【完結】妹に存在を奪われた令嬢は知らない 〜彼女が刺繍に託した「たすけて」に、彼が気付いてくれていたことを〜

桜野なつみ

文字の大きさ
10 / 22

白の問い

しおりを挟む

商会の一室に戻ったレオニスは、すぐにアレンを呼び寄せ、新たな任務を命じた。

「アレン。アリシア嬢だけでなく──ソーントン家全体の過去を洗ってほしい。できるだけ古い記録からだ」

「かしこまりました」

レオニスは短く頷く。

アリシア嬢だけを調べれば済むと思っていた。
その浅はかさによって、「きみ」にまた苦しい思いをさせてしまったのだ。

今度こそ、真実を掴む。
そして必ず──「きみ」を助け出す。

彼の中ではすでに、ソーントン家の闇は単なる“個人の問題”ではなく、
“一族の構造そのものの歪み”であるという確信に変わりつつあった。

 



その夜、レオニスはカリンナ公爵夫人の私邸を訪れた。

「ようやく、本気で動く気になったのね」

迎えたカリンナは、紅茶を差し出しながら微笑む。

「はい、伯母上……お願いがあります。ソーントン家へ、信頼できる者を潜り込ませたいのです」

「うふふ、そう言われるかしらと思って、もう手を打っておいたわ。我が家が統括する福祉局に、長年勤めてきた女性がいるの。情報の扱いも、人心の機微も心得た人よ。彼女をメイドとして送り込みましょう。名前は──そうね、“エイミー”とでも名乗らせて」

「……感謝します」

「さあ、あなたの“白”を、取り戻してらっしゃいな」

カリンナは優しく微笑み、そっと彼の頭を撫でた。

「……この歳になっても、頭を撫でられるというのは……嬉しいものですね」

レオニスは、幼い日の記憶をたぐるように言った。
そして心のどこかで願っていた。
自分もまた、誰かに、このぬくもりを手渡すことができたなら、と。

その夜、彼の胸の奥で、何かが静かに、確かに動き出していた。

 



深夜。レオニスの書斎には、ひとつの刺繍が広げられていた。

──前回、ソーントン家から持ち帰った桜のハンカチ。
だがそこに、彼女の“白”は縫われていなかった。

レオニスは、そっと白糸を手に取る。
そして、自ら学んだ影縫いの技法で、布の裏へと針を走らせていく。

拙くとも、丁寧に。
思いを込めて、祈るように──

「きみ」を助けたい。

その思いが、白い糸となって布の中へと吸い込まれていく。

彼はただ、知りたかった。
その刺繍の奥にいる「きみ」の声を。
名を。
真実を。

そして、ようやく応えたかった。
「きみ」が繰り返し、縫い続けてきた、
──沈黙の叫びに。

 



翌日。ソーントン邸。

金装飾のティーポットを手土産に、レオニスはふたたび現れた。
母娘は目を輝かせてティーポットを見つめる。
──それだけを。

「前回の桜の刺繍、大変好評でした。実は、同じ方がもう一度所望されまして」

そう言って、レオニスはそっと籠の蓋を開ける。
その一番上には、桜の刺繍が施されたハンカチが置かれていた。

「こちら、参考までにお戻しします。特にこの意匠を気に入られていて……」

だが、アリシアも、その継母も、そこに縫い足された“白”には気づかない。

「ええ、これは以前のものですね。分かりましたわ」

「急ぎではありません。ただ、できれば進捗を度々拝見させていただければと」

レオニスの言葉に、アリシアはにっこりと笑ってみせた。

「もちろん、もちろんですわ。任せてくださいまし」

──レオニスは、目の前のふたりが、刺繍の“何ひとつ”見ていないことを知っていた。

彼女たちは、針の軌跡も、糸の声も見ない。
ただ、“それによって得られるもの”しか見ていないのだ。

 



その夜。

刺繍の籠は、無造作にビオラの部屋へと運ばれた。
メイドの手から雑に放り込まれたそれを、彼女は刺繍台にそっと置く。

蓋を取ると、その中に見覚えのある桜のハンカチがあった。

──あの日、自分が「白」を縫えなかったもの。

「ごめんね」

ビオラは、そっとその布を撫でる。
けれど、ふと指先に引っかかるような違和感を覚え、裏返してみる。

そして──目を見開いた。

そこには、白糸で縫われた、たった一行の影縫いがあった。

 

──もうすこし まっていて

 

その瞬間、彼女の小さな手が震えた。

何かが、胸の奥で、ほどけた。

目から零れた涙は、暖かかった。
ずっと忘れていた温度を思い出すように、
その一滴が、刺繍布の角を濡らした。

──誰かが、自分を見てくれていた。

誰かが、自分を知ろうとしてくれていた。

それだけで、生きていける。
それだけが、命を繋ぐ光になる。

ビオラは、そっとそのハンカチを広げる。

まるで宝物のように。
いいえ──それは、間違いなく彼女にとって“宝物”だった。

「私は、ここにいる」
その声にならない声を、心のなかでくり返す。

──まだ声は戻らない。
けれど、返事は、確かにそこにあった。

 



その夜。
ソーントン邸の裏丘に、ひときわ高く月が昇った。

白銀の光が、ひっそりと、少女の部屋の窓辺を照らす。

まるで、“白の問い”に、やがて真実の光が注がれる日を──

静かに、告げるかのように。

しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

両親に溺愛されて育った妹の顛末

葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。 オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。 「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」 「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」 「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」 妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。

【完結】エレクトラの婚約者

buchi
恋愛
しっかり者だが自己評価低めのエレクトラ。婚約相手は年下の美少年。迷うわー エレクトラは、平凡な伯爵令嬢。 父の再婚で家に乗り込んできた義母と義姉たちにいいようにあしらわれ、困り果てていた。 そこへ父がエレクトラに縁談を持ち込むが、二歳年下の少年で爵位もなければ金持ちでもない。 エレクトラは悩むが、義母は借金のカタにエレクトラに別な縁談を押し付けてきた。 もう自立するわ!とエレクトラは親友の王弟殿下の娘の侍女になろうと決意を固めるが…… 11万字とちょっと長め。 謙虚過ぎる性格のエレクトラと、優しいけど訳アリの高貴な三人の女友達、実は執着強めの天才肌の婚約予定者、扱いに困る義母と義姉が出てきます。暇つぶしにどうぞ。 タグにざまぁが付いていますが、義母や義姉たちが命に別状があったり、とことんひどいことになるザマァではないです。 まあ、そうなるよね〜みたいな因果応報的なざまぁです。

【完結】婚約破棄はいいのですが、平凡(?)な私を巻き込まないでください!

白キツネ
恋愛
実力主義であるクリスティア王国で、学園の卒業パーティーに中、突然第一王子である、アレン・クリスティアから婚約破棄を言い渡される。 婚約者ではないのに、です。 それに、いじめた記憶も一切ありません。 私にはちゃんと婚約者がいるんです。巻き込まないでください。 第一王子に何故か振られた女が、本来の婚約者と幸せになるお話。 カクヨムにも掲載しております。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません

ゆうき
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。 そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。 婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。 どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。 実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。 それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。 これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。 ☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

短編 政略結婚して十年、夫と妹に裏切られたので離縁します

朝陽千早
恋愛
政略結婚して十年。夫との愛はなく、妹の訪問が増えるたびに胸がざわついていた。ある日、夫と妹の不倫を示す手紙を見つけたセレナは、静かに離縁を決意する。すべてを手放してでも、自分の人生を取り戻すために――これは、裏切りから始まる“再生”の物語。

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

処理中です...