にいた不寝番の牢番は2人ともなぜか床に座り込んで眠っていた。ヨアヒムは彼らを起こさないようになるべくそっと地下牢の扉を閉めたが、なにせ重い扉なので閉めた時に少し音がしてしまい、ヨアヒムはビクビクした。だが、牢番達は何も気付かずに深く寝入っていた。
ヨアヒムは少し歩いて牢番達から見えなくなった所で平民の着る普段着に着替えた。人が通るかもしれない通路で下着姿になって着替えるなど、断罪前には考えられもしなかったが、今やそんな事は言っていられない。
ヨアヒムはうろ覚えの通路を通って地下階を出て王宮の1階に上がった。本来、王宮には夜間でも不寝番がいるはずなのだが、不思議な事にここまで地下牢で偶然出くわした牢番と入口で眠り込んでいた牢番達以外、誰にも会わなかった。
王宮の使用人口には、粗末な荷馬車が1台止まっていた。それがカロリーネとガブリエレを乗せるものだとは信じたくないほど、おんぼろでヨアヒムは怒りを感じた。
ヨアヒムが荷馬車に近づくと、御者は予め分かっていたかのように何も言わずにヨアヒムにすんなりと御者台を譲ってすぐにどこかへ行こうとした。
「旅費と剣は?」
「はぁ? 何の事だ?」
御者が知らないというなら、ここで騒ぐのも得策ではないとヨアヒムは冷静に判断した。
「じゃあ、縄を切るナイフは持ってないか?」
御者は懐に手を入れて探すような様子を見せた。ヨアヒムは一応、すぐに切り付けられないように用心して少し距離を取った。
「へへへ……元殿下、そんなに警戒しなくたって襲いやしませんよ」
御者は懐から出した粗末なナイフを鞘から出さないままヒラヒラと見せたが、ヨアヒムが手を伸ばすとナイフを引っ込めた。
「おーっと……何でもタダじゃないんですよねぇ」
「……分かった。これでどうだ?」
ヨアヒムはズボンのポケットからエメラルドの指輪を取り出して渡した。御者はナイフを持ったまま、もう一方の掌の上に指輪を乗せてしげしげと見つめた。
「うーん……小さいなぁ」
「なっ……! こんなナイフ1000本あっても、この指輪1個の価値に足りないはずだぞ!」
「そんな大声出しちゃ、騎士達が駆けつけますよ」
「つべこべ言ってないで早くナイフを寄こせ!」
「へいへい、分かりましたよ。長居は禁物、禁物。この辺で失礼しますよ」
御者は案外すんなりと引いてナイフを渡し、去って行った。
ヨアヒムはエメラルドの指輪が入っていたのと反対側のポケットをまさぐった。指先に御者に渡した物よりも大きな石の感触が指先から伝わってきた。ヨアヒムは辺りをキョロキョロと見回してから、ポケットからダイヤモンドの付いた指輪を取り出してクンクン匂いを嗅いだ。
「……よかった。臭くない」
ヨアヒムは、身に着けていた指輪2つとアメジストのペンダントを拘束される直前にとっさにポケットに隠し、身ぐるみはがされる前に飲み込んだ。どれも父王に寵愛されていた母の形見であった。もっと高価な宝飾品は父逝去後に取り上げられてしまったが、残りの形見を忠臣セバスチャンが何とか隠し持っていてくれた。
地下牢に入れられて3日目の腹痛は、排泄をずっと我慢していたためだけでなく、指輪やペンダントが大腸にあったからだろう。自分の大便に手を突っ込んで指輪やペンダントを拾い上げたのは最悪な気分だったが、他にやりようがなかった。
その後数日間、ヨアヒムは水をほとんど飲まずに指輪とペンダントを綺麗にするのに費やしたが、1日コップ2杯の水は到底足りず、石鹸もブラシないのでどうしても汚れと匂いを落としきれなかった。仕方なくペンダントを石鹸と歯ブラシ、追加の水に交換してしまった。匂いさえなければ、もっと強気の交換ができたのにと悔しいが、愛しい女性に大便臭い宝飾品を見せる訳にはいかないし、旅費のために換金したくとも臭くては足元を見られて買取金額が低くなるだろう。
ヨアヒムがそんな事を御者台で考えている間に、朝日が昇ってきて辺りがほんのりと明るくなってきた。
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