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封鎖区~破局の因子~
33.ペーデル・エ・マテル~その子とお母さんの白と黒~
しおりを挟む【“封鎖区~破局の因子~”(3/10話)】
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“核”の発した声と、手に伝わった感触に二重に戸惑わされる。
正確には、伝わってこない感触に、だ。
巨人の腕に火竜の鱗、石の柱に至るまで、桜花の刃はほとんど抵抗なく通ってきた。今もまた、聖母の下腹に、刃渡りの半ばまで食い入っている。だが、俺の手は桜花で切る感覚を覚えている。さすがにおかしい、手応えがなさ過ぎる。
視線を上げると、何の感情もない微笑みとぶつかった。
戦慄して、慌てて桜花を引いて、逆袈裟、返す刀で胴を右に撫でる、が――
女神の体は、刃の軌跡に、ゆらゆらと波立つ。まるで幻影か、映像か、水面に浮かぶ影……俺はまるで棒切れで水溜まりを掻き回す子どもだ。
こいつ……実体がない……?
形無き亡霊、幻のような存在なのか、白い聖母?
どうする、切るべき肉のないモノを、どうやって切る? そういう相手は、ゲームだったら魔法攻撃がセオリーだよな。
「ルシ……」
ぐるぐる考えが巡り、援護を請おうとした時、ふと一か八かに出るという選択が頭の中で閃く。
即ち、「パンがなければ、お菓子をお食べなさい」、聖母が切れないなら“核”を切ればいいじゃない、的な。
俺は壇上へもう一歩踏み込んで、”荒神切“に聖母を襲わせる――と見せかけて、聖母の体をないものとして、その背後へ切り掛かる。
ヒトの形をした陽炎のような“核”も、物理が効くのか怪しいが、切れなきゃ“封鎖区”は壊せない。どうせ駄目元、やれ、桜花――……!
が――手の中で柄が跳ねた。
途轍もなく硬いモノを叩いた衝撃に、見ると、“核”の胸元一寸に、桜花の切っ先と、阻むマールの掌があった。
聖母の手の表面で、見えない魔法障壁に光の波紋が浮かんだ。クソめ、さすがは“盾”役、持てる力の全てで守りに徹されては、突き崩すのは容易ではない。
己が奥歯を鳴らす音を聞く。ここまで迫って、紙一重、届かない。
「うーぷす! ユーマ、“黒”が行くぞ!」
ルシウの叫びに、視界の外を“視”る。目に入ったのは天井高く、全身から血飛沫を降らせて跳躍する、鬼女の姿だった。腹と足の傷がひと際酷い。
「……タフだな、姐さん……」
凄惨に笑って、両手の曲刀を高々と差し上げるカリイは――
「くっそ、間に合わねえ! “炉と焔” ”打て、刀鍛冶の火花“!」
監視人の招いた赤く熔ける鉄の灼熱弾を、空中で浴びてずたずたにされながらなお、ご機嫌で俺目掛け落ちてくる。焦って迎え撃とうと振り返ろうとした俺は、ここで致命的な失策を演じた。
“盾”は守りに徹すると思い込んでいたんだ。
思いがけない回復役の攻撃は、俺に些かのダメージも与えなかった。それでいて、実際これほど単純で効果的な一撃もないだろう。
白い女神は、ただちょいと俺の袖を引っ張ったのだ。
今度はこちらが“一瞬”を奪われる番だった。
僅か“一瞬”腕が強張り、僅かに“一瞬”剣が遅れた左右の肩それぞれに、
「……クソめ……」
黒の女神の双撃が打ち下ろされた。ルシウの強化魔法《ラフォルツェ》、ミスリル銀の鎖衣、“ユーマの世界”の“権限”を以てしても、両腕が落ちなかったのが幸運、衝撃で俺の体は祭壇に叩きつけられ、跳ねて、暗転――……
俺の意識が、光のない暗闇へ墜ちていった――……
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外界から断絶した意識に、記憶の断片が散らばった。目の前に展開するのは、ここまで封鎖区で戦ってきた場面だ。
走馬燈だったんだと、後になって思った。その時の俺は、自身の状況も、ルシウや女神達のことさえも、意識から抜け落ちて、ただ再生される記憶を見ていた。
甲高い束縛の絶叫を上げて、強烈な掌を振り下ろす、前庭の巨人……
荒れ果てた晩餐、腐敗した料理の皿、虚ろな目をした死者の群れ……
火竜の息吹、燃え盛る炎と煙は、なぜか煙草の匂いがした……
心の牢獄、暗く狭い部屋で、幼い俺は永遠の絶望に閉じ込められた……
二人の女神、鬼女と聖母、裏と表は背中合わせ、でも本当は…………
黒い女神と、白い女神――……?
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ぎくりと目を開ける。
背中に固い感触がある。聖母と、前屈みの鬼女が天井を背に、高いところから見下ろしていて、俺は、自身が石段の下に仰向けに倒れているのだと理解した。
混乱と現実の歯車が噛み合った。どうやら、意識が途切れたのは、石段を転がり落ちたほん僅かな間だったらしい。
空白の間隙を挟んで、俺はまだ戦いの最中にある。
「……マ……おい、ユー…………ユーマあ!」
少女の呼ぶ声が頭の中で意味を結んだ、途端、全身を痛みが襲う。身を起そうとすると、両肩の激痛と、強烈な眩暈がセットで襲ってきた。マズい、頭も打っているようだ。
俺が動けないと見て、カリイがにたっと笑った。ぐっとしゃがみ込んで、鬼神が壇上から跳んだ。下突きを股に挟んで、カリイが降ってくる、と――
「るああ! “来い” “ユーマあ”っ!」
何かが足首を掴む感覚があって、体が勢いよく引っ張られた。危機一髪、鬼女の曲刀がぎぃんと床にキスをする。ルシウの魔法か、助かった……
「……って、いッてえ! あいたた、たたた、ああぁぁァァ――……」
助かった、は良いが、操作に繊細さを欠いている。雑い。
「うーぷす。ごめん……」
幼女の足元までおよそ15メートル、石段を転がり落ちた全身に、満遍なく追加ダメージが入った。
監視人の治癒魔法で、砕けた肩が動くようになると、多少の痛みは無視して体を起こす。とてもじゃないが、寝てられる状況ではない。
「るああ……まだ痛えだろー?」
「腕が繋がってるだけいいよ。それより、黒いのは?」
やっとの思いで桜花を持ち上げ、形ばかりに構える。今、姐さんの追撃が来れば、最早それまでだ。
「るあ……大丈夫だ、追っては来てねえ」
見れば鬼女も俺を睨みつつ、ルシウの魔法を立て続けに浴びた体を、聖母が修復するのを待っている。
だから、少し……ほんの少しだけどが、時間がある。
「ルシウ、大事なことを訊く」
「“核”がどういう奴か、教えてくれ」
「……!」
ルシウは言葉に詰まり、赤い目を泳がせた。これまでもルシウは、俺が“核”の正体について触れそうになると、慌てたように話を逸らしてきた。
「るああ、それは……」
モノと思えば切れるが、ヒトと思えば揺らぐ。彼女が俺の心を慮ったから、俺も彼女の気持ちを汲んだ。だが――
俺は今、“本当のこと”を知らなくてはならない。
“世界観”の指し示す真実を確かめずに“封鎖区”を、”核“を破壊することは、たぶんできない。意識が途絶えている間、この“世界”での出来事を俯瞰で見て、漠然と感じていた憶測が形を取りつつある。
“封鎖区”の根底を流れるに見える、ゲームを模倣した“世界観”……その陰に隠れている、もうひとつ“世界観”が。
「俺は……たぶん、理解っていると思う」
異世界監視人が動揺に肩を震わせた。思わず顔を逸らす赤銅色の頬に、銀色の髪がさららと流れる。俺は少女の華奢な肩を、竜革の手袋で掴み、ほんの少し、力を入れた。
「るあっ……」
「白い女神が切れない。実体がないんだ。“封鎖区”の……“核”の“世界観”が、あれを“そういうモノ”に設定しているんだ」
ルシウの肩を小さく揺すると、渋々と赤い目が俺の顔に戻ってくる。
「でも俺は、その“世界観”が、白いのを倒す鍵だと思う」
「……うぅーぷす……」
「ルシウ……“封鎖区”の”核“は小さな子どもだな?」
異世界監視人の赤い大きな瞳が、一層大きく見開かれた。俺はルシウの顔を覗き込み、言い聞かせる。
「信じろ、大丈夫だ。そいつが何者であっても、俺は必ず切る」
瞬間背けようとした目を、ぎゅうと瞑って開けて、まっすぐ俺を見てルシウは頷いた。俺を信じると。
聖母を桜花で貫いた時、俺は“核”の叫びを聞いた。
“オカアサン”、と――
「ユーマ……るああ。そうだ、“核”は死んだ子どもだ」
「その子どもを殺したのは……その子の母親だ――……」
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ジグソーパズルは完成に近づくと、だいたい出来上がりの絵は判るもんだ。最後のピースが嵌って現れた事実は、予想はしていても、やっぱり俺はショックを受けて、同時に、多くのことが腑に落ちた。
前庭の巨人が、子どもの目線で見る大人の身の丈で、甲高い束縛の叫びを上げ、拳ではなく平手打ちで殴りつけてきた理由。
晩餐の部屋が荒れ果て、薄暗く、まともに食べられるものが何ひとつないテーブルと、飢えた死者の群れが暗示するもの。
神殿の遺跡、無垢な祈り。円形舞台の中心に君臨する怒りの象徴、深紅の竜。炎の痛みが、煙草の匂いを伴うことの意味。
暗闇の領域で、精神を子どもに引き戻されたこと。置き去りにされたと感じ、自分が悪いのだと考え、暗闇の部屋の外も暗いのだと思った。この部屋を出てはいけない、出ては行けない――外が暗いのは、夜だからだ。そして待っていれば、僕の大好きな人が、夜中に子どもを置き去りにした人が、来てくれると信じていた。
『オカアサン――……』
ああ、悲しいな。ここは、何て悲しい”世界”なんだろう。
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