オヤジとJK、疾る!

柊四十郎

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笑顔

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 夜の砂浜に打ち寄せる潮騒の音は、心地良いリズムでミヤの気持ちを優しく包み込む。
 遠い海の向こうから運ばれてくる潮風は、語りかけるようにミヤの耳朶に絡みつき、また遠くに去ってゆく。
 ミヤは寝起きの猫のように、しなやかに、そして力強く背伸びをする。
 空を見上げると、秋の澄んだ夜空に凛として輝く十日夜の月とおかんやのつきが、まるでミヤに微笑みかけるかのように佇んでいる。
 
 ーーこんばんは、お月様。

 山吹色の光を振りまく月に、ミヤは会釈を返す。
 敦賀市街から少し離れた日本海に面する海水浴場の駐車場。
 その駐車場の側にある小高い築山の頂きにミヤは一人立つ。
 ここからは駐車場がよく見渡せる。
 そして向こうからはこちらは見えない。
 駐車場を照らす街灯が逆光となり、こちらを闇の中に隠してくれている。
 時刻は午前二時。
 人も草木も眠りに就いている深い夜に、波の音だけが悠久の音色を奏でている。
 駐車場の中程に、白いフェアレディZが、照明の光を避けるように停まっている。
 その傍らには黒いワンピース姿のキャサワリーがタバコをふかしながら何かを待つように立っている。
 赤い髪が風に揺れているのがミヤからもよく見える。
 ミヤとキャサワリーまでは直線距離にして約一五〇メートル。
 ミヤは周りの植栽の揺れる枝葉の動きを注意深く観察する。
 
 ーー北西の風、三メートルくらいかし  らね。

 ミヤが風を読んでいると、駐車場に一台の黒いSUVが入ってきた。
 その車はキャサワリーとZの正面から十メートルほど手前で停車した。
 SUVの運転席が開き、一人の中年の男が降りてきて、両手を広げてキャサワリーに歩み寄ってゆく。
 その姿を確認したミヤはその場に片膝をついて、傍らの地面に寝かせられていた対物ライフルへカートⅡを手に取り、素早くボルトハンドルを引き、撃鉄を起こす
 薬室に.50BMG弾の送り込まれる金属音が響く。
 銃床を右肩に当て、フォアエンドに左手を添え、へカートⅡを構える。
 立方体が銃口に刺さったままのような、特徴的なへカートⅡのマズルブレーキが鈍色の光を放っている。
 ミヤはスコープを右目で覗き込む。
 光学処理されたミヤの瞳は、暗闇でもよく見える。
 薄暗い駐車場の照明の灯りだけでも、ミヤには昼間のような鮮明さで見えている。
 レティクル越しにキャサワリーに近づく男の顔がよく見えた。
 口髭を蓄えた、釣り上がった細い目を持った小太りのその男は、いかにも胡散臭い笑顔を浮かべてキャサワリーと何やら会話をしている。
 陳博文チェン ブォウェン
 キャサワリー馴染みの武器商人だと言うこの香港人は、いそいそと自分の乗ってきたSUVの背後に回り、トランクを開けて大きなボストンバッグを重そうに抱えて、キャサワリーの前に投げ出すように置いた。
 ミヤはスコープから目を離し、辺りをうかがう。
 駐車場やその周りに怪しい人影はない。
 常人よりもはるかに研ぎ澄まされたミヤの感性は、背後に人の気配を感じていない。
 この場にいるのはキャサワリーと陳、そしてこの場に身を潜めるミヤの三人だけの様である。
 が、まだ油断はできない、とミヤは全神経を集中させて辺りを窺う。
 キャサワリーが言うには、陳は取引の時は必ず一人で来ると言う。
 客との信用第一を謳う陳の商売術だと言う事である。
 中国人民軍の特殊部隊がミヤ達Mナンバー奪取に動いている今、同じ中国人である陳にも警戒と対策は必要である。
 しかし、今後の付き合いの事も考慮したキャサワリーは、ミヤを一人離れた場所から警戒にあたらしたのである。
 キャサワリーがバッグの中を確かめ終わると、陳は自らそのバッグをZのトランクに積み込こんだ。
 サービス精神旺盛で、愛想も良い。
 商売人の鑑のような陳だが、扱っている品が品だけに、その笑顔にも一筋縄ではいかない。

 ーーエビス顔の豺狼さいろう           ね。

 敵に回すと厄介そうだと、ミヤは陳の笑顔に闇の世界で生きてきた男の生き様を見た気がした。
 陳はキャサワリーから金を受け取ると、そそくさと車に乗り込み帰っていった。   
 黒いSUVが駐車場から出ていく。
 キャサワリーの指笛がなり、ミヤは銃を下ろして立ち上がった。
 へカートⅡから弾倉を抜き取り、銃床を下にして立たせた状態から足でボルトハンドルを引き、実包じっぽうを薬室から弾き出す。
 小銃弾よりはるかに大きい五〇口径の実包を拾い、マヤは築山を下りる。
「ご苦労様」
 キャサワリーはミヤからへカートⅡを受け取ると、バレルを外して車のトランクに仕舞い込んだ。
「アナタを見てるとアタシって必要ない気がしてきて悩むんだけど」
 キャサワリーは苦笑しながらリアハッチを閉める。
「私は自分を護るための戦闘力と世界を網羅する情報の処理能力は備えていますが、人として生きていく知恵と経験に不足しています。今回のように武器を調達する術も知りません」
 マヤは運転席のドアを開けてシートに身体を預けた。
「私とマヤには、あなたや小野寺さんのように、不屈の精神と豊かな経験を積んだ方が必要なのです。私もマヤもあなた方を信頼しています」
 ミヤはそう言って、助手席に乗り込もうとしていたキャサワリーを見た。
「ミヤ、アナタ……」
 助手席に座ってキャサワリーは驚きの声を上げた。
 キャサワリーを見て笑いかけるミヤがそこにいた。
 初めて見たミヤの笑顔に、キャサワリーは嬉しそうに笑った。
「笑えるのね」
 そう言われてミヤは少し照れたような顔をして慌てた様子で車のエンジンを始動させた。
「私だって笑う時は笑います……」
 そう言って、いつもの無表情を装うが、かすかに困ったような照れているような、なんとも言えない顔をしているのが、キャサワリーにはわかる。
「もっと笑いなさいな。アナタの笑顔、可愛かったわよ、ミヤ」
「知りません。あなたは寝てください。私は本来、睡眠は必要ありませから気にしないでください」
 キャサワリーにからかわれて、ミヤは唇を尖らせる。
「ええ、気にしないわよ。アナタも気にしないで笑いなさいな」
「知りません!」
 ついに拗ねてしまったミヤはキャサワリーと会話をしてくれなくなってしまった。
 少しむくれたようなミヤの横顔を見つめるキャサワリー。

 ーー無理しすぎなのよ。マヤの分まで背負い込む必要なんてないのに。
 あの時あれだけ泣けたんだから、もう笑ってもいいのよ。不器用な子。

 歳の離れた妹を思う姉のように、ミヤの事を気にかけるキャサワリー。
「ミヤ?」
 突然、キャサワリーが目つきが鋭くなり、サイドミラーを見つめ出した。
「はい。一台。いえ、二台」
 少し前から二台の車がZの後ろに張り付いている。
 その様子を見るに、明らかに一般車両とは違う。
東北猛虎部隊彼らの中にお友達がいるのよ、アタシ」
 ショルダーホルスターからM19を抜き、キャサワリーは楽しそうに撃鉄ハンマーを起こした。
「向こうはそうは思っていないはずです」
 ミヤは六速から三速にギアを落として、一気にアクセルを踏み込む。
 シートにめり込むような重圧が二人の体を押さえつける。
「認識の違いだわ。それが争いを生むのよ。悲しい現実ね」
「とりあえず撒きます。彼らに付き合うには分が悪いです」
 四速にから五速にギアを入れ替えつつ、そう告げるミヤは、いつもの沈着冷静な姿にもどっていた。
「あと、喋ってると舌を噛んでも知りませんからね」
 ミヤの駆るフェアレディZはありえないスピードで、電光のように国道8号線を越前海岸に向かって北上していった。

 
 
 
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