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恋する乙女
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「Pas étonnant」
追手を撒いたようです、と言ったミヤの言葉に、キャサワリーは呆れたように鼻で笑う。
「海沿いの一車線を一五〇キロで走る車なんか他にいないわよ」
車は緩やかに減速してゆき、海岸線から峠に向かう分岐を右折する。
両脇に鬱蒼とした木立が続く登り坂の山道に甲高いV6エンジンのエキゾーストノートを響き渡る。
「マヤ達と合流した方が有利になるかと思われますが、どうします?」
確かに、マヤの戦闘力は中国特殊部隊相手には絶大な戦力となるだろう。
ミヤの情報によると、相手の戦力は12人。
その東北猛虎部隊でも名うての猛者達を率いる男の名は劉泰然大尉。
数々の任務を成功に導いてきた歴戦の強者である。
キャサワリーとミヤの二人で相手をするに圧倒的に不利である。
小野寺は元は自衛隊の特殊部隊である特殊作戦群のエキスパートであり、引退した今でもその能力は衰えていないように見える。
中国特殊部隊を相手に十分な戦力たりうる。
問題はマヤである。
マヤの持つ戦闘力は一人で中国特殊部隊を全滅させることなど容易ではあろうが……。
「保証がないわ」
キャサワリーはタバコに火をつける。
「窓」
ミヤにそう言われて苦笑しながら窓を開ける。
「オノデラサンが協力してくれるかどうかもわからない。マヤも半覚醒状態。そんなの巻き込んだら逆に足手まといじゃないの。それに……」
寝ていないせいか、タバコが苦い。
キャサワリーは一口、二口吸っただけでタバコを窓から投げ捨てた。
「もしマヤが覚醒した場合はどうするの? アナタ制御できるの?」
「冠山の麓で私がマヤに直接アクセスしたのは覚えていますか?」
キャサワリーはミヤの耳の裏から伸びたケーブルかマヤの首筋あたりに接続されていた光景を思い出した。
忘れようにも忘れられない異様な光景である。
キャサワリーがうなずくのを確認して、ミヤは話を続ける。
「その時、私はマヤの脳内からドーパミンとフェニルエアチミンが検出されていいるのを確認しました。異性に恋をしているときに放出される物質です」
「脳内麻薬というやつね」
「それにマヤの海馬は小野寺さんの記憶で溢れていました」
「だからマヤはオノデラサンに恋をしていると?」
「はい。今、マヤは小野寺さんのためならどのような行動でも、それは自らの死すら厭わない、そのような精神状態になっています」
キャサワリーはクスクスと笑いながら、ミヤを見た。
「そんなに小難しく恋の話をされたのは初めてだわ。要するに、恋する乙女はオジサマに夢中で従順だと、アナタは言いたいわけね」
「そういうことです。確実ではありませんが、今のマヤの人格を維持したまま、戦闘力だけを覚醒させることができれば、あのコはただの殺戮兵器ではなくなります」
ミヤが少し笑ったように目を細めた。
「今それができるのは小野寺さんだけなんです」
しかし、とキャサワリーは思う。
小野寺の性格を鑑みるに、あの優しい男が、血と硝煙の臭いの漂う世界に再びマヤが戻ることを望むだろうか?
おそらくは望まないであろう。
快く小野寺が共闘してくれる保証もない。
ーーやっぱり無理やり巻き込んでしまおうかしらね、あの二人。
有無を言わさずこちら側に引き込んでしまえばいい。
マヤの身に危険が及べば、小野寺も動かざるをえまい。
それに、どちらにせよ中国側に転がることはあり得ない。
小野寺がとる行動は共に戦うか、マヤを抱えて逃走するかの二択しかあり得まい。
逃走されても、キャサワリーにはいくらでも手は打てる。
ーー面白そうね。
キャサワリーの唇の端が吊り上がる。
「で、あの歳の差カップルは今どこにいるの?」
「鯖江市のビジネスホテルに宿泊しているようです。ここからなら三十分程で到着します」
ミヤがそう言うと、車のナビの画面が切り替わり、マヤの居場所を示す赤いポインターが点滅しながら地図上の一点をさししめしている。
「じゃあ向かいましょう。少し早いけどappel du matinで起こしてあげましょう」
そう言ってキャサワリーは目を閉じ、シートに深くもたれ込んだ。
「着いたら起こしますね」
ミヤがそう言ったときにはすでに、キャサワリーは寝息をたてていた。
追手を撒いたようです、と言ったミヤの言葉に、キャサワリーは呆れたように鼻で笑う。
「海沿いの一車線を一五〇キロで走る車なんか他にいないわよ」
車は緩やかに減速してゆき、海岸線から峠に向かう分岐を右折する。
両脇に鬱蒼とした木立が続く登り坂の山道に甲高いV6エンジンのエキゾーストノートを響き渡る。
「マヤ達と合流した方が有利になるかと思われますが、どうします?」
確かに、マヤの戦闘力は中国特殊部隊相手には絶大な戦力となるだろう。
ミヤの情報によると、相手の戦力は12人。
その東北猛虎部隊でも名うての猛者達を率いる男の名は劉泰然大尉。
数々の任務を成功に導いてきた歴戦の強者である。
キャサワリーとミヤの二人で相手をするに圧倒的に不利である。
小野寺は元は自衛隊の特殊部隊である特殊作戦群のエキスパートであり、引退した今でもその能力は衰えていないように見える。
中国特殊部隊を相手に十分な戦力たりうる。
問題はマヤである。
マヤの持つ戦闘力は一人で中国特殊部隊を全滅させることなど容易ではあろうが……。
「保証がないわ」
キャサワリーはタバコに火をつける。
「窓」
ミヤにそう言われて苦笑しながら窓を開ける。
「オノデラサンが協力してくれるかどうかもわからない。マヤも半覚醒状態。そんなの巻き込んだら逆に足手まといじゃないの。それに……」
寝ていないせいか、タバコが苦い。
キャサワリーは一口、二口吸っただけでタバコを窓から投げ捨てた。
「もしマヤが覚醒した場合はどうするの? アナタ制御できるの?」
「冠山の麓で私がマヤに直接アクセスしたのは覚えていますか?」
キャサワリーはミヤの耳の裏から伸びたケーブルかマヤの首筋あたりに接続されていた光景を思い出した。
忘れようにも忘れられない異様な光景である。
キャサワリーがうなずくのを確認して、ミヤは話を続ける。
「その時、私はマヤの脳内からドーパミンとフェニルエアチミンが検出されていいるのを確認しました。異性に恋をしているときに放出される物質です」
「脳内麻薬というやつね」
「それにマヤの海馬は小野寺さんの記憶で溢れていました」
「だからマヤはオノデラサンに恋をしていると?」
「はい。今、マヤは小野寺さんのためならどのような行動でも、それは自らの死すら厭わない、そのような精神状態になっています」
キャサワリーはクスクスと笑いながら、ミヤを見た。
「そんなに小難しく恋の話をされたのは初めてだわ。要するに、恋する乙女はオジサマに夢中で従順だと、アナタは言いたいわけね」
「そういうことです。確実ではありませんが、今のマヤの人格を維持したまま、戦闘力だけを覚醒させることができれば、あのコはただの殺戮兵器ではなくなります」
ミヤが少し笑ったように目を細めた。
「今それができるのは小野寺さんだけなんです」
しかし、とキャサワリーは思う。
小野寺の性格を鑑みるに、あの優しい男が、血と硝煙の臭いの漂う世界に再びマヤが戻ることを望むだろうか?
おそらくは望まないであろう。
快く小野寺が共闘してくれる保証もない。
ーーやっぱり無理やり巻き込んでしまおうかしらね、あの二人。
有無を言わさずこちら側に引き込んでしまえばいい。
マヤの身に危険が及べば、小野寺も動かざるをえまい。
それに、どちらにせよ中国側に転がることはあり得ない。
小野寺がとる行動は共に戦うか、マヤを抱えて逃走するかの二択しかあり得まい。
逃走されても、キャサワリーにはいくらでも手は打てる。
ーー面白そうね。
キャサワリーの唇の端が吊り上がる。
「で、あの歳の差カップルは今どこにいるの?」
「鯖江市のビジネスホテルに宿泊しているようです。ここからなら三十分程で到着します」
ミヤがそう言うと、車のナビの画面が切り替わり、マヤの居場所を示す赤いポインターが点滅しながら地図上の一点をさししめしている。
「じゃあ向かいましょう。少し早いけどappel du matinで起こしてあげましょう」
そう言ってキャサワリーは目を閉じ、シートに深くもたれ込んだ。
「着いたら起こしますね」
ミヤがそう言ったときにはすでに、キャサワリーは寝息をたてていた。
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