妖之剣

アーチ

文字の大きさ
16 / 20

16、闇夜を照らす月明かり2

しおりを挟む
「なぜ……逃げなかった」
「あなたを置いて逃げるなど、ありえない選択です。明久」

 膝と手を地面について死を迎えようとしている明久を慮るように、夜月は優しく言葉をかけた。

「逃げて私に相応しい使い手を探せなど……やはりあなたは愚かな人間というほかありません」

 くすりと夜月は笑った。

 矢上は一歩も動けずにいた。明久が命を賭けて逃がしたはずの妖刀が目の前にいる。明久を助けるために彼女は逃げなかったのだ。
 本来ならその選択を愚かと断じて妖刀を捕縛しなければいけない。だが、矢上は膨れ上がる警戒心のせいで身動きが取れなかった。

 夜月は矢上の顔をちらと見ただけで、すぐに明久に視線をうつした。もはや矢上のことなど意中にもないと言うように。

「私に相応しい使い手ならば、今目の前にいます……ですから、逃げる必要などありません」

 夜月がしゃがみこみ、地に伏せかける明久と目線を合わせる。
 吸い込まれそうな金色の瞳。鼻と鼻が擦れるほど近くに夜月の顔がある。彼女の吐息すら遠くなった耳に聞こえてくる。

「あなたは……私の主に相応しい方です。あなたが望むなら、我が心も我が肌も全てをあなたに預けましょう。笹雪明久、あなたは、私を受け入れてくれますか?」

 死にかけの心の臓が、跳ね上がった。まるで生命の息吹をかけられたかのように、止まりつつあった心臓が力強く鼓動を開始する。

「私の名前を呼んでください。そうすれば私は……あなたを、ただ一人だけの主と認めましょう」
「……夜、月」
「はい、明久」

 夜月の小さい手が明久の手を包み込む。

 このままではまずい。一連の光景を見ていた矢上は、ようやく事態が自分に対して喜ばしくない方に流れて行ってると理解して、暗器を投擲した。
 明久の喉を狙った暗器は、だが夜月がその手で掴み止めた。夜月の手の平が裂け、一筋血が流れる。それでも夜月は矢上を一瞥すらしなかった。

 何かが変わる。明久はそう感じた。自分の中の何かが変わっていく。しかしその変化は決して恐ろしいものではなかった。
 力が満ちる。妖刀夜月の主となったことで、明久は彼女と繋がったのだ。
 妖刀である夜月と人である明久が結んだ繋がりは薄く儚いが、非常に強固なものであった。

 その絆は、致命傷だった傷すらを塞いでいく。今妖刀三振りの主となった明久は、その体を変質させつつあった。
 人でありながら、妖の体に……しかし倉本とは違う。妖刀との間にある絆が、彼を彼女たちと同じ体にさせている。
 それは、四人の命が繋がったともいえる。彼と彼女たちは他人であるが、肉親よりも強い繋がりを得たのだ。

 夜月の姿が目の前から消える。否、夜月はもう明久の手の中にあった。妖刀夜月。月光を照り返す、妖を斬る妖刀。
 明久は立ち上がり、夜気を斬り裂くように一刀を抜き払った。
 鋭い風切り音が闇に響く。後に残ったのは凛とした静寂だけだった。

「明久ぁ!」

 ようやくこの事態を理解した矢上は、怒声をあげて暗器を数本投擲した。
 明久は投げつけられる暗器の軌道を読み取り、暗器に目もくれずに矢上に詰め寄る。
 それは自然と肌を撫でる秋風のような、淀みのない動きだった。矢上は暗器の数々を避けた明久が己の懐に迫った頃に、ようやく彼が一刀を閃かせているのに気付いた。

「ぐあぁっ!?」

 一瞬の交錯の後、矢上の左腕が地に落ちていた。一歩で急激に間合いを詰め、続く一歩で放った右脇構えからの斬り上げが、矢上の左腕を断ったのだ。
 斬られた左腕を抑えて地に膝をつく矢上に構わず、明久は血ぶりをした。
 明久は空を仰ぎ見た。先ほど見た時よりも、光に溢れている気がする。

「行こう、夜月」
『……はい、我が主』

 どこか虚空から聞こえる妖刀夜月の声音。本体である刀となった彼女の凛とした響きは、刀の冷気を感じさせる。

「ま、待て、明久……!」

 この場から去ろうとする明久を矢上が呼び止めた。

「なぜ、俺にとどめを刺さない……!」
「……俺が斬るべきは妖、倉本豊後ただ一人。矢上、お前ではない」
「は、はは……そうか、妖以外斬るつもりはない、か……半妖の俺など、眼中にすらないと言いたいのだな。くく、さすがは退魔の剣客と言ったところか」
「いや」

 自嘲する矢上を遮る様に、明久はどことなく虚しそうにかぶりを振った。

「お前を斬る気にはなれないだけだ」
「な……に?」
「お前が半妖だとか、そういうことは関係なく……俺はお前を親友だと思っていた。道を違えたとしてもだ」

 矢上は呆然と明久を見ていた。
 明久は少し迷った後、すぐに矢上に背を向け笹雪邸から立ち去った。矢上には矢上なりにその命を賭けるべき目的があった。それを知ってなお、彼にこれ以上の言葉をかけることはできない。
 半妖を解放するために戦っていた矢上と、人でありながら妖刀の主となり、その体を妖と同一にした明久。二人の道はきっともう、まじわることはない。

 明久の道が交わる先は、一つだった。同じく人でありながら妖へと成り果てた、倉本豊後。彼を討ち果たすことが明久の目指す場所である。
 それは、倉本の計略で奪われた家族への復讐でもあり、この手にある妖刀夜月、そして初音や篝の望みを果たすためでもある。
 妖を斬る妖刀。その主になったのだから、明久もまた、妖を斬らねばならない。もとより、笹雪家の人間とはそういうものだ。

 だがそれは、倉本の計略によって否応もなく退魔の剣客に甘んじていた今までとは決定的に違う。明久自身が選んだ運命だった。

『明久……彼を斬らなくてよかったのですか?』

 刀の姿のまま明久に握られていた夜月は、躊躇するように聞いた。

「ああ、必要ない」
『ですが……遺恨を残すかもしれませんよ』
「だとしても、俺は矢上を斬る気にはなれない」

 夜月はそのまま押し黙った。それは頑固な明久の態度に諦めたというよりも、主がそう決めたのならばそれでいいという信頼によるものだった。
 話題を変える様に、明久は夜月に問いかける。

「このまま倉本を斬りに行く。問題はないか?」
『一つ、心に置いてください。一時的に治癒力を高めあなたの傷は塞ぎましたが、失った血と体力は回復していません。もしもう一度あのような怪我を負ったら、今度は助かりません』
「分かった、気をつけよう」
『あと一つ……我ら妖刀との繋がりによりその肉体を妖のようにしても、真の妖となった倉本には大幅に劣っています。たとえ、あなたの体調が万全だったとしても』
「ああ、分かっている。だが、それはもう問題ではない」

 なんの気負いもなく、明久は言った。

「剣と剣の勝負なら、身体能力の差はただの条件だ。力で劣っているのなら、それに勝る技を用意すればいい」
『……ええ、今の私とあなたなら、倉本相手にも勝機はあります』

 少し沈黙した後、夜月が続ける。

『明久、私が以前敵は倉本だけではないと言ったのを覚えていますか?』
「ああ、そういうことを言っていたな」
『おそらくですが、倉本豊後が妖となったのも奴のせいです』
「……奴、とは?」
『一言でいうのなら、アクイでしょうか』
「アクイ……悪意、ということか?」
『はい、奴にはっきりとした名前など無いのです。分かることは、あれは悪意の塊だということだけ。……ですから私たちはあれを、アクイと呼んでいます』

 夜月の言うことは少しとりとめが無く、明久はどう言ったものかと言葉を探した。
 しかし夜月は、殊更強い語調ではっきりと言った。

『あれは、あの妖は、あるいは人類の敵と言ってかまわないでしょう。私たちは妖を斬る妖刀。奴は斬らなければいけません』
「……どちらにせよ、倉本を斬ればそのアクイという奴の正体も分かるのだな?」
『ええ、奴は倉本の影に潜んでいるはずですから、そう考えて問題ありません』

 結局、倉本を斬ることには変わりなかった。だが彼の背後に夜月でさえ警戒する忌まわしい妖が潜んでいるのなら、油断はできない。

『あれからかなり時間が経ちましたが……まだ初音や篝との繋がりは切れていません。二人はきっと無事でしょう』

 夜月の声色には、どことなくほっとしたものがあった。

『行きましょう、明久。倉本豊後を……私たちの手で倒しましょう』
「ああ……」

 夜は明けはじめ、日の出の光が空を照らしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

「真白」〜〜雪と蛇の女〜〜

まへまへ
キャラ文芸
恋愛ファンタジー小説です。 本作品の画像は全て生成AIを使用しております。 信州の雪深い山中で、母とともに小さなロッジを営む青年・一朗。 父を雪崩で亡くし、幼なじみをかばって手に傷を負った過去を抱え、静かに、淡々と日々を生きていた。 そんな彼の前に、ある日“白い蛇”が現れる。 罠にかかっていたその蛇を助けた夜から、運命は静かに動き出した。 吹雪の晩、ロッジに現れた少女――名を「真白」。 彼女は、あの日の白蛇だった。 純粋で無垢、けれどどこか懐かしい。 人の姿を得た彼女は、初めて知る「世界」に心を震わせ、一朗のそばで少しずつ“人間”を学んでいく。 雪に閉ざされた山のロッジで生まれた、人と白蛇の奇跡の絆。 過去の痛みと孤独を包みこむように、真白は優しく一朗の心に灯をともしていく。 けれど、やがて訪れる春が二人に突きつける――「蛇としての運命」と「人としての願い」。 白い雪の中で出会い、心を通わせた一朗と真白の、静かで切ない恋の物語ですが、ラバーフェチ要素やちょっとR15な要素(まへまへらしさ)が中盤以降登場しますので、、、。笑

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜

鳴猫ツミキ
キャラ文芸
【完結】【第一章までで一区切り】時は大正。天羽家に生まれた桜子は、特異な体質から、家族に虐げられた生活を送っていた。すると女学院から帰ったある日、見合いをするよう命じられる。相手は冷酷だと評判の帝国陸軍あやかし対策部隊の四峰礼人だった。※和風シンデレラ風のお話です。恋愛要素が多いですが、あやかし要素が主体です。第9回キャラ文芸大賞に応募しているので、応援して頂けましたら嬉しいです。【第一章で一区切りで単体で読めますので、そこまででもご覧頂けると嬉しいです】。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀
キャラ文芸
 妖狩りにより両親を奪われ、囚われの身となった半妖の少女・鈴音は浄化の狐火を利用するだけの道具のように扱われていた。呪いにより成長は止まり、容姿も思考も幼いまま、感情が消え失せてもなおただ生かされるままに生きていた。  しかし妖保護部隊本部第一部隊との出会いにより、鈴音の止まっていた時間が動き出す。  掴みどころはないが頼れる氏神・雅仁、兄には厳しいが弟妹には優しい狼の妖・千里、人間嫌いだが人当たりの良い振りが得意な人間・遥杜、可愛いもの好きで元気いっぱいの猫又・鴇羽、大人しいが思いやりに溢れる猫又・瑠璃。  五人の兄と過ごす時間の中で、無いものだらけだった鈴音にもやがて大切なものが増えていく。  妖×家族の心温まる和風ファンタジー。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...