魔娘 ―Daughter of the Golden Witch―

こりどらす

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第5章 魔女と奇術師

5-8 雪空の下、絆は再び

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老婆との戦いを終えたエリカが急ぎ向かった場所、それは――

「懐かしいわね。卒業以来かしら。」

かつての学び舎、すなわち自身が通っていた高校であった。
だが感慨に浸っている場合ではない。
情緒不安定で何をしでかすか分からない友人を、一刻も早く見つけ出す必要がある。

「なるほどな、オマエが通っていた高校か。確かにお互いにとって思い出の場所といったらココだろうな。エリカの予想通り、どっかに澪がいればいいんだけどよ……」
「あれを見て、アレイスター。」

エリカが指差した先。
真夜中であるにも関わらず、校門のスライド式のゲートが少し開かれていた。
エリカは早足で門に近付くと鍵を確認する。

「この南京錠、強い力で破壊された形跡がある。しかも氷で完全に凍てついているわね。」
「おいエリカ、こいつはタダの氷じゃねえ。うっすらと魔力を感じるぜ。そういやミオは逃げる時、魔女のバアさんに向かって氷のナイフをブッ放してたな。つーことは……」
「ええ、おそらく澪の魔法の属性は氷。つまり、きっとこの学校に澪がいるはずよ。」

去り際に残した『そばにいる資格はない』という言葉とは裏腹に、やはり大切な友は私を待ってくれている。
その事実に背中を押されつつエリカは校舎の中へと足を踏み入れた。

恐ろしいほどの静けさと暗さに満ちた校舎の中。
長く伸びる廊下は異世界へと通じそうな不気味さを醸し出している。
アレイスターの鱗粉がランプのようにほのかな光を放ち、エリカのコツコツという足音だけが明瞭に響く。

「校舎のどこにいるのかは見当ついてるのか?しらみつぶしに探すのならオレも手伝うぜ。」
「ありがと、でも大丈夫よ。私を待っているのなら――あの場所しかないはずだから。」

エリカの脳裏に蘇る学生時代の記憶。
とはいっても、青春らしい楽しい思い出や印象的な出来事はそう多くはない。
部活にも生徒会にも入らず、魔女であることのボロを出さないよう慎重に振る舞いすぎた結果、クラスでは空気のような存在になってしまっていた。
苦笑いをこぼしながらエリカはひたすらに階段を上がってゆく。

「それにしても、ミオが魔女だったとは予想外すぎるな。しかもエリカの魔力をずっと取り込んでたってんだから驚きだぜ。道理でいつまで経ってもエリカの魔法が上達しないワケだ。」
「最後の一言は余計だけど……そうね、私も衝撃だったわ。正直に言うとまだ頭の中を整理しきれていない。でも、私の魔力を吸収していたのは澪自身の意思とは関係のないこと。ご両親が良かれと思ってやったことの結果よ。澪を責めるつもりなんて一切ないわ。」

放課後に、休日に、何度二人で語り合ったことか。
灰色模様の学生生活に彩りをもたらしてくれた大切な友人。
卒業後も変わらず連絡を取り合い、時々は顔を見せ合い、このままの関係が永遠に続くと思っていた相棒。
彼女の真実を知った上で、今一度、真正面から向き合うべき時が来た。
階段を一段上るたびにエリカの胸の鼓動は早くなってゆく。

そしてエリカが辿り着いたのは、校舎で一番高い場所、屋上へと繋がる扉の前。
闇の中でアレイスターが放つ光が、エリカを導くかのようにドアノブを照らし出す。

「行くか、エリカ。」
「うん。」

アレイスターに促されたエリカは目を閉じて大きく深呼吸。
意を決して扉を開け放った。



目の前に現れたのは一面の銀世界。
はらはらと降りしきる雪の中、夜空の黒と屋上に積もった雪の白、両者のコントラストが美しい。

はるか前方、屋上の反対側の端には、背を向けて柵にもたれる一人の女の姿があった。
その背中からにじみ出る、今にも消え入りそうな儚いオーラ。
うっすらと白く覆われた髪と服の様子から、長い時間この場所で待ち続けていたことが伺える。

早鐘を打つ胸を手で押さえながらエリカは一歩ずつ前へと進み、ある程度の距離を詰めたところで口を開いた。

「澪、あなたならきっとここで待ってくれていると信じてたわ。高校時代、よく二人でお昼休みにこの屋上に来て、青空の下でご飯を食べたわよね。たわいもない話で笑ったり、悩みを相談し合ったり、将来の夢を語ったりしながら。私達にとっての思い出の場所といったらこの場所よね。」

しかし、エリカの穏やかな呼びかけを聞いても澪は微動だにしない。

「……さっきの戦いの途中で私の元から去ったのは、澪なりの優しさだったんでしょう?これ以上私を傷付けないために。魔力を奪った自分がそばにいることを、きっと私は拒絶するだろうって。裏切り者の自分を私が許すはずないって。」

前へと進むエリカが雪の絨毯を踏みしめる足音だけが屋上に虚しく響く。
それでもなお、澪が振り向くことはない。

「澪はこう言ってたわよね、『あたしはエリたんのそばにいる資格はない』って。でも私は全然そんな風には思っていない。だって、私の魔力を取り込んでしまったのは、あなた自身の意思じゃないのだから。」

その時、澪の肩が小刻みに震えだしたのをエリカは見逃さなかった。
ここぞとばかりにエリカは思いの丈を言の葉に紡ぎ出す。

「今まで澪と過ごしてきた日々は、孤独な魔女だった私にとってかけがえのないものよ。本当に感謝してる。だから、こんな形で終わりたくない。これからも澪とは大切な友達のままでいたいの。澪も心の底では、本心では私と同じ気持ちだから、ここで待っていてくれたんでしょう?」

ありったけの気持ちを込めてエリカは叫ぶ。
胸に当てた手を固く握りしめ、寒空に白い吐息を立ち昇らせながら。

一途な想いが届いたのか、遂に澪は柵から手を放して振り向いた。
その姿を見てエリカは胸が締め付けられる。
澪の目は真っ赤に腫れ、大粒の涙が頬を伝って流れていた。
そして、澪にかけられた呪いのように、溢れ出す魔力で青白い光を放つ右手が。

「嘘。そんなの嘘。だってエリたんは一人前の魔女になるために、お母さんみたいな立派な魔女になるために、いつだって一生懸命頑張ってきたんでしょ!?毎日毎日、ヘトヘトになるまで魔法の特訓を続けてたのを知ってるもん。その夢をあたしが全部壊しちゃったんだよ。絶対恨んでるに決まってるっ!」
「恨んでなんていないわ、信じてちょうだい。私にとって澪はとても大切な人。その気持ちは今も何一つ変わっていないの。」

向かい合う二人の物理的な距離も遠いが、それ以上にお互いの心の距離は離れてしまっている。
エリカがどれだけなだめても、澪は頭を横に振って取り乱すばかり。

「ちょっとは恨んでよ、責めてよっ。いっそのこと断罪してくれればあたしは楽になれるのに……。体の内側でずっと感じる、エリたんから奪った魔法の力。それにつきまとう罪の重さにあたしは耐えられないよっ!」

澪は吐き捨てるように叫ぶと懐から何かを取り出した。
それは――銀色に輝く刃物。
本来はマジックで使用するための一本のナイフであった。
魔力で青く光る右手を前に差し出すと、澪は手の平に自ら刃を突きつけた。

「こんな力、あたしは欲しくなんてなかった!」

絶叫と共に降り下ろされるナイフ。

(――いけない、絶対に止めなきゃ!)

だが魔法を放とうにも、今から詠唱したのでは到底間に合わない。
目の前で起きようとしている悲劇を何としても食い止めるため、エリカは手元の杖を一瞥すると、

「届いて!」

渾身の力を込めて投げ飛ばした。
槍のように放たれた杖は一息に澪の元へ。
間一髪、手を串刺しにする直前の刃に杖は命中し、ナイフは弾け飛んで雪上に転がった。
澪はわなわなと手を震わせてその場に崩れ落ちる。

「何で、どうして止めるのっ?あたしなりの贖罪を邪魔しないで。血をいっぱい流しちゃえば、魔力も全部出ていくかもしれないんだよ。もしかしたら、その魔力がエリたんの体に戻ってくれる可能性だってあるのにっ。」

駄々をこねる子供のように澪はエリカへと不満をぶつける。
もはや、理屈だけでこの場を納められる状況ではない。

(こんな時にするべきは――たぶん、こうかしら。)

腹をくくったエリカは足早に澪の元へ向かい、しゃがんで顔を覗き込むと、

「ごめんね澪。ちょっと痛いけど許して。」

その横顔を鋭く平手打ち。
パチンという小気味良い音が鳴り、澪は啞然とした表情のまま硬直した。

「これでちょっとは落ち着いた?」
「エ、エリたんっ……」

頬に走った鋭い痛み。
その事実に思考が追い付かない澪は、友の名を呼ぶ声を絞り出すだけで精一杯。

「澪が自分の体を傷付けるところなんて、私は絶対に見たくないの。それに、魔力を取り戻したいなんて一切思っていないわ。むしろ私の魔力を澪が使ってくれるのなら嬉しいくらいよ。……といっても、口で言うだけじゃ納得してもらえそうにないわね。」

エリカはおもむろにバッグを開けると、中から薄茶色の袋を取り出した。
それは、今日という日のためにエリカが時間をかけて選んだ贈り物。

「これは私から澪へのプレゼントよ。日付が変わってちょうど今日、12月23日は澪の誕生日でしょう?ちゃんと覚えてるわよ。」

ところがエリカは何を思ったのか、その袋を澪に手渡すことなく、自ら開封してしまった。

「でもね、このプレゼントはまだ未完成なの。」

袋の中に入っていた、鳥の羽根を模した銀色のピアス。
それを自分の手に乗せるとエリカは目を閉じて精神を集中させる。
不可解な行動を見せられて澪は口を開きかけたが、エリカの真剣な表情を見て再度口を閉ざす。

澪がじっと見入る中、ピアスには徐々に変化が現れ始めた。
銀の羽根はほのかな光を帯び、闇夜を照らすかのように次第に明るさが増してゆく。

「ふぅ……はっ!」

エリカが目を見開いて一声発すると、ピアスは一際強い閃光を放ち、その後は何事もなかったかのように輝きは収束した。
安堵を浮かべた顔つきでエリカはピアスを澪に差し出す。

「今、私が蓄えている魔力の一部をこの中に注ぎ込んだわ。つまり、もうただのピアスじゃない。魔力と私の想いが込められた唯一無二の『魔身具』よ。これが私から澪への本当のプレゼント。」

澪は信じられないといった表情でエリカの顔とピアスを交互に見返す。

「どうしてそこまでしてくれるの?あたしには理解できないよっ。ただでさえエリたんの魔力はあたしのせいですごく減ってるはずなのに、さらに分けてくれるなんて……」
「言ったでしょう?魔力を取り戻したいとは思ってないって。むしろ、澪も私と同じ魔女だって分かった以上、私の力で澪が強くなれるのなら、澪の役に立てるのなら、これ以上に嬉しいことはないわ。」
「ありがと、エリたん……嬉しいよっ。」

真冬の寒風を打ち破るほどの、溢れんばかりの熱い感情が、澪の胸中を満たす。
目に涙を浮かべた澪は愛おしそうに、両手で大切そうにピアスを受け取った。

「今日は一日色々なことがありすぎたでしょ、澪。まだ頭の整理がつかないと思うから、落ち着いた後でじっくり考えてみて。その結果――もし澪が魔女として生きる覚悟ができたなら、私から受け取った魔力を存分に使ってほしいわ。」

エリカは冷え切った澪の手を両手で包むと、希望の光に満ちた目で澪を見つめた。

「そして、もしご両親の遺志を継ぐつもりになったら、つまり魔女が安心して暮らせる世界を作るために戦うなら、その時は私も協力するわ。」
「ありがとっ。今は頭の中がごちゃごちゃしてて、すぐに答えは出ないかもしれない。だからゆっくり、たっぷり時間をかけて考えてみるねっ。あたしがこれからどう生きていけばいいのかを。」

安堵した澪はエリカの胸に飛び込んで顔を埋めた。
感情が堰を切って溢れたのか、幼い子供のように泣きじゃくる。

「ひぐっ、ううっ、ごめんねエリたん……たくさん心配させちゃって。あたしのせいでいっぱい迷惑をかけちゃって。こんなあたしでも、これからも親友でいてくれる……?」

エリカは聖母のような慈愛に満ちた表情で澪の頭を優しく撫でた。

「もちろんよ。何も心配しなくて大丈夫。どんなことがあっても澪は澪、今までと何も変わらないわ。」

危うく壊れかけた二人の友情。
しかし、固く結ばれた絆は老婆の悪意に負けることなく、試練を乗り越えてより強固なものとなった。
魔女と魔女という新たな関係性として。

体を寄せ合ったお互いの体温が冬の寒さを忘れさせる。
夜空に降りゆく真っ白な粉雪は、二人の仲直りを祝福する紙吹雪のように、風に吹かれ舞い続けていた。
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