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前編
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白い壁に囲まれた部屋。白い天井。白い照明。
壁の、天井に近い一帯にはガラスがはめ込まれていて、そこから見守る教官の姿。
ここは兵士の育成施設で、少女は訓練生の一人だ。
少女の生まれた国は、長年の戦争で男手が多く失われ、女や子供、更には生まれたばかりの赤子まで兵力として招集されていた。少女もまた、赤子の頃に軍に預けられ、物心がつく頃には、あらゆる戦闘技術を叩きこまれていた。
中でも素質のある少女は、数少ない精鋭部隊の候補生として教育を受けていた。
一対一の実戦式の訓練。
少女が入って来た方向とは反対側の扉から、対戦相手が現れる。あちこち跳ねた青く短い髪の少女。
いつも同じ対戦相手。
力、スピード、反応速度等、実力は少女とほぼ互角。
彼女の手には少女と同じ訓練用の大剣が握られている。
「始め!」
スピーカーから、びりっと空気を震わせるような声が響く。
声と同時に、対戦相手が踏み込んでくる。
早い。この間よりもずっと。
寸前で避けながらそのスピードに息を呑む。
これより前に彼女と戦ったのは一昨日。
たった二日という短期間で、彼女は急激に成長したのだろうか。
一歩間違えば命はない。僅かな油断や、躊躇は許されない。
だから少女も全力で迎え撃つ。
剣が弾け飛ぶ。
対戦相手の少女の華奢な体が床に倒れこみ、じわりと血が広がっていく。
「そこまで! 救護班を呼べ!」
すぐさま扉が開いて、駆けこんできた薄青色の服に身を包んだ人々により、傷ついた対戦相手が運び出される。
急所は外れている。
すぐに救命措置をすれば助かるだろうとは思う。
それでも少女の胸は罪悪感に痛んだ。訓練の相手に重傷を負わせたことは、初めてだった。
常なれば、相手が武器を落としたり、気絶させたりする程度で片付けられていたが、今回は加減などする余裕もなかった。
***
ベッドとテーブルと椅子、それから小さな収納棚のみの、無味乾燥な自室。
訓練生に与えられる部屋はどこも似たようなものだ。余計なものは必要ない。
休息をとることができれば、それで十分なのだ。どうせ一日の殆どの時間はトレーニングやバイタルチェックに費やされる。
シャワールームで汗を流していた少女は、頬に走る痛みに僅かに顔を歪めた。
今日の訓練でついた傷だろう。
大した怪我ではなく、すぐに塞がるだろうと思って放置していたが、やはり湯には沁みた。
だが、こんな傷は他にいくらもある。
腕や足、勿論顔にも。
指先で顔をなぞる。
左の頬から右の頬にかけて横に一の字を書くように、皮膚が盛り上がっているのがわかった。
こんなところにも。
と、少女は唇に指を這わせる。
顎近くの皮膚にも違和感がある。
どれだけの傷があるのだろう。
ふと思い出す。対戦相手の少女はいつも綺麗だ。訓練の中、少女が彼女の顔を傷つけてしまったことも何度かあった。
それなのにどういうわけか彼女の顔に、痕は一つも残っていない。
「どうして……?」
思わず溢れ落ちた呟きはシャワー音に流されて消える。
少女はもう一度ゆっくりと、顔の傷を指でなぞる。
感触以外に確かめる術を、少女は持っていなかった。
***
夕食時、施設内にある食堂。
少女は盆を手に持ち、順番が来るのを待ちながら前に並んでいる同期の少年に尋ねてみる。
「ねえ私の顔、今どうなってる?」
彼もまた顔や手の甲、腕と、あちこちに傷を作っている。恐らく制服に隠れて見えない場所にも多くあるだろう。
少女の質問の意図がわからず、少年は首を傾げる。
「どうなってるって?」
「だから、その、やっぱり傷が目立つかなって」
少年は少し迷うような素振りを見せて、その後で言う。
「それはでも……みんな同じようなものだし」
「そう」
と、少女は特に落ち込んだ風でもなく言った。
寧ろ、やっぱりという思いが胸の内を占めていた。
自分にも少年や他の訓練生と同様に、一目でそれとわかる傷がいくつもある。小さくても大きくても、浅くても深くても。多少の痕が残るもので一つも傷がないというのは不自然だ。
まるで、一度も戦いの場になど立ったことがない者のように。
「おい、これ君のことじゃないか?」
少年に言われて、館内アナウンスの声に気が付く。
それは、少女を教官の元へ呼び出すものだった。
「お前は今日を以てこの兵学校を卒業し、B部隊隊長の任を命ずる」
教官は手短に告げた。
先日、国境近くの町で起きた戦いにてB部隊の隊長が命を落としたこと、その後任がすぐにも必要であること。
更に少女の実力は候補生の中で群を抜いており、近いうちに戦場へ送り出すつもりであったこと。
「それでは今夜中に荷物をまとめておけ。明朝には出発できるよう手配する」
「一つ質問をよろしいですか? 彼女は、今日の対戦相手のあの子は無事なんでしょうか?」
少女は躊躇いながら言った。
なすべきことを前に、他の余計な物事に気を回すことは許されない。
それでも去る前に、せめて自分が傷つけてしまった彼女の安否だけでも知っておきたいと思った。
「それを知ってどうする」
冷たく見下ろしてくる目。
「お前はこれから隊員達を率いて戦場に立つのだ。敵の心配をするような、そんな甘い心構えでどうする。無駄なことは考えるな」
予想通りの反応とはいえ厳しい𠮟責に少女は息が詰まって、ただ喉をせりあがってくる言葉を声にする。
「申し訳、ございません……」
深く頭を下げ、退室する。
機械が演算処理をするのと差異はない。
事態に合わせてどのような行動をとるべきか、瞬時に判断する。
そこに感情が伴うことはない。
兵士とはそういうものだ。
壁の、天井に近い一帯にはガラスがはめ込まれていて、そこから見守る教官の姿。
ここは兵士の育成施設で、少女は訓練生の一人だ。
少女の生まれた国は、長年の戦争で男手が多く失われ、女や子供、更には生まれたばかりの赤子まで兵力として招集されていた。少女もまた、赤子の頃に軍に預けられ、物心がつく頃には、あらゆる戦闘技術を叩きこまれていた。
中でも素質のある少女は、数少ない精鋭部隊の候補生として教育を受けていた。
一対一の実戦式の訓練。
少女が入って来た方向とは反対側の扉から、対戦相手が現れる。あちこち跳ねた青く短い髪の少女。
いつも同じ対戦相手。
力、スピード、反応速度等、実力は少女とほぼ互角。
彼女の手には少女と同じ訓練用の大剣が握られている。
「始め!」
スピーカーから、びりっと空気を震わせるような声が響く。
声と同時に、対戦相手が踏み込んでくる。
早い。この間よりもずっと。
寸前で避けながらそのスピードに息を呑む。
これより前に彼女と戦ったのは一昨日。
たった二日という短期間で、彼女は急激に成長したのだろうか。
一歩間違えば命はない。僅かな油断や、躊躇は許されない。
だから少女も全力で迎え撃つ。
剣が弾け飛ぶ。
対戦相手の少女の華奢な体が床に倒れこみ、じわりと血が広がっていく。
「そこまで! 救護班を呼べ!」
すぐさま扉が開いて、駆けこんできた薄青色の服に身を包んだ人々により、傷ついた対戦相手が運び出される。
急所は外れている。
すぐに救命措置をすれば助かるだろうとは思う。
それでも少女の胸は罪悪感に痛んだ。訓練の相手に重傷を負わせたことは、初めてだった。
常なれば、相手が武器を落としたり、気絶させたりする程度で片付けられていたが、今回は加減などする余裕もなかった。
***
ベッドとテーブルと椅子、それから小さな収納棚のみの、無味乾燥な自室。
訓練生に与えられる部屋はどこも似たようなものだ。余計なものは必要ない。
休息をとることができれば、それで十分なのだ。どうせ一日の殆どの時間はトレーニングやバイタルチェックに費やされる。
シャワールームで汗を流していた少女は、頬に走る痛みに僅かに顔を歪めた。
今日の訓練でついた傷だろう。
大した怪我ではなく、すぐに塞がるだろうと思って放置していたが、やはり湯には沁みた。
だが、こんな傷は他にいくらもある。
腕や足、勿論顔にも。
指先で顔をなぞる。
左の頬から右の頬にかけて横に一の字を書くように、皮膚が盛り上がっているのがわかった。
こんなところにも。
と、少女は唇に指を這わせる。
顎近くの皮膚にも違和感がある。
どれだけの傷があるのだろう。
ふと思い出す。対戦相手の少女はいつも綺麗だ。訓練の中、少女が彼女の顔を傷つけてしまったことも何度かあった。
それなのにどういうわけか彼女の顔に、痕は一つも残っていない。
「どうして……?」
思わず溢れ落ちた呟きはシャワー音に流されて消える。
少女はもう一度ゆっくりと、顔の傷を指でなぞる。
感触以外に確かめる術を、少女は持っていなかった。
***
夕食時、施設内にある食堂。
少女は盆を手に持ち、順番が来るのを待ちながら前に並んでいる同期の少年に尋ねてみる。
「ねえ私の顔、今どうなってる?」
彼もまた顔や手の甲、腕と、あちこちに傷を作っている。恐らく制服に隠れて見えない場所にも多くあるだろう。
少女の質問の意図がわからず、少年は首を傾げる。
「どうなってるって?」
「だから、その、やっぱり傷が目立つかなって」
少年は少し迷うような素振りを見せて、その後で言う。
「それはでも……みんな同じようなものだし」
「そう」
と、少女は特に落ち込んだ風でもなく言った。
寧ろ、やっぱりという思いが胸の内を占めていた。
自分にも少年や他の訓練生と同様に、一目でそれとわかる傷がいくつもある。小さくても大きくても、浅くても深くても。多少の痕が残るもので一つも傷がないというのは不自然だ。
まるで、一度も戦いの場になど立ったことがない者のように。
「おい、これ君のことじゃないか?」
少年に言われて、館内アナウンスの声に気が付く。
それは、少女を教官の元へ呼び出すものだった。
「お前は今日を以てこの兵学校を卒業し、B部隊隊長の任を命ずる」
教官は手短に告げた。
先日、国境近くの町で起きた戦いにてB部隊の隊長が命を落としたこと、その後任がすぐにも必要であること。
更に少女の実力は候補生の中で群を抜いており、近いうちに戦場へ送り出すつもりであったこと。
「それでは今夜中に荷物をまとめておけ。明朝には出発できるよう手配する」
「一つ質問をよろしいですか? 彼女は、今日の対戦相手のあの子は無事なんでしょうか?」
少女は躊躇いながら言った。
なすべきことを前に、他の余計な物事に気を回すことは許されない。
それでも去る前に、せめて自分が傷つけてしまった彼女の安否だけでも知っておきたいと思った。
「それを知ってどうする」
冷たく見下ろしてくる目。
「お前はこれから隊員達を率いて戦場に立つのだ。敵の心配をするような、そんな甘い心構えでどうする。無駄なことは考えるな」
予想通りの反応とはいえ厳しい𠮟責に少女は息が詰まって、ただ喉をせりあがってくる言葉を声にする。
「申し訳、ございません……」
深く頭を下げ、退室する。
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兵士とはそういうものだ。
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