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第二章.婚約編
15.疫病神
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ようやく、のろのろと上体を起こしたナディアを遠目に見つつ、リーファは腰が引けそうになる。
【婚約のしるし】でこの威力。
【婚姻のしるし】など、この身に刻んだ日にはどうなることか、考えるのも恐ろしくなってきた。
そして、同時に納得する。
【婚約のしるし】【婚姻のしるし】【対のしるし】…婚姻にまつわる【しるし】はこの三種類だと、リーファは記憶しているが、これを身体に刻む者は多くない。
だから、六皇家に連なる者は、これらの【しるし】に信を置く。
これだけ危険な【しるし】を身に刻んで誓いを立てるとなれば、相当の決意と覚悟だと見なされて当然だ。
婚姻にまつわる【しるし】を、大切な息子・娘・兄弟・姉妹を任せるに足る相手かどうかを見極める材料のひとつにしている、と言い換えることもできるだろう。
結論、とんでもないものを、安易に身体に刻んでしまった。
「リーファ、何か思い違いをしてる?」
リーファの様子、もしくは表情から、思考を読んだのだろうか。
ヴェルドライトがそのように尋ねてきた。
「【婚約のしるし】が、とても危険なものだと、今更ながらに理解したこと?」
リーファが問うと、ヴェルドライトは笑った。
「誰彼構わず敵認定するわけではないよ。 【婚約のしるし】で結ばれた、愛し合う二体に害意や敵意がある場合だけだし、二体の結び付きが強いほど、威力が増す」
ヴェルドライトは、リーファを安心させようとしているのだろうけれど、全く安心できない。
リーファの微妙な反応にも、恐らく気づいたのだろう。
ヴェルドライトは、別の一手を打った。
「僕がどれだけ、リーファを大切に想っているかってことだね」
そして、リーファはまんまとそれに、釣られたのである。
「ヴェルだけ好きみたいに言わないで。 わたしだって、ヴェルが大切だもの」
「この状況で、よく惚気られたものね…」
地の底から這うような声が響いて、リーファはハッとする。
開け放たれた玄関の、遥か向こうで、ナディアが聞いたこともないような声を出していたのである。
リーファにとっては、ちょっとした恐怖体験だったのだが、ヴェルドライトはあっけらかんとしたものだ。
「ほら、生きてる。 問題ないよ」
「主、止めを差しましょうか」
いつの間にか、玄関の外に出たらしいロビンも、無表情で淡々としたものだ。
ヴェルドライトは、ゆったりとした足取りでロビンに近づく。
右手の指先で、そっとロビンの襟元に触れた。
「お前が手を汚す価値もないよ。 これ、返してあげる」
ロビンの【従属のしるし】に、リミッターを再設定したのだろう。
ヴェルドライトも玄関をくぐって外に出るので、リーファも静かに玄関に近づく。
その間にもヴェルドライトは歩みを止めずに、リーファが外に出たときには、ナディアの傍らに立ち、冷ややかにナディアを見下ろしていた。
「リーファが止めてくれてよかったね。 でなければ君、今頃、キレイに真っ二つに切り裂かれていたところだよ」
ロビンは、元々の魔力は高くないが、身体能力が飛び抜けて高い。
屈強な肉体をしているわけではないのだが、鋼の鎧でもつけているのかというくらいに傷つかない。
それと同時に、しなやかで、柔軟性があるという、通常なら両立しないような特性を両立させた肉体を持っている。
武器の扱いにも長けてはいるのだが、彼自身が武器と言っても、差し支えないほどなのだ。
「この程度で済んで、よかったね?」
だから結論、リーファも、目の奥が全く笑っていない冷ややかな笑みでナディアを見下ろすヴェルドライトの言葉に、全力で同意せざるを得ない。
ナディアは、土にまみれて乱れた髪や、汚れて擦り剝けた肌を気にする余裕もないようで、呆然と、ヴェルドライトを見上げている。
「どうして? どうしてわたしじゃないの? どうして、その女性体なの? 貴方を不幸にするかもしれないのに。 わたしのことだって不幸にした、【疫病神】なのに」
リーファは、胸の奥が鈍く痛んだのに、気づかないふりをする。
今のナディアの姿は、虐げられ、嘆き、訴える、悲劇のヒロインそのものだ。
どちらが悪者か、なんて、確認するまでもない。
「…どうして、リーファを疫病神だと思うかなぁ」
けれど、ナディアを見下ろすヴェルドライトは、面倒くさそうに視線を流して大仰に溜息をついた。
そして、また、ナディアに視線を戻し、ゆるく首を揺らす。
「僕が、大好きなリーファを取り戻すために、邪魔な男性体を排除したとは、思わないの?」
ヴェルドライトは、何、を。
ギョッと目を見開いたのは、リーファだけではなかった。
ナディアの緑柱石の瞳も、これでもかというくらいに見開かれ、色を失った唇が、わなないている。
いや、唇だけでなく、全身が、だろうか。
それに気づかぬはずもあるまいに、ヴェルドライトはここで、麗しく、おだやかでありながら――、いや、だから、だろうか。
ゾッとするような微笑で囁いた。
「疫病神は、誰だろうね?」
ヒュッと、ナディアが息を呑んだ音まで、聞こえるような気がした。
立ち上がる力も残っていないと思われたナディアだったが、火事場の底力とでもいうのだろうか。
瞬時に立ちあがると同時に踵を返し、足をもつれさせて転びそうになりながらも、脱兎のごとく逃げ帰ったのである。
【婚約のしるし】でこの威力。
【婚姻のしるし】など、この身に刻んだ日にはどうなることか、考えるのも恐ろしくなってきた。
そして、同時に納得する。
【婚約のしるし】【婚姻のしるし】【対のしるし】…婚姻にまつわる【しるし】はこの三種類だと、リーファは記憶しているが、これを身体に刻む者は多くない。
だから、六皇家に連なる者は、これらの【しるし】に信を置く。
これだけ危険な【しるし】を身に刻んで誓いを立てるとなれば、相当の決意と覚悟だと見なされて当然だ。
婚姻にまつわる【しるし】を、大切な息子・娘・兄弟・姉妹を任せるに足る相手かどうかを見極める材料のひとつにしている、と言い換えることもできるだろう。
結論、とんでもないものを、安易に身体に刻んでしまった。
「リーファ、何か思い違いをしてる?」
リーファの様子、もしくは表情から、思考を読んだのだろうか。
ヴェルドライトがそのように尋ねてきた。
「【婚約のしるし】が、とても危険なものだと、今更ながらに理解したこと?」
リーファが問うと、ヴェルドライトは笑った。
「誰彼構わず敵認定するわけではないよ。 【婚約のしるし】で結ばれた、愛し合う二体に害意や敵意がある場合だけだし、二体の結び付きが強いほど、威力が増す」
ヴェルドライトは、リーファを安心させようとしているのだろうけれど、全く安心できない。
リーファの微妙な反応にも、恐らく気づいたのだろう。
ヴェルドライトは、別の一手を打った。
「僕がどれだけ、リーファを大切に想っているかってことだね」
そして、リーファはまんまとそれに、釣られたのである。
「ヴェルだけ好きみたいに言わないで。 わたしだって、ヴェルが大切だもの」
「この状況で、よく惚気られたものね…」
地の底から這うような声が響いて、リーファはハッとする。
開け放たれた玄関の、遥か向こうで、ナディアが聞いたこともないような声を出していたのである。
リーファにとっては、ちょっとした恐怖体験だったのだが、ヴェルドライトはあっけらかんとしたものだ。
「ほら、生きてる。 問題ないよ」
「主、止めを差しましょうか」
いつの間にか、玄関の外に出たらしいロビンも、無表情で淡々としたものだ。
ヴェルドライトは、ゆったりとした足取りでロビンに近づく。
右手の指先で、そっとロビンの襟元に触れた。
「お前が手を汚す価値もないよ。 これ、返してあげる」
ロビンの【従属のしるし】に、リミッターを再設定したのだろう。
ヴェルドライトも玄関をくぐって外に出るので、リーファも静かに玄関に近づく。
その間にもヴェルドライトは歩みを止めずに、リーファが外に出たときには、ナディアの傍らに立ち、冷ややかにナディアを見下ろしていた。
「リーファが止めてくれてよかったね。 でなければ君、今頃、キレイに真っ二つに切り裂かれていたところだよ」
ロビンは、元々の魔力は高くないが、身体能力が飛び抜けて高い。
屈強な肉体をしているわけではないのだが、鋼の鎧でもつけているのかというくらいに傷つかない。
それと同時に、しなやかで、柔軟性があるという、通常なら両立しないような特性を両立させた肉体を持っている。
武器の扱いにも長けてはいるのだが、彼自身が武器と言っても、差し支えないほどなのだ。
「この程度で済んで、よかったね?」
だから結論、リーファも、目の奥が全く笑っていない冷ややかな笑みでナディアを見下ろすヴェルドライトの言葉に、全力で同意せざるを得ない。
ナディアは、土にまみれて乱れた髪や、汚れて擦り剝けた肌を気にする余裕もないようで、呆然と、ヴェルドライトを見上げている。
「どうして? どうしてわたしじゃないの? どうして、その女性体なの? 貴方を不幸にするかもしれないのに。 わたしのことだって不幸にした、【疫病神】なのに」
リーファは、胸の奥が鈍く痛んだのに、気づかないふりをする。
今のナディアの姿は、虐げられ、嘆き、訴える、悲劇のヒロインそのものだ。
どちらが悪者か、なんて、確認するまでもない。
「…どうして、リーファを疫病神だと思うかなぁ」
けれど、ナディアを見下ろすヴェルドライトは、面倒くさそうに視線を流して大仰に溜息をついた。
そして、また、ナディアに視線を戻し、ゆるく首を揺らす。
「僕が、大好きなリーファを取り戻すために、邪魔な男性体を排除したとは、思わないの?」
ヴェルドライトは、何、を。
ギョッと目を見開いたのは、リーファだけではなかった。
ナディアの緑柱石の瞳も、これでもかというくらいに見開かれ、色を失った唇が、わなないている。
いや、唇だけでなく、全身が、だろうか。
それに気づかぬはずもあるまいに、ヴェルドライトはここで、麗しく、おだやかでありながら――、いや、だから、だろうか。
ゾッとするような微笑で囁いた。
「疫病神は、誰だろうね?」
ヒュッと、ナディアが息を呑んだ音まで、聞こえるような気がした。
立ち上がる力も残っていないと思われたナディアだったが、火事場の底力とでもいうのだろうか。
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