妖之剣

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9、夜月2

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「ここ、は……俺の、部屋か?」

 意識を取り戻した明久の視界に、見慣れた自分の部屋がうつる。
 どうやら布団に寝かされていたようだと気づいた明久は、そのまま起き上がろうとした。するとひどい激痛を感じ、低くうめいた。
 痛みで目がくらみながらも改めて周囲を眺めると、初音、篝、そして夜月がそばに座っていた。

「目が覚めた?」

 初音は言いながら明久の顔を覗きこんできた。心配そうな顔色をしていた。

「動いたらダメよ。あんたの肩砕けちゃってるみたいだから」

 篝に言われて、確かに激痛は左肩から湧き出ていることを確認する。

「お前たちが俺をここに運んだのか?」
「まあね、感謝しなさいよ」
「……ああ、助かった。ありがとう」
「あ……う、うん、どういたしまして」

 篝の言葉に素直に感謝を示すと、彼女は面食らったように頬を染めた。

「……なぜ、俺を助けた?」

 明久の疑問はもっともだった。彼女たちは何か理由があって倉本家から逃げ出した妖刀である。
 初音と篝に打ち勝って彼女ら二振りの妖刀の主になったとはいえ、その繋がりがどれほどのものか明久には分からない。しかし夜月に敗北した今、妖刀の主という立場を失ったとしても不思議ではなかった。

「……色々あるのよ、こっちには」

 篝の言葉はそっけないものだった。何かを隠しているような雰囲気を感じたものの、問いただす気にはなれなかった。
 それは、敗者という意識があったからかもしれない。不様にも敗北した己を見捨てず手当までした彼女たちに探りを入れるのは、さすがに失礼だと思ったのだ。

「……い、一応言っておくけど、あんたはまだあたしと初音の主には違いないわ。夜月に負けたからといって、それは変わらないから」

 篝は、明久を慰める様にそう言った。

「あんた、二時間も気を失ってたのよ。まったく、夜月は容赦ないんだから」
「当然です。真剣勝負ですから」

 ちょっと怒ったような篝に対して夜月は一歩も引かず、冷たく言い放った。

「肩が砕けているだけということは……斬られてはいない、のか?」
「……ええ、みねうちですませてあげました。どうやらあの時の記憶があまりないようですね」
「気が付けば吐きそうなほど痛かったからな。どうもその後すぐ気を失ったようでもあるし」
「その痛みは自身の愚かさへの戒めと取るといいでしょう」

 痛みでえづく明久を見すえながらも、夜月はそっけない態度だった。

「……さすがにあたしたちも、あの状況で寸止めしたのはおかしいと思うわ」

 篝は心底呆れた様に肩をすくめた。

「明久、あんた今まで半妖たちと何度か斬り合ったって言ってたけど、もしかして毎回みねうちや寸止めをしてたってわけ?」
「……そうだ」
「呆れた……あんた良く今まで生きてこれたわね」
「そういう性分だ。しかたない」
「しかたないって……はぁ」

 言葉も出ないとばかりに溜息をつく篝。そばにいる夜月は、意外にも少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「ではあなたが大怪我したのも、しかたないと言えますね」
「夜月、意地悪しないのっ」

 篝にたしなめられても、夜月は得意げな笑みを明久に向けていた。

 ――最初の印象とは違う……冷徹かと思いきや、情緒は他の二人と同じくらいあるのか。

 どうやら妖刀夜月はこれで中々、軽口を叩く余裕を持っているらしい。おそらくは姉妹剣である初音と篝がそばにいるため、本来の彼女らしさが出てきているようだった。

「お兄ちゃんは優しいんだね」
「いや、そうじゃない、ただ俺は……誰かを斬るのを恐れているだけだ」
「そのようですね。私に対して寸止めする時のあなたの顔……鬼気迫るものがありましたよ」

 夜月は先ほどの立ち合いを思い返していたのか、突然憮然とした顔になる。

「まったく、無礼な男です。あれでは手加減されたようで不快です」
「……すまない」

 明久の言葉が意外だったのか、夜月は目を丸くした後呆れたように溜息をついた。

「怪我をした上に勝ちを譲った相手に謝るくらいなら、あのようなことなどしなければよいのです」

 夜月はいったん口をつぐんで、神妙な調子で口を開いた。

「……本当にこの男が私たちの協力者になると思っているのですか?」

 夜月が初音と篝に向けて言った。その言葉に、明久は怪訝な表情をする。

「だから言ってるでしょ。笹雪家の現当主よ明久は。事情を知ればきっとあたしたちに協力してくれるわ」
「私もそう思うよー」
「笹雪家……」

 夜月がふむ、と考え込むように顔を伏せる。

「思い出しました、妖を斬る家系でしょう? ですが今はあの倉本の飼い犬ではないですか。協力するとは思えません」
「だから事情さえ分かってくれれば……!」
「その事情を話せば、私たちの首が締まる可能性もあります。現に彼は今、倉本の要請で私たちを集めているのでしょう?」
「……さっきからお前たちは何を言っているんだ?」

 口論になりかけたのを止める様に、明久は横から口をはさんだ。

「どうも俺が協力者になるのかどうかを話しているようだが、さっぱり理解できない。いったいお前たちの目的はなんだ?」
「それは……」

 初音が珍しく暗い顔をして言いよどんだ。彼女は篝と夜月の顔をうかがうように目を向ける。
 夜月は溜息を一つつき、仕方ないですねと小さく呟いた。

「いいでしょう。あなたを笹雪家現当主と見込んで、私たちの目的を話します」

 夜月は明久をじろりと見た。その瞳が、聞く覚悟はあるのかと言っているようだった。
 明久は無言で夜月の金色の瞳を見つめ返した。数秒二人の視線が絡み合って、夜月は目をつぶって視線を切り、口を開いた。

「私たちの目的は、倉本豊後を斬ることです」
「なっ……!?」

 あまりのことに、明久は一瞬言葉を失った。

「な、なぜ倉本様を……?」
「理由は、あたしたちが妖を斬るために存在している妖刀だから……意味が分かるかしら?」
「……!」

 背筋に何かが這い回るような気がして、明久は身を竦めた。這い回るのは今まで彼の中に押しとどめていた疑念である。
 篝の言葉を切欠に、明久は倉本への疑念と直面せざるをえなかった。

「ま、まさか倉本様は……」
「そうよ、倉本豊後は人間じゃない。妖よ……おそらく二年以上前からね」
「バカな……!」

 思わず起きあがって、たちまち目もくらむ激痛にさいなまれる。それを必死で耐え、篝たちの目を真っ直ぐ見つめた。
 初音も篝も夜月も、澄んだ目をしていた。とても嘘をついている目には見えない。

「ありえない……倉本様が……」

 呆然と明久は呟いた。しかし、心の中で本当にそうだろうかとささやく声がする。
 明久は、ふと家族を無くした経緯を思い出した。その時に感じた違和感も。
 心の奥底に隠していた疑念が、冬眠から覚めた蛇のようにむくりと頭をもたげてくるようだった。

 倉本を疑うべきではない。そう明久は必死で考えた。
 家族を失った明久を今日まで目にかけてきたのは、倉本だったはずだ。彼がいなければ、こうして笹雪家当主の座に落ち着くのにどれほど時間がかかったことだろう。
 生活費についても、倉本が積極的に明久に仕事を依頼していたからなんとかなっていたはずだ。まだ若輩者の明久に、半妖退治や妖刀収集の依頼などそう来るはずがないのだ。

 何を信じればいいのか分からず、明久はしばし言葉を無くしていた。そんな彼に、夜月が冷たい声をかける。

「信じないというのなら、別に構いません。もとより私たちはあなたの手助けなど必要では……」
「いや、必要でしょ」
「私たちだけじゃ勝てないから、協力者を探そうってあの家から逃げて来たんでしょー?」
「……ま、まあ、そうですけど……」

 篝と初音に鋭く言われて、夜月は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「お前たちは俺に、倉本様を倒す手伝いをしろと言いたいのか?」

 ようやく彼女たちの考えが分かった。この妖刀たちは明久を協力者として倉本を討ち取るつもりなのだ。

「悪い話じゃないはずよ。このままだとあんたはあいつの都合の良い手下になる。きっとそのうちあんたの存在が不要になり切り捨てられるわ」
「……そんな、ことが……!」
「倉本豊後は、お兄ちゃんが思ってるような人ではないよ……?」

 あの初音ですら、倉本に対してはこのような態度だった。

 ――そうなのか? 俺は今まで倉本様に騙されていたというのか……?

 あるいは、この妖刀たちが騙そうとしているのか……そう考えた明久は、だがそんなことはありえないと、自然とそう思った。
 頭を働かせようとしても、砕けた肩がひどく痛み思考を邪魔してくる。

「まあ、今は休んだらどうです。その傷で考えをまとめるのは難しいでしょう」

 明久の表情から彼の苦悶を察した夜月が、意外にも優しく言葉を紡いだ。
 気をつかわれていると察した明久は、思わず笑みを零した。もしかすると、肩を砕いたことを気に病んでいるのだろうか。
 そう思ってみると、底冷えするようなその金色の深い目もどこか優し気だった。

「……そうだな。お前に斬られた傷がひどく痛む」
「そんな恨みがましく言うのはやめてください」

 夜月は全く表情を変えずに、悪びれることもなく言った。しかしどこかツンとささくれだった気配を見せる。

「あれは、尋常な決闘でした」

 余計な軽口だったか、と明久は自省した。どうやら明久の言葉で少し気分を害してしまったらしい。
 夜月は初音とも篝とも違った性格だとはっきり理解でき、三者ともに独立した自我をしっかり持っていることに明久は少々驚いていた。

 ――妖刀の方が、人間などよりもずいぶん人間らしいじゃないか。

 自然とそんなことを考えてしまったのは、倉本のような本心がどこにあるのか分からない者と身近に接していたからだろうか。
 ひとまず明久は、ことの次第を隅におおいやることにした。それは現実を受け入れようとしない逃避であったが、肉体が傷ついている今、目の前にふってわいた真実に直面するには彼はあまりにももろすぎた。

 あげていた上体を布団の中に戻すと、言いようのない安息に包まれる。体の力が地に吸い込まれていくようで、代わりに布団の温もりが体に染みわたっていくようだった。

「肩が砕けているとなると、完治まで大分かかるか……」
「ううん、お兄ちゃんは私と篝ちゃんの主だから、その程度の怪我ならすぐに治ると思うよ」
「……そうか、妖刀の主になれば、体が妖と同一の物になるんだったな。どれくらいで治るか分かるか?」
「二週間程度じゃない?」

 篝はそう言った後、多分ね、と付け加える。
 肩の具合を考えるに、本来完治まで数か月ほど必要なはずだが、それが二週間ですむとは、驚くほどの治癒力だった。

「ま、あんたの傷が治るまで身の回りのことはあたしたちでやってあげるわよ。倉本とのことは……あんたが全快した後で聞かせてくれればいいわ」
「それまで考えをまとめておけということか」
「……ちょっと、誰もそんなこと言ってないわよっ。大人しく何も考えずにあたしたちに世話されてなさい」

 拗ねる様に顔を背けたところを見ると、本当にそんな意図はなかったようだ。
 初音は篝をなだめつつ明るく口を開いた。

「じゃあ早速篝ちゃんとご飯作ってくるから、夜月ちゃん看病お願いね」
「え!?」

 思いがけない言葉に、夜月は泡を食ったように驚いていた。

「わ、私がこの男の看病を!?」
「だってそいつに重症負わせたの夜月でしょ?」
「そ、それはそうですが……」
「夜月ちゃん、お兄ちゃんを傷物にした責任はちゃんと取らないとダメだよ」
「な、なんですか、その言い方は……」

 夜月がそれ以上何か言う暇もなく、ふすまをぴしゃりと締めて二人は明久の部屋から出ていった。
 夜月は所在なさげに部屋を見渡した後、明久を見た。

「二人に言われたのでしかたありません。私が看病してあげましょう」
「……看病、できるのか?」

 なんとなく不安になってしまい、明久はそう聞いた。

「当然です」
「そうか……」
「……」

 夜月がじいっと明久を見つめ続ける。
 その金色の瞳に延々見られると、得体のしれない圧力を感じて傷を癒すどころではなかった。

「なあ、そんなに凝視する必要はないだろう?」
「いえ、看病ですから目を離すことはできません」
「……看病をなんだと思っているんだ?」

 この肩の怪我ではろくに動く事もできないため、明久はただ横になっているしかない。
 そんな彼を夜月はただただ見つめ続けていた。

 ――お、落ち着かん……。

 看病どころか、このままでは心が休まらず怪我が悪化しそうだった。
 そのまま二人とも無言で過ごし、数十分が経った頃。部屋のふすまが開けられ、湯気が立つ皿を持った篝がやってきた。思っていた以上に早く夕食ができたようだ。

「はい、とりあえず明久用のおかゆができたから食べさせといて。あたしたちの分はもうちょっと豪勢にするから」
「おい……」

 さも当然そうに言う篝に、明久は思わず抗議した。
 篝はにやりと笑った後、熱い皿を夜月に渡してさっさと部屋から出ていった。

「では……」

 夜月は湯気が立つ程熱いおかゆをレンゲですくい、数度息を吹きかけて明久の口元に持っていく。

「どうぞ」
「……なんのつもりだ」
「見ての通り食べさせてあげようかと」
「……自分でできる」
「おや……」

 無表情な夜月の口元が、ほんの少しだけつり上がった。

「もしかして、照れているのですか?」
「……」

 明久は答えなかった。ただ苦々しい表情をした。

「自由が聞くもう片方の手を使って食べるというのなら、止めておいた方がいいですよ。今は少し動くだけで痛むはずです」
「……先読みをするな」

 まさに今、右腕だけで食べられると言うところだった。

「初音も篝もいないのですから、気にすることはないでしょう」

 夜月がくすりと笑った。普段無表情な分、その微笑みはどこか妖しい魅力を持っていた。

「……」

 明久はしかたなく口を開け、夜月が差し出すレンゲを受け入れた。

「いい子です」
「うるさい」

 生きた年は彼女がはるかに上なのだろうが、見た目が自分よりはるかに下な少女にからかわれるのは精神的にきついものがあった。
 その羞恥から逃げる様におかゆを咀嚼する。しかし噛めども噛めども何の味もしなかった。

「味が無さすぎる」
「私に言われても……」

 初音たちが作ってくれたおかゆは、炊いた米を水で煮ただけの工夫がないものだったらしい。
 食欲が落ちている病人ならともかく、怪我をしているだけで食欲は人並みにある明久には満足いかない代物だった。
 味はない。食べさせられるたびに恥ずかしい。もはやこの食事のなにを楽しめばいいというのか。

 明久は肩の痛みも忘れて無心で夜月に餌付けされていった。夜は段々と更けていく。
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