深き森のグレーテル

偽の笑顔

私、寝かされてる？何処だっけここ。たしか岬を追って森に入って、それで…刺された！……痛っ”

瞼の外側が明るく、薄ら黒い影が通る。朝羽に掛けられている毛布を直したのだろう、朝羽が目を開くと隣に優しく微笑む女性が椅子に座っていた。女性は「起きちゃいましたね」と言って朝羽に紅茶の入ったマグカップを渡した。

「あの、ここは。」
「私の家です。まぁ別荘と言うのが正しいかもしれません」
「あっ、この紅茶美味しい。」
「ふふ、でしょう？ドイツに居る私の友人がくれたの。ところで貴女はどうして追われてるのかな？」
「私、あの…」
「待って！貴女の為に食事を用意したの。話は食べながらにしましょ？」と女性は立ち上がって朝羽に手を伸ばす。朝羽が手を取ると女性は朝羽が体勢を崩さないように支えながら歩いて部屋を出た。
廊下は両壁に顔写真が大量に貼られており、そのどれもが作り笑いをしたように見える程の笑顔だった。朝羽は1枚2枚と写真を見ているうちに段々と気分が悪くなってきた。目線を逸らしても、その逸らした先に別の人間の顔が此方を見て作った笑顔で睨んでいるかのように感じた。朝羽が女性の顔を見ると「どうしましたか？」と、そこら中にある気色悪い写真を見たからなのか女性の微笑みが温かく感じられた。
女性の感性を否定したくは無いが興味本位で朝羽は女性に聞いた。

「写真…お好きなんですか？」
「はい！特に特別な景色でも可愛らしい動物を写すより、こうして誰かの自然な笑顔を写真として残すのがとっても好きですよ」
「ちなみにこの人達は……えっと、お姉さん？の友人ですか？」
「あら！お姉さんだなんて、お上手なのね。とても嬉しい。申し遅れたね私は、グレーテル。日本人に見えるでしょ？勿論日本人だけど、皆が私の事グレーテルって読んでいるの。だから貴女もグレーテルと呼んで。」

「なぜグレーテルなの？」とは聞かなかった、というのは正しく無く朝羽は聞けば何かしら良くない事が起きるか自身が危険に晒されるんじゃないかと無意識に悟った。
女性に「グレーテルさん」と朝羽が言うと女性は「グレーテルでいいよ」と笑った。
そんな会話をしながら階段を降りて行くと下からハヤシライスのような匂いが鼻腔をくすぐり、実家の母との思い出が脳裏を過った。

「ハヤシライス？」
「ビーフシチューです」
「グレーテル。さんが作ったのですか？」
「この家には私しか料理の出来る人は居ませんからね。」

グレーテルが扉を開けると匂いが更に増した。
キッチンは全てがアンティーク調の物で揃えられている。壁には先程見た写真達では無く美しい風景画が並び、中央には2人が対面して食べられるようにダイニングテーブルと椅子があった。天井からは蔓が降りて来ており、その蔓は温かみのあるランプ達を絡めて部屋を明るく照らしている。