滅理姉妹【偶数日更新】

週刊 なかのや

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壱章

幕間 修行姉妹

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道場の木板を踏む音が、夜の静けさを破るように連なって響く。
縁の細い体躯が、姉・才牙の剣撃に応じるたびに空気が揺れ、木刀と木刀がぶつかる甲高い音が道場の天井へ反響した。

「… 陰・幽幻夜行いん・ゆうげんやこう

幽幻夜行は一歩踏み出す度に左斬り上げと右斬り上げを繰り返す単純な技…だが。

「——ッ!(重い!!)」

才牙の斬撃は一言で表すとすれば嵐。
ひと息の間に幾度も繰り出され、常人なら一太刀目で弾き飛ばされていただろう。
初撃から連続する斬り上げが、然程遠心力が掛かっている筈もないというのに重く感じる。

その一撃一撃に宿るのは、半魔獣化によって引き出された吸血鬼の膂力と敏捷。速度も重量も、以前の才牙の比ではない。
加えて、不規則な斬撃と間合いの変わる刀の持ち方は以前と同じだが、受ける難易度は全く異なる。

縁は必死だった。
木刀を握る掌には汗がにじみ、腕は痺れるように震えている。

このままでは受け切れぬ。
姉上の剣は、拙者を置いて行こうとしている……!

焦燥の奥に小さな恐怖が芽を出す。
(もし拙者が足を引っ張れば、姉上は拙者を必要とせぬだろう。否、拙者の存在が姉上の重荷となりうるのであれば……)

それだけは許せなかった。姉の剣の傍に立つのは、自分でなくてはならない。

縁は大きく息を吐き、瞼を閉じる。
——余計な思考を全て切り捨て、研ぎ澄まされた集中だけが全身を満たす。
肌の感覚が鋭敏になり、才牙の呼吸音や服の擦れる音、更には空気の揺れさえ感じられる。

「…無窮御剣流……陽禍ようか。」

「付け焼き刃か?」
「なら試してみよう…陰五逆・大紅蓮だいぐれん!」

才牙の木刀が空を裂こうと振り始めた辺りから、縁の肌に触れる空気がわずかに震え服の擦れる音や呼吸音から、瞬時に才牙の攻撃を予知する。
前へ半歩、四分の一歩と身体を捻り、次々に飛んでくる斬撃を縁は回避していく。

「ほう……避けおるか」

才牙の瞳孔が赤紫に光を帯び、笑みを浮かべる。

そして、才牙の呼吸がわずかに揺らいだ瞬間を捉えた。
次の刹那、縁の体が弾けたように前へ出る。

「——無窮御剣流、陽禍・ 赫灼葬光かくしゃくそうこう!」

木刀が宙を裂き、片手による連撃が稲妻のように放たれた。
音すら追いつけぬ速度。

刹那ごとの平突きが、才牙の剣圧の隙間を縫い、壁に叩きつけられるような横殴りの豪雨が如く襲いかかる。
打ち込む度に木板が軋み、才牙の防御は後手に回る。

「ぬ……ッ!」
なんという速さ!加えて片手平突きの波状攻撃、息が詰まる!!

吸血鬼の力をもってしても、縁の突きは的確に才牙の呼吸を封じ、退路を断つ。
瞼を開いた縁の瞳には決意が宿り、
ただ一閃。

木刀の切っ先が才牙の喉元で静止した。
道場に沈黙が降り、才牙の喉からごくりと生唾を飲む音だけが響く。

「……見事だ」
「その木刀が真剣であったなら、私は今無数の裂傷で屍を晒していただろう」

才牙は目を細め、笑みを深くした。

「流石我が妹よ。私をもってしても、中々勝てぬわ」

縁は木刀を下げ、汗に濡れた額を拭った。
その眼差しはまだ熱を帯びているが、口元は嬉しげにほころんでいた。

こうして、姉妹の稽古は新たな一線を越えたのである。

一時の休憩の後、姉はふいに口元に笑みを浮かべる。

「……剣を構えよ、縁」
低く落ち着いた声。その響きに縁の背筋が粟立つ。

「魔獣との戦いに、良き修練法を見出した故……やってみようぞ」

才牙は軽やかに壁際へと飛び、板壁を背に立った。
その姿勢は戦いの前触れではなく、どこか遊戯の始まりを告げるようでもある。

「……思い出すな。昔、そなたと忍者遊びをしたものよ」
「折り紙で手裏剣を作り、飛距離を競い合ったのが懐かしい…久方振りのごっこ遊びと洒落こもう」

右手を顔の前にかざし、指を組み合わせて忍者の印を結ぶ。
次の瞬間、その口から静かな声が落ちた。

「——人身変化の術・魔狼才牙」

道場を黒煙が覆い尽くす。
縁は反射的に木刀を構えた。
煙の中から、ズズ……と獣の爪が板を削る音。
そして姿を現したのは、巨大な黒狼だった。

光を吸い込むような漆黒の毛並み。
口には木刀を咥え、鋭利な何十本もの牙が覗く。
瞳は深紅に輝き、縁を射抜いた。

「ひっ……! あ、姉上!? な、なんと美しい毛並み……!」

驚愕と賞賛が同時に縁の口から飛び出す。
だがその直後、狼は地を蹴り、嵐のごとく襲いかかってきた。

ズシャッ! 木板が割れる音。
縁は辛うじて体を捻り、爪を皮一枚で避ける。

「——ッ!」

牙を剥き出しにし突進する才牙に、縁は呼吸を殺し、反撃の木刀を閃かせた。

「拙者を侮るでなかれ!」
「無窮御剣流…!」

迎撃と回避が矢継ぎ早に繰り返され、道場は修羅場と化す。

数刻の後、狼の巨体がふっと揺らぎ、黒煙に包まれる。

「ドロン……」と音を立てるように煙が散ったとき、そこには元の才牙の影があった。

「ふぅ……吸血鬼といえば、蝙蝠に変じると書物にあった。」
「だが厠で練習した折……どうにも、壁に収まりきらぬほど大きな蝙蝠一匹に化けてしまってな。」

煙が徐々に霧散し影から輪郭、肌色が見え隠れする。

「故に狼を試したのだ」

淡々と語る声。
だがその姿は、変身の余波により一糸まとわぬ裸身。

「っ……!」

縁の顔は瞬時に耳まで紅潮する。
咳を一つして、懐から羽織を差し出した。

「姉上……っ、全裸で歩くのはやめて頂きたく……!」
「目の付け所が、ござらぬ!せ、拙者を殺すおつもりか!!」

才牙は羽織を受け取り、素直に纏いながら小さく頷いた。

「……そうか。変身することで衣服が消えるのだな。」
「いや早、かたじけない」

「人身を変化させる術を使用する際は、必ず拙者といる状態且つ人が居ない場所で戻りましょうぞ」
「少し刺激が強過ぎる故、御容赦下さると幸いでござる」

静かな言葉とは裏腹に、縁の鼓動は高鳴り、羞恥と緊張がまだ収まらぬまま残っていた。

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