【完結・番外編更新中】断罪劇をぶち壊したのは、すみっこのメモ魔です 〜気付けばとんでもないことになっていた〜

桜野なつみ

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第78話 ヒロイン

王立高等裁判所には、もはやざわめきはなかった。

あるのは、弓弦のように張りつめた空気だけ。

証言台に立つルーリーは、涙の跡を頬に残したまま、それでもしっかりと顔を上げていた。

最初に見せた弱さは、もう消えている。

「……私は、殿下のために動いただけなんです」

その声は、はっきりと法廷に届いた。

震えていない。

裁判長が静かに問う。

「先ほどの“鍵”の件。あなたに指示をした人物は、誰ですか」

ルーリーは迷わなかった。

「若い男性です。黒い外套を着ていました。声は低くて……でも優しかった……」

一瞬、視線が揺れる。

「みんなに無視されていた学園で、話しかけてくれたの」

法廷が、わずかにざわめく。

「殿下のお言葉を預かっていると、そう言いました。殿下はあなたを信じている、とも言ってくれたわ」

その言葉を思い出すだけで、胸が熱くなるのだろう。

彼女の瞳が再び潤む。

「あの人の目は嘘をついていなかったわ! だって、私と殿下の“秘密の鍵”のことを知っていたんですもの」

シグラスの眉が、わずかに動く。

隣に座るヴァルギスが、はっと顔を上げた。

裁判長は続ける。

「その男の顔は、覚えていますか」

「もちろんです」

即答。

その迷いのなさに、裁判長がわずかに目を細める。

「その時に一度だけ見た顔ですよね。しっかりと覚えているのですか」

「もちろんです! だって……」

ルーリーは、ほんの一瞬だけ言葉を選ぶ。

そして、言った。

「今、私がお世話になっているお屋敷で見かけました」

――空気が、止まった。

「……どの屋敷ですか」

「シグラス公爵家の縁者のお屋敷です。私が今滞在しているところ。シグラス公爵閣下が、わざわざ私のお世話を頼んでくださったのですもの」

ざわ、と波が広がる。

椅子が軋み、誰かが息を呑む。

シグラスが立ち上がった。

「裁判長。証人は混乱しております。憶測を述べているにすぎません」

「混乱なんかしていないわ!」

ルーリーが言い返す。

涙は乾いている。

その目は真っ直ぐだ。

「ちゃんと覚えています。だってあの人、私は何度も見かけているもの。一度、目が合ったことがあるけれど……目が悪いのかしらね。私が手を振ったのに、すぐにどこかへ行ってしまったわ」

彼女は本気だ。

悪意はない。

疑いもない。

ただ、“正しい記憶”を語っているだけ。

裁判長はしばらく沈黙し、やがて言った。

「……興味深い話だ。続けなさい」

シグラスの指先が、机の縁を強く握る。

爪が白くなる。



「それに」

ルーリーは、ふと傍聴席へ視線を向けた。

「あら?」

その声は、あまりにも無邪気だった。

法廷の視線が、一斉にその先を追う。

――ショウイン侯爵家の席。

長男ガイアスのすぐ後ろに、ひっそりと座る少女。

青ざめ、俯き、両手を固く握りしめている。

「あなた……どうしてここにいるの?」

静寂。

少女の肩が、びくりと震える。

「逃げなさいって言ったでしょう? 怖いって言ってたじゃない」

凍りつく空気。

裁判長の声が低くなる。

「証人、どういう意味ですか」

ルーリーは、本当に不思議そうに首を傾げた。

「どういう意味って……何が?」

小さく笑う。

「私はただ、可哀想だっただけよ?」

ざわ、と小さな波が広がる。

「私、人の気持ちを見るのが得意なの。あのお屋敷で、私のお世話をしてくれていたこの子、顔がいつも暗かったから。だから優しく聞いてあげたのよ」

自慢げにルーリーは語る。

「何回も聞いているうちに、泣きながら教えてくれたわ。お母さんと離れて暮らしてるって。自分がここにいるから、お母さんが誰かの命令で働かされているって。怖いって」

法廷の視線が、彼女と少女を行き来する。

「だから私がもらった宝石をいくつか持たせて、逃げなさいって言ったの」

「不安そうにしていたから、何度も大丈夫よ、って言ってあげたの。私はヒロインなんだから、ちゃんと助けてあげるって」

本気だった。

疑いなく。

善意だけで。

シグラスの顔色が変わる。

その娘と母親は――

彼にとって、逃がしてはいけない存在だった。

証言されれば、脅迫が露見する。

なのに。

駒にしたつもりの娘が。

盤上で操っているつもりだった存在が。

目の前で、光に照らされている。



被告席。

アトラスは、目を閉じた。

耳を澄ませる。

ざわめきの奥。

椅子の軋み。

荒くなる呼吸。

そして――

小さく漏れた、ヴァルギスの声。

「……父上、どうされますか」

「黙れ」

押し殺した声。

短いが、焦りが混じる。

それで、十分だった。

アトラスは目を開く。

静かに立ち上がる。

「裁判長。証人に、二点確認を」

法廷が息を止める。

「まず、その若い男の特徴を、具体的に述べていただけますか」

ルーリーは迷わず語る。

年頃。

声色。

立ち姿。

そして――

「左の頬に、薄い傷がありました」

シグラスの瞳が、わずかに揺れた。

次。

「そして証人。あなたはその少女に宝石を持たせた、と」

「ええ」

誇らしげに、胸を張る。

「だって可哀想じゃない。脅されているみたいだったもの」

「誰に脅されていると?」

ルーリーは首を傾げる。

「分からないわ。でも、“自分がここにいるから、お母さんが逆らえない”って泣いていたわ」

沈黙。

それは偶然ではない。

意図もない。

だが、確実に線が繋がる。

シグラスだけが理解している。

盤が、崩れ始めていることを。



「私は悪いことなんてしていません」

ルーリーは、まっすぐに立つ。

「私は物語を正そうとしただけです。殿下はきっと、分かってくださるわ」

まだ崩れない。

むしろ、光を増している。

自分がヒロインだと信じて疑わない少女の、無垢な輝き。

だがその光は、

盤上の闇を、容赦なく照らし始めていた。

法廷は静まり返る。

次に崩れるのは、誰か。

アトラスは、もう分かっていた。
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