魔女リリアの旅ごはん

アーチ

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72話、夜が来ない町とローストビーフ

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 りんごがたくさんなっていた村を後にし、街道を歩き続けること数時間。
 空が陰りを見せてきた頃合いになると、私たちの視界には大きな町並みが広がっていた。
 照明の町テルミネス以来の大きな町へとようやくたどり着いたのだ。

「おぉ、こうやって自分の足で長々旅をしてようやく大きな町が見えてくると、結構感動するものがあるわね」

 色々な町でマジックショーを行っているモニカはすでに根が都会っ子なのだろう。大きく広がる町を目にして嬉しそうに瞳を輝かしていた。
 対して私は地図を広げて、あの大きい町の名前を確認している最中。

「えーっと、あの町の名前は……フェルレスト……かな?」

 地図でようよう確認した町の名前をつぶやくと、クロエが小さく反応する。

「……その町の名前は聞いたことある。確か……町そのものが魔術遺産なんじゃないかって噂されていたはず……」
「え、魔術遺産なのあの町?」

 私の顔が引きつった。魔術遺産とは現実のルールとは異なった、その土地独自のルールが流れる異空間とも言える。いわば魔女が扱う魔術の大規模自然発生版。何者かが明確な意図で発動した魔術とは違い、その歴史や生きてきた人々の思いが積み重なって自然と発生した呪いに近いものだ。

 だから魔術遺産は魔女の間でも少々扱いに困っている。何分自然発生した存在なうえ、土地に宿る呪いに近いので、うかつに手を出したら痛い目に合うのだ。
 私がこれまで見てきた魔術遺産はそれほど危険な物は無かったが、中には当然危ないものもいくつかあるだろう。あの町がもしそういう危険性を持っているのなら、できれば素通りしたいところ。

 そんな心配をしていた私だったが、魔術遺産の研究をしているクロエは安心させるように首を振った。

「あの町はそれほど危険ではないし、流れるルールもそこまで異様な物ではない。だから私も研究対象にしてなかった。多分旅をしているリリアなら、珍しくて気に入る代物かも」

 クロエがそう言うのなら、きっと危険なものではないのだろう。でも、旅をしているから気にいる魔術遺産っていったいどういう物なんだろうか。

「なんでもいいからさっさと町に行きましょうよ。やっとふかふかのベッドで眠れると思ったら、なんだか一気に疲れが出てきちゃったわ」
「……モニカさ、人の話聞いてた?」

 あの町が魔術遺産だから危険性について確認していたというのに、モニカは右から左に聞き流していたようだ。
 でもとりあえずクロエが危険ではないと言うのなら、それを信じてみよう。あとモニカではないけど、私も久しぶりにふかふかのベッドで寝たい。

 そうして皆で町の入口まで歩いていく。魔術遺産らしいフェルレストの町は近くの湖から水を引いているらしく、町の周りを囲むように水堀が作られていた。適度に水流もあり、透き通っていて綺麗な水だ。
 その水堀にかけられた橋を渡って町の中へと向かう。この町は特にメインとなる町の入口といったものは無いらしく、このように橋で繋がる出入り口が町の全周にいくつか設置されているようだ。

 橋を渡っている最中、私はクロエに聞いてみた。

「それでこの町、どういう魔術遺産なの?」
「……おそらく町に入ればすぐに分かる。今日がその日だったら、だけど」

 クロエの答えに首を傾げるしかなかったが、別に危険な魔術遺産ではないともう分かっているので不安には思わなかった。
 そうして橋を渡り終え、ようやく私たちはフェルレストの町へと入った。
 すると……夕暮れを迎えて暗くなっていく空が、急に明るくなる。

「うわっ、なにこれ」

 驚いて空を見上げると、太陽が無いのにまるで真昼のように明るくなっていた。

「今日がその日だったんだ、運が良い」
「いやクロエ、説明して欲しいんだけど」

 驚きに空を見上げるのは何も私だけではなかった。モニカは呆気にとられて大口を開けているし、ライラもびっくりしているらしく、座る私の魔女帽子のつば先から足をパタパタ揺らしていた。

「私もこうして見るまで半信半疑だったけど、どうやらこの町はたまに夜が来ないらしい」
「たまに……夜が来ない?」

 私とモニカとライラ、三人ハモったように声をそろえる。なんだ、たまに夜が来ない町って。

「どういうことよ、それ」

 モニカが訳分からないとばかりに言うが、クロエも困ったように肩を竦めていた。

「私に聞かれても困る。魔術遺産で起こる現象はそういうルールと言うしかない。見ての通り、この町は時折夜が訪れないらしい」

 そう言って空を再度見上げるクロエ。つられて私も顔を上げた。
 太陽が無いのに広がる明るい青空。なんだか妙な気持ち悪さを覚えてしまう。

「これ、外からはどうなってるわけ?」

 モニカが町の出入り口から橋の真ん中へと向かい、私たちの方を振り返る。すると彼女はしかめ面をしながら町へ向かってゆっくり歩き、突然うわっ、と悲鳴をあげて私たちの方へ走ってきた。

「外からだと完全に夜なのに、町の中に入ったらいきなり空が明るくなったわ。なんか気持ち悪い」

 私もライラを連れて同じく町の出入り口付近で行ったり来たりを繰り返してみた。すると、確かにある位置を境目に空が暗くなったり明るくなったりする。

「うーん、モニカの言う通り確かに気持ち悪いかも」
「……おそらく、その辺りを境界線として町の空間か、あるいは町に入った者の認識が弄られているのかもしれない」
「魔術遺産って相変わらず訳分からないなぁ。たまに夜が来ないってどういうこと?」
「……文字通り、この夜なのに昼間のように明るい現象は時々にしか起こらない。だいたい月に数度程度。一度発生すると数日続くことが多い。発生する条件は現在のところ不明」

 その辺りは魔術遺産を研究するクロエでもお手上げの様だ。詳しく調査するほど興味を惹かれているわけでもないのだろう。

「夜なのに明るいってなんだか感覚狂うわね……」

 モニカの言葉に私はうんうんと頷く。なんていうか、感覚と共に調子も狂う。多分人はそれとなく空の明るさで朝と夜を感覚的に察して、体や心の調子もそれに反応しているのだと思う。
 それが薄暗い夕暮れから一気に明るくなると、心も体も混乱するのは避けられない。

「とりあえず宿でも探しがてら町の中歩こうか」

 私がそう提案し、皆で町中を軽く探索する事にした。
 やはりこの町に住んでいる人はこの現象に慣れているのか、人々は普通にしている。ただ空が明るいせいか、町中にも人が多くて活気が溢れているように見えた。

 もしこれが普通の夜だったら、今の時刻でもこんなに人がいるのだろうか? ちょっと疑問だ。
 町中で自然と飲食店を探してしまっていて、空腹を覚えていることに私は気づく。

「そういえばそろそろごはん時か」
「うぅ、今お腹空いてるんだけど、空が明るいせいで夕ごはんって感じにならないわね」

 困ったように言うモニカだったが、とあるお店の入口に貼ってあった料理の写真を見て急に目を輝かせた。

「あ、ローストビーフ!」
「……やっぱり肉なんだ」

 そのお店の入口に飾られた写真は、でんと大きく置かれたお肉の塊だった。半分に切られていてピンク色の断面が覗いている。モニカが言うように、おいしそうなローストビーフの写真だった。

「ここ、このお店で決定よ。ローストビーフ食べましょう!」

 急に熱が入ったモニカに呆れるしかない。さっき夕ごはんって気分にならないとか言ってなかったっけ? すでにがっつりお肉を食べる気じゃないか。
 しかもお肉はお昼にも食べたのに。

「……モニカに賛成。私もお腹空いた」
「リリア、私もあのお肉食べたいわ」

 お腹が空いているのは私もだ。宿を探す前に腹ごなしをしておくのもいいだろう。
 だけど……ちょっと気になったことがあった。

「ライラさ……ちょっとモニカに感化されてない?」

 なんだかモニカに会ってからライラが結構肉食になってきた気がする。お肉が好きなのは別にいいんだけど、ばくばく肉を食べる妖精ってどうなんだろう。
 肉食妖精って……なんか神秘さ全然無くない?

 でもライラは、そうかしら? と目を丸くさせるだけだった。自覚がないのか、私が気にしすぎなのか。
 まあ肉食妖精が一人くらい居ても問題ないだろう。いや、そもそもライラ以外の妖精を知らないから、肉食が変なのかどうかも分からない。前ダンスパーティーしてた妖精たちって普段何食べてるの? それとも食事とかする必要ないのかな?

 魔術遺産もそうだが、妖精も結構謎だらけなのだ。これだけ一緒に居るのに、妖精の話を詳しく聞いたことが無い気がする。いつでも聞けるから後回しにしてしまっているのだ。それよりもライラが何食べたいかばかり私は気にしてるし。
 ……ま、妖精たちのことは機会がある時に聞いてみればいい。今はごはんが大事だ。

 全員で入店し、テーブル席に座る。内装は特に取り立てて言う必要もないくらい普通だった。シックな色合いで落ちつく感じ。夜なのに外が明るいからか、ちょっと暗めな店内の方が夜っぽくて変にも思える。

「とりあえずローストビーフと合わせるパンと……後何が良いかしら?」
「そんなたくさん食べるの? ひとまずローストビーフとパンだけでよくない?」

 空腹のあまりかいっぱい注文しようとしているモニカをそれとなく諭す。するとクロエも同意してか頷いた。

「食後のデザートもあるからひとまずそれだけでいいと思う」
「……クロエ的に食後のデザートは決定なんだ」

 思っていた以上に甘い物好きのクロエからすると、食事のメインはデザートなのかもしれない。とにかくデザート分のお腹の隙間はあけたいらしい。
 甘い物は別腹、なんてよく言うけど、クロエは現実主義的というか冷静というか、最初から自分が食べられる量を計算しているのだろう。

「じゃ、ひとまずローストビーフ人数分で。あ、ライラちゃんはどうするの?」
「私はリリアのを分けてもらうわ」

 妖精のライラは体の大きさがだいたい私の顔より小さいかどうか程度。だから私と分け合うくらいがちょうどいいのだ。
 ということでモニカにはローストビーフ三人前を頼んでもらった。

 ほどなくして綺麗に盛りつけられたローストビーフが私たちの前に運ばれてくる。
 薄くスライスされたローストビーフは薄ピンク色をしていてみずみずしい。その見た目から噛んだだけでジューシーな肉汁が溢れてくることが想像できた。

 付け合わせの水菜も彩りがよく、ローストビーフにかけられたタレは刻んだ玉ねぎをたくさん使っているらしく、液体というよりちょっと個体に近かった。

「おいしそうじゃない」

 肉を前にしてご満悦なモニカは、さっそくフォーク片手にローストビーフを一切れすくって口に運んだ。
 そして一口一口噛みしめるごとに彼女の表情がやわらいでいく。

「ん~、柔らかくておいしいわねっ」

 本当に幸せそうな表情だ。私の幼馴染、肉を食べるだけでこんなに幸福感溢れる微笑みができるのか。なんか……すごいな。
 でもそんなモニカを見ていると食欲がそそられて、自然と唾液が溢れてくる。それを飲みこみ、私もローストビーフを一口運んだ。

 口の中に一切れ放り込んだローストビーフを、ゆっくり噛みしめていく。
 ローストビーフは肉汁を落ち着かせるため程よく冷ましている。だから一気に頬張ってもヤケドすることはない。
 そしてやや冷めているからか肉汁がお肉そのものにしっかりと留められていて、噛むことでじゅわりじゅわりと溢れていく。

 モニカと出会ってから焼き肉などで肉をよく食べていたが、ただ焼いた肉とローストビーフでは肉汁の量が段違いだ。みずみずしいローストビーフのお肉は噛むたびに肉汁が零れ出し、口の中が力強い旨みで溢れる。
 そして玉ねぎベースのタレがまたローストビーフを引き立てている。玉ねぎ本来の甘さがよく出ていて、酸味もあるタレが肉汁と混ざると口の中が何とも言えない多幸感でいっぱいになる。

 なんだか先ほどのモニカの幸せそうな顔の意味が分かってしまった。これは確かに……思わず顔がほころんでしまうおいしさだ。

「ん……おいしい。意外とさっぱりしている」

 クロエが零した感想に、私とモニカはうなずいた。
 そう、ローストビーフはお肉なのに意外とさっぱりしている。胃にどしんと来る感じがしないし後味も爽やかなので、いくらでも食べられてしまう感じ。

 ライラ用に小さく切り分けながら、次はパンに乗せて食べることにした。
 ローストビーフに合わせるため頼んだパンは、やや厚めにスライスされた物。このスライスパンの上にローストビーフと水菜を乗せて食べるのだ。タルティーヌと呼ばれる、いわゆるサンドイッチの亜種だ。

 まずはローストビーフを乗っけて、その上に水菜を乗せる。その上から軽くタレをかけ、一口かじってみた。
 パンのサクっとした食感に小麦の風味、そしてみずみずしいローストビーフと水菜。それらが口の中で一緒になり、甘酸っぱくも肉汁の旨みがあり、水菜の爽やかさに小麦の風味が一体化していく。

 ローストビーフ単体で食べるのもおいしいけど、こうしてサンドイッチ風にして食べるとまた違った味わいで悪くない。
 ライラにもこの味わいを体験して欲しくて、パンを小さくちぎって小さなタルティーヌを作った。

「ほらライラ、これも食べてみなよ。おいしいよ」
「ありがとうリリア。頂くわね」

 それをライラに渡すと、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせてはぐはぐと食べていく。そしてすぐに頬を落とすような舌つづみを打ち始めた。
 皆でローストビーフを食べ終え、クロエが頼むからついでにと軽くデザートも注文する。ローストビーフの口当たりがさっぱりしているからか、まだ全然食べられそうだ。

 デザートを待つ間、何となく店内の窓から外を眺めた。
 外が明るいからかうっかり時間間隔が狂いそうだが、今は夜なのだ。
 しかし外にはたくさんの人が往来し、まだ年端もいかない子供たちも楽しそうにはしゃぎながら歩いている。

 最初この町に来た時、町の人は夜が来ないのにも慣れているのだろうと思っていた。だけどもしかしたら、町の人々も月に数度しかない明るい夜に結構浮かれているのかもしれない。
 結局町の人たちが浮かれているかどうかは、今日来たばかりの私では正確に判断できないけど、思うことは一つだけある。

 やっぱり、夜は暗い方がしっくりくる。
 なんて、吸血鬼のベアトリスでもないのに夜が恋しくなっている私だった。
 あの子がこの町に来たらいったい何て言うんだろう。きっと憤慨するに違いない。やってくるデザートを眺めながら、何となくそう思った。
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