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あれやそれやこれの正体について
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「アルクトスさんは自分の世界に帰りたいと思ったことはないんですか?」
エルミネアはもう一度椅子に座りなおして言った。
シオンは手に本を開いたまま、首を傾げる。
「色々あって、すっかり目が冴えてしまいました」
エルミネアの補足に、では眠気が訪れるまでと言って、シオンは本を閉じてテーブルに置いた。
「そうですね。故郷を懐かしく思うことはありますが、それよりもやりたいことがありましたから」
「家族や友人に会いたいとかは?」
「まあ元気でいてくれるなら、別にそれでいいかなって思いますが」
「アルクトスさんの家族や友人でいるのって、なんか寂しそうですね」
「そんなこと言われたのは初めてです」
シオンがにこやかにそんなことを言ったので、エルミネアは次の言葉に詰まる。
「俺の周りは結構みんな自由な人間ばかりなんで、それぞれが自分の好きなようにしてますからね」
「類は友を呼ぶというやつですか?」
「えーどうだろう。似てるのかな、妹は、ちょっと似てるな」
ちょっと間があった。
その後で、眉をゆがめてエルミネアが訝しむように言った。
「アルクトスさんに、似た女性……?」
「どんなだって思ったでしょう今」
「思いました、すみません」
「いやあエルミネアさんって、気持ちいいくらいに率直なひとですね」
変わっているけど、嫌味なところがなく怒ったりしないのは、おおらかと言えるのかもしれない。
よくわからない人には変わりはないのだが。
とはいえ、普段仕事の話しかしていなかったから、こんな風に話すのは初めてだ。そういえばと思う。
「アルクトスさんのいた世界ってどんなところだったんですか?」
意外と同じ研究室のラータとそういった話をしたことがない。異世界なんて、もちろん興味はあったが、話を聞くような機会がなかった。
というよりも研究に携わっていない時間、ラータはほぼ眠っていたので、プライベートな会話をする暇などなかったのだ。
前のめりになるエルミネアに、シオンは目を瞬く。それからちょっと考えて言った。
「そうだなあ。人間の生活様式とか、文化とか、そういった部分に関してはそう大きく変わらない気がするけど」
「そうなんです?」
エルミネアは明らかに残念そうな顔をする。
そんなエルミネアにシオンは微笑む。
「基本の部分はね、でも同じ世界でも、国によって少しずつ色んな差があるじゃないですか。あんな感じで、やっぱり違っているところは違ってて、そういうの面白いなって思いますよ。ただ、どこへ行っても空は空で、地面は地面で、太陽や月や星があって、変わらない部分に安心するのも確かでね。なのにここは何かおかしい」
「おかしいですね」
空も空気も、まだほとんど会っていない住人も。
どこにいても感じる何かの力、警戒するような視線、ひそひそと囁くような声。魔力と、それ以外の力の気配。
この人も気づいていたのかと、エルミネアは思う。
「ぜひともその違和感の正体を暴いてやりたくて、うずうずしますよ」
そう言うシオンはいつもの穏やかな笑顔のように見えたが、その目はちょっとゾクッとするほどに、ぎらついている。
エルミネアは無意識に唾を飲み込んで、それから言った。
「ところであの、カナキというヒトなんですが」
「ああ、あの不思議なひと、いや、ヒトとは限らないか。そういえばあの時、エルミネアさんちょっと様子がおかしかったですけど」
「恐ろしく強い圧のようなものを感じました。あれはたぶん……」
エルミネアが言い切る前に口を閉じた。
彼女の正面でシオンが人差し指を立てて唇に当てていた。
「エルミネアさん、一度寝ましょう。おそらく今ここは、安全です」
視線を交わして頷き、エルミネアは寝具にもぐりこんだ。それでもなんとなく杖は手放せず、いつでも手に取れるようすぐそばに置いた。
シオンは立ち上がって明かりを消すと、窓の外を見やった。
闇に沈んだ町。空には星と月があった。
さっき、町の中を歩いていた時は、空に月は見えなかった。この部屋に入って、しばらくして。いや、ちょうどあのタイミングだ。
大量の手形とデテイケという文字が現れ、消えたあのすぐ後。
「カナキねえ」
口元だけで笑んで、シオンは呟く。
ここは初めて訪れる世界で、つまり彼はシオンの知るそれとは別の存在だ。
それでもカナキと名乗ったあの男の纏う空気はどこか懐かしさを覚える。それはやはり、彼がすべての命の根源たる存在でもあるからだろう。
エルミネアは魔法使いだ。その彼女が全身を強張らせていた。
シオンにはわからない力を、エルミネアだけが感じ取っていた。
彼女ほどの魔法使いが畏れを抱くほどの魔力。それはつまり――――
シオンは、そこで思考を断ち切る。
すべては予測にすぎない。
自身の目と耳で確かめて初めて、それは真実となる。
これは義務でも仕事でもない。ただシオンがそうしたいから、そうしているだけだ。
この町の外には何があるのか。
今はまずそれを知りたい。
ここがシオンの望む世界であってもなくても、知らない世界に変わりはない。
知らないことを知りたい。
知識を持ち帰り、自分たちの世界の役に立てたいとか、そういうことではない。
栄誉がほしいわけではない。
ただ知りたい。
シオンの中にあるのは、ただそれだけだ。
エルミネアはもう一度椅子に座りなおして言った。
シオンは手に本を開いたまま、首を傾げる。
「色々あって、すっかり目が冴えてしまいました」
エルミネアの補足に、では眠気が訪れるまでと言って、シオンは本を閉じてテーブルに置いた。
「そうですね。故郷を懐かしく思うことはありますが、それよりもやりたいことがありましたから」
「家族や友人に会いたいとかは?」
「まあ元気でいてくれるなら、別にそれでいいかなって思いますが」
「アルクトスさんの家族や友人でいるのって、なんか寂しそうですね」
「そんなこと言われたのは初めてです」
シオンがにこやかにそんなことを言ったので、エルミネアは次の言葉に詰まる。
「俺の周りは結構みんな自由な人間ばかりなんで、それぞれが自分の好きなようにしてますからね」
「類は友を呼ぶというやつですか?」
「えーどうだろう。似てるのかな、妹は、ちょっと似てるな」
ちょっと間があった。
その後で、眉をゆがめてエルミネアが訝しむように言った。
「アルクトスさんに、似た女性……?」
「どんなだって思ったでしょう今」
「思いました、すみません」
「いやあエルミネアさんって、気持ちいいくらいに率直なひとですね」
変わっているけど、嫌味なところがなく怒ったりしないのは、おおらかと言えるのかもしれない。
よくわからない人には変わりはないのだが。
とはいえ、普段仕事の話しかしていなかったから、こんな風に話すのは初めてだ。そういえばと思う。
「アルクトスさんのいた世界ってどんなところだったんですか?」
意外と同じ研究室のラータとそういった話をしたことがない。異世界なんて、もちろん興味はあったが、話を聞くような機会がなかった。
というよりも研究に携わっていない時間、ラータはほぼ眠っていたので、プライベートな会話をする暇などなかったのだ。
前のめりになるエルミネアに、シオンは目を瞬く。それからちょっと考えて言った。
「そうだなあ。人間の生活様式とか、文化とか、そういった部分に関してはそう大きく変わらない気がするけど」
「そうなんです?」
エルミネアは明らかに残念そうな顔をする。
そんなエルミネアにシオンは微笑む。
「基本の部分はね、でも同じ世界でも、国によって少しずつ色んな差があるじゃないですか。あんな感じで、やっぱり違っているところは違ってて、そういうの面白いなって思いますよ。ただ、どこへ行っても空は空で、地面は地面で、太陽や月や星があって、変わらない部分に安心するのも確かでね。なのにここは何かおかしい」
「おかしいですね」
空も空気も、まだほとんど会っていない住人も。
どこにいても感じる何かの力、警戒するような視線、ひそひそと囁くような声。魔力と、それ以外の力の気配。
この人も気づいていたのかと、エルミネアは思う。
「ぜひともその違和感の正体を暴いてやりたくて、うずうずしますよ」
そう言うシオンはいつもの穏やかな笑顔のように見えたが、その目はちょっとゾクッとするほどに、ぎらついている。
エルミネアは無意識に唾を飲み込んで、それから言った。
「ところであの、カナキというヒトなんですが」
「ああ、あの不思議なひと、いや、ヒトとは限らないか。そういえばあの時、エルミネアさんちょっと様子がおかしかったですけど」
「恐ろしく強い圧のようなものを感じました。あれはたぶん……」
エルミネアが言い切る前に口を閉じた。
彼女の正面でシオンが人差し指を立てて唇に当てていた。
「エルミネアさん、一度寝ましょう。おそらく今ここは、安全です」
視線を交わして頷き、エルミネアは寝具にもぐりこんだ。それでもなんとなく杖は手放せず、いつでも手に取れるようすぐそばに置いた。
シオンは立ち上がって明かりを消すと、窓の外を見やった。
闇に沈んだ町。空には星と月があった。
さっき、町の中を歩いていた時は、空に月は見えなかった。この部屋に入って、しばらくして。いや、ちょうどあのタイミングだ。
大量の手形とデテイケという文字が現れ、消えたあのすぐ後。
「カナキねえ」
口元だけで笑んで、シオンは呟く。
ここは初めて訪れる世界で、つまり彼はシオンの知るそれとは別の存在だ。
それでもカナキと名乗ったあの男の纏う空気はどこか懐かしさを覚える。それはやはり、彼がすべての命の根源たる存在でもあるからだろう。
エルミネアは魔法使いだ。その彼女が全身を強張らせていた。
シオンにはわからない力を、エルミネアだけが感じ取っていた。
彼女ほどの魔法使いが畏れを抱くほどの魔力。それはつまり――――
シオンは、そこで思考を断ち切る。
すべては予測にすぎない。
自身の目と耳で確かめて初めて、それは真実となる。
これは義務でも仕事でもない。ただシオンがそうしたいから、そうしているだけだ。
この町の外には何があるのか。
今はまずそれを知りたい。
ここがシオンの望む世界であってもなくても、知らない世界に変わりはない。
知らないことを知りたい。
知識を持ち帰り、自分たちの世界の役に立てたいとか、そういうことではない。
栄誉がほしいわけではない。
ただ知りたい。
シオンの中にあるのは、ただそれだけだ。
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