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知ることと知られること
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「どうしたのエル、また何かこわいものがいるの?」
腰にしがみつくエルミネアの頭をその人は優しくなでる。
「大丈夫だよ、ほら。顔を上げて、前を見て。教えて、君の見えているその恐ろしいものは、一体どんな姿をしてる?」
腰に回した腕はそのまま、恐る恐る暗がりに目を向け、エルミネアは言う。
ぼんやりと明るい街灯の下。
じっとこちらを見つめてくる大きな一つ目。
「黒い羽根がたくさんで、それでその真ん中に大きな目が……それに手がたくさん壁から……」
「そうか、そいつはエルの方を見ているの?」
こくりとエルミネアは頷く。
「それじゃあ、こっちの手をつなごう。私は君より大きいから、私の影に隠れていれば平気だろう?」
「……」
「エル。君の見えている妖と呼ばれる者たちは、私たちとは別の層に存在する」
「別の層?」
「そうだな、同じ場所だけど同じじゃない場所と言ったらいいかな……だから、彼らは私たちに干渉できないんだ。姿は恐ろしいかもしれないけれど、害を及ぼすことはできないから。だから安心するといいよ」
「本当に?」
「ああ」
エルミネアはそれでもまだドキドキしながら、自分よりも背の高い彼女の体に隠れつつ、その場所を通り過ぎた。通り過ぎる瞬間もその後も、大きな目はエルミネアのことをずっと見ていた。
「エルミネア、君は私たちには見えないものを見ることができる。それは祓い屋と呼ばれる人々が持つ特別な力だ。だからね、私は彼らに話を聞いてきたんだ」
エルミネアがまたびくりと全身を強張らせて、歩みを止めた。
正面に立ちはだかるようにして、何かがいた。
それはぼんやりと白くて黒くて赤かった。紙の上に、ぐしゃぐしゃとペンを走らせて殴り書いたような輪郭をしていた。
「大丈夫、大丈夫」
彼女はゆっくりとそう言って、繋いだ手に力を込める。
促されて、再び歩き始める。さっきと変わらない速度で。
心臓が激しく脈打つ。
すぐ目の前にその奇妙な姿が迫ると、エルミネアは反射的に目を閉じた。
目を開けて振り返る。
恐ろしいものはすぐ後ろにいたけれど、エルミネアの体に変化はなかった。歩きながら時々後ろを確認すると、それは動かずそこにいた。
「知らないことは怖い。知れば少しだけ、怖くなくなる。恐ろしくても立ち止まっていてはいけないよ。立ち向かうにしても、逃げるにしても、動かないといけない。目と耳を塞いで、蹲っているだけではずっと恐ろしいままだから」
***
「おねえちゃん……!」
自分の声で目を覚ます。
起き上がって周囲を見回すが、状況は何一つ変わっていない。知らない街の知らない宿の一室だ。
あれからどのくらい時間が経ったのか。どのくらい眠っていたのか。頭はすっきりしていて、体も軽くなっているから、結構寝ていた気がする。
なのに、窓の外はまだ夜だった。
そして部屋のどこにも、シオンの姿がないことに気づく。
「アルクトスさん?」
ひやりとして飛び起き、慌てて杖をつかんで部屋を出る。
すると、ちょうど廊下の向こうからシオンが歩いてくるのが見えた。そしたら、
「いや、ちょっとお手洗いに」
ぽかんとした顔でシオンが言った。
エルミネアが拍子抜けしたような顔になると、シオンは自分が歩いてきた方向を指さし告げる。
「因みにそこの角を曲がって突き当たりです」
「すぐ行ってきますんで、少しだけ待っててください……」
用を済ませて戻ってくると、シオンが何かを手に広げて見ていた。
ぐにゃぐにゃ曲がる道と、家や木や何か箱のような絵がいくつも描いてあった。線が整っていなくて、子供が描いたもののように見える。
「なんですか? 地図、のような」
「そこに沢山置いてあったんで。今いる宿がこの赤い三角の印が示すところということかな……?」
「ここを目指せという意味にも見えますね」
「ではこれは?」
シオンの指が示す先に、エルミネアは視線をずらす。
「月と山?」
「はい、それで山の上にあるこの建物。他の家の絵と違ってちょっと豪華っていうか大きいっていうか。気になりません?」
「あからさまじゃないですか?」
エルミネアの言葉に、シオンが能天気にほほ笑む。
「罠かなあとは俺も思うんですけどね」
「わかっていて自ら飛び込むんですか?」
「ふふ、そうですね。誰かの無鉄砲さが移ったかな。でも考えてみてくださいよ、この街自体がすでに相手の手の内なんですよ。エルミネアさんならもう気づいているでしょう」
「眩惑、いえ、誰かの意思によって作り出された空間」
「正解です。おそらく」
「魔法使いである私はともかく、アルクトスさんはどうしてそんなことまでわかるんです? 知識の幅広すぎません?」
地図を折りたたんで懐に入れ、考えるような仕草をするシオンにエルミネアが尋ねた。
「元の世界で、あ、俺が生まれ育ったほうですけど、まあ色々とありましてね。聞きますか?」
「知りたいです」
エルミネアが言うと、なぜかシオンはちょっとびっくりしたようになって、それから緩んだ顔つきになった。
その反応にエルミネアの方がぎょっとする。
「なにかこう、照れますねぇ」
「え、えええ?」
「知りたいって言われるのも、自分のこと話すのも。ああ、そうか。いつもこういう気分なんですね。知られる側って」
「よくわかりませんが……」
しみじみとした感じで言われて、エルミネアはまたもどう返答していいかわからなかった。
なので話題を変えることにした。
「このまま出発でもいいんですけど、ちょっとお腹が空きましたよね」
「ああ、それならほら」
促され先程まで休んでいた部屋を覗くと、そのままにしていたはずの寝具がなくなっていて、そこに和様式のローテーブルと、その上に食事の用意がされていた。
腰にしがみつくエルミネアの頭をその人は優しくなでる。
「大丈夫だよ、ほら。顔を上げて、前を見て。教えて、君の見えているその恐ろしいものは、一体どんな姿をしてる?」
腰に回した腕はそのまま、恐る恐る暗がりに目を向け、エルミネアは言う。
ぼんやりと明るい街灯の下。
じっとこちらを見つめてくる大きな一つ目。
「黒い羽根がたくさんで、それでその真ん中に大きな目が……それに手がたくさん壁から……」
「そうか、そいつはエルの方を見ているの?」
こくりとエルミネアは頷く。
「それじゃあ、こっちの手をつなごう。私は君より大きいから、私の影に隠れていれば平気だろう?」
「……」
「エル。君の見えている妖と呼ばれる者たちは、私たちとは別の層に存在する」
「別の層?」
「そうだな、同じ場所だけど同じじゃない場所と言ったらいいかな……だから、彼らは私たちに干渉できないんだ。姿は恐ろしいかもしれないけれど、害を及ぼすことはできないから。だから安心するといいよ」
「本当に?」
「ああ」
エルミネアはそれでもまだドキドキしながら、自分よりも背の高い彼女の体に隠れつつ、その場所を通り過ぎた。通り過ぎる瞬間もその後も、大きな目はエルミネアのことをずっと見ていた。
「エルミネア、君は私たちには見えないものを見ることができる。それは祓い屋と呼ばれる人々が持つ特別な力だ。だからね、私は彼らに話を聞いてきたんだ」
エルミネアがまたびくりと全身を強張らせて、歩みを止めた。
正面に立ちはだかるようにして、何かがいた。
それはぼんやりと白くて黒くて赤かった。紙の上に、ぐしゃぐしゃとペンを走らせて殴り書いたような輪郭をしていた。
「大丈夫、大丈夫」
彼女はゆっくりとそう言って、繋いだ手に力を込める。
促されて、再び歩き始める。さっきと変わらない速度で。
心臓が激しく脈打つ。
すぐ目の前にその奇妙な姿が迫ると、エルミネアは反射的に目を閉じた。
目を開けて振り返る。
恐ろしいものはすぐ後ろにいたけれど、エルミネアの体に変化はなかった。歩きながら時々後ろを確認すると、それは動かずそこにいた。
「知らないことは怖い。知れば少しだけ、怖くなくなる。恐ろしくても立ち止まっていてはいけないよ。立ち向かうにしても、逃げるにしても、動かないといけない。目と耳を塞いで、蹲っているだけではずっと恐ろしいままだから」
***
「おねえちゃん……!」
自分の声で目を覚ます。
起き上がって周囲を見回すが、状況は何一つ変わっていない。知らない街の知らない宿の一室だ。
あれからどのくらい時間が経ったのか。どのくらい眠っていたのか。頭はすっきりしていて、体も軽くなっているから、結構寝ていた気がする。
なのに、窓の外はまだ夜だった。
そして部屋のどこにも、シオンの姿がないことに気づく。
「アルクトスさん?」
ひやりとして飛び起き、慌てて杖をつかんで部屋を出る。
すると、ちょうど廊下の向こうからシオンが歩いてくるのが見えた。そしたら、
「いや、ちょっとお手洗いに」
ぽかんとした顔でシオンが言った。
エルミネアが拍子抜けしたような顔になると、シオンは自分が歩いてきた方向を指さし告げる。
「因みにそこの角を曲がって突き当たりです」
「すぐ行ってきますんで、少しだけ待っててください……」
用を済ませて戻ってくると、シオンが何かを手に広げて見ていた。
ぐにゃぐにゃ曲がる道と、家や木や何か箱のような絵がいくつも描いてあった。線が整っていなくて、子供が描いたもののように見える。
「なんですか? 地図、のような」
「そこに沢山置いてあったんで。今いる宿がこの赤い三角の印が示すところということかな……?」
「ここを目指せという意味にも見えますね」
「ではこれは?」
シオンの指が示す先に、エルミネアは視線をずらす。
「月と山?」
「はい、それで山の上にあるこの建物。他の家の絵と違ってちょっと豪華っていうか大きいっていうか。気になりません?」
「あからさまじゃないですか?」
エルミネアの言葉に、シオンが能天気にほほ笑む。
「罠かなあとは俺も思うんですけどね」
「わかっていて自ら飛び込むんですか?」
「ふふ、そうですね。誰かの無鉄砲さが移ったかな。でも考えてみてくださいよ、この街自体がすでに相手の手の内なんですよ。エルミネアさんならもう気づいているでしょう」
「眩惑、いえ、誰かの意思によって作り出された空間」
「正解です。おそらく」
「魔法使いである私はともかく、アルクトスさんはどうしてそんなことまでわかるんです? 知識の幅広すぎません?」
地図を折りたたんで懐に入れ、考えるような仕草をするシオンにエルミネアが尋ねた。
「元の世界で、あ、俺が生まれ育ったほうですけど、まあ色々とありましてね。聞きますか?」
「知りたいです」
エルミネアが言うと、なぜかシオンはちょっとびっくりしたようになって、それから緩んだ顔つきになった。
その反応にエルミネアの方がぎょっとする。
「なにかこう、照れますねぇ」
「え、えええ?」
「知りたいって言われるのも、自分のこと話すのも。ああ、そうか。いつもこういう気分なんですね。知られる側って」
「よくわかりませんが……」
しみじみとした感じで言われて、エルミネアはまたもどう返答していいかわからなかった。
なので話題を変えることにした。
「このまま出発でもいいんですけど、ちょっとお腹が空きましたよね」
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