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第81話 越権
「拘束せよ」
裁判長の声は低く、揺るがなかった。
指された衛士がわずかに身構えるより早く、左右から別の衛士が歩み寄る。
剣の柄に触れる者はいない。ただ腕を取る。形式に則った動きだ。
「お待ちください」
鋭く割って入ったのは、シグラス公爵だった。
椅子を引く音が法廷に響く。
「その者は衛士省所属です。我が管轄の人間を、この場で拘束するのは越権行為ではありませんか。調査は衛士省で行うべきです」
言葉は整っている。
声も荒げていない。
だがその視線は、拘束されかけている副官を真っ直ぐに射抜いていた。
裁判長は眉を動かさない。
「本件は王立高等裁判所で審理中の重大案件である。証言の信憑性を確保するための一時拘束だ。越権には当たらない」
「しかしながら」
シグラスは一歩前に出る。
「衛士省は王国の治安を預かる機関。その所属者を、このような場で晒し者にすること自体、統治機構の秩序を損なう恐れがあります。もし誤認であれば、その影響は甚大です」
言い分はもっともに聞こえる。
傍聴席の一部がわずかに頷く。
だが、拘束された副官の額に、薄く汗が浮かんでいるのを見逃す者はいない。
アトラスは動かない。
視線も向けない。
ただ、静かに聞いている。
裁判長が口を開こうとした、その時だった。
「待て」
低く、しかし法廷の隅々まで届く声。
全員が振り向く。
玉座に近い高席――
国王が、ゆっくりと立ち上がっていた。
動きは大きくない。
だが、その存在が空気の重さを一段変える。
「シグラス公爵」
穏やかだが、逃げ場を与えない声。
「非常に重要な局面だ。記録の焼却、脅迫、衛士の関与。いずれも国家の信頼に関わる」
視線が、拘束された副官へ向く。
「ここではっきりさせよう」
言葉は短い。
だがそれは命令だった。
「この場で証言させよ。衛士省の名誉を守るためにも、曖昧なまま退かせるべきではあるまい」
一瞬だけ、シグラスの表情が止まる。
退くか。
押すか。
計算が走る。
「……陛下の御意であれば」
深く頭を下げる。
「ただし、公正な取り扱いを強く求めます」
国王は頷く。
「当然だ」
拘束された副官が証言台へと連れて行かれる。
歩みは整っている。
だが足取りはわずかに重い。
裁判長が告げる。
「名を改めて名乗れ」
副官は顔を上げる。
「衛士省第三隊副官、ラーデン・クロイス」
声は震えていない。
訓練された声だ。
「あなたは、ポーラ・ハリスに放火を指示したか」
沈黙。
法廷の視線が集まる。
シグラスの指が、わずかに机を叩く。
副官は、目を伏せない。
「命令を伝達したのみです」
空気が変わる。
裁判長が問う。
「誰の命令だ」
副官は一瞬だけ目を閉じる。
その瞬間を、アトラスは見ている。
「上官の命です」
「名を」
わずかな間。
副官の喉が動く。
「……直属の指揮官からの命令です」
曖昧な答え。
逃げの構造。
シグラスが口を開く。
「裁判長、ここで衛士省内部の指揮系統を公にするのは適切ではありません。軍事機密に関わる事項も含まれます」
理屈は通っている。
だが国王は視線を逸らさない。
「国家の中枢が揺らぐ疑いがあるのだ。機密の壁を盾にする局面ではない」
静かな圧。
副官の呼吸が浅くなる。
アトラスが、ここで初めて一歩踏み出す。
「裁判長、確認を」
声は穏やか。
「あなたはポーラ氏に、棚の位置と書類の範囲を具体的に指示したと言いましたね。自然発火に見せかける方法まで」
副官は頷く。
「はい」
「その情報は、衛士省の通常業務で把握し得る内容ですか。それとも、対象が限定されていた」
問いは柔らかい。
だが逃げ道を塞ぐ。
副官の視線が揺れる。
「……対象は限定されていました」
「誰が、その限定を行ったのですか」
沈黙。
シグラスの視線が鋭くなる。
法廷の空気が張りつめる。
副官の喉が鳴る。
「……上層部です」
曖昧。
だが、確実に階層は上へ向いている。
国王の視線が、シグラスへと移る。
言葉はまだない。
だが問いは、既に置かれている。
盤面は動き出していた。
そして今、衛士の拘束は単なる一人の問題ではなく、
衛士省そのものを試す局面へと変わっている。
次に崩れるのは、命令系統か。
それとも、さらに上か。
法廷の空気は、まだ破裂していない。
だが、誰もが感じている。
限界は、近い。
裁判長の声は低く、揺るがなかった。
指された衛士がわずかに身構えるより早く、左右から別の衛士が歩み寄る。
剣の柄に触れる者はいない。ただ腕を取る。形式に則った動きだ。
「お待ちください」
鋭く割って入ったのは、シグラス公爵だった。
椅子を引く音が法廷に響く。
「その者は衛士省所属です。我が管轄の人間を、この場で拘束するのは越権行為ではありませんか。調査は衛士省で行うべきです」
言葉は整っている。
声も荒げていない。
だがその視線は、拘束されかけている副官を真っ直ぐに射抜いていた。
裁判長は眉を動かさない。
「本件は王立高等裁判所で審理中の重大案件である。証言の信憑性を確保するための一時拘束だ。越権には当たらない」
「しかしながら」
シグラスは一歩前に出る。
「衛士省は王国の治安を預かる機関。その所属者を、このような場で晒し者にすること自体、統治機構の秩序を損なう恐れがあります。もし誤認であれば、その影響は甚大です」
言い分はもっともに聞こえる。
傍聴席の一部がわずかに頷く。
だが、拘束された副官の額に、薄く汗が浮かんでいるのを見逃す者はいない。
アトラスは動かない。
視線も向けない。
ただ、静かに聞いている。
裁判長が口を開こうとした、その時だった。
「待て」
低く、しかし法廷の隅々まで届く声。
全員が振り向く。
玉座に近い高席――
国王が、ゆっくりと立ち上がっていた。
動きは大きくない。
だが、その存在が空気の重さを一段変える。
「シグラス公爵」
穏やかだが、逃げ場を与えない声。
「非常に重要な局面だ。記録の焼却、脅迫、衛士の関与。いずれも国家の信頼に関わる」
視線が、拘束された副官へ向く。
「ここではっきりさせよう」
言葉は短い。
だがそれは命令だった。
「この場で証言させよ。衛士省の名誉を守るためにも、曖昧なまま退かせるべきではあるまい」
一瞬だけ、シグラスの表情が止まる。
退くか。
押すか。
計算が走る。
「……陛下の御意であれば」
深く頭を下げる。
「ただし、公正な取り扱いを強く求めます」
国王は頷く。
「当然だ」
拘束された副官が証言台へと連れて行かれる。
歩みは整っている。
だが足取りはわずかに重い。
裁判長が告げる。
「名を改めて名乗れ」
副官は顔を上げる。
「衛士省第三隊副官、ラーデン・クロイス」
声は震えていない。
訓練された声だ。
「あなたは、ポーラ・ハリスに放火を指示したか」
沈黙。
法廷の視線が集まる。
シグラスの指が、わずかに机を叩く。
副官は、目を伏せない。
「命令を伝達したのみです」
空気が変わる。
裁判長が問う。
「誰の命令だ」
副官は一瞬だけ目を閉じる。
その瞬間を、アトラスは見ている。
「上官の命です」
「名を」
わずかな間。
副官の喉が動く。
「……直属の指揮官からの命令です」
曖昧な答え。
逃げの構造。
シグラスが口を開く。
「裁判長、ここで衛士省内部の指揮系統を公にするのは適切ではありません。軍事機密に関わる事項も含まれます」
理屈は通っている。
だが国王は視線を逸らさない。
「国家の中枢が揺らぐ疑いがあるのだ。機密の壁を盾にする局面ではない」
静かな圧。
副官の呼吸が浅くなる。
アトラスが、ここで初めて一歩踏み出す。
「裁判長、確認を」
声は穏やか。
「あなたはポーラ氏に、棚の位置と書類の範囲を具体的に指示したと言いましたね。自然発火に見せかける方法まで」
副官は頷く。
「はい」
「その情報は、衛士省の通常業務で把握し得る内容ですか。それとも、対象が限定されていた」
問いは柔らかい。
だが逃げ道を塞ぐ。
副官の視線が揺れる。
「……対象は限定されていました」
「誰が、その限定を行ったのですか」
沈黙。
シグラスの視線が鋭くなる。
法廷の空気が張りつめる。
副官の喉が鳴る。
「……上層部です」
曖昧。
だが、確実に階層は上へ向いている。
国王の視線が、シグラスへと移る。
言葉はまだない。
だが問いは、既に置かれている。
盤面は動き出していた。
そして今、衛士の拘束は単なる一人の問題ではなく、
衛士省そのものを試す局面へと変わっている。
次に崩れるのは、命令系統か。
それとも、さらに上か。
法廷の空気は、まだ破裂していない。
だが、誰もが感じている。
限界は、近い。
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