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第二章.婚約編
14.婚約のしるし
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一触即発のロビンとナディアを前に、リーファは脳内で計算をする。
例えばナディアにリーファが何を言ったところで、火に油を注ぐだけだろう。
とすると、ロビンに働きかけるしか、屋敷の倒壊を防ぎ、ナディアの命を守る方法はない。
だが、実は今まで、リーファはロビンに何かを命じたことはない。
お願いをして、聞き入れてもらえなかったことはないけれど、そもそもリーファとロビンは主従関係を結んでいないのだ。
こういった状況で、リーファのお願い、もしくは命令が、どの程度ロビンに有効かは、全くわからない。
だが、ここでリーファが頑張らないと、屋敷は倒壊するし、死体が出かねない。
「ロビン、下がって」
リーファは意を決し、腹に力を入れて、声を出した。
途端、重苦しい空気が、霧散した。
「リーファ様」
なぜ、止めるのか、と振り返ったロビンの目が語っているし、不満げだ。
けれど、ここで怯むわけにはいかない。
リーファは背筋を伸ばして、顎を引き、毅然とした態度で、命じる。
「ロビン、下がりなさい」
あとで謝ろう、と思いながら。
ロビンは漏れ出ていた力の波動を収めると、しぶしぶと言った様子で一歩横に移動する。
それにより、リーファとナディアを隔てるものはなくなった。
すると、にこにこと微笑んだナディアが、背の後ろで手を組んで、踊るような軽やかな足取りで、リーファに近づいてくる。
リーファと並ぶと、ナディアの方が、背が低い。
彼女は、リーファを上目遣いに、間近に見上げる。
「ずいぶん、お優しいことですねぇ、お姉様」
含みのある物言いだ、とは思った。
普段、表情筋が死んでいるロビンが、眉間に皺を深く刻んで、唇を真一文字に引き結び、ナディアを睨みつけているのがわかる。
ナディアは、ロビンが襲い掛かってくることはないと踏んで、余裕の態度だ。
その余裕で以て、緑柱石の瞳を細める。
獲物を狙い、弓を引き絞るように。
「その慈悲の御心でもって、彼を解放してくれません?」
チリ、と左手の薬指にある、【婚約のしるし】が熱を持つような感じがした。
ヴェルドライトに、そこにキスしてもらったときのような、じんわりと心地よい温かさではない。
擦過傷で、ひりつくような、チリチリとした感じ。
左手の【婚約のしるし】を確認したい衝動に駆られるが、本能が、今は目を逸らしてはならないと告げていた。
「彼、シスコンでしょう? だぁいすきなお姉様に、恋愛の対象として見られて、欲情されたら、断れないわけがないと思うんです。 お姉様だって、彼を毒したいわけではないで、」
しょう、と続くはずだった言葉は、途中で途切れた。
否、途切れたのではなく、ゴッ! ドッ! バァン! ズザザザザッ! という大きすぎる物音でかき消されただけかもしれない。
リーファは、目の前で起こった出来事を、唖然としながら見つめることしかできなかった。
リーファに触れようとした、ナディアの身体が何かに突き飛ばされたか引っ張られたかしたように、宙に浮き、後方に吹き飛んだのだ。
後方に吹き飛んだナディアの身体は、玄関の扉に激突。
その勢いで開いた玄関の扉の向こうに放り出された。
放り出された勢いのままに、地面の上を引きずられるように滑走し、徐々に力を失ってようやく止まる。
リーファは、思わずロビンを見てしまったのだが、ロビンはいつも通りの無表情――…よりも、少しだけ晴れやかな様子で、首を横に振っている。
ロビンではないとしたら、一体、誰が。
「リーファに当たらないでもらえる?」
考えるリーファの耳に、よく聞き知った声が聞こえ、肩にそっとぬくもりが触れた。
誰が、なんて、確認しなくてもわかる。
リーファは背後の彼――…ヴェルドライトに向き直りながら、彼に意見する。
「ヴェル。 今の、ヴェルがやったの? だめよ、むやみに暴力に訴えては」
ヴェルドライトは、リーファの言葉を受け止め終えたあとで、眉を下げた。
「おかえりは言ってくれないの? 心配で、抜け道を使って帰ってきたのに」
そんなに寂しそうな様子で言われては、リーファはこう返すしかない。
「…おかえりなさい…」
「ただいま。 無事でよかった」
ヴェルドライトは、門へと続く石畳の上で、まだ起き上がれずにいるナディアのことなど意に介していないらしい。
悠長に、リーファの額にただいまのキスなどしているくらいだ。
いっそ、清々しい。
「誤解されたらいやだから、一応弁解すると、僕じゃないよ。 【婚約のしるし】が、彼女のことを、僕とリーファの仲を阻もうとする障害だと認識して、排除しようとしただけ」
ヴェルドライトがさらりと告げた内容に、リーファは固まってしまった。
今、「だけ」で終わりにするには重すぎる話をしなかっただろうか?
「【婚約のしるし】が、チリチリしていなかった? リーファの【婚約のしるし】が反応したから、僕の【婚約のしるし】にもそれが伝わったんだよ」
便利だよね、とヴェルドライトは言っているけれど、そんなこと、リーファは一切知らなかったし、聞いていない。
「ね、ねぇ…? 【婚約のしるし】って、そんなに物騒なものだったの…?」
リーファはガタガタと震えそうになる身体を懸命に制御しながら、ヴェルドライトに問う。
じんわりと、あたたかく、心地よくて、ヴェルドライトの気配もするし幸せ、なんて思っていた日が懐かしい。
対するヴェルドライトは、何もかもを承知だったのか、非常にあっけらかんとしたものだった。
「【しるし】なんて、大抵そんなものだよ? 僕がリーファを大切に想ってるから、リーファに向けられる敵意と害意に過剰反応したのかも」
「かじょうはんのう」
リーファは棒読みで、反復してしまった。
あれだけの飛距離と滑走距離を、過剰反応という言葉で済ませてしまってよいのだろうか。
でも、玄関の扉は壊れていないし、見た目ほど大したことはないのかもしれない…。
楽観的な観測で、リーファはナディアを見てみたけれど、ナディアはなんとか上体を起こそうと、のろのろと手探りをしているところだった。
大したことないわけがない。
もしも、ナディアに訴えられたり、ナディアの家から抗議があったりしたらどうしよう。
青ざめるリーファの心を読んだわけでもないだろうに、ヴェルドライトはきらきらと麗しいばかりの笑顔で、リーファの顔を覗き込んできた。
「過剰防衛でも、正当防衛に変わりはないから、気にしないで。 愛し合う二体の邪魔をするのがいけないって、テルグムウェルデ家はよぅくわかっているはずだしね」
わからないようなら、わからせてやる、とヴェルドライトが言ったように聞こえたのは、気のせいだろうか。
リーファも、よぅく理解した。
【しるし】は、むやみにやたらに身体に刻むべきものではないらしい、と。
例えばナディアにリーファが何を言ったところで、火に油を注ぐだけだろう。
とすると、ロビンに働きかけるしか、屋敷の倒壊を防ぎ、ナディアの命を守る方法はない。
だが、実は今まで、リーファはロビンに何かを命じたことはない。
お願いをして、聞き入れてもらえなかったことはないけれど、そもそもリーファとロビンは主従関係を結んでいないのだ。
こういった状況で、リーファのお願い、もしくは命令が、どの程度ロビンに有効かは、全くわからない。
だが、ここでリーファが頑張らないと、屋敷は倒壊するし、死体が出かねない。
「ロビン、下がって」
リーファは意を決し、腹に力を入れて、声を出した。
途端、重苦しい空気が、霧散した。
「リーファ様」
なぜ、止めるのか、と振り返ったロビンの目が語っているし、不満げだ。
けれど、ここで怯むわけにはいかない。
リーファは背筋を伸ばして、顎を引き、毅然とした態度で、命じる。
「ロビン、下がりなさい」
あとで謝ろう、と思いながら。
ロビンは漏れ出ていた力の波動を収めると、しぶしぶと言った様子で一歩横に移動する。
それにより、リーファとナディアを隔てるものはなくなった。
すると、にこにこと微笑んだナディアが、背の後ろで手を組んで、踊るような軽やかな足取りで、リーファに近づいてくる。
リーファと並ぶと、ナディアの方が、背が低い。
彼女は、リーファを上目遣いに、間近に見上げる。
「ずいぶん、お優しいことですねぇ、お姉様」
含みのある物言いだ、とは思った。
普段、表情筋が死んでいるロビンが、眉間に皺を深く刻んで、唇を真一文字に引き結び、ナディアを睨みつけているのがわかる。
ナディアは、ロビンが襲い掛かってくることはないと踏んで、余裕の態度だ。
その余裕で以て、緑柱石の瞳を細める。
獲物を狙い、弓を引き絞るように。
「その慈悲の御心でもって、彼を解放してくれません?」
チリ、と左手の薬指にある、【婚約のしるし】が熱を持つような感じがした。
ヴェルドライトに、そこにキスしてもらったときのような、じんわりと心地よい温かさではない。
擦過傷で、ひりつくような、チリチリとした感じ。
左手の【婚約のしるし】を確認したい衝動に駆られるが、本能が、今は目を逸らしてはならないと告げていた。
「彼、シスコンでしょう? だぁいすきなお姉様に、恋愛の対象として見られて、欲情されたら、断れないわけがないと思うんです。 お姉様だって、彼を毒したいわけではないで、」
しょう、と続くはずだった言葉は、途中で途切れた。
否、途切れたのではなく、ゴッ! ドッ! バァン! ズザザザザッ! という大きすぎる物音でかき消されただけかもしれない。
リーファは、目の前で起こった出来事を、唖然としながら見つめることしかできなかった。
リーファに触れようとした、ナディアの身体が何かに突き飛ばされたか引っ張られたかしたように、宙に浮き、後方に吹き飛んだのだ。
後方に吹き飛んだナディアの身体は、玄関の扉に激突。
その勢いで開いた玄関の扉の向こうに放り出された。
放り出された勢いのままに、地面の上を引きずられるように滑走し、徐々に力を失ってようやく止まる。
リーファは、思わずロビンを見てしまったのだが、ロビンはいつも通りの無表情――…よりも、少しだけ晴れやかな様子で、首を横に振っている。
ロビンではないとしたら、一体、誰が。
「リーファに当たらないでもらえる?」
考えるリーファの耳に、よく聞き知った声が聞こえ、肩にそっとぬくもりが触れた。
誰が、なんて、確認しなくてもわかる。
リーファは背後の彼――…ヴェルドライトに向き直りながら、彼に意見する。
「ヴェル。 今の、ヴェルがやったの? だめよ、むやみに暴力に訴えては」
ヴェルドライトは、リーファの言葉を受け止め終えたあとで、眉を下げた。
「おかえりは言ってくれないの? 心配で、抜け道を使って帰ってきたのに」
そんなに寂しそうな様子で言われては、リーファはこう返すしかない。
「…おかえりなさい…」
「ただいま。 無事でよかった」
ヴェルドライトは、門へと続く石畳の上で、まだ起き上がれずにいるナディアのことなど意に介していないらしい。
悠長に、リーファの額にただいまのキスなどしているくらいだ。
いっそ、清々しい。
「誤解されたらいやだから、一応弁解すると、僕じゃないよ。 【婚約のしるし】が、彼女のことを、僕とリーファの仲を阻もうとする障害だと認識して、排除しようとしただけ」
ヴェルドライトがさらりと告げた内容に、リーファは固まってしまった。
今、「だけ」で終わりにするには重すぎる話をしなかっただろうか?
「【婚約のしるし】が、チリチリしていなかった? リーファの【婚約のしるし】が反応したから、僕の【婚約のしるし】にもそれが伝わったんだよ」
便利だよね、とヴェルドライトは言っているけれど、そんなこと、リーファは一切知らなかったし、聞いていない。
「ね、ねぇ…? 【婚約のしるし】って、そんなに物騒なものだったの…?」
リーファはガタガタと震えそうになる身体を懸命に制御しながら、ヴェルドライトに問う。
じんわりと、あたたかく、心地よくて、ヴェルドライトの気配もするし幸せ、なんて思っていた日が懐かしい。
対するヴェルドライトは、何もかもを承知だったのか、非常にあっけらかんとしたものだった。
「【しるし】なんて、大抵そんなものだよ? 僕がリーファを大切に想ってるから、リーファに向けられる敵意と害意に過剰反応したのかも」
「かじょうはんのう」
リーファは棒読みで、反復してしまった。
あれだけの飛距離と滑走距離を、過剰反応という言葉で済ませてしまってよいのだろうか。
でも、玄関の扉は壊れていないし、見た目ほど大したことはないのかもしれない…。
楽観的な観測で、リーファはナディアを見てみたけれど、ナディアはなんとか上体を起こそうと、のろのろと手探りをしているところだった。
大したことないわけがない。
もしも、ナディアに訴えられたり、ナディアの家から抗議があったりしたらどうしよう。
青ざめるリーファの心を読んだわけでもないだろうに、ヴェルドライトはきらきらと麗しいばかりの笑顔で、リーファの顔を覗き込んできた。
「過剰防衛でも、正当防衛に変わりはないから、気にしないで。 愛し合う二体の邪魔をするのがいけないって、テルグムウェルデ家はよぅくわかっているはずだしね」
わからないようなら、わからせてやる、とヴェルドライトが言ったように聞こえたのは、気のせいだろうか。
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【しるし】は、むやみにやたらに身体に刻むべきものではないらしい、と。
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