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第一章.帰還
16.不和
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紅女帝は、当然のようにリーファを伴って、会場に姿を現した。
途端に、空気がざわつく。
「あれは、確か、翠の…」
「陛下がお呼びになったのか?」
「昔からあの方は、翠の姫が気に入りだったが…よもや手元におくわけでもあるまい?」
「ありえるな。 翠の当主が、紅女帝との【つなぎ】にするつもりなのかも」
「お前、触らぬ神に祟りなし、だぞ」
飛び交う言葉が、憶測が、不愉快だ。
それ以上に、リーファに向けられる好奇の目や、邪な目が、不快で堪らない。
リーファは見世物ではないし、男性体共の欲望の対象でもない。
つい先日、リーファの実姉の婚約パーティにリーファを連れ出しておいて何を言う、という批判は甘んじて受け付けよう。
だがあれは、本当に、単純に、リーファが喜ぶと思ったから連れて行った、それだけだ。
リーファを見せびらかす意図はなかった。
紅女帝がこの場にリーファを伴って居ることを、見せつけているように感じるのは、ヴェルドライトの心が狭いためだろうか。
一刻も早く、リーファを連れて、この場から立ち去りたい。
ヴェルドライトは、無意識に紅女帝を睨みつけていたのかもしれない。
急に、紅女帝の顔が、ヴェルドライトへ向いた。
その、真っ赤な唇が、動く。
「麗しの翠」
ヴェルドライトははっとし、そつのない笑みを作った。
「ご機嫌麗しゅう、紅女帝」
「心にもないことを」
紅女帝は、吐き捨てるように言った。
眉間に皺を刻みつつ、眉を吊り上げて、口角を上げるという、器用な笑みを浮かべる。
器用で、非常に邪悪な笑みだった。
どうやったらあんなに邪悪に笑えるというのだろう。
紅女帝の隣で、ヴェルドライトと紅女帝の間でおろおろと視線を彷徨わせるリーファが、聖女か女神のように見える。
まあ、今日に限らず、いつだってリーファは聖女のようで、女神のようなのだけれど。
今日のリーファは、薄紅色の衣装を身に着けている。
襟が高くて、レース状の袖があり、腰のあたりで切り替えのされた、ロングドレスだ。
艶を殺した金糸の如き髪は渦のように結い上げられていて、大きな飾りがついている。
やはり、綺麗だ。
けれど、彼女の身につけているもの全てが、紅女帝の用意したものだという事実もまた、気に食わない。
今すぐに引き裂いてやりたい。
「悪い顔をしているわね」
また、邪悪に笑った紅女帝は、どこか満足そうだ。
それもまた、鼻につく。
ヴェルドライトは、目を伏せて、小さく息を吐いた。
「誰のせいだと思っているのです」
悪い顔をしているのだとしたら、それはヴェルドライトだけではないはずだ。
それを口にしない理性も、紅女帝を相手に敬語を使い続ける理性も、まだ残っていた。
それは、ヴェルドライトが我慢強いから…、ではなく、目の前におろおろと落ち着かない様子のリーファがいたから、それだけに尽きる。
紅女帝と翠一族当主の板挟みでは、身が持たないだろう。
ヴェルドライトが顔を上げれば、紅女帝の血赤珊瑚の如き目と視線が交わる。
一瞬、ピリッとした空気が走った、と感じた。
紅女帝の衣装は、鮮やかな赤で、若干質感や色味の異なる幾種類かの布地が重ねられている。
身体の線を強調するようなタイトなラインのドレスだが、膝から下は裾が広い。
その裾が、ふわっ、と数瞬舞い上がるような動きをした。
同時に、カッカッと鋭い音が響く。
直感的に、紅女帝が床を蹴ったのだと思った。
先程の甲高い音は、紅女帝のピンヒールと床がぶつかって生じたものだろう。
「ガルド」
紅女帝の唇が、名前のようなものを紡いだ。
そして、一歩下がったかと思えば、先程まで紅女帝が佇んでいた場所に、円が出現する。
円の内側には、あるしるしが浮かび上がった。
あれは、【従属契約】により、【主】が強制する召喚術だ。
「御用でしょうか、我が君」
円から現れたのは、ヴェルドライトの元からリーファを連れ去った、紅一族の男性体――、いや、もしかしたら無性体かもしれない――だ。
「わたくしは少し外すから、周囲を警戒していなさい。 わたくし以外の何者も、翡翠に近づけるのではないわよ」
「御意」
紅女帝の命令に、ガルドは恭しく頷く。
紅女帝はすぐにリーファに向き直り、そっとリーファの手を取った。
ヴェルドライトの眉間は、ピクッと反応してしまう。
気安く触るな、と言いたい。
「翡翠、何かあったらガルドを盾にしなさい。 それでも手に負えないと思ったら、迷わずわたくしを呼びなさいね?」
「ええ、そのときは、遠慮なく」
リーファは頷いているし、紅女帝はでれでれの緩みきった顔で、その言葉を額面通りに受け取ったようだ。
だがヴェルドライトは、何が起こるというのだ、何が、と思わずにおれない。
ヴェルドライトの心の声が届いたわけはないのだが、まるで呼応するように、紅女帝がヴェルドライトに顔を向けた。
いつも通りの、戦闘態勢な、主張の強い顔面だ。
そしてどこか、ヴェルドライトを蔑んでいる。
「麗しの翠、話があるから、ついて来なさい」
紅女帝は、ヴェルドライトの返答を待たずに踵を返す。
その瞬間、また、紅女帝の衣装の裾が、ふわりと舞った。
別に、紅女帝に興味はないが、あの衣装の意匠は、リーファに似合うだろうな、とぼんやり考える。
そして、今日、最もこの場にいるべき主役が、どこに行くんだ、という言葉は飲み込んで、紅女帝の後をついていくことにした。
なんてことはない。
ついて行ったらついて行ったで面倒だが、ついて行かなかったらついて行かなかったで、もっと面倒だからだ。
途端に、空気がざわつく。
「あれは、確か、翠の…」
「陛下がお呼びになったのか?」
「昔からあの方は、翠の姫が気に入りだったが…よもや手元におくわけでもあるまい?」
「ありえるな。 翠の当主が、紅女帝との【つなぎ】にするつもりなのかも」
「お前、触らぬ神に祟りなし、だぞ」
飛び交う言葉が、憶測が、不愉快だ。
それ以上に、リーファに向けられる好奇の目や、邪な目が、不快で堪らない。
リーファは見世物ではないし、男性体共の欲望の対象でもない。
つい先日、リーファの実姉の婚約パーティにリーファを連れ出しておいて何を言う、という批判は甘んじて受け付けよう。
だがあれは、本当に、単純に、リーファが喜ぶと思ったから連れて行った、それだけだ。
リーファを見せびらかす意図はなかった。
紅女帝がこの場にリーファを伴って居ることを、見せつけているように感じるのは、ヴェルドライトの心が狭いためだろうか。
一刻も早く、リーファを連れて、この場から立ち去りたい。
ヴェルドライトは、無意識に紅女帝を睨みつけていたのかもしれない。
急に、紅女帝の顔が、ヴェルドライトへ向いた。
その、真っ赤な唇が、動く。
「麗しの翠」
ヴェルドライトははっとし、そつのない笑みを作った。
「ご機嫌麗しゅう、紅女帝」
「心にもないことを」
紅女帝は、吐き捨てるように言った。
眉間に皺を刻みつつ、眉を吊り上げて、口角を上げるという、器用な笑みを浮かべる。
器用で、非常に邪悪な笑みだった。
どうやったらあんなに邪悪に笑えるというのだろう。
紅女帝の隣で、ヴェルドライトと紅女帝の間でおろおろと視線を彷徨わせるリーファが、聖女か女神のように見える。
まあ、今日に限らず、いつだってリーファは聖女のようで、女神のようなのだけれど。
今日のリーファは、薄紅色の衣装を身に着けている。
襟が高くて、レース状の袖があり、腰のあたりで切り替えのされた、ロングドレスだ。
艶を殺した金糸の如き髪は渦のように結い上げられていて、大きな飾りがついている。
やはり、綺麗だ。
けれど、彼女の身につけているもの全てが、紅女帝の用意したものだという事実もまた、気に食わない。
今すぐに引き裂いてやりたい。
「悪い顔をしているわね」
また、邪悪に笑った紅女帝は、どこか満足そうだ。
それもまた、鼻につく。
ヴェルドライトは、目を伏せて、小さく息を吐いた。
「誰のせいだと思っているのです」
悪い顔をしているのだとしたら、それはヴェルドライトだけではないはずだ。
それを口にしない理性も、紅女帝を相手に敬語を使い続ける理性も、まだ残っていた。
それは、ヴェルドライトが我慢強いから…、ではなく、目の前におろおろと落ち着かない様子のリーファがいたから、それだけに尽きる。
紅女帝と翠一族当主の板挟みでは、身が持たないだろう。
ヴェルドライトが顔を上げれば、紅女帝の血赤珊瑚の如き目と視線が交わる。
一瞬、ピリッとした空気が走った、と感じた。
紅女帝の衣装は、鮮やかな赤で、若干質感や色味の異なる幾種類かの布地が重ねられている。
身体の線を強調するようなタイトなラインのドレスだが、膝から下は裾が広い。
その裾が、ふわっ、と数瞬舞い上がるような動きをした。
同時に、カッカッと鋭い音が響く。
直感的に、紅女帝が床を蹴ったのだと思った。
先程の甲高い音は、紅女帝のピンヒールと床がぶつかって生じたものだろう。
「ガルド」
紅女帝の唇が、名前のようなものを紡いだ。
そして、一歩下がったかと思えば、先程まで紅女帝が佇んでいた場所に、円が出現する。
円の内側には、あるしるしが浮かび上がった。
あれは、【従属契約】により、【主】が強制する召喚術だ。
「御用でしょうか、我が君」
円から現れたのは、ヴェルドライトの元からリーファを連れ去った、紅一族の男性体――、いや、もしかしたら無性体かもしれない――だ。
「わたくしは少し外すから、周囲を警戒していなさい。 わたくし以外の何者も、翡翠に近づけるのではないわよ」
「御意」
紅女帝の命令に、ガルドは恭しく頷く。
紅女帝はすぐにリーファに向き直り、そっとリーファの手を取った。
ヴェルドライトの眉間は、ピクッと反応してしまう。
気安く触るな、と言いたい。
「翡翠、何かあったらガルドを盾にしなさい。 それでも手に負えないと思ったら、迷わずわたくしを呼びなさいね?」
「ええ、そのときは、遠慮なく」
リーファは頷いているし、紅女帝はでれでれの緩みきった顔で、その言葉を額面通りに受け取ったようだ。
だがヴェルドライトは、何が起こるというのだ、何が、と思わずにおれない。
ヴェルドライトの心の声が届いたわけはないのだが、まるで呼応するように、紅女帝がヴェルドライトに顔を向けた。
いつも通りの、戦闘態勢な、主張の強い顔面だ。
そしてどこか、ヴェルドライトを蔑んでいる。
「麗しの翠、話があるから、ついて来なさい」
紅女帝は、ヴェルドライトの返答を待たずに踵を返す。
その瞬間、また、紅女帝の衣装の裾が、ふわりと舞った。
別に、紅女帝に興味はないが、あの衣装の意匠は、リーファに似合うだろうな、とぼんやり考える。
そして、今日、最もこの場にいるべき主役が、どこに行くんだ、という言葉は飲み込んで、紅女帝の後をついていくことにした。
なんてことはない。
ついて行ったらついて行ったで面倒だが、ついて行かなかったらついて行かなかったで、もっと面倒だからだ。
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