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逃げ出した怪異
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カウンター横の廊下を進んだ先に見つけた階段を上がると、そのすぐ傍に二〇四の札が掛かった部屋があった。扉が開いていて、中は絨毯ではない何か細い植物を編んでこさえたような敷物が床一面を覆っていた。その上に寝具が二枚、並べて敷かれてある。
それを見たシオンがあっと声を上げた。
「そういえば同室」
「この状況ですから単独での行動は好ましくないですし、私は特に気にしません」
部屋の奥は格子状に組まれた木枠に紙を張った仕切りがあり、その向こうは板の間で、小さなテーブルと椅子が置かれてある。
「これはタタミと、ショウジだったかな? ああ、そうそう和様式ってやつだ。となるとあの入り口の文字はリョカンかな?」
「それはええと確か東の果てにあるという小さな島国の」
「そうですそうです。あのあたりの独特の文化も面白いなって思ってたんですよね。あ、縛ります?」
「は?」
普通の会話の流れのようにごく自然に変なことを言われて、思わず変な声が出た。
シオンが両手首の内側をくっつけて、エルミネアの前に差し出してくる。
「気にしないとは言っても、異性と同室とかやっぱり不安でしょう」
笑顔のまま言われて、エルミネアが僅かに身を引いた。
「別にそういう趣味とかではないですよ」
「いざという時に動けないようでは困りますので……」
「そうですか? それじゃあ」
シオンは板の間まで行くと、腕に抱えた本をテーブルに置き、椅子に座った。
「俺はここで休みますので」
「そういえばさっきから気になってたんですけど、その本どこから」
「受付の所に小さい本棚があったんで、持ってこられるだけ持ってきてしまいました。本は知識の宝庫ですからね。この世界のことについてなにか少しでもわかるかもと思って」
「いつの間に……」
本の種類は文芸作品から実用書、児童書に専門書、と様々で、文字が縦書きのものもあった。
いずれも当然だが、エルミネア達の世界の文字とは異なる。
「待ってください、アルクトスさんはこれが読めるんですか?」
「いいえ」
まさかと思いつつも、もしかしてという期待もわずかながらあったので、あっさり否定されてがっかりする。
シオンが本の中から一冊を持ち上げて、開いて見せた。
「でもほら、わかりやすいものだと、この子供向けの本。絵があって、その下に文字が書かれてあるでしょう。ここからこの文字はとか推測して、どうにか解読できないかなって」
「ですが例えばこの果物のような絵。わたし達の世界にあるリンゴに似ていますが、この世界では違う呼び名の可能性があります。いえ、その可能性の方が高い。名称がそれぞれの世界で異なるという仮定でその話を進めるならば、まずこの時点で手詰まりです」
エルミネアはシオンの手から本を奪うと、向かいの席に座り、持っていた杖を足元に置いてから、一つの絵を指し示して言った。
「物事にはあらゆる可能性がありますからね。でもこれはまあ単なる暇つぶしなので、エルミネアさんは気にせずに休んでください。魔法使うのって疲れるんでしょう?」
「ひょっとして寝ずの番をされる気ですか?」
「どちらも眠ってしまうわけにいきませんしね。こんな得体の知れない場所で。ああ、でもこのおかしな場所に俄然興味が湧いていることもいることも確かですから、俺のことはどうかお気遣いなく。自分が好きでやってることなんで」
「ではどこかで交代しましょう」
「いやいや徹夜とか割とよくやるんで大丈夫ですから」
「だから、それだと体がもたないでしょう!」
かつての上司を思い出しながら、エルミネアは言う。寝食を忘れて研究に没頭し、何度か倒れた経験を持つ上司。エルミネアを含めた周囲の人々の心配も他所に、研究室に何日も籠っていた。
エルミネアは割とその辺をきっちりしていて、食事と睡眠を疎かにすることはしなかった。
何を行うにしても、体は資本だ。
「こんなところで倒れられても困るんですよ。お気遣いはありがたいですが、今は互いが協力しあいながら休める時には休み体力を温存すべきだと思います!」
「うわあ叱られたのなんて久々ですよ。エルミネアさんはしっかりしてますね」
シオンが目を丸くして、その後で嬉しそうに笑ったので、やっぱりこの人そういう趣味があるんじゃという疑惑がエルミネアの中に再浮上した。
その時だ。
バンという衝撃音が間近に響いた。
ぎょっとして振り向くと、小さく振動する窓ガラスに黒い人の手形が二つできていた。
「な」
エルミネアは素早く杖を拾いあげ窓から離れたが、シオンは椅子に座ったまま平然としていた。二人の視線の先で、窓の至る所に手形が増えていく。
そして次に文字が浮かび上がった。
「カ、エ、レ?」
声に出して読みながら、エルミネアは眉をひそめる。
続けて、シオンが下の段に綴られた文字を読んだ。
「コ、ノ、マ、チ、カ、ラ、デ、テ、イ、ケですって。ああ、これも俺たちの世界の文字ですよ。どうやってこっちの知識を得たんでしょうか、魔法とかで可能なんですかね? いいなー便利だなー」
「なによ勝手ね! こっちは出て行きたくても出て行けないのに!」
「あれ、文字が変わりましたよ。わー今度は消えろって! なんか怒らせたっぽいですね。というか話ができるなら、筆談でも構わないのでちょっと色々お聞きしたいことが、あ」
手形と文字が一斉に消えた。
エルミネアがなんとなく聞いた。
「ちょっと色々って、どっちなんです?」
シオンはほんの少し考えて答えた。
「ちょっとすみませんが、色々聞かせてもらえませんかって感じです」
それを見たシオンがあっと声を上げた。
「そういえば同室」
「この状況ですから単独での行動は好ましくないですし、私は特に気にしません」
部屋の奥は格子状に組まれた木枠に紙を張った仕切りがあり、その向こうは板の間で、小さなテーブルと椅子が置かれてある。
「これはタタミと、ショウジだったかな? ああ、そうそう和様式ってやつだ。となるとあの入り口の文字はリョカンかな?」
「それはええと確か東の果てにあるという小さな島国の」
「そうですそうです。あのあたりの独特の文化も面白いなって思ってたんですよね。あ、縛ります?」
「は?」
普通の会話の流れのようにごく自然に変なことを言われて、思わず変な声が出た。
シオンが両手首の内側をくっつけて、エルミネアの前に差し出してくる。
「気にしないとは言っても、異性と同室とかやっぱり不安でしょう」
笑顔のまま言われて、エルミネアが僅かに身を引いた。
「別にそういう趣味とかではないですよ」
「いざという時に動けないようでは困りますので……」
「そうですか? それじゃあ」
シオンは板の間まで行くと、腕に抱えた本をテーブルに置き、椅子に座った。
「俺はここで休みますので」
「そういえばさっきから気になってたんですけど、その本どこから」
「受付の所に小さい本棚があったんで、持ってこられるだけ持ってきてしまいました。本は知識の宝庫ですからね。この世界のことについてなにか少しでもわかるかもと思って」
「いつの間に……」
本の種類は文芸作品から実用書、児童書に専門書、と様々で、文字が縦書きのものもあった。
いずれも当然だが、エルミネア達の世界の文字とは異なる。
「待ってください、アルクトスさんはこれが読めるんですか?」
「いいえ」
まさかと思いつつも、もしかしてという期待もわずかながらあったので、あっさり否定されてがっかりする。
シオンが本の中から一冊を持ち上げて、開いて見せた。
「でもほら、わかりやすいものだと、この子供向けの本。絵があって、その下に文字が書かれてあるでしょう。ここからこの文字はとか推測して、どうにか解読できないかなって」
「ですが例えばこの果物のような絵。わたし達の世界にあるリンゴに似ていますが、この世界では違う呼び名の可能性があります。いえ、その可能性の方が高い。名称がそれぞれの世界で異なるという仮定でその話を進めるならば、まずこの時点で手詰まりです」
エルミネアはシオンの手から本を奪うと、向かいの席に座り、持っていた杖を足元に置いてから、一つの絵を指し示して言った。
「物事にはあらゆる可能性がありますからね。でもこれはまあ単なる暇つぶしなので、エルミネアさんは気にせずに休んでください。魔法使うのって疲れるんでしょう?」
「ひょっとして寝ずの番をされる気ですか?」
「どちらも眠ってしまうわけにいきませんしね。こんな得体の知れない場所で。ああ、でもこのおかしな場所に俄然興味が湧いていることもいることも確かですから、俺のことはどうかお気遣いなく。自分が好きでやってることなんで」
「ではどこかで交代しましょう」
「いやいや徹夜とか割とよくやるんで大丈夫ですから」
「だから、それだと体がもたないでしょう!」
かつての上司を思い出しながら、エルミネアは言う。寝食を忘れて研究に没頭し、何度か倒れた経験を持つ上司。エルミネアを含めた周囲の人々の心配も他所に、研究室に何日も籠っていた。
エルミネアは割とその辺をきっちりしていて、食事と睡眠を疎かにすることはしなかった。
何を行うにしても、体は資本だ。
「こんなところで倒れられても困るんですよ。お気遣いはありがたいですが、今は互いが協力しあいながら休める時には休み体力を温存すべきだと思います!」
「うわあ叱られたのなんて久々ですよ。エルミネアさんはしっかりしてますね」
シオンが目を丸くして、その後で嬉しそうに笑ったので、やっぱりこの人そういう趣味があるんじゃという疑惑がエルミネアの中に再浮上した。
その時だ。
バンという衝撃音が間近に響いた。
ぎょっとして振り向くと、小さく振動する窓ガラスに黒い人の手形が二つできていた。
「な」
エルミネアは素早く杖を拾いあげ窓から離れたが、シオンは椅子に座ったまま平然としていた。二人の視線の先で、窓の至る所に手形が増えていく。
そして次に文字が浮かび上がった。
「カ、エ、レ?」
声に出して読みながら、エルミネアは眉をひそめる。
続けて、シオンが下の段に綴られた文字を読んだ。
「コ、ノ、マ、チ、カ、ラ、デ、テ、イ、ケですって。ああ、これも俺たちの世界の文字ですよ。どうやってこっちの知識を得たんでしょうか、魔法とかで可能なんですかね? いいなー便利だなー」
「なによ勝手ね! こっちは出て行きたくても出て行けないのに!」
「あれ、文字が変わりましたよ。わー今度は消えろって! なんか怒らせたっぽいですね。というか話ができるなら、筆談でも構わないのでちょっと色々お聞きしたいことが、あ」
手形と文字が一斉に消えた。
エルミネアがなんとなく聞いた。
「ちょっと色々って、どっちなんです?」
シオンはほんの少し考えて答えた。
「ちょっとすみませんが、色々聞かせてもらえませんかって感じです」
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