オヤジとJK、疾る!

柊四十郎

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女子高生は突然に

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 詰んじまったな、おい。
 
 小野寺はタバコの箱の中身を見て、つくづくとそう思った。
 箱の中にはタバコが一本、入っている。
 最後の一本。
 小野寺にはもう、タバコを買う金もない。
 昨日の夜、車にガソリンを入れて、金が尽きた。
 最後の一本を口にくわえ、火をつける。
 車で生活しだしてすでに半月。
 行くあても仕事もない。
 条件や年齢でうまく再就職できず、微かに残ったプライドのおかげで、仕事を選んでしまう。
 最後のタバコに別れを告げ、小野寺は車のエンジンをかける。
 深夜の公園に、エンジンの音が響く。
 どこに行くあてもないが、丸一日、この公園の駐車場に車を停めている。
 流石に怪しいだろう。
 警察に職質でもされたら面倒くさい。
 小野寺はギアをドライブに入れた。
 その時だった。
 突然、何かが、助手席側のドアを叩いた。
 見ると、若い女がこちらをのぞいている。
 女はひどく焦ったような表情をしている。
 ひったくりにでもあって、助けでも求めにきたのか?
 と、いきなり女がドアを開けて、車内に滑り込んできた。
「走って!」
 女はそう言って、小野寺の腕をつかんだ。
 すがるような顔をしている。
 何かに怯えるように、車の後ろをチラチラと見て、何かを確認している。
「なんだあんた、襲われそうにでもなったのか?」
 よく見ると、女はまだ子供だ。
 高校生くらいか?
 とにかく、放ってはおけない。
 小野寺は車を走らせ、その場を離れた。
 少し走って、安心したのか、少女は長いため息をひとつついて、
「ありがとう」
 と、小野寺に笑いかけた。
 だがまだ表情はかたい。
「警察で降ろしゃいいかい?」
「は? ダメだよ警察は!」
 女、と言うよりも少女は意外な事を言った。
「なんで? あんたなんかに巻き込まれて、それで俺に助け求めてきたんじゃねーの?」
「そうなんだけど、とにかくダメダメ。どっか逃げてよ」
 少女は訳のわからない事を言い出してきた。
 小野寺は車を停めた。
「あんたもう降りな」
 得体が知れない。
 面倒な事には巻き込まれたくない。
「なんで? って、だよね。おじさんごめんね」
 そうは言ったが、少女は降りようとしない。
「すまんな、力になれなくて」
 前を向いたまま、少女を見ないようにして、小野寺は言った。
 かわいそうなのかも知れないが、ちょっと不気味すぎる。
 もしも犯罪絡みとかならば、尚更かかわりあいたくない。
「おじさん、お金あげてもダメ?」
「降りな」
 今、幾つか知らんが子供が大人を買収などと、何言ってやがる、と鼻で笑う。
「じゃあさ、ヤらしたげるからどう?」
「バカなこと言ってんじゃねえぞ」
 さっさと降りろ! と怒鳴りつけようと助手席に顔を向けると、少女はシャツをまくり上げて、意外と大きな胸をあらわにしていた。
「ダメ? あたし上手いんだよ」
 呆れたようにため息をついて、小野寺は再び車を走らせる。
「ガキが下らねえこと言ってんじゃねえ」
 小野寺は少女に服を下させた。
 どう言うガキだ?
 だが遊びや冗談でやっているふうには見えない。
 車は二車線の幹線道路に出た。
 このまままっすぐ進むと、市街中心に向かう。
 ふと、バックミラーを見ると、いつの間にか黒いセダンらしき車が、小野寺の車の後ろにピタリと張り付いている。
 この子がらみか?
 道路は空いている。
 煽るほどの車間距離で寄せてくる理由もない。
 二車線ある。邪魔なら抜けばいいだけだ。
 明らかに、この車に用事があるようだ。
 後ろについた車が、ウインカーも出さずに車線変更し、小野寺の車と並走するように走り出した。
 チラッと車内を覗くと、目つきの鋭いのがこっちを見ている。
「隣のアレは、あんた知り合いかい?」
 すでに少女も気付いているらしく、深くシートに沈み込んで、頭から自分の背負っていたリュックをかぶり、顔を隠している。
 一応、隠れているようだ。
「……知らない」
 知っている。
 なにやらかしたんだ、こいつ?
 小野寺は急ブレーキを踏み、隣の車の後ろに着いた。
 M5かよ……。
 前を走る相手の車のエンブレムを見て、小野寺は舌打ちをする。
 セダンだが、並のスポーツカーなど勝負にならない車だ
 こちらの車は十年落ちの国産のステーションワゴンだ。
 こいつもそこそこ走るが、スピードも足廻りも、BMWのM5には勝てそうにない。
「あんた名前は?」
「マヤ」
 本名かどうかはわからないが、少女はそう名乗った。
「じゃあマヤちゃんよ、何がどうなってんのか説明してくれねぇか?」
「助けてくれんの?」
「助かるかどうかわかんねぇ状況だがな」
 信号が近づいてきた。
 信号を越えると、一車線になる。
 その手前の信号で無理矢理反対車線にUターンしてやれば、中央分離帯のある一車線ではM5の図体なら直ぐに切り返せないはずだ。
 その隙に撒いてやろうと、小野寺は考えた。
「マヤちゃん、身体支えてな」
 小野寺はペロリと唇を舐めた。
 前をゆく黒いM5が交差点を越えた。
 今だ!
 と、小野寺はブレーキを踏み、離すと同時に右に思い切りハンドルを切った。
 そしてアクセルを全開にする。
 盛大なスキール音と共に、車は後輪を滑らしながら右に曲がっていく。
 そのスキール音よりも大きな声で、マヤの楽しそうな悲鳴が車内に響く。
「カッコいい! おっさんやるじゃーん!!」
 反対車線にはいると、小野寺は凄まじいスピードでその場を離れた。

 三十分ほど走ると、車は山越えの峠道に差し掛かった。
 さきほどの黒いBMWはもう着いてきていないようだ。
 どうやら、撒けたらしい。
「まあ、しばらくは大丈夫だろう」
 一息つこうと、タバコを探したが、もうない事に気づく。
「おっさん、なんでたすけてくれたの?」
 マヤが窓の外の景色を見ながら言う。
「やっぱあたしとヤリたいから?」
 小野寺は鼻で笑う。
「バカなこと言ってんな。奴ら、お前さんみたいなガキを預けるには、どうも危ない人相してたんでな」
 しかし、バカなことしたなとも思う。
 とにかく、これで小野寺も追われる身になった。
「ハラ減らん?」
 マヤが間の抜けたことを言い出した。
「あいにく金がねえんだ」
 実際に金がない。
 このまま走り続けても、給油すらできない。
 ガソリンがなくなれば、この逃走劇も終わってしまう。
「お金ならあるよ。三百万くらい」
 そう言って、マヤは背負っていたリュックから、札束を取り出した。
「あ、四百万あるわ」
 あははと、笑う。
「ちょっと待て!お前さん何者なんだ?」
「えー、17歳のJKだけどー、ちょっと色々あってー」
 これは本格的に面倒な事に首を突っ込んだぞ、と小野寺は首を振る。
 17歳の女子高生が四百万の大金を抱えて追われている。
 どんな理由にせよ、危険な匂いしかしない。
「とりあえず、おっさんに二百万円あげるからさ、どっか逃してよ」
 マヤはそう言って札束を二つを小野寺に渡してきた。
 タバコを買う金も持たない彼からすれば、よだれの出るような金だが、気軽に受け取れるほど、単純な状況ではない。
 それを無視して、道沿いにあったコンビニに車を停めた。
「ゆっくりメシ屋で食うわけにもいかねぇし、時間も夜中だ」
 早く買ってこい、と小野寺はマヤに言った。
 車を降りてコンビニに向かうマヤの姿を見ながら
 このまま、ここにおいていくか?
 とも思ったが、どうやらそう言うことができるタイプではないらしい。
 マヤが袋を下げて、嬉しそうに帰ってきた。
「おっさんも食べるでしょー?」
 そう言って、サンドイッチを二つ渡してきた。
 昨日の夜からまともに食事をしていない小野寺にはありがたかったが、女子高生におごられた、と思うと、情けなくもなった。
 コンビニの駐車場から出て、山越えの道を進む。
 このまま一時間も走れば、県を越える。
「そろそろ話してくれねえか?」
「なにをー?」
「話さねえなら降ろすぞ」
「あー、はいはい!話す話す」
 マヤが話すには、こう言うことだ。
 二日ほど前、朝起きると里親がマヤに四百万を渡してきて、とにかく逃げろと言ってきたという。
 するとさっきの男たちが家に乗り込んできたので、訳もわからず逃げてきた。
 と、マヤは説明した。
「だからあたしも訳わかんないんだって」
 マヤの話が本当だとして、それならばなぜ、最初に警察に駆け込むのを嫌がった?
 警察に保護されるのが一番安全である。
 ましてやマヤは未成年だ。
 問題なく保護されるはずだ。
「だってあいつら、うちにきたとき公安だって言ってたよ。公安って警察の仲間でしょ?」
 また随分と、わかりやすい組織の名前が出てきたな、小野寺は内心笑ってしまった。
 ありきたりな安い映画みたいじゃないか、と。
 仮にマヤの言うことが本当だとして、公安警察が動くのは、国家体制を脅かす存在や事件の時である。
 なにをしたかはわからないが、女子高生一人を拉致するくらいで動く、というのはあり得ない。
 本当にさっきの奴らは公安だったのか?
 公安の名を語った何か別の組織ということも、考えられる。
「お前さん、里親とか言ってたな?」
 マヤの実の親はいないということか?
 それとも、引き離されるなんらかの理由があり、里子に出されたのか?
「お前さんじゃない。マヤ」
 そう言ってマヤは小野寺の左腕に軽くパンチを入れてきた。
「そうか。悪かったな。マヤちゃんだったな」
「マヤでいいよ」
 マヤは嬉しそうに笑った。
「そうだ、おっさん名前は?」
「小野寺だ」
「デラちゃん」
「やめてくれ」
 なんでー? と不満げにみくれるマヤに、思わず小野寺の頬がゆるむ。
 面白い子だな、と。
「そうそう。あたしのほんとの親の話でしょ?なーんも覚えてないし、何にも聞かされてないんだよね。十四歳までなんか施設にいたらしいしね」
 マヤは特にそれを不幸や悲しい事ではないようなそぶりで話す。
 強がっているのか、本当になにも気にしていないのか。
 それにマヤの話にはひとつだけおかしな点がある。
「らしいってのはなんなんだ?」
 そこである。
 十四歳までいた施設の頃の記憶がないなどとは、ありえるわけがない。
 それに、つい三年ほど前の話である。
「覚えてないんだよ、あたし。記憶にあるのは里親のパパとママが迎えに来てくれた日、施設の門の前で待ってたくらいの処からかなぁ。……その日、雨が降って、誰かがあたしに赤い傘を渡してくれて、白い車が迎えに来て、パパが降りてきて、後ろのドアを開けてくれた」
 そう話すマヤの瞳は、途中からうつろになり、淡々とした口調になってきた。
「今日から君はマヤちゃんなんだよって、パパが言って、助手席に座ってたママがお菓子をくれて、車は右に曲がって。今日はお祝いだってママが。そしたら車が左に曲がったの。でもあたしは新しいパパとママの嘘くさい笑顔が大嫌いで。殺シタクテ……」
 マヤの様子がおかしくなってきた。
 こいつはヤバイ! と小野寺は左手でマヤの肩をゆすった。
「おい! マヤちゃん!」
 小野寺の呼びかけに、マヤは正気に戻ったのか、あれ? と呟いた。
「なにしてたっけ?」
 不思議そうな顔で、小野寺の方を見るマヤ。
「あ、いや。施設のことは何にも覚えてないって話してたな」
 自分がなにを話していたか、マヤには記憶がないらしい。
「だけ?」
「だけ!」
「なら良いや」
 明るく笑うその顔は話し出す前の、屈託のないマヤに戻っていた。
 言わない方が良いだろう。
 声も顔も、その時にマヤから立ち昇った雰囲気も、明らかに異常だった。
 しかも、最後には殺すという言葉まで出てきた。
 この子は一体、なんなんだ?
 とにかく、今の小野寺にわかることは、マヤは普通の子とは明らかに違うということだ。
 こいつはいよいよ、厄介だな。
 小野寺は窓の外を見た。
 越境を伝える標識が見えた。
 車は山頂を越え、隣の県に入った。
 
 
 
 
 


 

 
 
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