上 下
1 / 13
第1章 忌まわしき力

1-1 魔娘(まじょう)

しおりを挟む
そこは、地獄のような光景だった。
辺り一面見渡す限り、燃え盛る炎が視界を埋め尽くす。
建物も、木々も、草花も、何もかもが焼け焦げ、崩れ落ちている。

「やめて!もうやめてよ、お願い…!」

両手をついて地面にへたり込む少女が、悲痛な声で叫ぶ。

少女が見つめる炎の先にいるのは、金色のローブを着た長身の女性。
しかし、ローブはあちこちが裂けてボロボロに破れ、おびただしい量の血が体に沿って流れている。

「――もう、ここまでかしらね。」

その女性は口から血を吐きながら、諦めの感情を含んだ声で呟く。

「これで、貴様も終わりだ。最後に何か言い残すことはあるか?」

彼女の向かいに立つ男が、感情のない冷酷な声で言い放つ。
ローブの女性はうつむき、血まみれの顔に一瞬の笑みを浮かべた後、

「たとえ私が死のうとも、あの子だけは絶対に守る!!」

顔を上げ、手に持っていた杖の先を、後ろにいる少女に向けた。
そして、残りの力を全て出し切るかのように、鬼気迫る声で詠唱する。

「― 天地司る精霊よ、我が生命の全てを賭して、愛する者に加護を与えたまえ! ―」

すると少女の全身が、まばゆく光り輝く球体に包み込まれた。
少女を内包したまま、光球は徐々に宙に浮かび上がってゆく。

「母さま、何で!ダメ!イヤ!ここから出して!!」

少女は眼下の女性に向かって必死で泣き叫ぶ。

「エリカ、一緒にいてあげられなくて、ごめんなさい。どうか私の分まで――あなたは生きて!!」

勢いを増す炎に囲まれる中、ローブの女性の頬を一筋の涙が伝う。

「チッ、余計なことを。まあいい、遺言が済んだのなら――死んでもらおうか、黄金の魔女。」

男は一切の慈悲なく、死神のような宣告を下す。

「母さま――――――――――!!イヤ――――――――――!!」

少女を包む光球が輝きを増し、いずこかへの転移を開始する。
おぼろげになりゆく視界の中で少女が最後に見たのは、膝から崩れて地面に倒れ込む、ローブの女性の姿だった。





「はっ!」

イスに座り、うたた寝をしていた若い女が目を覚ました。
その額にはじんわりと汗が滲み、呼吸も乱れている。

「またあの時の夢…、もう思い出したくないのに…」

彼女は目に涙を浮かべながら、絞り出すようにさらに呟く。

「ううっ、母さま…」

しばらくイスに座ったまま心を落ち着けた後、若い女は悪夢を振り払うかのように立ち上がり、窓際へと向かう。

腰の辺りまで伸びた、艶やかな白く長い髪。
三つ編みにされた両サイドの髪が、後ろで一つに結ばれている。
左目を隠すほどに伸びた前髪に入る、鮮やかな青いメッシュ。
髪に隠れず露出している右目は、どことなく憂いを帯びている。

身に纏うは丈の長い黒のワンピース。
白い長髪とのコントラストが美しく、妖艶な雰囲気を醸し出す。

そんな彼女が一人、口を開く。

「今日も、雨ね。」

季節は9月の終わり。
いわゆる秋雨前線の影響で、ここのところ雨の日が多い。
窓に手を添え、流れ落ちる雨を眺めながら、若い女は感傷に浸る。

彼女の名前は、白羽根しろばねエリカ。
体に魔力を宿し、魔法を使うことのできる、俗に言う『魔女』と呼ばれる特殊な人間。

エリカが住んでいるのは、霧原市という一地方都市の郊外にある、ログハウスのような木造の家。
ただし、家とは言うものの、魔女が研究や鍛錬を行う工房としての役割も兼ねている。
一見すると一人暮らしのように見えるが、実はそうではない。

「ハハッ、どうしたエリカ。柄にもなく黄昏ちまって。」
「――ううん。なんでもないの、アレイスター。」

と、部屋の中では男女の会話が聞こえるが、エリカ以外の人間は見当たらない。
実に不思議な光景である。

男性の声の出所にいるのは、テーブルの上に止まる緑色の蛾。
単なる緑というよりは翡翠色、あるいはエメラルドグリーンという表現がふさわしい、蛾にはおよそ似つかわしくない美麗な容姿。

彼こそがこの家唯一の同居人(人間ではないが)。
エリカの使い魔にして相棒のアレイスターである。

「だがまあ、確かにここんとこ雨ばかりで、イヤになっちまうなぁ。」
「陽の光を浴びないと元気が出ないしね。知ってる?北欧の冬は日照時間がとても短いから、気分が落ち込む人が多いらしいわよ。」
「お、何だ、どうした。オレに雑学バトルを挑もうってか?いいぜ、受けて立つぞ。」
「そんなことで競ったりしません。もう。」

工房の中でたわいもない雑談を交わしている二人。
これが彼女らの日常の光景。
といっても、決してただ遊んで暮らしているのではない。

エリカは高校を卒業後、大学や専門学校には進学しなかった。
かといって、どこかの会社に就職したという訳でもない。

魔女であることをひた隠し、普通の人のように生きていくという道も選択できた。
だが、魔女の末裔として生まれた彼女にとって、それは違うような気がしたのだ。

では、どのようにして生計を立てているかというと、いわゆる『解決屋』を営んでいる。
表立って相談できない、普通の人では対処できない、訳アリの問題を抱えた人達が、口コミや風の噂を通じてこの工房を訪れるのだ。
そういった人々の依頼を、魔法の力で解決することで報酬を得ている。

窓のそばから離れ、自分の方に歩いてきたエリカに向かって、アレイスターが口を開く。

「で、何を悩んでるんだ?」
「!!」

内心を見透かされたエリカが目を見開き、動揺した表情を見せる。
アレイスターは構わずさらに追及する。

「さっきからず~っと浮かねぇ顔してるぜ。おおかた、また母親の夢でも見たんじゃねーのか?」
「まあ…その通りよ。」
「気にしちまうのは仕方ないけど、あんまり気に病むなよ。あれは決してエリカのせいじゃない、お前は何も悪くないんだ。そんなに暗い顔をしてたら、せっかく命を懸けてお前を生かしてくれた母親が悲しむぞ?」

アレイスターの励ましの言葉を聞き、エリカの顔が明るさを取り戻す。

「そうね、ありがとう。いつまでもくよくよしてないで、前を向かなきゃね。」

すると何かを思い付いたかのように、エリカは部屋の奥へと歩いていく。
そこにあったのは、数えきれないほどの本がびっしりと敷き詰められた本棚。
エリカは仰々しい装丁の本を何冊か取り出すと、イスに体を預けながら読み始めた。
その様子を興味深そうに眺めるアレイスター。

「おっ、今読んでいるその本は何だ?」
「これ?これは攻撃魔法の本よ。地・水・火・風・空の5大元素の、下級から上級まで色々な攻撃魔法が載っているわ。」
「いや~勉強熱心だな、感心感心。まあ確かに、お前はもう20歳なのに、まだ小さな火球を撃ち出すとかの初歩的な攻撃魔法しか使えねーしな。今後のためにも色々と練習しておいた方がいいだろ。」
「…何だかちょっと馬鹿にしてない?」

エリカは本から顔を上げ、ジトッとした目でアレイスターを見つめる。

「ハハハ、気のせいだろ。じゃあテーブルの上に置いてあるやつは何だ?」

アレイスターは目線を逸らし、何事もなかったかのように続ける。

「…まあいいけど。えっと、こっちは使い魔の生み出し方が書いてある本よ。鳥とか、蛇とか、蛙とかの小型の生き物はもちろん、馬や虎みたいな大型動物も使い魔にする方法が書いてあるわ。今の私の実力じゃ、蛾のアレイスターみたいに小さい生き物しか無理だけど、いつかはもっと大きな使い魔が欲しいしね。」
「ほうほう、イケメンでカッコ良くて強くて頼もしい、目の前にいる使い魔では不満ってことか?」

アレイスターがその小さな胸を大きく張ってアピールする。
エリカは笑いを堪えながらその様子を見つめ、

「ふふっ、そこはやっぱり、愛嬌があって可愛い子も欲しいじゃない?あと、アンタをイケメンと思ったことは一度もないわよ。」

バッサリと切り捨てた。

「ハッハッハ、容赦ねーなぁ。お兄さんは悲しいぜ~」
「はいはい。分かったからちょっと静かにしててね。」

おちゃらけているアレイスターを制し、エリカは本を読み進める。

一人の魔女であるとはいえ、 その能力はまだまだ未熟。
使える魔法の種類も、強さも、母親のような一流の魔女には遠く及ばない。

(もっと、もっと強くならないと…。早く母さまのような、一人前の魔女にならなくちゃ。)

強い想いを抱きながら、自分自身の魔力をさらに高めるために、使える魔法の幅を広げるために、エリカは日々研究と鍛錬に励んでいる。

「ふう。」

しばらくして、エリカは読んでいた本を一旦閉じ、何とはなしに天井を見上げた。
照明の暖かなオレンジ色の光が目に入る。
そのまま瞼を閉じ、少し弱くなってきた雨の音を聞いていると、チリンチリンと玄関の呼び鈴が鳴った。

「エリカ、例の来客のようだぜ。」
「うん、今行くわ。」

エリカはイスから立ち上がって玄関に向かい、扉を開けた。
しおりを挟む

処理中です...