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石に花咲く
29.
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相当にやばい人種と関わり合いになってしまったようだ。
シィーファはそう思いながら、洗い立ての敷布を抱えて、外に出た。
やはり、彼こそが美しい魔物だったらしい。
シィーファは今朝も、彼に甘くてとろけそうな口づけで起こされて、浴室まで連れて行かれた。
シィーファが湯を使う間中、ラディスは布の向こう側にいてジッと待っていたのだ。
その行動の理由が、純粋な優しさからなのか、ほかの理由があるのか、シィーファは測りかねている。
だが、今、彼はここにはいない。
何か、用事があるらしく、ウーアと共にどこかへ出かけて行った。
これは、好機と言えば好機だ。
シィーファは、敷布を物干し竿に干して、パン、パン、と手で叩き終え、決心をした。
逃げるなら、今しかない。
思い立ったが吉日、だ。
シィーファは顔を上げて、慌しく、与えられている自室へと戻った。
衣装棚の扉を開けて、比較的地味な栗色の衣装を選び、手早く身に着ける。
シィーファが普段身に着けている深衣が、西洋文化圏では珍しいことは、シィーファでもわかっている。
自分をなるべく目立たせないよう、擬態するのだ。
着ていた深衣と、里から持ってきた平包みは、衣装棚に入っていた大きめの鞄に詰めた。
短い髪は、纏めて庇の大きな帽子のなかに隠す。
そして、音を立てないように細心の注意を払いながら、窓を持ち上げる。
廊下から外に出ると、セネウと鉢合わせする可能性がある。
それを踏まえると、ここから外に出てしまった方が安全だと思うのだ。
里のことや、族長である兄のこと、考えなかったわけではない。
ラディスからは、具体的な金額はわからないけれど、お代だっていただいてしまっているのだ。
常ならば、無責任なことをするわけにはいかない、という方向に動くシィーファの思考と理性だが、このときばかりはラディスに対する恐怖の方が勝った。
このままでは、ラディスに絆され、情が湧き、最悪好意を抱くようになりかねない。
そうなったら、本当に、シィーファにとっての【最悪】だ。
彼らにとってシィーファたちは、替えの利く消耗品のようなものだと、知っている。
飽きたら、要らなくなったら、古くなったら、簡単に捨てられてしまうのだ。
どろどろに融けそうなほど甘やかされて、大切な宝物のように扱われて、その気になったところで捨てられてしまっては、そのあとどうやって生きていけばいいのだろう。
そうならないためにも、逃げなければならない。
これは、自分を保つために、必要なことなのだ。
自分を納得させて、シィーファは鞄を窓の外に落とす。
ここが一階でよかった、というのは、シィーファの本音だ。
恐らく、ラディスは、シィーファが逃げ出すことは全く想定に入れていなかったのだろう。
衣装の裾が乱れるのも構わず、脚を上げて窓枠を乗り越える。
どうせ、見る者などいないのだ。
地面に降り立ったシィーファは、ぱっぱと衣装の裾を直して、地面に落とした鞄を拾い上げ、土を払う。
ラディスとウーアが戻る前に、一刻も早く、ここを離れないといけない。
シィーファは、周囲を気にしながら、息を潜めて建物と塀の間を歩く。
この年になって、隠れ鬼の真似事をすることになろうとは思わなかった、と苦笑いしながら、門扉から外に出る。
ラディスの仮住まいを振り返ることなく、馬車に揺られて来た道を進む。
だから、気づかなかった。
窓の一つから、セネウが、シィーファの後ろ姿を見つめていたことに。
シィーファはそう思いながら、洗い立ての敷布を抱えて、外に出た。
やはり、彼こそが美しい魔物だったらしい。
シィーファは今朝も、彼に甘くてとろけそうな口づけで起こされて、浴室まで連れて行かれた。
シィーファが湯を使う間中、ラディスは布の向こう側にいてジッと待っていたのだ。
その行動の理由が、純粋な優しさからなのか、ほかの理由があるのか、シィーファは測りかねている。
だが、今、彼はここにはいない。
何か、用事があるらしく、ウーアと共にどこかへ出かけて行った。
これは、好機と言えば好機だ。
シィーファは、敷布を物干し竿に干して、パン、パン、と手で叩き終え、決心をした。
逃げるなら、今しかない。
思い立ったが吉日、だ。
シィーファは顔を上げて、慌しく、与えられている自室へと戻った。
衣装棚の扉を開けて、比較的地味な栗色の衣装を選び、手早く身に着ける。
シィーファが普段身に着けている深衣が、西洋文化圏では珍しいことは、シィーファでもわかっている。
自分をなるべく目立たせないよう、擬態するのだ。
着ていた深衣と、里から持ってきた平包みは、衣装棚に入っていた大きめの鞄に詰めた。
短い髪は、纏めて庇の大きな帽子のなかに隠す。
そして、音を立てないように細心の注意を払いながら、窓を持ち上げる。
廊下から外に出ると、セネウと鉢合わせする可能性がある。
それを踏まえると、ここから外に出てしまった方が安全だと思うのだ。
里のことや、族長である兄のこと、考えなかったわけではない。
ラディスからは、具体的な金額はわからないけれど、お代だっていただいてしまっているのだ。
常ならば、無責任なことをするわけにはいかない、という方向に動くシィーファの思考と理性だが、このときばかりはラディスに対する恐怖の方が勝った。
このままでは、ラディスに絆され、情が湧き、最悪好意を抱くようになりかねない。
そうなったら、本当に、シィーファにとっての【最悪】だ。
彼らにとってシィーファたちは、替えの利く消耗品のようなものだと、知っている。
飽きたら、要らなくなったら、古くなったら、簡単に捨てられてしまうのだ。
どろどろに融けそうなほど甘やかされて、大切な宝物のように扱われて、その気になったところで捨てられてしまっては、そのあとどうやって生きていけばいいのだろう。
そうならないためにも、逃げなければならない。
これは、自分を保つために、必要なことなのだ。
自分を納得させて、シィーファは鞄を窓の外に落とす。
ここが一階でよかった、というのは、シィーファの本音だ。
恐らく、ラディスは、シィーファが逃げ出すことは全く想定に入れていなかったのだろう。
衣装の裾が乱れるのも構わず、脚を上げて窓枠を乗り越える。
どうせ、見る者などいないのだ。
地面に降り立ったシィーファは、ぱっぱと衣装の裾を直して、地面に落とした鞄を拾い上げ、土を払う。
ラディスとウーアが戻る前に、一刻も早く、ここを離れないといけない。
シィーファは、周囲を気にしながら、息を潜めて建物と塀の間を歩く。
この年になって、隠れ鬼の真似事をすることになろうとは思わなかった、と苦笑いしながら、門扉から外に出る。
ラディスの仮住まいを振り返ることなく、馬車に揺られて来た道を進む。
だから、気づかなかった。
窓の一つから、セネウが、シィーファの後ろ姿を見つめていたことに。
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