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白の問い
しおりを挟む商会の一室に戻ったレオニスは、すぐにアレンを呼び寄せ、新たな任務を命じた。
「アレン。アリシア嬢だけでなく──ソーントン家全体の過去を洗ってほしい。できるだけ古い記録からだ」
「かしこまりました」
レオニスは短く頷く。
アリシア嬢だけを調べれば済むと思っていた。
その浅はかさによって、「きみ」にまた苦しい思いをさせてしまったのだ。
今度こそ、真実を掴む。
そして必ず──「きみ」を助け出す。
彼の中ではすでに、ソーントン家の闇は単なる“個人の問題”ではなく、
“一族の構造そのものの歪み”であるという確信に変わりつつあった。
*
その夜、レオニスはカリンナ公爵夫人の私邸を訪れた。
「ようやく、本気で動く気になったのね」
迎えたカリンナは、紅茶を差し出しながら微笑む。
「はい、伯母上……お願いがあります。ソーントン家へ、信頼できる者を潜り込ませたいのです」
「うふふ、そう言われるかしらと思って、もう手を打っておいたわ。我が家が統括する福祉局に、長年勤めてきた女性がいるの。情報の扱いも、人心の機微も心得た人よ。彼女をメイドとして送り込みましょう。名前は──そうね、“エイミー”とでも名乗らせて」
「……感謝します」
「さあ、あなたの“白”を、取り戻してらっしゃいな」
カリンナは優しく微笑み、そっと彼の頭を撫でた。
「……この歳になっても、頭を撫でられるというのは……嬉しいものですね」
レオニスは、幼い日の記憶をたぐるように言った。
そして心のどこかで願っていた。
自分もまた、誰かに、このぬくもりを手渡すことができたなら、と。
その夜、彼の胸の奥で、何かが静かに、確かに動き出していた。
*
深夜。レオニスの書斎には、ひとつの刺繍が広げられていた。
──前回、ソーントン家から持ち帰った桜のハンカチ。
だがそこに、彼女の“白”は縫われていなかった。
レオニスは、そっと白糸を手に取る。
そして、自ら学んだ影縫いの技法で、布の裏へと針を走らせていく。
拙くとも、丁寧に。
思いを込めて、祈るように──
「きみ」を助けたい。
その思いが、白い糸となって布の中へと吸い込まれていく。
彼はただ、知りたかった。
その刺繍の奥にいる「きみ」の声を。
名を。
真実を。
そして、ようやく応えたかった。
「きみ」が繰り返し、縫い続けてきた、
──沈黙の叫びに。
*
翌日。ソーントン邸。
金装飾のティーポットを手土産に、レオニスはふたたび現れた。
母娘は目を輝かせてティーポットを見つめる。
──それだけを。
「前回の桜の刺繍、大変好評でした。実は、同じ方がもう一度所望されまして」
そう言って、レオニスはそっと籠の蓋を開ける。
その一番上には、桜の刺繍が施されたハンカチが置かれていた。
「こちら、参考までにお戻しします。特にこの意匠を気に入られていて……」
だが、アリシアも、その継母も、そこに縫い足された“白”には気づかない。
「ええ、これは以前のものですね。分かりましたわ」
「急ぎではありません。ただ、できれば進捗を度々拝見させていただければと」
レオニスの言葉に、アリシアはにっこりと笑ってみせた。
「もちろん、もちろんですわ。任せてくださいまし」
──レオニスは、目の前のふたりが、刺繍の“何ひとつ”見ていないことを知っていた。
彼女たちは、針の軌跡も、糸の声も見ない。
ただ、“それによって得られるもの”しか見ていないのだ。
*
その夜。
刺繍の籠は、無造作にビオラの部屋へと運ばれた。
メイドの手から雑に放り込まれたそれを、彼女は刺繍台にそっと置く。
蓋を取ると、その中に見覚えのある桜のハンカチがあった。
──あの日、自分が「白」を縫えなかったもの。
「ごめんね」
ビオラは、そっとその布を撫でる。
けれど、ふと指先に引っかかるような違和感を覚え、裏返してみる。
そして──目を見開いた。
そこには、白糸で縫われた、たった一行の影縫いがあった。
──もうすこし まっていて
その瞬間、彼女の小さな手が震えた。
何かが、胸の奥で、ほどけた。
目から零れた涙は、暖かかった。
ずっと忘れていた温度を思い出すように、
その一滴が、刺繍布の角を濡らした。
──誰かが、自分を見てくれていた。
誰かが、自分を知ろうとしてくれていた。
それだけで、生きていける。
それだけが、命を繋ぐ光になる。
ビオラは、そっとそのハンカチを広げる。
まるで宝物のように。
いいえ──それは、間違いなく彼女にとって“宝物”だった。
「私は、ここにいる」
その声にならない声を、心のなかでくり返す。
──まだ声は戻らない。
けれど、返事は、確かにそこにあった。
*
その夜。
ソーントン邸の裏丘に、ひときわ高く月が昇った。
白銀の光が、ひっそりと、少女の部屋の窓辺を照らす。
まるで、“白の問い”に、やがて真実の光が注がれる日を──
静かに、告げるかのように。
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