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王子の護衛
しおりを挟むソルジェニーは本当に、気落ちしていた。
古くからの契約、アースルーリンドの王子の軍事教練を受け持つ
『風の民』との、年に一度の講習期間が終わってしまい。
王子である彼は『風の民』の谷から、城に戻されてしまったからだ…。
家族のように扱ってくれる『風の民』達と離れ、本来の居場所である城に居る事が、ソルジェニーはうんと寂しく、心細かった。
なぜなら彼の父であるアースルーリンドの王は、彼が産まれた年にとっくに亡くなり。
母親も直ぐに馬車の事故で他界。
その上、父に代わり女王として君臨していた祖母ですら。
ソルジェニーが五歳の時に、この世を去り。
愛情を注いでくれる肉親が、身近に一人も居なかったから。
皆、慇懃無礼に礼を取って、王子であるソルジェニーに頭を下げるけど。
親しく声をかける者、どころか微笑みかける者すらまれ。
城の中に居場所は無いように感じられて、とても孤独だった。
『風の民』の荒れた地の粗末な住まいと違い、ここには不自由なんて、全く無かった。
いつだって美味しい食事が用意され、布団はふかふか。
衣服は毎朝、召使いが整えてくれる。
…にも関わらずソルジェニーは、親しみを感じない教育係と世話役に囲まれ、毎日息が詰まりそうだった。
そんな時だった。
ファントレイユに、出会ったのは。
もう14にもなったのだから、自由に城下を歩き回りたいと申し出たら、大臣達が護衛役を付けてくれた。
近衛連隊の騎士の中でも、彼なら宮廷でも如才無く過ごせ、気の利いた男で、腕も確かだと言われ…。
ソルジェニーは初めて、ファントレイユに会った。
その時ソルジェニーは、戸口から昼の陽光溢れる室内に。
ファントレイユが金糸で飾られた、クリームがかった衣服を纏って姿を現し。
自分の方へ、ゆっくり歩み寄って来る姿を。
不思議な気持ちで、見つめていた。
溢れる光の中ファントレイユは、光の加減でグレーに見えるたっぷりとした艶やかな栗毛を首に巻き付けるように。
肩の上でほんの少し揺らし。
その際立つ美貌の細面の上に、微笑を浮かべていた。
あんまりその立ち居振る舞いが、すらりと美しく。
仕草も優雅で気品溢れ、視線が吸い付き、見惚れてしまった。
姿の綺麗なご婦人は、この宮廷で幾人にもお目にかかった。
が、これほど隙無く美しい男性は、初めだった。
ファントレイユには人を引きつける、独特の雰囲気があって。
明るく輝くブルー・グレーの瞳の、その美貌で微笑みかけられると。
つい、彼に魅入られ、見惚れてしまい、それはうっとりとした気分にさせられる。
…宮廷作法の、教育係だと。
紹介されたりしていたら、きっとこんなに驚いたりはしなかったろう。
けれど彼は近衛連隊に所属していて、護衛なのだった。
ファントレイユは自分より背が低く、少女と見まごう顔立ちの。
淡い金色の長い髪を背に流す、青い瞳をしたソルジェニーに、少し屈んで伺うように見つめ、うっとりとする微笑を口元にたたえた。
「近衛から派遣された貴方の護衛です。
ファントレイユと…そう呼んで頂ければ結構。それで…」
彼の声は、その容姿に似合わず、びっくりするほど通った声だった。
相手に自分の意思を通すのに、慣れた声音。
そう言えば
『近衛連隊の隊長を務めている』
と聞いていたのを、その時、ソルジェニーは思い出す。
あんまり驚きを伴う表情で、自分を凝視する王子の様子に。
ファントレイユは気づいて、とうとう苦笑し、ささやいた。
「…期待外れでしたか?
もっと屈強な男を、お望みのようだ」
そう告げるファントレイユの声は、羽毛のように柔らかく。
そのくせ、隙が無かった。
間近で良く見ると、確かに鍛え上げられた武人のような。
引き締まって、しなやかな体躯をしてる。
ソルジェニーは慌てて首を、横に振って言った。
「…貴方のように綺麗な男性は初めて見たので、驚いただけです」
が、ファントレイユは朗らかに笑った。
「…冗談でしょう?
確か近衛一、使い手のギデオンは、貴方のいとこの筈だ。
貴方と、親交も厚いと聞いています。
彼がどれほど近衛で目立つか、貴方はごぞんじ無い?
彼と比べ、私の容姿なんて、どれ程のものです?
彼を見慣れている貴方が私に、そんな事を言うなんて!」
言われてソルジェニーは、いとこのギデオンを思い浮かべた。
そう言えばギデオンも、近衛だった。
確かに同じ王族の血を引くギデオンは、自分に良く似た雰囲気の顔立ちで。
金髪に青緑の瞳の、素晴らしく目立つ容貌の上。
その顔立ちは、女性のように綺麗だ。
ソルジェニーは、慌てて付け足す。
「あの…つまり、身内以外で…という意味です」
ファントレイユはようやく、ああ。
と、うっとりするような美貌の上に、微笑みを浮かべ、頷く。
ソルジェニーはその微笑に見とれながら、掠れ声でささやいた。
「それに貴方は…ギデオンとは、全然雰囲気が違います」
ファントレイユは少しからかうように屈み、ソルジェニーを覗き込んで告げる。
「…そりゃあ彼は本当に、あの容姿に似合わず戦うのが大好きで。
剣を放さない、猛者ですからね」
「…貴方は違うんですか?」
ソルジェニーが見上げて尋ねると、ファントレイユはまた、うっとりするような微笑をたたえ、微笑んだ。
「…戦う以外に、楽しい事はいっぱいあるでしょう?
多分そこが、ギデオンと私とは、決定的に違うんでしょうね。
もっと腕の立ちそうな男をお望みなら、大臣にそうおっしゃって頂いて結構ですよ?」
あっさりそう告げられ、ソルジェニーは戸惑った。
「…でも…。
貴方もとても、腕のいい方だとお伺いしています。
まさか剣の苦手なお方を、大臣達も、私の護衛にしたりはしないんでしょう?」
王子の言葉を聞くなり、ファントレイユは屈託無く笑った。
「…そりゃあ、近衛で隊長なんてしていたら、部下の手前。
剣が使えなきゃ、話になりませんが」
ソルジェニーは、ファントレイユの笑顔に促されるように、急いで告げた。
「それに貴方をお断りなんてしたら、貴方の立場上、それはお困りになるんでしょう?」
ソルジェニーの言葉に。
ファントレイユは社交用の仮面を外し、優しげで気遣う表情を垣間見せた。
「…噂通り、お優しい方だ。
でも私の心配より、貴方のお気に召す相手をお選びになる事です。
ご一緒に過ごす時間が、結構ありますからね」
ソルジェニーはそれを聞いたとたん、心が震えた。
ファントレイユのその言葉は、自分の立場なんかよりも本当に。
ソルジェニーの気持ちを優先し、気遣ってくれていると感じたから。
儀礼的に、もしくは責務上、気遣う者達は大勢いたけれど。
心から気遣ってくれる相手が、今までこの城の中に居なかった事に。
ソルジェニーはその時になって、初めて気づいた。
ああ…だから…。
唯一、一番身近ないとこのギデオンと会った時。
あれ程嬉しく、彼が去った後、とても寂しく感じられたのは。
そのせいだったのかもしれない。
ギデオンは身内だから、特別なのだと思ってた。
けれどそうじゃなく。
気遣ってくれる相手がいままで、この城の中で。
ギデオン、たった一人だけだった…。
それでソルジェニーはそのまま、自分の心をファントレイユに告げた。
「…私は貴方が護衛で、とても嬉しいです。
貴方も、そう思って頂けると嬉しいんですけれど」
ファントレイユはとても優しげな表情で、柔らかく微笑んだ。
「…そりゃあ…。
近衛ときたら、それは殺伐としていますから。
宮中でこんなに優雅で、楽しい職務を努められる事が。
嬉しくないはず、ありませんよ。
貴方は本当に申し分無く、お優しい方ですし」
そう誉められ。
ソルジェニーは思わず、頬を染めて頷いた。
ファントレイユに気に入られた事が、こんなに心弾み、楽しい事だなんて思わなかったし。
誰かに気に入られて、こんなに嬉しい事は、今まで一度だって、無かったから。
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