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あなたに・・・
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トウジンボウ。
に向かうらしい。
マヤの頭の中にある記憶、名古屋で中学二年生から高校一年生までの三年間で、愛知県から出た憶えはない。
であるので、マヤにはそのトウジンボウがどんな所で、どこにあるかを知らない。
「絶景だぜ」
と、小野寺は語るが、あまりそこに興味はない。
温泉。
マヤの興味はそこにしかない。
小野寺とふたり、どこかでゆっくりしたい。
そう願う気持ちからふと口を吐いて出た言葉が、温泉であった。
車のラジオからは、今朝方キャサワリーたちが巻き起こした福井での騒動の話題が頻繁に流れている。
死者はいない様だが、車十一台と十八人ほどの怪我人が出た、とラジオは伝える。
この大事故を引き起こした白いスポーツカーの二人組と、黒いセダンの二人組は未だ逃走中で、福井県警および近隣の各県警はその二台の車を捜索中だとも。
ーーなるほど。
と、マヤはキャサワリーの思惑に気づいた様で、感心する思いだった。
マヤが思うに、キャサワリーはこの大騒動を引き起こし、福井県の警察を蜂の巣を突いた様な状態にした。
サイレンは鳴らさずに、福井県警と書かれたパトカーが赤い回転灯を廻しながら対向車線をすれ違っていく。
これで何度目なのか分からないほど、何台ものパトカーとすれ違っている。
確かに、キャサワリー達は警察に追われる身になった。
車は目立つ白いフェアレディZ。
キャサワリーも長い赤毛をなびかせる、そうはいない美女、しかも北欧人である。
日本ではとても目立つ容姿である。
しかも、キャサワリーとの関連性が容易に想像できない、十代の日本人の少女と行動を共にしている。
どう見ても、目立ちすぎる二人組である。
と、ここで思考を止めてしまえは、軽率な行動で騒ぎを起こしたキャサワリーで話は終わる。
ーー警察に非常線を張らせることで、全ての動きを封じたんだ。
小野寺もキャサワリーも何かに追われている。
ーーいや、あたしとミヤちゃんが、か?
そう思うと、名古屋の夜の公園で車の窓をマヤが叩いた時から、小野寺の受難が始まっている。
幸か不幸かは別にして、並のおっさんではなかった小野寺は、逃げることも死ぬこともなく、マヤを連れて奔走している。
案外に、楽しそうにしている小野寺を見るにつけ
ーーこの人は一般社会で平穏に暮らすとか、無理な人なんだろうな。
と、この自衛隊内で一、二を争うような最高峰の技術と経験を持つ小野寺が、夜の公園で行くあてもなく車を停めている姿を思い出し、マヤはクスッと笑う。
まあ、あたしも、とマヤは雲一つないよく晴れた空を見上げて、思う。
どうやら普通ではない。
と。
鮮明に蘇る、イエメンでの戦闘。
人を屠ることに快楽を感じていた自分。
兵士、市民、大人、子供、男、女。
関係ない。
手当たり次第に、その両手に持つマチュテで触れた者の命は全て奪ってきた。
生々しい、肉と骨を断つ、なんとも言えない感触が、つい先ほどの事のようにマヤの手は記憶している。
怖気がする。
今の自分では考えられない。
ゴキブリを見つけただけで、走り回って悲鳴を上げているような
ーーそんなあたしが?
信じられない。
だが、吹き上がる血のヌメリと、むせかえるような臓物の生臭さの立ち込める戦場で、人を斬り刻みながら何度も絶頂を迎えていた、悪魔のような自分の姿が張り付いた膠のように脳裏から剥がれ落ちることはない。
マヤは、自分の掌を見る。
ヌルリとした、血のねばつく感触をその皮膚が覚えている。
いくら洗っても、ぬぐいきれないその赤黒いヌメリ。
強迫観念のように、手指が擦り切れて血が滲むまで洗っていた事もあった。
もちろん理由もわからず、ぬぐいきれない何かを、必死に、泣きじゃくりながら、一晩中。
その度に、養い親である、マヤの呼ぶところの義父と義母、に注射を打たれて寝かしつけられていた。
目が覚めて、包帯や絆創膏を巻かれた掌を見つめながら、自分が良くわからなくなり、怖くて仕方がなかった。
鬼ごっこの夢も、コロシたくなる衝動も、全てが今、マヤの中で繋がった。
そうか。
と、マヤは思う。
アタシは狂った獣を飼っている。
この心の中に。
今はいくつもの鎖で繋ぎ止められているが、一本、また一本とその鎖は弾け飛んでいる。
ような気を、マヤは感じていた。
ーーどうなるんだろう?
もし、すべての鎖を断ち切って、マヤの中に眠る「あのコ」が再びマヤを支配しようとしたら。
今の自分はその支配をはねのける事ができるのであろうか?
熱いものが、マヤの左の目尻から溢れ、頬を伝う。
ーーいやだ。
「あのコ」になんて戻りたくない。
ーー今のあたしが好き。
血に飢えた獣のようなあたしの知らないあたしなんかに戻りたくはない。
ならばいっそ
ーー殺してほしい。
生きてなどいたくはない。
ーーだったら!
小野寺に殺してほしい、とマヤは涙でにじむ瞳を向ける。
この人になら、八つ裂きにされても構わない。
ーーあたしがオカシクなる前に・・・。
陽を浴びて眩しそうに目を細めている小野寺の横顔を見つめるマヤ。
ツーブロックまではいかないが、サイドを刈り上げた黒い髪、顔つきに似合わないやや細い眉。
殺されても自分の意思を曲げないかのような力に満ちた鳶色の瞳。
少し厚めの唇とそれをきつく結ぶ口。
マヤは小野寺の貌に惚れ惚れとしながら、ゆっくりと自分の唇を開いた。
声は出さない。
ゆっくりと、声もなくマヤの唇が動く。
「こ、ろ、し、て」
と。
言い終わってマヤは、満足気に微笑んだ。
「どうした?」
自分を見つめる視線に気づいたのか、小野寺がチラリとマヤを見て微笑んだ。
「・・・泣いてんのか?」
「うるさい」
「手厳しいや」
呵呵と笑いながら、小野寺は左手をマヤの頭に乗せて、クシャクシャと撫でた。
ーーマジで好き。
マヤは湧き上がる衝動抑えるかのように、努めて迷惑そうにその手を払いのけた。
に向かうらしい。
マヤの頭の中にある記憶、名古屋で中学二年生から高校一年生までの三年間で、愛知県から出た憶えはない。
であるので、マヤにはそのトウジンボウがどんな所で、どこにあるかを知らない。
「絶景だぜ」
と、小野寺は語るが、あまりそこに興味はない。
温泉。
マヤの興味はそこにしかない。
小野寺とふたり、どこかでゆっくりしたい。
そう願う気持ちからふと口を吐いて出た言葉が、温泉であった。
車のラジオからは、今朝方キャサワリーたちが巻き起こした福井での騒動の話題が頻繁に流れている。
死者はいない様だが、車十一台と十八人ほどの怪我人が出た、とラジオは伝える。
この大事故を引き起こした白いスポーツカーの二人組と、黒いセダンの二人組は未だ逃走中で、福井県警および近隣の各県警はその二台の車を捜索中だとも。
ーーなるほど。
と、マヤはキャサワリーの思惑に気づいた様で、感心する思いだった。
マヤが思うに、キャサワリーはこの大騒動を引き起こし、福井県の警察を蜂の巣を突いた様な状態にした。
サイレンは鳴らさずに、福井県警と書かれたパトカーが赤い回転灯を廻しながら対向車線をすれ違っていく。
これで何度目なのか分からないほど、何台ものパトカーとすれ違っている。
確かに、キャサワリー達は警察に追われる身になった。
車は目立つ白いフェアレディZ。
キャサワリーも長い赤毛をなびかせる、そうはいない美女、しかも北欧人である。
日本ではとても目立つ容姿である。
しかも、キャサワリーとの関連性が容易に想像できない、十代の日本人の少女と行動を共にしている。
どう見ても、目立ちすぎる二人組である。
と、ここで思考を止めてしまえは、軽率な行動で騒ぎを起こしたキャサワリーで話は終わる。
ーー警察に非常線を張らせることで、全ての動きを封じたんだ。
小野寺もキャサワリーも何かに追われている。
ーーいや、あたしとミヤちゃんが、か?
そう思うと、名古屋の夜の公園で車の窓をマヤが叩いた時から、小野寺の受難が始まっている。
幸か不幸かは別にして、並のおっさんではなかった小野寺は、逃げることも死ぬこともなく、マヤを連れて奔走している。
案外に、楽しそうにしている小野寺を見るにつけ
ーーこの人は一般社会で平穏に暮らすとか、無理な人なんだろうな。
と、この自衛隊内で一、二を争うような最高峰の技術と経験を持つ小野寺が、夜の公園で行くあてもなく車を停めている姿を思い出し、マヤはクスッと笑う。
まあ、あたしも、とマヤは雲一つないよく晴れた空を見上げて、思う。
どうやら普通ではない。
と。
鮮明に蘇る、イエメンでの戦闘。
人を屠ることに快楽を感じていた自分。
兵士、市民、大人、子供、男、女。
関係ない。
手当たり次第に、その両手に持つマチュテで触れた者の命は全て奪ってきた。
生々しい、肉と骨を断つ、なんとも言えない感触が、つい先ほどの事のようにマヤの手は記憶している。
怖気がする。
今の自分では考えられない。
ゴキブリを見つけただけで、走り回って悲鳴を上げているような
ーーそんなあたしが?
信じられない。
だが、吹き上がる血のヌメリと、むせかえるような臓物の生臭さの立ち込める戦場で、人を斬り刻みながら何度も絶頂を迎えていた、悪魔のような自分の姿が張り付いた膠のように脳裏から剥がれ落ちることはない。
マヤは、自分の掌を見る。
ヌルリとした、血のねばつく感触をその皮膚が覚えている。
いくら洗っても、ぬぐいきれないその赤黒いヌメリ。
強迫観念のように、手指が擦り切れて血が滲むまで洗っていた事もあった。
もちろん理由もわからず、ぬぐいきれない何かを、必死に、泣きじゃくりながら、一晩中。
その度に、養い親である、マヤの呼ぶところの義父と義母、に注射を打たれて寝かしつけられていた。
目が覚めて、包帯や絆創膏を巻かれた掌を見つめながら、自分が良くわからなくなり、怖くて仕方がなかった。
鬼ごっこの夢も、コロシたくなる衝動も、全てが今、マヤの中で繋がった。
そうか。
と、マヤは思う。
アタシは狂った獣を飼っている。
この心の中に。
今はいくつもの鎖で繋ぎ止められているが、一本、また一本とその鎖は弾け飛んでいる。
ような気を、マヤは感じていた。
ーーどうなるんだろう?
もし、すべての鎖を断ち切って、マヤの中に眠る「あのコ」が再びマヤを支配しようとしたら。
今の自分はその支配をはねのける事ができるのであろうか?
熱いものが、マヤの左の目尻から溢れ、頬を伝う。
ーーいやだ。
「あのコ」になんて戻りたくない。
ーー今のあたしが好き。
血に飢えた獣のようなあたしの知らないあたしなんかに戻りたくはない。
ならばいっそ
ーー殺してほしい。
生きてなどいたくはない。
ーーだったら!
小野寺に殺してほしい、とマヤは涙でにじむ瞳を向ける。
この人になら、八つ裂きにされても構わない。
ーーあたしがオカシクなる前に・・・。
陽を浴びて眩しそうに目を細めている小野寺の横顔を見つめるマヤ。
ツーブロックまではいかないが、サイドを刈り上げた黒い髪、顔つきに似合わないやや細い眉。
殺されても自分の意思を曲げないかのような力に満ちた鳶色の瞳。
少し厚めの唇とそれをきつく結ぶ口。
マヤは小野寺の貌に惚れ惚れとしながら、ゆっくりと自分の唇を開いた。
声は出さない。
ゆっくりと、声もなくマヤの唇が動く。
「こ、ろ、し、て」
と。
言い終わってマヤは、満足気に微笑んだ。
「どうした?」
自分を見つめる視線に気づいたのか、小野寺がチラリとマヤを見て微笑んだ。
「・・・泣いてんのか?」
「うるさい」
「手厳しいや」
呵呵と笑いながら、小野寺は左手をマヤの頭に乗せて、クシャクシャと撫でた。
ーーマジで好き。
マヤは湧き上がる衝動抑えるかのように、努めて迷惑そうにその手を払いのけた。
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