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壱章
四話 親無し姉妹④
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才牙が居間へと足を運ぶと、そこには湯気と香りに包まれた小さな食卓があった。
縁が皿を一つ、また一つと並べている。
彼女は頬を指先でかきながら、イタズラっ子のように舌を覗かせて笑った。
「丁度出来上がった次第です……オムレツを作ろうとしましたが、上手くいかず、スクランブルエッグに変態してしまいました。」
才牙はその表情を見て、ふっと口許を緩めた。
重々しい気配に包まれていた先程までの自分が嘘のように思える。
「構わん。どんな料理であろうと──縁の作る物なら、最上であろう。」
二人は向かい合い、掌を合わせる。
才牙は箸を取り、料理を口に運んだ。
半熟の卵が舌に絡み、ケチャップの酸味が後から追う。
熱が喉を通り抜ける感覚に、才牙は一瞬、己が人間であることを忘れそうになった。
だが、すぐに現実が脳裏に過ぎる。
──私は既に、半ば魔獣と化している。
日光に灼かれるようなあの感覚。
あれは人としての弱さではない。人間としての血脈が、太陽を拒絶している魔獣側の血に勝っているからこそ”苦手”で済んでいる。
では、私は何の魔獣に成り果てたのか。
答えは、未だ闇の中にあった。
気付けば才牙の箸は止まっていた。
それを見逃す縁ではない。
「……口に合わなかったのでしょうか。それとも──」
彼女は言いながら、そっとテーブルの下から一冊の書物を取り出す。
そして才牙の皿の横へ、音もなく差し出した。
「いや、美味しいとも。絶品だ。縁の作る物は、材料が何であれ高級料亭の味を優に越えよう。」
「──して、これは何だ?」
才牙が置かれた書物に視線を落とす。
分厚い表紙、獣の紋章らしきものが刻まれた装丁。とても綺麗とは言えない 襤褸襤褸の頁が挟まっている。かなり読まれたのだろう、横から見ても頁がよれていることが分かる。
ただならぬ気配を放つそれを、縁は凛とした声で説明する。
「お褒めに預かり、誠光栄の極み。……それは、破り捨てた文と共に郵便受けに入っておりました。」
「表紙から察するに、魔獣の種類を記した書物のように思えます。姉上が考えていることに合致すればと……」
そう言いながら、縁は懐から手拭いを取り出し、才牙の口許に残ったケチャップを優しく拭った。
才牙は微動だにせず、その仕草を受け入れる。
縁の作ったふわふわ卵炒め(スクランブルエッグ)は、このひと時を鮮やかにした。
家族の温もりと、魔の気配。
その狭間で──
彼女の心は静かに揺れていた。
才牙は縁が食器を片付ける音を、静かな音楽のように耳に受けながら、古びた書の頁をめくった。
最初に記されていたのは──
”魔獣とは、地球外生命体のうち神格では無き者で、知能や理性を持たぬ存在。
そのうえ魔法を扱うか、あるいは魔力を異常発生させ、周囲に危害を及ぼす者を指す。
また、人間が魔獣や魔物の魔力に曝露されることで身体に障り、魔獣化する事例は数多い。
更に人間が魔獣化を経て、知能や理性を備えた魔物へと進化する例は稀中の稀。
よって、魔獣化および半魔獣化した者は常に監視下に置くべきである。”
才牙の瞳が、紙面をじっと追った。
──やはり、私の身にも同じ現象が起きているのか。
次の頁からは「目次」として、魔獣や魔物の種類が列挙されていた。
しかも都合よく、それぞれの“弱点”や“性質”ごとに整理されている。
才牙は息を潜め、指で一行をなぞった。
「……私は日光に弱いらしいな。」
そう呟き、目次の「陽の光に弱き者」の項へ進む。
⸻そこに記されていたのは、”吸血鬼”、”食屍鬼”、”食人鬼”、そして”死人”。
才牙は立ち上がり、洗面所へ向かった。
鏡の前には既に縁が立ち、顔を洗っていた。
その横に並び、鏡の中を覗き込む。
縁はちらりと才牙を見て、蕩けるような笑みを浮かべる。
「姉上の美貌が鏡の中にもう一人……拙者、眩暈がしまする。」
そう言うや否や、ぱたりと倒れ込む縁。
才牙は苦笑しながらも鏡を覗き込み、己の瞳孔を見た。
そこに在るのは、赤紫に染まりつつある虹彩。どの種族の人間とも違う異色。
本の記述が脳裏に重なる。
”強き血統を持ち、生前の筋肉量が一般市民を凌ぎ、武術または剣術に通じる者。
そのうえ日光を嫌い、血を飲むことで生き長らえ、瞳孔の周りにある虹彩が赤紫に変じた者────
それを吸血鬼と称す。”
才牙は倒れた縁を支え、そっと立たせた。
「縁……私は吸血鬼とやらに成ったらしい。」
「しかし、日光に弱いという点は私には当てはまらぬ。先刻、確認済みだ。」
「次回からは、街に出る時は常に傘を差すことになるが……縁は、それでも良いか?」
縁は問いかけに、にこやかに微笑んだ。
まるで秘密を共有する子供のように、無邪気で、それでいて深い色を帯びた笑み。
「それは──姉上が、拙者と街へ逢い引きして下さると云うお話でしょうか?」
「嗚呼、拙者も姉上と閨を共にする日も近いのですね」
才牙は思わず、眉を上げた。
縁の言葉は、何故か甘く艶めかしく、どこまでも真剣だった。
縁が皿を一つ、また一つと並べている。
彼女は頬を指先でかきながら、イタズラっ子のように舌を覗かせて笑った。
「丁度出来上がった次第です……オムレツを作ろうとしましたが、上手くいかず、スクランブルエッグに変態してしまいました。」
才牙はその表情を見て、ふっと口許を緩めた。
重々しい気配に包まれていた先程までの自分が嘘のように思える。
「構わん。どんな料理であろうと──縁の作る物なら、最上であろう。」
二人は向かい合い、掌を合わせる。
才牙は箸を取り、料理を口に運んだ。
半熟の卵が舌に絡み、ケチャップの酸味が後から追う。
熱が喉を通り抜ける感覚に、才牙は一瞬、己が人間であることを忘れそうになった。
だが、すぐに現実が脳裏に過ぎる。
──私は既に、半ば魔獣と化している。
日光に灼かれるようなあの感覚。
あれは人としての弱さではない。人間としての血脈が、太陽を拒絶している魔獣側の血に勝っているからこそ”苦手”で済んでいる。
では、私は何の魔獣に成り果てたのか。
答えは、未だ闇の中にあった。
気付けば才牙の箸は止まっていた。
それを見逃す縁ではない。
「……口に合わなかったのでしょうか。それとも──」
彼女は言いながら、そっとテーブルの下から一冊の書物を取り出す。
そして才牙の皿の横へ、音もなく差し出した。
「いや、美味しいとも。絶品だ。縁の作る物は、材料が何であれ高級料亭の味を優に越えよう。」
「──して、これは何だ?」
才牙が置かれた書物に視線を落とす。
分厚い表紙、獣の紋章らしきものが刻まれた装丁。とても綺麗とは言えない 襤褸襤褸の頁が挟まっている。かなり読まれたのだろう、横から見ても頁がよれていることが分かる。
ただならぬ気配を放つそれを、縁は凛とした声で説明する。
「お褒めに預かり、誠光栄の極み。……それは、破り捨てた文と共に郵便受けに入っておりました。」
「表紙から察するに、魔獣の種類を記した書物のように思えます。姉上が考えていることに合致すればと……」
そう言いながら、縁は懐から手拭いを取り出し、才牙の口許に残ったケチャップを優しく拭った。
才牙は微動だにせず、その仕草を受け入れる。
縁の作ったふわふわ卵炒め(スクランブルエッグ)は、このひと時を鮮やかにした。
家族の温もりと、魔の気配。
その狭間で──
彼女の心は静かに揺れていた。
才牙は縁が食器を片付ける音を、静かな音楽のように耳に受けながら、古びた書の頁をめくった。
最初に記されていたのは──
”魔獣とは、地球外生命体のうち神格では無き者で、知能や理性を持たぬ存在。
そのうえ魔法を扱うか、あるいは魔力を異常発生させ、周囲に危害を及ぼす者を指す。
また、人間が魔獣や魔物の魔力に曝露されることで身体に障り、魔獣化する事例は数多い。
更に人間が魔獣化を経て、知能や理性を備えた魔物へと進化する例は稀中の稀。
よって、魔獣化および半魔獣化した者は常に監視下に置くべきである。”
才牙の瞳が、紙面をじっと追った。
──やはり、私の身にも同じ現象が起きているのか。
次の頁からは「目次」として、魔獣や魔物の種類が列挙されていた。
しかも都合よく、それぞれの“弱点”や“性質”ごとに整理されている。
才牙は息を潜め、指で一行をなぞった。
「……私は日光に弱いらしいな。」
そう呟き、目次の「陽の光に弱き者」の項へ進む。
⸻そこに記されていたのは、”吸血鬼”、”食屍鬼”、”食人鬼”、そして”死人”。
才牙は立ち上がり、洗面所へ向かった。
鏡の前には既に縁が立ち、顔を洗っていた。
その横に並び、鏡の中を覗き込む。
縁はちらりと才牙を見て、蕩けるような笑みを浮かべる。
「姉上の美貌が鏡の中にもう一人……拙者、眩暈がしまする。」
そう言うや否や、ぱたりと倒れ込む縁。
才牙は苦笑しながらも鏡を覗き込み、己の瞳孔を見た。
そこに在るのは、赤紫に染まりつつある虹彩。どの種族の人間とも違う異色。
本の記述が脳裏に重なる。
”強き血統を持ち、生前の筋肉量が一般市民を凌ぎ、武術または剣術に通じる者。
そのうえ日光を嫌い、血を飲むことで生き長らえ、瞳孔の周りにある虹彩が赤紫に変じた者────
それを吸血鬼と称す。”
才牙は倒れた縁を支え、そっと立たせた。
「縁……私は吸血鬼とやらに成ったらしい。」
「しかし、日光に弱いという点は私には当てはまらぬ。先刻、確認済みだ。」
「次回からは、街に出る時は常に傘を差すことになるが……縁は、それでも良いか?」
縁は問いかけに、にこやかに微笑んだ。
まるで秘密を共有する子供のように、無邪気で、それでいて深い色を帯びた笑み。
「それは──姉上が、拙者と街へ逢い引きして下さると云うお話でしょうか?」
「嗚呼、拙者も姉上と閨を共にする日も近いのですね」
才牙は思わず、眉を上げた。
縁の言葉は、何故か甘く艶めかしく、どこまでも真剣だった。
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