【R18】翡翠の鎖

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第二章.婚約編

4.満月のちから

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「ヴェルは、わたしに触りたくならないの?」

 唐突に、うっすらと頬を染めて、目を潤ませたリーファに問われて、ヴェルドライトは目を点にした。
「んん?」

 リーファの発言の意図が読めないし、リーファはつい先ほどまで、自分たちが何をしていたか、忘れたのだろうか。
「…今、まさに、触っていたところだけど…」
 ヴェルドライトがささやかに主張すると、リーファは潤んだ目を更に潤ませた。
「…今のは、キス」

 照れるなら言わなくてもいいのに。 可愛い。
 思うと同時に身体が動き、ヴェルドライトはリーファの前髪の付け根に口づけていた。


 実を言うと、ヴェルドライトとリーファは、まだ清い仲だ。


 婚約を決めてから、一年ほど。
 実際に婚約をしてから、数か月が過ぎたが、ヴェルドライトはキスでやり過ごしている。


 自分でも意外だったのだが、ヴェルドライトはそこまで、リーファと性的な繋がりを求めていなかったらしい。


 彼女が、自分を愛してくれて、自分と婚約してくれている。
 それ以上に、何を望むというのだろう。


 彼女を取り戻した当初、リーファを丸め込んで暴走できたのはきっと、飢えていたからだ。
 無理矢理に奪い取ってでも、自分を満たして、それで満足しようとしていた。
 だが、そんな必要はなく、ヴェルドライトが望むと望むまいと、彼女からの愛情は注がれ、受け取れるものだと、今は理解している。


 だからこそ、大切に、大切に、したい。


 そう思っていたのだが、リーファは何か不満だったのだろうか。
「…ヴェルって、本当にわたしのこと、好きなの? 本当は、やっぱり、重度のシスコンなだけではなくて?」
「…何か気になる?」
 何が不満? と訊くのは直接的過ぎると思ったので、ヴェルドライトとしては言葉を選んだつもりだ。
 ヴェルドライトがリーファの瞳を覗き込んで先を促すと、リーファは小さく、ぽそりと零した。


「あれから、ずっと、触らないから」


 …それは、触ってほしい、ということでいいだろうか。
 なんとなく、そうなのだろうか、とうすうす感じることはあったが、確かめられずにいた。


 ヴェルドライトは、自室の、カーテンに覆われた窓を、一瞬見遣る。
 恐らく、リーファに自覚はないのだろうが、彼女は月の満ち欠けの影響を強く受ける個体らしい。
 気のせいだ、と自分に言い聞かせていたが、以前から、リーファが何となく物欲しそうに自分を見ている期間があった。

 そして、今日は、【婚約のしるし】を刻んでから、初めての満月。
 【婚約のしるし】で、満月の影響が増幅されているのだろう。

 今夜のリーファは、珍しくも、夜着のままでヴェルドライトの私室を訪れた。
 曰く、「おやすみのキスをしに」とのことだった。

 驚きはしたが、リーファからのお誘いは大歓迎だ。
 ヴェルドライトのベッドに二体で腰かけて、濃厚な口づけを交わし合った後での、リーファのあの発言。

 ヴェルドライトはリーファが心配になって、両手で彼女の首を支えるようにして、触れた。
 彼女の身体が、熱を持っているのがわかる。


「…お薬、もらう?」


 ヴェルドライトが尋ねると、リーファはぼんやりとした様子で、熱で蕩けそうな目をヴェルドライトに向けてくる。
「え?」

 わかっていない様子のリーファに、ヴェルドライトはひとまず、今のリーファの状態を説明することにした。
「こういうこと、男性体の僕から言われたら、いやかもしれないけど…。 リーファは多分、月の満ち欠けの影響を受けやすいんだよ。 それを、【婚約のしるし】が増幅してる」

 ジッとリーファはヴェルドライトの言葉を聞いてくれてはいるが、その内容を理解しているかは謎だ。
 リーファからのお誘いは、非常に、非常に魅力的だが、正気ではない彼女に付け込むのはどうかと思うし、もう懲りた。

「部屋まで送るから、気持ちを落ち着けるハーブティーを淹れてもらって、休もう?」
 ヴェルドライトは、非常に理に適った提案をしたと思ったのだが、リーファは愕然とした表情になった。
「ヴェルは、わたしに触らなくても、平気なの?」
 リーファの問いに、ヴェルドライトは言葉を詰まらせる。


 平気か、平気でないかと問われて、正直なところを答えるならば、平気だ。


 ヴェルドライトは、月の満ち欠けの影響を受けにくい。
 受けにくい、というか、ほとんど、全く受けない、と言ってもいい。

 加えて、以前のヴェルドライトは、リーファには元伴侶との【対のしるし】があると信じていた。
 万一、想いが通じ合ったとしても、リーファと男女の関係になることは諦めていたのだ。


 ヴェルドライトにとって、今の状況は、夢でしかなくて、実感が湧かない。


 それに、以前、似たような状況になったリーファを丸め込んで付け込んだ翌日の、リーファの反応が、尾を引いているのもある。
「例えば、このまま、僕がリーファに触って、明日目が覚めたとき、リーファは後悔しない? 落ち込まない?」


 正気に返って、間違いだった、とでも言われたら、本当に取り返しがつかない。
 なかったことには、できないのだから。

 ヴェルドライトは、リーファを大切にしたいと、思っている。


「…触るのは、だめ?」
 しばらく口を閉ざしていたリーファに再度、そう問われて、ヴェルドライトは気づいた。
 彼女は、どうやら、ヴェルドライトに触ってほしい、らしい。


「前のとき、みたいに、触るだけ?」
「…うん。 …途中までは、いや?」
 リーファは、気まずそうに目を逸らしながら、ヴェルドライトを窺い見る。


 自分でも、リーファに甘いとは思うのだが、これを聞いても「我儘で可愛いなぁ」としか思わないのだから、重症だ。
 そして、最後までしないのであれば、許容範囲だろう、と判断した。

 ヴェルドライトは、リーファに微笑む。
「いいよ、リーファが好きなら、そうしよう。 でも、今度はきっと、『僕は大丈夫』って言えないと思うよ。 それでもいい?」


 ヴェルドライトが、リーファに触ったのは、婚約を決める前に暴走した、あの夜。
 あの、一回きりだ。

 そして、そのときヴェルドライトは、涼しい顔で自分の中に燻る熱を誤魔化し、自室で自分を慰めた。
 今度は、あのときのようにはいかないだろう。
 そう伝えたつもりだったのだが、リーファには伝わっただろうか。


「うん」
 リーファは微笑んで頷いた。
 その微笑みに、ヴェルドライトは屈したのだ。
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