31 / 65
石に花咲く
29.
しおりを挟む
相当にやばい人種と関わり合いになってしまったようだ。
シィーファはそう思いながら、洗い立ての敷布を抱えて、外に出た。
やはり、彼こそが美しい魔物だったらしい。
シィーファは今朝も、彼に甘くてとろけそうな口づけで起こされて、浴室まで連れて行かれた。
シィーファが湯を使う間中、ラディスは布の向こう側にいてジッと待っていたのだ。
その行動の理由が、純粋な優しさからなのか、ほかの理由があるのか、シィーファは測りかねている。
だが、今、彼はここにはいない。
何か、用事があるらしく、ウーアと共にどこかへ出かけて行った。
これは、好機と言えば好機だ。
シィーファは、敷布を物干し竿に干して、パン、パン、と手で叩き終え、決心をした。
逃げるなら、今しかない。
思い立ったが吉日、だ。
シィーファは顔を上げて、慌しく、与えられている自室へと戻った。
衣装棚の扉を開けて、比較的地味な栗色の衣装を選び、手早く身に着ける。
シィーファが普段身に着けている深衣が、西洋文化圏では珍しいことは、シィーファでもわかっている。
自分をなるべく目立たせないよう、擬態するのだ。
着ていた深衣と、里から持ってきた平包みは、衣装棚に入っていた大きめの鞄に詰めた。
短い髪は、纏めて庇の大きな帽子のなかに隠す。
そして、音を立てないように細心の注意を払いながら、窓を持ち上げる。
廊下から外に出ると、セネウと鉢合わせする可能性がある。
それを踏まえると、ここから外に出てしまった方が安全だと思うのだ。
里のことや、族長である兄のこと、考えなかったわけではない。
ラディスからは、具体的な金額はわからないけれど、お代だっていただいてしまっているのだ。
常ならば、無責任なことをするわけにはいかない、という方向に動くシィーファの思考と理性だが、このときばかりはラディスに対する恐怖の方が勝った。
このままでは、ラディスに絆され、情が湧き、最悪好意を抱くようになりかねない。
そうなったら、本当に、シィーファにとっての【最悪】だ。
彼らにとってシィーファたちは、替えの利く消耗品のようなものだと、知っている。
飽きたら、要らなくなったら、古くなったら、簡単に捨てられてしまうのだ。
どろどろに融けそうなほど甘やかされて、大切な宝物のように扱われて、その気になったところで捨てられてしまっては、そのあとどうやって生きていけばいいのだろう。
そうならないためにも、逃げなければならない。
これは、自分を保つために、必要なことなのだ。
自分を納得させて、シィーファは鞄を窓の外に落とす。
ここが一階でよかった、というのは、シィーファの本音だ。
恐らく、ラディスは、シィーファが逃げ出すことは全く想定に入れていなかったのだろう。
衣装の裾が乱れるのも構わず、脚を上げて窓枠を乗り越える。
どうせ、見る者などいないのだ。
地面に降り立ったシィーファは、ぱっぱと衣装の裾を直して、地面に落とした鞄を拾い上げ、土を払う。
ラディスとウーアが戻る前に、一刻も早く、ここを離れないといけない。
シィーファは、周囲を気にしながら、息を潜めて建物と塀の間を歩く。
この年になって、隠れ鬼の真似事をすることになろうとは思わなかった、と苦笑いしながら、門扉から外に出る。
ラディスの仮住まいを振り返ることなく、馬車に揺られて来た道を進む。
だから、気づかなかった。
窓の一つから、セネウが、シィーファの後ろ姿を見つめていたことに。
シィーファはそう思いながら、洗い立ての敷布を抱えて、外に出た。
やはり、彼こそが美しい魔物だったらしい。
シィーファは今朝も、彼に甘くてとろけそうな口づけで起こされて、浴室まで連れて行かれた。
シィーファが湯を使う間中、ラディスは布の向こう側にいてジッと待っていたのだ。
その行動の理由が、純粋な優しさからなのか、ほかの理由があるのか、シィーファは測りかねている。
だが、今、彼はここにはいない。
何か、用事があるらしく、ウーアと共にどこかへ出かけて行った。
これは、好機と言えば好機だ。
シィーファは、敷布を物干し竿に干して、パン、パン、と手で叩き終え、決心をした。
逃げるなら、今しかない。
思い立ったが吉日、だ。
シィーファは顔を上げて、慌しく、与えられている自室へと戻った。
衣装棚の扉を開けて、比較的地味な栗色の衣装を選び、手早く身に着ける。
シィーファが普段身に着けている深衣が、西洋文化圏では珍しいことは、シィーファでもわかっている。
自分をなるべく目立たせないよう、擬態するのだ。
着ていた深衣と、里から持ってきた平包みは、衣装棚に入っていた大きめの鞄に詰めた。
短い髪は、纏めて庇の大きな帽子のなかに隠す。
そして、音を立てないように細心の注意を払いながら、窓を持ち上げる。
廊下から外に出ると、セネウと鉢合わせする可能性がある。
それを踏まえると、ここから外に出てしまった方が安全だと思うのだ。
里のことや、族長である兄のこと、考えなかったわけではない。
ラディスからは、具体的な金額はわからないけれど、お代だっていただいてしまっているのだ。
常ならば、無責任なことをするわけにはいかない、という方向に動くシィーファの思考と理性だが、このときばかりはラディスに対する恐怖の方が勝った。
このままでは、ラディスに絆され、情が湧き、最悪好意を抱くようになりかねない。
そうなったら、本当に、シィーファにとっての【最悪】だ。
彼らにとってシィーファたちは、替えの利く消耗品のようなものだと、知っている。
飽きたら、要らなくなったら、古くなったら、簡単に捨てられてしまうのだ。
どろどろに融けそうなほど甘やかされて、大切な宝物のように扱われて、その気になったところで捨てられてしまっては、そのあとどうやって生きていけばいいのだろう。
そうならないためにも、逃げなければならない。
これは、自分を保つために、必要なことなのだ。
自分を納得させて、シィーファは鞄を窓の外に落とす。
ここが一階でよかった、というのは、シィーファの本音だ。
恐らく、ラディスは、シィーファが逃げ出すことは全く想定に入れていなかったのだろう。
衣装の裾が乱れるのも構わず、脚を上げて窓枠を乗り越える。
どうせ、見る者などいないのだ。
地面に降り立ったシィーファは、ぱっぱと衣装の裾を直して、地面に落とした鞄を拾い上げ、土を払う。
ラディスとウーアが戻る前に、一刻も早く、ここを離れないといけない。
シィーファは、周囲を気にしながら、息を潜めて建物と塀の間を歩く。
この年になって、隠れ鬼の真似事をすることになろうとは思わなかった、と苦笑いしながら、門扉から外に出る。
ラディスの仮住まいを振り返ることなく、馬車に揺られて来た道を進む。
だから、気づかなかった。
窓の一つから、セネウが、シィーファの後ろ姿を見つめていたことに。
10
あなたにおすすめの小説
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
王宮地味女官、只者じゃねぇ
宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。
しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!?
王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。
訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ――
さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。
「おら、案内させてもらいますけんの」
その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。
王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」
副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」
ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」
そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」
けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。
王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。
訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る――
これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。
★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。
初恋だったお兄様から好きだと言われ失恋した私の出会いがあるまでの日
クロユキ
恋愛
隣に住む私より一つ年上のお兄さんは、優しくて肩まで伸ばした金色の髪の毛を結ぶその姿は王子様のようで私には初恋の人でもあった。
いつも学園が休みの日には、お茶をしてお喋りをして…勉強を教えてくれるお兄さんから好きだと言われて信じられない私は泣きながら喜んだ…でもその好きは恋人の好きではなかった……
誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。
更新が不定期ですが、よろしくお願いします。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる