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カナキ
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歩き回っているうちに、明かりの灯った屋台を見つけた。エルミネアの身長程の高さのある縦長の荷箱を二つ、担ぎ棒で繋ぎ、その上に細長い屋根が設けられている見たことのない形をしていた。
中年の男が一人できりもりしていて、「そば」と呼ばれる食べ物を提供していた。
近くに置かれている樽を椅子に、大き目の木箱をテーブル代わりにしていて、先客が既に一人いた。
「やあ、ここもうすぐ空くから使いなよ」
若い男で、まっすぐで長い黒髪を頭の高い位置で結んでいた。目は狐のように細く吊って切れ長だ。
詰襟シャツの上から胸の前で合わせる形で袖のゆったりした上衣と、股下のあるスカートのような下衣という、珍しい出で立ちをしていた。
男の持つ丼と呼ばれる器と箸は、シオンにも馴染みがあるものだ。
「この辺りで見かけない顔だね」
「ええ、俺達は旅行者で」
「そう。どこから来たの?」
「ずっと遠くからです。もう方角さえもよくわからなくなるくらいに」
笑顔でシオンが言って、男もそれに小さく笑った。
「君、面白いなあ」
「いやあははは、冗談ではなく事実なんですけどねえ」
「君たち夫婦かい?」
「ちがいます。ただの同僚です」
エルミネアが即座に否定する。
男がにこやかに言った。
「そっか、じゃあ僕が彼女をお茶に誘っても問題ないわけだ」
「はい?」
「うーん、それがプライベートであれば俺に止める権限はないんですけど、職務中なのでどうでしょうね」
「へえ仕事中なんだ? するとこの旅行も仕事で」
「そんなところです。行きたいところがあるんですが、どうも迷ってしまいましてね。この街から出る方法を、あなたご存じありませんか?」
男は両手で持った丼を木箱に置くと、袋状になった袖から金を出して店主に渡した。
そうして立ち上がると、随分と細身で上背があるのがわかる。
細い目が緩くたわむ。
「さて、僕は長年ここに住んでいるのだけれど、長らくこの街から出て行った者もいなかったし、君たちは久しぶりの来訪者のようだからなあ。寧ろどうやってここまできたのか知りたいところだけれど、今は疲れているみたいだから遠慮しておいてあげるよ。空腹を満たし、眠って体力が回復した頃にまた会おう。この先の角を右に曲がったところに宿屋があるから話を通しておいてあげる」
「それはどうも。色々と世話をかけて、ありがとうございます。俺はシオンです。お名前をお聞きしても?」
男はエルミネアの方を見やったが、シオンがその前に立ち塞がったので、諦めたように肩を竦めた。
「カナキだよ」
ひらりと手を振ってカナキは去った。
店主が空になった丼を回収し、その後で湯気の立ちのぼる丼を二つ持ってきて置いた。
いただきましょうかとシオンが言い、エルミネアは一瞬反応が遅れた。
近くの樽に座ってそっと息を吐くエルミネアにシオンが言った。
「大丈夫ですか」
「……はい」
頷きつつも、まだ全身の毛が逆立つような感覚が抜けない。
「今のひと……いえ、後にしましょうか」
「そうですね、冷めないうちにいただきましょう」
温かいスープは魚介の不思議な風味で、麺はこれもまた初めて食べる味と食感だった。
喉から胃を過ぎていく熱に、緊張がほぐれる。
食べ終えてから、そういえば通貨の違いに気づき代金をどうしようと思って振り返ると、店主の姿はなかった。まるで初めからそこには何もなかったかのように、屋台ごと消えていた。
「この辺りを質屋ででも売れば、そこそこの資金にはなると思いますが……」
エルミネアはいくつか身につけている術具であるアクセサリーを外して見せたが、
「店が開いていればいいんですけどね。というかそういう店があるかどうかも……下手に歩き回っても、また迷いそうですし、さっき話を通しておいてくれると言っていましたから、一度言われた通り宿の方に行ってみましょうか」
と、シオンが考えながら、そのまま口にした。
言われたとおりに道を進むと、二階建ての建物が正面に現れた。玄関先の吊るされた明かりに読めない文字が書かれてあって、ガラス戸越しにうっすらと屋内が窺えた。
奥に受付カウンターらしきものがあるが、薄暗く、誰かがいるようには見えない。
ガタガタと音を立てながら引き戸を開いて中に入る。
玄関には低い段差があり、段差の下、隅の方に履物が置かれていたので、靴はここで脱ぐのだということが知れた。
「すみません。夜分遅くに失礼します。どなたかいらっしゃいませんか?」
エルミネアが抑えた声で呼びかけてみるが、返答はない。
何気なくカウンターの上に開かれた帳面に視線を落としたシオンが、おやと眉を跳ね上げた。
「エルミネアさん、これ」
促されてエルミネアは帳面を覗き込む。
そこにはシオンとエルミネアのフルネームが彼らの世界の文字で記されていた。エルミネアが驚いて顔を上げ、シオンを見る。
「これは、まさかあのカナキという人が?」
「さてどうでしょう」
「わたしの名は伝えていません」
「俺のファミリーネームだって名乗っていませんよ? それにこの文字だって、俺達の世界のものだ」
すぐ傍でかちゃりと物音がして、はっと振り向くと、カウンターの上に鍵があった。鍵には大きなキーホルダーがついていて、数字が記されていた。
「この部屋に泊まれということでしょうかね。二◯四号室ということは、二階かな。行きましょうか」
「え、でも」
いかにも怪しい。
罠同然なのにと思うが、シオンはまったく動じていなかった。
「野宿よりはいいでしょう」
中年の男が一人できりもりしていて、「そば」と呼ばれる食べ物を提供していた。
近くに置かれている樽を椅子に、大き目の木箱をテーブル代わりにしていて、先客が既に一人いた。
「やあ、ここもうすぐ空くから使いなよ」
若い男で、まっすぐで長い黒髪を頭の高い位置で結んでいた。目は狐のように細く吊って切れ長だ。
詰襟シャツの上から胸の前で合わせる形で袖のゆったりした上衣と、股下のあるスカートのような下衣という、珍しい出で立ちをしていた。
男の持つ丼と呼ばれる器と箸は、シオンにも馴染みがあるものだ。
「この辺りで見かけない顔だね」
「ええ、俺達は旅行者で」
「そう。どこから来たの?」
「ずっと遠くからです。もう方角さえもよくわからなくなるくらいに」
笑顔でシオンが言って、男もそれに小さく笑った。
「君、面白いなあ」
「いやあははは、冗談ではなく事実なんですけどねえ」
「君たち夫婦かい?」
「ちがいます。ただの同僚です」
エルミネアが即座に否定する。
男がにこやかに言った。
「そっか、じゃあ僕が彼女をお茶に誘っても問題ないわけだ」
「はい?」
「うーん、それがプライベートであれば俺に止める権限はないんですけど、職務中なのでどうでしょうね」
「へえ仕事中なんだ? するとこの旅行も仕事で」
「そんなところです。行きたいところがあるんですが、どうも迷ってしまいましてね。この街から出る方法を、あなたご存じありませんか?」
男は両手で持った丼を木箱に置くと、袋状になった袖から金を出して店主に渡した。
そうして立ち上がると、随分と細身で上背があるのがわかる。
細い目が緩くたわむ。
「さて、僕は長年ここに住んでいるのだけれど、長らくこの街から出て行った者もいなかったし、君たちは久しぶりの来訪者のようだからなあ。寧ろどうやってここまできたのか知りたいところだけれど、今は疲れているみたいだから遠慮しておいてあげるよ。空腹を満たし、眠って体力が回復した頃にまた会おう。この先の角を右に曲がったところに宿屋があるから話を通しておいてあげる」
「それはどうも。色々と世話をかけて、ありがとうございます。俺はシオンです。お名前をお聞きしても?」
男はエルミネアの方を見やったが、シオンがその前に立ち塞がったので、諦めたように肩を竦めた。
「カナキだよ」
ひらりと手を振ってカナキは去った。
店主が空になった丼を回収し、その後で湯気の立ちのぼる丼を二つ持ってきて置いた。
いただきましょうかとシオンが言い、エルミネアは一瞬反応が遅れた。
近くの樽に座ってそっと息を吐くエルミネアにシオンが言った。
「大丈夫ですか」
「……はい」
頷きつつも、まだ全身の毛が逆立つような感覚が抜けない。
「今のひと……いえ、後にしましょうか」
「そうですね、冷めないうちにいただきましょう」
温かいスープは魚介の不思議な風味で、麺はこれもまた初めて食べる味と食感だった。
喉から胃を過ぎていく熱に、緊張がほぐれる。
食べ終えてから、そういえば通貨の違いに気づき代金をどうしようと思って振り返ると、店主の姿はなかった。まるで初めからそこには何もなかったかのように、屋台ごと消えていた。
「この辺りを質屋ででも売れば、そこそこの資金にはなると思いますが……」
エルミネアはいくつか身につけている術具であるアクセサリーを外して見せたが、
「店が開いていればいいんですけどね。というかそういう店があるかどうかも……下手に歩き回っても、また迷いそうですし、さっき話を通しておいてくれると言っていましたから、一度言われた通り宿の方に行ってみましょうか」
と、シオンが考えながら、そのまま口にした。
言われたとおりに道を進むと、二階建ての建物が正面に現れた。玄関先の吊るされた明かりに読めない文字が書かれてあって、ガラス戸越しにうっすらと屋内が窺えた。
奥に受付カウンターらしきものがあるが、薄暗く、誰かがいるようには見えない。
ガタガタと音を立てながら引き戸を開いて中に入る。
玄関には低い段差があり、段差の下、隅の方に履物が置かれていたので、靴はここで脱ぐのだということが知れた。
「すみません。夜分遅くに失礼します。どなたかいらっしゃいませんか?」
エルミネアが抑えた声で呼びかけてみるが、返答はない。
何気なくカウンターの上に開かれた帳面に視線を落としたシオンが、おやと眉を跳ね上げた。
「エルミネアさん、これ」
促されてエルミネアは帳面を覗き込む。
そこにはシオンとエルミネアのフルネームが彼らの世界の文字で記されていた。エルミネアが驚いて顔を上げ、シオンを見る。
「これは、まさかあのカナキという人が?」
「さてどうでしょう」
「わたしの名は伝えていません」
「俺のファミリーネームだって名乗っていませんよ? それにこの文字だって、俺達の世界のものだ」
すぐ傍でかちゃりと物音がして、はっと振り向くと、カウンターの上に鍵があった。鍵には大きなキーホルダーがついていて、数字が記されていた。
「この部屋に泊まれということでしょうかね。二◯四号室ということは、二階かな。行きましょうか」
「え、でも」
いかにも怪しい。
罠同然なのにと思うが、シオンはまったく動じていなかった。
「野宿よりはいいでしょう」
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