中指を立てる、7歳を育てています。

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中指を立てる、7歳を育てています。

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77歳の大柄な祖父・トムと、7歳の孫・ヘンリー。 飛行機事故で両親を亡くしたヘンリーは、亡き父と同じ「スチールブルーの瞳」を持つ、プラチナブロンドの美少年。しかしその中身は、スラム街のスラングを操り、気に入らないことがあれば中指を立てる、とんでもない悪ガキだった。

厳格だが孫に甘い祖父、ヘンリーに一方的な恋心を寄せる隣人の少女アンナ。 アメリカの郊外を舞台に繰り広げられる、騒がしくも愛おしい「隔世育児」の物語。

★★★★

週末のショッピングモールは、欲望と喧騒が入り混じった巨大な胃袋のようだ。甘ったるいシナモンロールの香りと、安っぽいポップソングの重低音、そして行き交う人々の絶え間ない足音が、俺の老いた鼓膜を容赦なく叩く。

俺は隣を歩く小さな生き物の存在を確かめるように、視線を落とした。

ヘンリーだ。

俺の孫であり、俺の人生に残された最後の、そしてあまりにも眩しい光。

7歳になったばかりのヘンリーは、同年代の子に比べても少し小柄だ。俺が子供の頃そうだったように。だが、その華奢な体躯からは想像もつかないほどのエネルギーを、プラチナブロンドの髪の下に隠し持っている。

「Grandpa, look at that! It's awesome! 😲✨(じいじ、見てよあれ! すげえ!)」

ヘンリーがショーウィンドウにへばりつく。ガラスに映り込んだその横顔は、北欧の妖精のように繊細で、息を呑むほど美しい。透き通るような白い肌、長い睫毛。そして何より、俺の心臓を毎度鷲掴みにするのが、その瞳だ。

明るいスチールブルー。

鋼鉄の冷たさと、空の青さを混ぜ合わせたような、不思議な色彩。

それは、俺の亡き息子――ジョンの目そのものだった。

ジョンとヘンリーの母親を奪ったあの忌々しい飛行機事故から、もう7年が経つ。赤ん坊だったヘンリーがたまたま俺の家に預けられていなければ、この小さな命も灰になっていただろう。神が俺に与えたのは、慈悲だったのか、それとも息子を失った代償としての重すぎる十字架だったのか、今でもわからない。

ただ一つ確かなのは、77歳になったこの大柄な老体が、この小さな命を守るための盾であるということだ。俺は思春期に爆発的に背が伸び、今では人を見下ろすような大男になったが、ヘンリーを見下ろすときだけは、いつも祈るような気持ちになる。

だが、最近のこの「天使」は、少々扱いが難しい。

「Henry, we're not buying that game. It's too violent. 😑✋(ヘンリー、そのゲームは買わんぞ。暴力的すぎる)」

俺が低く太い声で告げると、ショーウィンドウから離れたヘンリーが、くるりとこちらを向いた。その愛らしい口元が不満げに歪む。

「What the hell? All my friends have it! 😠💨(なんだよそれ? 友達はみんな持ってるのに!)」

俺の眉間皺が刻まれる。どこで覚えてきたのか、最近のヘンリーの言葉遣いはスラム街のチンピラ顔負けだ。賢い頭脳は、スポンジのように善悪問わずあらゆる情報を吸収してしまう。

「Watch your language, son. I won't tell you again. 😠☝️(言葉に気をつけろ。二度は言わんぞ)」

俺が厳しくたしなめると、ヘンリーはふんと鼻を鳴らした。そして、あろうことか、その小さな右手を突き出し、中指を立てたのだ。

周囲の空気が凍りついた気がした。

通りがかりの太った婦人が眉をひそめてこちらを見ている。

ヘンリーのその仕草に、深い悪意はない。テレビかYouTube、あるいは学校の悪ガキ連中から、「不満を表すクールなサイン」としてコピーしただけなのは分かっている。奴の瞳は澄み切っていて、そのジェスチャーが持つ本来の卑猥さや侮蔑の意味など、これっぽっちも理解していない。

だが、だからこそ許しておけない。

俺は無言でヘンリーの腕を掴んだ。

俺の巨大な掌にかかれば、彼の手首など小枝のように折れてしまいそうだ。俺は力の加減に細心の注意を払いながら、それでも逃れられない強さで彼を引き寄せ、モールの喧騒から外れたベンチの方へ連行した。

「Hey! It hurts! Let me go, Grandpa! 😫💦(ねえ! 痛いよ! 離してよ、じいじ!)」

「Sit down. Now. 😡👇(座りなさい。今すぐだ)」

ベンチに座らせると、俺はその前に膝をついた。190センチ近い俺が膝をついても、まだヘンリーと視線の高さは同じくらいだ。

俺はジョンの忘れ形見である、そのスチールブルーの瞳を真っ直ぐに見つめた。かつてジョンを叱ったときと同じように。

「Henry, do you know what that finger means? 🤨(ヘンリー、お前はその指の意味を知っているのか?)」

ヘンリーは俺の真剣な表情に気圧され、少しだけ身体を小さくした。やんちゃな態度は鳴りを潜め、持ち前の賢さが顔を出す。彼は状況を分析し始めたのだ。

「...It means 'I'm angry', right? Like, 'Forget you'. 😟(……『怒ってる』って意味でしょ? 『ふざけんな』みたいな)」

「No. It is much worse than that. It is the filthiest insult you can throw at a person. It shows you have no intelligence, no class, and no respect. 😔👎(違う。それよりもっと悪い意味だ。それは人間に対して投げつけられる、最も汚い侮辱だ。知性も、品格も、敬意もない人間がすることだ)」

俺は声を荒げず、諭すように語りかけた。

ヘンリーは賢い。感情的に怒鳴りつけるよりも、理屈と誇りに訴えかけた方が響くことを俺は知っている。

「You are smart, Henry. You have John's eyes and your mother's kindness. Do you want to be seen as a fool who can only speak with dirty gestures? 🥺(お前は賢い子だ、ヘンリー。お前はジョンの目と、母親の優しさを持っている。汚いジェスチャーでしか話せない愚か者に見られたいのか?)」

息子の名前を出されると、ヘンリーの表情が揺らいだ。

彼は自分の父親を知らない。写真と、俺が語る物語の中でしか、ジョンに会ったことがない。だからこそ、ヘンリーにとって「父親に似ている」と言われることは、何よりも誇らしく、そして重い意味を持つ。

スチールブルーの瞳が潤み、小刻みに揺れた。彼は自分の小さな手を見つめ、ゆっくりと握りしめた。

「...No. I don't want to be a fool. 😞(……ううん。愚か者にはなりたくない)」

「Then don't use it. Ever. You have words. Use your clever brain to explain how you feel. That is what a man does. 😌🤝(なら、二度と使うな。お前には言葉がある。自分の気持ちを説明するために、その賢い頭を使え。それが男というものだ)」

俺は大きく無骨な手で、ヘンリーのプラチナブロンドの頭を撫でた。絹糸のような手触り。この儚く美しい生き物を、俺が死ぬまで、いや死んだ後も守り抜けるように、強く育てなければならない。甘やかすことは簡単だが、それは愛ではない。

ヘンリーは顔を上げ、少し照れくさそうに、しかし真っ直ぐに俺を見た。その顔には、先刻までのふてぶてしさは消え、理知的な光が宿っている。

「I'm sorry, Grandpa. I was just... mad because I wanted that game. 😢(ごめんなさい、じいじ。ただ……あのゲームが欲しくて、腹が立っただけなんだ)」

「I know. Wanting things is fine. But how you handle not getting them decides who you are. 😉(分かってる。物を欲しがるのはいい。だが、手に入らないときにどう振る舞うかで、お前の人間性が決まるんだ)」

俺が立ち上がると、膝の関節が悲鳴を上げたが、顔には出さなかった。俺は若々しくなければならない。この子が大人になるまでは、老け込むわけにはいかないのだ。

「Okay, stand up. We're going. 🙂👉(よし、立て。行くぞ)」

「Where? Home? 😯(どこへ? 家に帰るの?)」

ヘンリーが不安そうに見上げる。俺はニヤリと笑って、彼の小さな手を包み込んだ。

「To the bookstore. I'll buy you a book instead. Something difficult that matches your brain. 😁📚(本屋だ。代わりに本を買ってやる。お前の頭脳に見合う、とびきり難しいやつをな)」

「Ugh... fine. But can we get pretzels too? 😋🥨(げぇ……いいけど。プレッツェルも買ってくれる?)」

「If you promise not to flip off the pretzel guy. 😂(プレッツェル屋の店員に中指を立てないと約束するならな)」

ヘンリーは声を上げて笑った。その笑顔は、亡きジョンの笑顔と重なり、俺の胸を締め付けると同時に、温かい何かで満たした。

俺たちは再び喧騒の中へと歩き出した。

大小二つの影が、モールの床に長く伸びていた。俺の手の中にある小さな手の温もりだけが、この世界で俺を繋ぎ止める唯一の錨だった。

家の私道に重たいSUVを滑り込ませると、俺はようやく長い息を吐いた。エンジンの停止音と共に、モールの喧騒が嘘のように消え去り、郊外の穏やかな夕暮れが戻ってくる。

助手席のドアが勢いよく開き、ヘンリーが飛び出した。

「Finally! Home sweet home! 😆🏠(やっと着いた! やっぱ家が一番だね!)」

俺も重い体をシートから引き剥がし、車を降りる。と、視界の端に小さな影が揺れた。

俺の家のポーチの階段に、ちょこんと座っている少女がいる。

隣の家に住むアンナだ。

「Oh, look who's here. Hello, Anna. 🙂👋(おや、誰かと思えば。やあ、アンナ)」

俺が声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせ、それから恥ずかしそうに立ち上がった。

アンナはヘンリーと同じ7歳。誕生日まで同じという奇妙な縁がある。

だが、この二人はまるで「月と太陽」だ。

ヘンリーがプラチナブロンドの髪と鮮烈なスチールブルーの瞳で、どこにいても周囲の視線を奪う発光体だとすれば、アンナはその影にひっそりと咲く野花のような子供だ。

髪は少し暗めのくすんだブロンド。瞳の色も青だが、ヘンリーのような鋭い輝きはなく、曇り空のような、少し灰色がかったダスティーブルーをしている。鼻の頭には、星座のように細かなそばかすが散らばっていた。

彼女はいつも静かで、気配を消すのが上手い。時々、俺でさえ彼女がそこにいることに気づかないことがあるほどだ。

「H-Hello, Mr. Tom... Hello, Henry. 😳(こ、こんにちは、トムさん……。こんにちは、ヘンリー)」

蚊の鳴くような声。だが、その視線は俺への挨拶もそこそこに、すぐにヘンリーへと吸い寄せられた。

彼女のその眼差しを見て、俺は口元の髭の下で密かに苦笑した。

77年の人生経験があれば、言葉などなくても分かることがある。

アンナのそのくすんだ青い瞳の奥には、ヘンリーに対する熱烈な憧れと、幼いながらも確かな「恋心」が渦巻いているのだ。

だが、当のヘンリーと言えば――。

「Hey Anna! Look what Grandpa made me get instead of the game! It's a book about space physics or something. Can you believe it? 😫📖(よお、アンナ! じいじがゲームの代わりに何を買わせたと思う? 宇宙物理学の本だよ、信じられる?)」

ヘンリーはアンナの乙女心になど、これっぽっちも気づいていない。彼は買ってもらったばかりの分厚い図鑑を、まるで「不幸の手紙」でも見せるかのようにアンナに突き出した。

天才的な頭脳を持ちながら、こと人の機微、特に異性からの好意に関しては、この孫は絶望的に鈍感だ。壁に向かって話しているのと変わらない。

アンナは、ヘンリーに話しかけられたというだけで、頬を林檎のように赤く染めた。

「Wow... Space physics? That sounds... really hard, Henry. But you're smart, so you can read it. 😮✨(わあ……宇宙物理学? すごく難しそう……ヘンリー。でも、ヘンリーは頭がいいから、きっと読めるよ)」

「Right? I mean, yeah, I can read it, but that's not the point! I wanted to shoot zombies! 😤🧟‍♂️(だろ? いやまあ、読めるけどさ、そういうことじゃないんだよ! 僕はゾンビを撃ちまくりたかったのに!)」

ヘンリーは自分の賢さを褒められて満更でもなさそうにしつつも、まだブツブツと文句を言っている。アンナはそのすべての言葉を、まるで聖書の朗読でも聞くかのように真剣に頷いて聞いている。

俺は車のトランクから荷物を出しながら、その微笑ましくもじれったい光景を眺めた。

「Anna, have you been waiting long? You could have knocked on the door. My housekeeper is inside. 🤔(アンナ、ずっと待っていたのか? ドアをノックすればよかったのに。家政婦がいただろう)」

俺が尋ねると、アンナは首を横に振った。

「No, it's okay... I like waiting here. I knew Henry would come back. 😌(ううん、いいの……。ここで待ってるのが好きなの。ヘンリーは帰ってくるって分かってたから)」

健気なものだ。

アンナは、ヘンリーが俺に叱られて不貞腐れている時も、新しい発見をして興奮している時も、いつもこうして静かにそばにいる。ヘンリーが光なら、彼女はその光を誰よりも眩しそうに見つめる、一番の観客だ。

ヘンリーは階段に座り込み、まだ本の包みを開けようともせずに話し続ける。

「And guess what? Grandpa got super mad at the mall because I did this to a mannequin. Well, not a mannequin, just the air, but... 🙄🖕(それにさ、じいじがモールですごく怒ったんだよ。僕がマネキンに向かってこれをやったから。まあ、マネキンっていうか、ただの空気にだけど……)」

おい。

俺は咳払いをして、鋭い視線を送った。

「Henry. Don't show that to a lady. 😠🛑(ヘンリー。レディに向かってそれを見せるな)」

ヘンリーはハッとして、立てかけた中指を慌てて引っ込めた。

「Oops. Sorry, Anna. Grandpa says it means I have no class. 😅(おっと。ごめん、アンナ。じいじ曰く、これやると『品格がない』らしいから)」

アンナは少し驚いたように瞬きをしたが、すぐにふわりと笑った。その笑顔は、地味な顔立ちを一瞬で華やかに変える愛嬌があった。

「It's okay. I won't tell anyone. You're still cool, Henry. Even if you have no class. 😊🤭(いいよ。誰にも言わない。ヘンリーはかっこいいもん。たとえ『品格』がなくてもね)」

「Hey! I have class! I have lots of class! Just... hidden right now! 😲💢(おい! 品格はあるよ! たくさんあるって! 今はちょっと……隠れてるだけだ!)」

二人は笑い合った。

正確には、ヘンリーは自分の冗談に笑い、アンナはヘンリーが笑っていることが嬉しくて笑っている。

俺はため息交じりに、しかし温かい気持ちで彼らを見下ろした。

息子ジョンが死んだとき、俺は世界の色を失ったと思った。だが、こうして新しい命が育ち、不器用ながらに関係を築いていく様を見ていると、人生もそう捨てたものではないと思える。

ヘンリーの輝くようなプラチナブロンドと、アンナの落ち着いたアッシュブロンド。

この二つの頭が並んでいるのを見ると、不思議と安心感を覚えるのだ。ヘンリーの危なっかしい輝きを受け止め、中和してくれるのは、案外こういう静かな子なのかもしれない。

まあ、この鈍感な孫がそのことに気づくには、あと10年はかかるだろうが。

「Alright, you two. Come inside. I'll get some juice. Anna, you can stay for a bit, right? 🙂🧃(よし、二人とも中に入りなさい。ジュースを出してやろう。アンナ、少しならいられるだろう?)」

「Yes! Thank you, Mr. Tom! 😍(はい! ありがとうございます、トムさん!)」

アンナの顔がぱあっと明るくなった。ヘンリーと一緒にいられる時間が延びたことが、何よりのプレゼントなのだろう。

一方ヘンリーは、もう本のことなど忘れたように立ち上がり、先に家の中へと駆け込んでいく。

「Last one inside is a rotten egg! 😆🏃‍♂️(最後に入ったやつは腐った卵だぞ!)」

「Wait for me, Henry! 😄💦(待って、ヘンリー!)」

アンナが慌ててその後を追う。

俺はゆっくりと、二人が開け放ったドアへと歩を進めた。

やれやれ、静かな家も悪くないが、やはり子供の声が響く家の方が、生きている心地がする。

俺は空を見上げた。ジョンの目と同じ色の空は、もう藍色に変わり始めていた。

「見てるか、ジョン。お前の息子は、相変わらず手がかかるが、愛されているよ」

心の中でそう呟き、俺は家の明かりの中へと戻っていった。

リビングルームのソファに並んで座る二人の姿は、一見すると絵本から抜け出したような愛らしさだ。プラチナブロンドとアッシュブロンド、二つの小さな頭が寄り添い、アンティークのテーブルには空になったオレンジジュースのグラスが二つ。

だが、そこで繰り広げられている会話の内容は、決して絵本向きとは言えない。

「So, listen to this. Did you know that when a fly lands on your food, it vomits on it first? Like, BLECH! And then it slurps it up! 🪰🤮(でさ、聞いてよ。ハエが食べ物に止まる時、最初にその上にゲロを吐くって知ってた? 『オエッ』って感じで! それからそれをすするんだぜ!)」

ヘンリーは身振りを交えて、ハエの消化プロセスを熱心に解説している。その美しいスチールブルーの瞳をキラキラと輝かせて語る内容は、あまりにも汚い。

俺は新聞を広げながら、新聞紙の陰で顔をしかめた。

賢いのは結構だが、その知識の使い方が間違っている。7歳の男の子にとって「汚いもの」「グロテスクなもの」は蜜の味だというのは分かるが、それを女の子相手に嬉々として話す神経が分からない。

「Henry, that is disgusting. Not at the table. 😑🗞️(ヘンリー、胸が悪くなる話だ。テーブルではよせ)」

俺がたしなめても、ヘンリーは止まらない。

「But it's science, Grandpa! And wait, Anna, there's more. Cockroaches can live for a week without their heads! 🤯🪳(でも科学だよ、じいじ! 待ってアンナ、まだあるんだ。ゴキブリって頭がなくても一週間生きられるんだぜ!)」

普通なら悲鳴を上げて逃げ出すような話題だ。だが、アンナは違った。

彼女は少しも嫌そうな顔をせず、むしろヘンリーが自分に話しかけてくれているという事実だけで、この世の春を謳歌しているような顔をしている。

「Really? That's... wow. You know so many things, Henry. You're like a walking encyclopedia. 😍✨(本当? それは……すごいね。ヘンリーはいろんなことを知ってるのね。歩く百科事典みたい)」

「Right? I read it in a book! Isn't that cool? 😤👃(だろ? 本で読んだんだ! クールじゃね?)」

ヘンリーにとってアンナは、ただの「話のわかる親友」だ。

男だとか女だとか、そんな境界線は彼の頭の中には存在しない。自分の知った面白い(そして下品な)知識を共有し、「すげー!」と言ってくれる相手なら、誰だっていいのだ。彼にとってアンナは、学校の悪ガキ仲間と同じカテゴリに分類されている。

アンナが自分に向ける視線に込められた、淡いピンク色の感情など、この鈍感な天才児には見えていない。彼に見えているのは、自分の話を聞いてくれる都合の良い耳だけだ。

ひとしきり昆虫のグロテスクな生態について語り終えると、ヘンリーは唐突に飽きたようだった。彼はソファの上で落ち着きなく身をよじると、何かを思い出したようにアンナの方を向いた。

「Hey, is Mike home right now? 🤔🎮(ねえ、今マイクは家にいる?)」

マイクはアンナの兄だ。15歳の高校生で、少しぶっきらぼうだが面倒見のいい少年だ。

ヘンリーはこのマイクに遊んでもらうのが大好きだった。7歳のガキにとって、15歳の兄貴分というのは、一種の英雄のような存在なのだろう。彼が持っているゲーム、彼が話す高校生活の話、そのすべてがヘンリーにとっては輝いて見えるのだ。

アンナの表情が、ほんの一瞬だけ曇ったのを俺は見逃さなかった。

せっかくヘンリーと二人きりでおしゃべり(内容はハエのゲロだが)を楽しんでいたのに、彼のお目当てが自分ではなく兄に移ってしまったことへの、微かな失望。

だが、健気な彼女はすぐに笑顔を作った。

「Yeah... Mike is in his room. He was playing guitar, I think. 🙂🎸(うん……マイクは部屋にいるよ。たぶんギターを弾いてたと思う)」

「Guitar?! Awesome! I wanna see! Let's go to your house! 🤩⚡(ギターだって?! すげえ! 見たい! アンナの家に行こうぜ!)」

ヘンリーはソファから飛び降りた。

俺の方を振り向きもしない。マイクのギターという新しい刺激に、彼の好奇心は完全に奪われている。

「Grandpa! I'm going to Anna's! I need to ask Mike about... rock and roll stuff! 😁🤘(じいじ! アンナん家行ってくる! マイクに……ロックンロールのこと聞かなきゃなんないんだ!)」

「Hey, hold on. Did you ask Anna if that's okay? 🤨(おい、待て。アンナにいいか聞いたのか?)」

俺が言うと、ヘンリーは当然だろと言わんばかりにアンナを見た。

「It's okay, right? Come on! 😃(いいよな? おいでよ!)」

言うが早いか、ヘンリーはアンナの華奢な手をガシッと掴んだ。

ロマンチックな手繋ぎではない。まるで散歩に行きたがっている大型犬が、飼い主の手を強引に引くような、力のこもった握り方だ。

「W-Wait, Henry! 😳💕(ま、待って、ヘンリー!)」

アンナが驚きの声を上げる。

ヘンリーに手を握られた。その事実だけで、彼女の顔は一瞬で茹で上がった。引っ張られる勢いによろけながらも、彼女の口元が緩むのを俺は見た。

兄貴目当てだとしても、下品な話の後だとしても、ヘンリーに手を引かれるなら、彼女は地獄へだって喜んでついて行くだろう。

「Be careful! Don't drag her! 😓⚠️(気をつけろ! 引きずるんじゃない!)」

俺の声が届いているのかいないのか、ヘンリーはグイグイと彼女を玄関の方へと引っ張っていく。

「Mike! Mike! Mike! 😆🏃‍♂️(マイク! マイク! マイクー!)」

連呼しながら飛び出していく小さな背中を見送り、俺はやれやれと息をついた。

隣の家だ、まあいいだろう。マイクもいい奴だ、きっと適当にあしらいつつも遊んでくれるに違いない。

しかし、あの子――アンナの前途多難さには同情せざるを得ない。

あんな嵐のような男の子に恋をしてしまったのだ。

手を引かれて走り去る二人の後ろ姿は、はた目には仲の良い幼馴染のカップルに見えるかもしれない。だがその実態は、獲物を見つけた猛獣と、それに必死でしがみつく飼育員だ。

「Good luck, Anna. You're gonna need it. 😅🙏(幸運を祈るよ、アンナ。君にはそれが必要だ)」

俺は誰もいないリビングで独りごちて、再び新聞に目を落とした。静寂が戻ってきたが、遠くからヘンリーの甲高い笑い声が微かに聞こえた気がした。

キッチンで夕食のシチューをかき混ぜていると、玄関のドアが勢いよく開く音が響き渡った。まるで突風が吹き込んだみたいに。

「Mike! Are you home?! 😆🚪💥(マイク! いるかー?!)」

我が家の静寂は、この小さな「台風」によって一瞬で吹き飛ばされる。

私は思わず苦笑しながら、エプロンで手を拭いてリビングへと向かった。

そこに立っていたのは、いつもの彼――お隣のトムさんの孫、ヘンリーだ。

夕陽を背負った彼は、本当に発光しているかのように美しい。

透き通るようなプラチナブロンドの髪、そしてあざといほど長い睫毛に縁取られた、あのスチールブルーの瞳。7歳にしてこの完成度なのだから、将来どれだけの女の子を泣かせることになるのか、想像するだけで恐ろしい。

「Hi, Mrs. Miller! Smells good! 😋🍲(こんにちは、ミラーさん! いい匂い!)」

ヘンリーは天使のような笑顔で私に挨拶をしたかと思うと、すぐに視線を階段の方へ戻した。

その右手には、しっかりと――いや、乱暴なほど強く――私の娘の手が握られている。

「Anna, where's Mike? Call him! 😤📢(アンナ、マイクはどこ? 呼んでよ!)」

私は娘のアンナを見た。

引っ張られて息を切らせているアンナは、少し乱れたアッシュブロンドの髪を直すことも忘れて、ヘンリーに握られた自分の手をうっとりと見つめている。

「He... he's upstairs, Henry. Wait here. 😳💓(マイクは……二階だよ、ヘンリー。ここで待ってて)」

アンナの顔は、茹でたての海老みたいに真っ赤だ。

そばかすの散る頬が紅潮し、くすんだ青い瞳が熱っぽく潤んでいる。

あぁ、もう。

母親の私から見れば、娘の気持ちなんてガラス張りみたいに丸見えだ。

アンナは静かで目立たない子だけれど、感情のすべてをこの小さな胸に秘めている。そしてその感情の矛先は、物心ついた時からずっと、この騒がしくて美しい隣人の男の子に向いているのだ。

でも、悲しいかな。

当のヘンリーは、パッとアンナの手を離した。まるで用済みになった道具を置くみたいに無造作に。

「Okay! MIKE! Come down! I need to see the guitar! 🤩🎸(オーケー! マイク! 降りてきて! ギター見せてよ!)」

手を離されたアンナは、少し寂しそうに、でもヘンリーの体温が残る手を大切そうに胸の前で握りしめた。

その健気で痛々しい姿に、私は胸がキュッとなる。

(アンナ、あなたが選んだ相手は、ちょっと難易度が高すぎるわよ……😅💦)

ドスドスと重たい足音がして、息子のマイクが二階から降りてきた。

15歳のマイクは、ニキビ面の不機嫌な高校生だが、なんだかんだでヘンリーには甘い。

「Yo, Henry. Stop shouting. You're gonna break the windows. 😒🎧(よう、ヘンリー。叫ぶなよ。窓ガラスが割れるだろ)」

マイクが気だるげに言うと、ヘンリーの瞳がさらに輝きを増した。

「Mike! You're so cool! Grandpa bought me a book about space, but it's boring! I wanna rock! Teach me how to spit like a rockstar! 🤩🤘(マイク! お前って最高にクールだ! じいじが宇宙の本を買ってくれたんだけど、超退屈なんだ! 僕はロックしたいんだよ! ロックスターみたいにツバを吐く方法を教えてくれよ!)」

「...Don't spit in the house, dude. Mom will kill me. 😑💧(……家の中でツバを吐くなよ、お前。母さんに殺されるぞ)」

マイクは呆れつつも、まんざらでもない顔をしている。自分を崇拝してくれる小さなファンがいるのは、悪い気分ではないのだろう。

ヘンリーはマイクの周りをちょこまかと飛び跳ね、学校で覚えたばかりの下品なスラング(トムさんが聞いたら卒倒しそうな言葉だ)を得意げに披露している。

「And then I said, 'Eat my shorts!' Isn't that hilarious?! 😂🩳(でさ、『パンツでも食ってろ!』って言ってやったんだ! 超ウケない?!)」

「Yeah, yeah. Very funny. You're a menace, kid. 😏(はいはい、傑作だな。お前は厄介なガキだよ)」

そんな男同士の会話(?)の蚊帳の外で、アンナはソファの端にちょこんと座り、幸せそうに二人を眺めている。

ヘンリーがマイクに向けているキラキラした視線を、アンナはヘンリーに向けているのだ。食物連鎖のような一方通行の憧れ。

「Do you want some cookies, Henry? Anna? 🍪🙂(クッキー食べる? ヘンリー、アンナ?)」

私が声をかけると、ヘンリーが振り返った。

「Yes please! The ones with chocolate chips? You make the best cookies, Mrs. Miller! Not like Grandpa's burnt toast! 😆🍞(うん、ちょうだい! チョコチップのやつ? ミラーさんのクッキーは世界一だよ! じいじの黒焦げトーストとは大違いだ!)」

こういうところだ。

無邪気で、残酷なほど正直で、そして憎めない。

「じいじ」の悪口を言いながらも、彼がトムさんを大好きなことは知っている。トムさんがどれだけ苦労して、愛情深く彼を育てているかも。

私はクッキーの皿をテーブルに置いた。

ヘンリーは汚れた手で一番大きなクッキーを掴み、口いっぱいに頬張る。

アンナは、ヘンリーが食べこぼしたクッキーの欠片を、そっとティッシュで拾ってあげている。

「You have crumbs on your face, Henry. 😊(顔に粉がついてるよ、ヘンリー)」

「Mmph? Thanks, Anna! 😋(んぐ? サンキュ、アンナ!)」

ヘンリーは気にも留めず、すぐにまたマイクの方へ向き直る。

「Hey Mike, can zombies play guitar? 🧟‍♂️🎸(ねえマイク、ゾンビってギター弾けるの?)」

私はアンナの頭を優しく撫でた。

彼女のくすんだ青い瞳が、私を見上げる。そこには「ヘンリーって最高でしょ?」とでも言いたげな誇らしさが滲んでいた。

まったく、この子は。

ヘンリーは美しくて賢いけれど、嵐のような子だ。巻き込まれたら怪我をする。

でも、アンナはその嵐の中にいるのが心地いいらしい。

「Okay, boys. Keep it down a little. Mr. Tom might hear you from next door. 😉🤫(はいはい、男の子たち。もう少し静かにね。トムさんに隣から聞こえちゃうわよ)」

「Grandpa has super ears! He hears everything! 😱👂(じいじは地獄耳なんだ! 何でも聞こえちゃうんだよ!)」

ヘンリーが大げさにすくみ上がり、マイクとアンナが笑う。

静かだったリビングが、温かな騒音で満たされていく。

私はキッチンの窓から、隣のトムさんの家をちらりと見た。

きっとあの大きな体の老人は、今頃やっと訪れた静寂に安堵しながらも、この騒がしい孫が帰ってくるのを時計を見ながら待っているに違いない。

「ゆっくりしていきなさいね、小さな台風さん」

心の中でそう呟いて、私はシチューの鍋に戻った。この子たちが大人になる頃、この関係はどう変わっているのだろう。

願わくば、私の娘の小さな恋心が、いつかあの鈍感な天才児に届きますように。……まあ、あと10年は無理そうだけど。
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