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温かな手
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木陰に眠る少女。
元の手触りはきっと柔らかく滑らかであろう銀の髪は不揃いでべとつき、簡素な服は汚れてボロ布のようだった。
フラウは川の水に浸した布でその顔を拭いてやる。軽く撫でるように肌の上を滑らせただけなのに、布はすぐに黒く汚れた。
それだけでも、この少女がどれほど粗悪な環境にいたのか窺い知ることができたが、それ以上に深刻なのは傷と打撲の痕だ。
骨の浮いた体、枯れ枝のように細く折れそうな手足、幼気な顔と至る所に、それらはあった。傷口は化膿し、見ているだけでも痛々しく、思わず目を背けたくなるほどだ。しかし手当てをしようにも、薬も包帯も持ち合わせていない。
できれば医者に診せた方がいいのだろうが、それができない理由が彼女にはあった。
喉の下、鎖骨の間に刻まれた黒い痣。
太く立派な尾を持つ獣の形をしたそれを見つけたフラウは、少女が何者であるのか即座に察した。
彼女は東の国の忌み子だ。
伝承の中で蛇と狐は忌み嫌われる存在として描かれている。
その印を持つ少女は、恐らく呪われた子として、そうした扱いを受けてきたのだろう。
昔、忌み子の印を受け継ぐ者が村の中で見つからなかったことが判明した際、皆が安堵の表情をしたことが漸くわかった。
「斯様な幼子に、あんまりな仕打ちでございますなぁ」
「!」
顔のすぐ横で聞こえた声に口から心臓が飛び出るかと思った。振り向くと、肩口から老爺が覗き込んでいた。
少女をフラウに託した老爺だ。
白蛇と少年を抱えて神殿を出て、しばらく歩いたところで少女を背に負ぶさった老爺が現れ、フラウに少女を介抱するように言ったのだ。
「なんだお前は! いきなり出てくるな! 私の後ろに立つな!」
「ほっほっほ、驚かせるつもりはこれっぽっちもございませんでな。まあ許してくだされ。ところでこれを」
老爺は外套の中から取り出したものをフラウに渡した。
傷薬に包帯、清潔な布が数枚と、それに子供用の服まである。
「これ、どうしたんだ?」
「なに、ちぃと近くの民家で拝借してきたのでございますよ」
「……」
拝借という言葉の前には恐らく無断とつくのだろうと予想ができたが、それを咎める気にはならなかった。そんなことで罪悪感を抱くことができるだけの余裕など、今はない。
「そういえばラムダとあの生意気な蛇はどうした?」
薬を染み込ませた布を傷口に当ててやりながら、フラウが言った。
「お二方は只今取り込み中につき、いえ非常に難儀な処置をしている最中でしてな、ワタクシめも参加……ああいや、助力したいと請い願いましたが丁重にお断りされてしまい、これこのように暇を持て余しておるところなのです」
「よくわからないが、暇ならこっちを手伝え。私はどうにもこうした手先を使う作業が苦手だ」
「しかし酷いものですな。これでは、キズが塞がったとしても痕になりましょう」
「忌み子というだけで、こんな惨い扱いを受けるというのか……」
ただ言い伝えにある嫌われ者の印を持つというだけで。
少女の腕に包帯を巻きながら老爺が呟く。
「これは、ヒトがその手で生み出した呪い。愚かで身勝手なヒトの欺瞞により繰り返されてきた罪でございます」
「ラムダも、あの子もそうなのか? こんな酷いことを?」
その問いに対して、老爺は答えなかった。白い髭に覆われた口元は緩く微笑むばかりである。
フラウは目を伏せて言う。
「すまない。当人でない者に聞くことではなかったな」
その時、少女の睫毛が震えた。薄く開かれた瞼の奥で瞳が揺れる。
ややあって、その瞳が焦点を結ぶと、はっと大きく見開かれた。
「よかった、気が付いたか」
顔にかかる前髪を避けてやろうとフラウが手を伸ばすと、少女はびくりとし、這いずるようにして身を引いた。
目覚めたばかりで混乱しているのか。頭を抱え、体を小さく縮こまらせて震え始める。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
繰り返される謝罪の言葉、引きつるようなか細い声に、少女に刻み込まれた傷の深さを思い知らされる。
なんと言葉をかけるべきなのか。
これほどまでに深手を負った心を、どうすれば癒やすことができるのか。
フラウが迷ううちに、老爺がその場を動かずに言う。
「我々は神殿の者ではありませぬ。そう怯えずとも、危害を加えたりはしませんぞ」
穏やかな口調に、長い髪の隙間で少女が困惑する様子が見て取れた。
そうだ。敵ではない。今までの人間たちのように、君を傷つけたいわけじゃない。まずはそのことを伝えなければ。
フラウは少女をできるだけ優しく、抱き寄せる。
「大丈夫だ、私たちは君の敵じゃない。大丈夫」
ゆっくりと背を擦る。少女の体から力が抜けるのがわかる。震えが止まる。
着替えの済んでいない汚れた服からは酷い臭いがしていた。
それでもフラウは、少女を抱きしめ続けた。
元の手触りはきっと柔らかく滑らかであろう銀の髪は不揃いでべとつき、簡素な服は汚れてボロ布のようだった。
フラウは川の水に浸した布でその顔を拭いてやる。軽く撫でるように肌の上を滑らせただけなのに、布はすぐに黒く汚れた。
それだけでも、この少女がどれほど粗悪な環境にいたのか窺い知ることができたが、それ以上に深刻なのは傷と打撲の痕だ。
骨の浮いた体、枯れ枝のように細く折れそうな手足、幼気な顔と至る所に、それらはあった。傷口は化膿し、見ているだけでも痛々しく、思わず目を背けたくなるほどだ。しかし手当てをしようにも、薬も包帯も持ち合わせていない。
できれば医者に診せた方がいいのだろうが、それができない理由が彼女にはあった。
喉の下、鎖骨の間に刻まれた黒い痣。
太く立派な尾を持つ獣の形をしたそれを見つけたフラウは、少女が何者であるのか即座に察した。
彼女は東の国の忌み子だ。
伝承の中で蛇と狐は忌み嫌われる存在として描かれている。
その印を持つ少女は、恐らく呪われた子として、そうした扱いを受けてきたのだろう。
昔、忌み子の印を受け継ぐ者が村の中で見つからなかったことが判明した際、皆が安堵の表情をしたことが漸くわかった。
「斯様な幼子に、あんまりな仕打ちでございますなぁ」
「!」
顔のすぐ横で聞こえた声に口から心臓が飛び出るかと思った。振り向くと、肩口から老爺が覗き込んでいた。
少女をフラウに託した老爺だ。
白蛇と少年を抱えて神殿を出て、しばらく歩いたところで少女を背に負ぶさった老爺が現れ、フラウに少女を介抱するように言ったのだ。
「なんだお前は! いきなり出てくるな! 私の後ろに立つな!」
「ほっほっほ、驚かせるつもりはこれっぽっちもございませんでな。まあ許してくだされ。ところでこれを」
老爺は外套の中から取り出したものをフラウに渡した。
傷薬に包帯、清潔な布が数枚と、それに子供用の服まである。
「これ、どうしたんだ?」
「なに、ちぃと近くの民家で拝借してきたのでございますよ」
「……」
拝借という言葉の前には恐らく無断とつくのだろうと予想ができたが、それを咎める気にはならなかった。そんなことで罪悪感を抱くことができるだけの余裕など、今はない。
「そういえばラムダとあの生意気な蛇はどうした?」
薬を染み込ませた布を傷口に当ててやりながら、フラウが言った。
「お二方は只今取り込み中につき、いえ非常に難儀な処置をしている最中でしてな、ワタクシめも参加……ああいや、助力したいと請い願いましたが丁重にお断りされてしまい、これこのように暇を持て余しておるところなのです」
「よくわからないが、暇ならこっちを手伝え。私はどうにもこうした手先を使う作業が苦手だ」
「しかし酷いものですな。これでは、キズが塞がったとしても痕になりましょう」
「忌み子というだけで、こんな惨い扱いを受けるというのか……」
ただ言い伝えにある嫌われ者の印を持つというだけで。
少女の腕に包帯を巻きながら老爺が呟く。
「これは、ヒトがその手で生み出した呪い。愚かで身勝手なヒトの欺瞞により繰り返されてきた罪でございます」
「ラムダも、あの子もそうなのか? こんな酷いことを?」
その問いに対して、老爺は答えなかった。白い髭に覆われた口元は緩く微笑むばかりである。
フラウは目を伏せて言う。
「すまない。当人でない者に聞くことではなかったな」
その時、少女の睫毛が震えた。薄く開かれた瞼の奥で瞳が揺れる。
ややあって、その瞳が焦点を結ぶと、はっと大きく見開かれた。
「よかった、気が付いたか」
顔にかかる前髪を避けてやろうとフラウが手を伸ばすと、少女はびくりとし、這いずるようにして身を引いた。
目覚めたばかりで混乱しているのか。頭を抱え、体を小さく縮こまらせて震え始める。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
繰り返される謝罪の言葉、引きつるようなか細い声に、少女に刻み込まれた傷の深さを思い知らされる。
なんと言葉をかけるべきなのか。
これほどまでに深手を負った心を、どうすれば癒やすことができるのか。
フラウが迷ううちに、老爺がその場を動かずに言う。
「我々は神殿の者ではありませぬ。そう怯えずとも、危害を加えたりはしませんぞ」
穏やかな口調に、長い髪の隙間で少女が困惑する様子が見て取れた。
そうだ。敵ではない。今までの人間たちのように、君を傷つけたいわけじゃない。まずはそのことを伝えなければ。
フラウは少女をできるだけ優しく、抱き寄せる。
「大丈夫だ、私たちは君の敵じゃない。大丈夫」
ゆっくりと背を擦る。少女の体から力が抜けるのがわかる。震えが止まる。
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それでもフラウは、少女を抱きしめ続けた。
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