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ティータイム
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ミヤは感心していた。
どういうコミュニティがこの日本にあるのかはわからないが、キャサワリーは電話一本で、割れて吹き飛んだフェアレディZのフロントウィンドウのガラスを用意した。
「コーヒーでも飲みに行きましょうか」
珍しくタイトなジーンズに大きめのパーカーというカジュアルな服に身を包んだキャサワリーが、道路を挟んだ向かい側にあるカフェを見てそう言ってミヤを誘った。
中国人夫婦が経営する車のスクラップ工場に併設されている整備工場に車を預け、フロントウィンドウを新しくする間、街を散策しようと、キャサワリーは言い出した。
ロロピアーナのディアドロップ型のサングラスをかけて颯爽と歩く姿は、どう見ても硝煙と血の匂いを感じない。
しかし、懐のホルスターに収められたM19はサイズオーバーなパーカーに誤魔化されているとはいえ、見る相手次第ではそれは容易にわかってしまう。
「中国人の工場に車を預けて大丈夫なんですか?」
とは聞いてみたものの、ミヤはすでにその辺りは調べ尽くしている。
陳博文が日本に張り巡らせているコミュニテに属している工場ということで、事が露見するような事はなさそうである。
「 Un magasin à la mode et bon!」
古民家を改装してカフェに仕立て上げられたその店舗のドアを開けて、キャサワリーは上機嫌で言う。
調度品や什器類も古風なもので揃えられたそのカフェに、頃また店に良く似合う割烹着姿のご婦人がカウンターの中から二人を出迎えた。
広くはないが、開放感のある店内には三人ほど先客がいた。
このあたりでは珍しいであろう赤毛の北欧人に店内の客は少し驚いたようにキャサワリーに視線を向ける。
ーー悪目立ちしすぎ。
と.ミヤはキャサワリーの容姿に困惑する。
染めたようなボルドー色の赤毛でなおかつ、透き通るように肌が白い。
赤毛をもつ人にありがちなそばかすもなく、ターコイズのように神秘的に光る蒼い瞳は、蠱惑的ですらある。
その人工物のような完璧とも言える黄金比で造形された容貌は、見るものに一瞬の間、呼吸すら忘れさせるほどに美しい。
スラリと伸びた四肢はその抜群のプロポーションと共に、彼女の美貌をより一層引き立てている。
要するに、裏社会で暗躍するにしては、目立ちすぎるのである。
これではどこにいても存在を知られてしまう事だろうと、ミヤは不思議でならない。
キャサワリーの過去の数々の仕事ぶりを知るミヤは、よく今まで生きてこれたものだ、と。
それはこのキャサワリーという稀有な能力と頭脳を持った、いわゆる天才とも言って差し支えのない彼女だからできる生き方であろうと、納得するしかない。
「アナタ、コーヒー飲めるの?」
店全体を見渡せる奥まった窓のない角の席に、壁に背を向けて座りながら、キャサワリーはミヤに聞いた。
「苦いのであまり好きではないです」
ミヤはキャサワリーの正面に腰掛けながらそう答えた。
「ミヤ、アナタはあたしの右隣に座りなさいな」
サングラスを外しながら、キャサワリーは目を細めてそう指示をした。
「正面だと、アナタを守ってあげれないの」
首を傾げて、目を細めるキャサワリーに、ミヤは胸に波打つものを感じながら、素直にその指示に従った。
「お菓子が好きな年頃だものね。ミヤはパルフェとかの方が良いかしら?」
「パルフェに年頃は関係ありません」
楽しそうな笑顔を向けるキャサワリーに、ミヤはかすかに照れたように答える。
「 Êtes-vous français ?」
頃合いを見計らって、割烹着の上品そうな白髪の店主らしき女性が、水とおしぼりを持ってきた。
キャサワリーとミヤの会話は基本的にはフランス語で行われている。
ミヤは訛りのない完璧なフランス語を使うが、キャサワリーには少しばかりの訛りがある。
「 Comprenez-vous le français, Madame ?」
不意のフランス語に、キャサワリーは笑顔で答えた。
が、かすかに声色に警戒の色がある。
この老店主がフランス語を理解するとなれば、込み入った話をフランス語ですべきではない。
それがキャサワリーにかすかな警戒を生んだようである。
「十年ほどマルセイユにおりました。若い頃のことなので随分と忘れてしまいましたけど、久しく聞かなかったフランスの言葉につい懐かしくて・・・。失礼しました」
そう言って店主は上品に笑って、頭を下げた。
キャサワリーはコーヒー、ミヤはミルクセーキとパンケーキを注文する。
「あなたとこうしていると、追われていることを忘れてしまいそうになります」
ミヤは日本語でそうつぶやいた。
ふふふ、とキャサワリーはその呟きに微笑で答える。
やがて、テーブルの上に注文の品が届けられた。
運んできたのは先ほどの老店主とは違い、二十歳前くらいのあどけなさの残るウェイトレスだった。
「こうすると、コーヒーがまろやかになるのよ」
そう言ってほんのひとつまみの砂糖をコーヒーに落とし、ティースプーンで三回ほど混ぜてから、キャサワリーはカップを手に取り、目を閉じてその香ばしい香りを楽しむかのように、鼻を近づけた。
「あら、メルセデスね?」
芳醇な芳香にキャサワリーはそう呟き、そっとそのコーヒーを口に含んだ。
プルマヒダルコ種という、メキシコの高山地帯の一部でしか栽培されていないコーヒー豆であり、まろやかな酸味と甘みの調和した女王と呼ばれるに相応しい高級な品種である。
「 Merveilleux」
幸せそうにそう呟いて、カップを置く。
束の間。
キャサワリーとミヤは早めのティータイムを楽しんだ。
ミヤはしゃべった。
今までの事、今の気持ち、これからの行く末。
普段、あまり口を開かないミヤが、ましてや、自分のことなど語る事のないミヤが、とても楽しそうに。
喜怒哀楽など稀にしか見せないミヤが、笑顔を交えながらキャサワリーに語りかける。
そんなミヤを、優しい微笑みで見つめながら、キャサワリーは聞いている。
ミヤの言葉に、丹念に相づちを打ちながら。
ミヤは幸せだった。
自分のことを、ここまで丁寧にあつかっもらったことなど、今までなかった。
もうどうでもいい。
この時間がいつまでも続いてほしい。
ミヤは涙の出るような思いで、そう願っていた。
しかし。
その時、店のドアが開き一人の女が入ってきた。
グレーとオレンジのライダースーツに身を包んだその女は、ストロベリーブロンドの短く刈った髪を揺らしながら、キャサワリー達の元に近づいてきた。
どういうコミュニティがこの日本にあるのかはわからないが、キャサワリーは電話一本で、割れて吹き飛んだフェアレディZのフロントウィンドウのガラスを用意した。
「コーヒーでも飲みに行きましょうか」
珍しくタイトなジーンズに大きめのパーカーというカジュアルな服に身を包んだキャサワリーが、道路を挟んだ向かい側にあるカフェを見てそう言ってミヤを誘った。
中国人夫婦が経営する車のスクラップ工場に併設されている整備工場に車を預け、フロントウィンドウを新しくする間、街を散策しようと、キャサワリーは言い出した。
ロロピアーナのディアドロップ型のサングラスをかけて颯爽と歩く姿は、どう見ても硝煙と血の匂いを感じない。
しかし、懐のホルスターに収められたM19はサイズオーバーなパーカーに誤魔化されているとはいえ、見る相手次第ではそれは容易にわかってしまう。
「中国人の工場に車を預けて大丈夫なんですか?」
とは聞いてみたものの、ミヤはすでにその辺りは調べ尽くしている。
陳博文が日本に張り巡らせているコミュニテに属している工場ということで、事が露見するような事はなさそうである。
「 Un magasin à la mode et bon!」
古民家を改装してカフェに仕立て上げられたその店舗のドアを開けて、キャサワリーは上機嫌で言う。
調度品や什器類も古風なもので揃えられたそのカフェに、頃また店に良く似合う割烹着姿のご婦人がカウンターの中から二人を出迎えた。
広くはないが、開放感のある店内には三人ほど先客がいた。
このあたりでは珍しいであろう赤毛の北欧人に店内の客は少し驚いたようにキャサワリーに視線を向ける。
ーー悪目立ちしすぎ。
と.ミヤはキャサワリーの容姿に困惑する。
染めたようなボルドー色の赤毛でなおかつ、透き通るように肌が白い。
赤毛をもつ人にありがちなそばかすもなく、ターコイズのように神秘的に光る蒼い瞳は、蠱惑的ですらある。
その人工物のような完璧とも言える黄金比で造形された容貌は、見るものに一瞬の間、呼吸すら忘れさせるほどに美しい。
スラリと伸びた四肢はその抜群のプロポーションと共に、彼女の美貌をより一層引き立てている。
要するに、裏社会で暗躍するにしては、目立ちすぎるのである。
これではどこにいても存在を知られてしまう事だろうと、ミヤは不思議でならない。
キャサワリーの過去の数々の仕事ぶりを知るミヤは、よく今まで生きてこれたものだ、と。
それはこのキャサワリーという稀有な能力と頭脳を持った、いわゆる天才とも言って差し支えのない彼女だからできる生き方であろうと、納得するしかない。
「アナタ、コーヒー飲めるの?」
店全体を見渡せる奥まった窓のない角の席に、壁に背を向けて座りながら、キャサワリーはミヤに聞いた。
「苦いのであまり好きではないです」
ミヤはキャサワリーの正面に腰掛けながらそう答えた。
「ミヤ、アナタはあたしの右隣に座りなさいな」
サングラスを外しながら、キャサワリーは目を細めてそう指示をした。
「正面だと、アナタを守ってあげれないの」
首を傾げて、目を細めるキャサワリーに、ミヤは胸に波打つものを感じながら、素直にその指示に従った。
「お菓子が好きな年頃だものね。ミヤはパルフェとかの方が良いかしら?」
「パルフェに年頃は関係ありません」
楽しそうな笑顔を向けるキャサワリーに、ミヤはかすかに照れたように答える。
「 Êtes-vous français ?」
頃合いを見計らって、割烹着の上品そうな白髪の店主らしき女性が、水とおしぼりを持ってきた。
キャサワリーとミヤの会話は基本的にはフランス語で行われている。
ミヤは訛りのない完璧なフランス語を使うが、キャサワリーには少しばかりの訛りがある。
「 Comprenez-vous le français, Madame ?」
不意のフランス語に、キャサワリーは笑顔で答えた。
が、かすかに声色に警戒の色がある。
この老店主がフランス語を理解するとなれば、込み入った話をフランス語ですべきではない。
それがキャサワリーにかすかな警戒を生んだようである。
「十年ほどマルセイユにおりました。若い頃のことなので随分と忘れてしまいましたけど、久しく聞かなかったフランスの言葉につい懐かしくて・・・。失礼しました」
そう言って店主は上品に笑って、頭を下げた。
キャサワリーはコーヒー、ミヤはミルクセーキとパンケーキを注文する。
「あなたとこうしていると、追われていることを忘れてしまいそうになります」
ミヤは日本語でそうつぶやいた。
ふふふ、とキャサワリーはその呟きに微笑で答える。
やがて、テーブルの上に注文の品が届けられた。
運んできたのは先ほどの老店主とは違い、二十歳前くらいのあどけなさの残るウェイトレスだった。
「こうすると、コーヒーがまろやかになるのよ」
そう言ってほんのひとつまみの砂糖をコーヒーに落とし、ティースプーンで三回ほど混ぜてから、キャサワリーはカップを手に取り、目を閉じてその香ばしい香りを楽しむかのように、鼻を近づけた。
「あら、メルセデスね?」
芳醇な芳香にキャサワリーはそう呟き、そっとそのコーヒーを口に含んだ。
プルマヒダルコ種という、メキシコの高山地帯の一部でしか栽培されていないコーヒー豆であり、まろやかな酸味と甘みの調和した女王と呼ばれるに相応しい高級な品種である。
「 Merveilleux」
幸せそうにそう呟いて、カップを置く。
束の間。
キャサワリーとミヤは早めのティータイムを楽しんだ。
ミヤはしゃべった。
今までの事、今の気持ち、これからの行く末。
普段、あまり口を開かないミヤが、ましてや、自分のことなど語る事のないミヤが、とても楽しそうに。
喜怒哀楽など稀にしか見せないミヤが、笑顔を交えながらキャサワリーに語りかける。
そんなミヤを、優しい微笑みで見つめながら、キャサワリーは聞いている。
ミヤの言葉に、丹念に相づちを打ちながら。
ミヤは幸せだった。
自分のことを、ここまで丁寧にあつかっもらったことなど、今までなかった。
もうどうでもいい。
この時間がいつまでも続いてほしい。
ミヤは涙の出るような思いで、そう願っていた。
しかし。
その時、店のドアが開き一人の女が入ってきた。
グレーとオレンジのライダースーツに身を包んだその女は、ストロベリーブロンドの短く刈った髪を揺らしながら、キャサワリー達の元に近づいてきた。
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