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昔の話
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地図は一見するとわかりづらいようで、意外と役に立った。要所要所に特徴的な目印が描かれていたため、現在地がどこなのか、どの道を進むべきなのかがすぐにわかるようになっていた。
建物が密集していて、どこを通っても道は細い。
住人の姿は相変わらず見えなかった。
「もう十年近く前の話なんですけどね」
彼はかつてある扉を探して旅をしていた時のことを話し始めた。
異世界を繋ぐ扉、対になる世界ということで、エルミネアは興味深く話を聞いた。途中ちょっと不穏な展開があって、そのことを話す時のシオンはいつもと様子が違って見えた。
普段の彼は物腰は柔らかいものの、堂々としていて確たる自信を声にも表情にも映し出したかのような、そんな印象があった。
大人で落ち着いている、でもちょっと変な人。
それがエルミネアのシオンに対する印象だ。
「いけないことだとわかっていながら抑えきれませんでした」
静かな声には苦々しさが含まれていた。
懺悔でも聞かされているような気分だ。
「今こうして、安心安全に誰を危険に晒すことなく自分のやりたいことをやっているっていうのに……そんな未来があの時は全く見えてなかったんですよね。本当は可能性はいくらだってあったのに、目の前に下げられた餌につられて、都合の悪いことは見ないふりをしようとした」
「同じ研究に携わる者として、全くわからなくはありませんよ」
シオンは苦笑気味に、ありがとうございますと言った。
「でも、エルミネアさんならきっと立ち止まるでしょう? どれだけ心惹かれることだったとしても、ちゃんと天秤にかけて、善悪の判断をするでしょう?」
「それは、そうですけど」
もしも、を考える。エルミネアがシオンの立場だったなら。
そして多分彼の言うとおりだろうと、推測する。
「でもアルクトスさんは結果的に踏みとどまったじゃないですか」
「仲間に恵まれていたんです。彼らがいなければ、俺はあのまま間違った道を突き進んで、とんでもないことをしでかしていた」
「だからそれはあなたの人徳じゃないですか?」
住宅街を抜けた先に見えてきたのは傾斜のきつい石積みの階段だった。夜の暗さで上の方ははっきりしないが、かなりの長さがあるように思えた。そして一段一段の段差が高い。
シオンが複雑な顔をした。
エルミネアが階段をのぼり始めると、シオンが一歩遅れてついてくる。
「そういう人に出会い、いえ、出会いは偶然だったのでしょうが、その人たちはアルクトスさんのことを大切に思ってくれていたから、そうして危険を冒しながらも連れ戻してくれたのではないかと。そして、そんないい人たちに大切に思われていたのは、他でもないアルクトスさんがいい人だったからだと、私はそう考えていますけど」
「………」
「アルクトスさんってちょっと変わってるけど、親切だと思いますし」
「………」
「あのカナキというひとの前で私が動けずにいた時、前に出て庇ってくれましたよね? それに宿でも、あの提案はちょっとどうかと思いましたが、でも気遣ってくれてたわけですし」
「………」
「アルクトスさん?」
先程から返答が全くないことを不審に思い、エルミネアは立ち止まって後ろを振り返る。
するとシオンが息も切れ切れに言った。
「すみません、ちょっとだけ、歩くペースを」
「あ、ごめんなさい」
「いえいえ」
「休憩しましょうか?」
「いや、もう少し、頑張ります。きつくなったら言います」
意外に思われることが多いが、魔法使いは皆体を鍛えている。魔法を使うのは体力を使うためだ。エルミネアにとっては苦にならないスピードも、人によって、特にシオンのように体力のない者にとっては軽く走っているのと同等のように感じられた。
しばらく無言で耐えていたシオンだったが、半分ほど過ぎたところで足と呼吸に限界を感じて、その場に座り込んでしまった。
「これでも体力、ついたほうなんですが……!」
「まあでもここかなり急斜面ですし……」
そう言いながらもエルミネアは息切れしていなかった。項垂れ大きく肩を動かすシオンの隣に腰を下ろす。シオンは黙って、息を整えている。
ふと、この空間に風がないことに気が付く。それでも夜の空気は体の熱を冷ましてくれる。見下ろす街はちらほらと明かりが灯り、輝いていた。夜空をそのまま写し取ったかのようだと、エルミネアは思う。
シオンが言う。
「なんと言ったらいいか……」
「はい?」
「さっきはあの状態で喋れなくて何も言えなかったんですけど、本当は嬉しくて、あの、さっきのエルミネアさんの言葉」
「ええと」
「俺がいい人だって」
「ああ……」
「ありがとうございます。話を聞いてくれて。相手の言葉をちゃんと受け止めて、気持ちを慮り、真剣に考え自身の考えを話してくれる。エルミネアさんこそ誠実で、優しいひとだ」
エルミネアは戸惑いに目を瞬き、むず痒く感じながら言った。
「あ、えと、どうもありがとうございます」
シオンは笑うと、夜に沈む街に視線を流す。エルミネアもまた同じように眼下に広がる光景を見つめた。
「ここはまるで明けない夜が支配する街のような、あれからもう何時間も経っているのに夜明けの兆しすら見えません」
呟かれたシオンの言葉に、エルミネアが頷く。
「それはきっと闇を好む者たちの住む場所だから」
「住人を見たんですか?」
「ああいえ、はっきりと姿を見たわけではありませんが、気配でなんとなく……向こうも警戒しているんでしょう。息を潜めて、こちらを窺っているような、ずっとそんな感じです」
そう、別の層と呼ばれていた空間。本来ならば交わることのないはずの、同世界における異界。
住んでいるのは人ならぬ者だ。
妖、それから魔族。
「そろそろ行きましょうか」
「ええ」
シオンが立ち上がり、手を差し伸べる。
その手を取ろうとした瞬間、エルミネアの目の前でシオンの姿が消えた。
建物が密集していて、どこを通っても道は細い。
住人の姿は相変わらず見えなかった。
「もう十年近く前の話なんですけどね」
彼はかつてある扉を探して旅をしていた時のことを話し始めた。
異世界を繋ぐ扉、対になる世界ということで、エルミネアは興味深く話を聞いた。途中ちょっと不穏な展開があって、そのことを話す時のシオンはいつもと様子が違って見えた。
普段の彼は物腰は柔らかいものの、堂々としていて確たる自信を声にも表情にも映し出したかのような、そんな印象があった。
大人で落ち着いている、でもちょっと変な人。
それがエルミネアのシオンに対する印象だ。
「いけないことだとわかっていながら抑えきれませんでした」
静かな声には苦々しさが含まれていた。
懺悔でも聞かされているような気分だ。
「今こうして、安心安全に誰を危険に晒すことなく自分のやりたいことをやっているっていうのに……そんな未来があの時は全く見えてなかったんですよね。本当は可能性はいくらだってあったのに、目の前に下げられた餌につられて、都合の悪いことは見ないふりをしようとした」
「同じ研究に携わる者として、全くわからなくはありませんよ」
シオンは苦笑気味に、ありがとうございますと言った。
「でも、エルミネアさんならきっと立ち止まるでしょう? どれだけ心惹かれることだったとしても、ちゃんと天秤にかけて、善悪の判断をするでしょう?」
「それは、そうですけど」
もしも、を考える。エルミネアがシオンの立場だったなら。
そして多分彼の言うとおりだろうと、推測する。
「でもアルクトスさんは結果的に踏みとどまったじゃないですか」
「仲間に恵まれていたんです。彼らがいなければ、俺はあのまま間違った道を突き進んで、とんでもないことをしでかしていた」
「だからそれはあなたの人徳じゃないですか?」
住宅街を抜けた先に見えてきたのは傾斜のきつい石積みの階段だった。夜の暗さで上の方ははっきりしないが、かなりの長さがあるように思えた。そして一段一段の段差が高い。
シオンが複雑な顔をした。
エルミネアが階段をのぼり始めると、シオンが一歩遅れてついてくる。
「そういう人に出会い、いえ、出会いは偶然だったのでしょうが、その人たちはアルクトスさんのことを大切に思ってくれていたから、そうして危険を冒しながらも連れ戻してくれたのではないかと。そして、そんないい人たちに大切に思われていたのは、他でもないアルクトスさんがいい人だったからだと、私はそう考えていますけど」
「………」
「アルクトスさんってちょっと変わってるけど、親切だと思いますし」
「………」
「あのカナキというひとの前で私が動けずにいた時、前に出て庇ってくれましたよね? それに宿でも、あの提案はちょっとどうかと思いましたが、でも気遣ってくれてたわけですし」
「………」
「アルクトスさん?」
先程から返答が全くないことを不審に思い、エルミネアは立ち止まって後ろを振り返る。
するとシオンが息も切れ切れに言った。
「すみません、ちょっとだけ、歩くペースを」
「あ、ごめんなさい」
「いえいえ」
「休憩しましょうか?」
「いや、もう少し、頑張ります。きつくなったら言います」
意外に思われることが多いが、魔法使いは皆体を鍛えている。魔法を使うのは体力を使うためだ。エルミネアにとっては苦にならないスピードも、人によって、特にシオンのように体力のない者にとっては軽く走っているのと同等のように感じられた。
しばらく無言で耐えていたシオンだったが、半分ほど過ぎたところで足と呼吸に限界を感じて、その場に座り込んでしまった。
「これでも体力、ついたほうなんですが……!」
「まあでもここかなり急斜面ですし……」
そう言いながらもエルミネアは息切れしていなかった。項垂れ大きく肩を動かすシオンの隣に腰を下ろす。シオンは黙って、息を整えている。
ふと、この空間に風がないことに気が付く。それでも夜の空気は体の熱を冷ましてくれる。見下ろす街はちらほらと明かりが灯り、輝いていた。夜空をそのまま写し取ったかのようだと、エルミネアは思う。
シオンが言う。
「なんと言ったらいいか……」
「はい?」
「さっきはあの状態で喋れなくて何も言えなかったんですけど、本当は嬉しくて、あの、さっきのエルミネアさんの言葉」
「ええと」
「俺がいい人だって」
「ああ……」
「ありがとうございます。話を聞いてくれて。相手の言葉をちゃんと受け止めて、気持ちを慮り、真剣に考え自身の考えを話してくれる。エルミネアさんこそ誠実で、優しいひとだ」
エルミネアは戸惑いに目を瞬き、むず痒く感じながら言った。
「あ、えと、どうもありがとうございます」
シオンは笑うと、夜に沈む街に視線を流す。エルミネアもまた同じように眼下に広がる光景を見つめた。
「ここはまるで明けない夜が支配する街のような、あれからもう何時間も経っているのに夜明けの兆しすら見えません」
呟かれたシオンの言葉に、エルミネアが頷く。
「それはきっと闇を好む者たちの住む場所だから」
「住人を見たんですか?」
「ああいえ、はっきりと姿を見たわけではありませんが、気配でなんとなく……向こうも警戒しているんでしょう。息を潜めて、こちらを窺っているような、ずっとそんな感じです」
そう、別の層と呼ばれていた空間。本来ならば交わることのないはずの、同世界における異界。
住んでいるのは人ならぬ者だ。
妖、それから魔族。
「そろそろ行きましょうか」
「ええ」
シオンが立ち上がり、手を差し伸べる。
その手を取ろうとした瞬間、エルミネアの目の前でシオンの姿が消えた。
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