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ルフスとティラン
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大陸の西北に位置する国ローアルは、葡萄や小麦、とうもろこしの栽培が盛んだ。少しでも都心から離れれば、長閑な田園風景が辺りに広がる。
街道脇の葡萄畑では、たわわに実った紫色の果実を収穫する人々の姿が見られる。食用ではないそれは、酒にするため醸造所に持ち込まれることになる。
ルフスの故郷の村でも今頃は葡萄の収穫作業が行われていることだろう。
街道を東に進む。
天気がいい。
午後の陽射しは柔らかく心地いい。
空は澄んだ青色で、雲が薄く細やかだ。金木犀の甘やかな花の香りが風に運ばれてくる。
季節は秋。
このまま道なりに進めば、リュナという街に出る。街や村の多くはこの時期、祭りが催される。収穫を感謝する祭りだ。祭りの時期には特別な料理が振る舞われ、それから家や木に飾り付けをしたり、広場で音楽が奏でられたりするのだという。
街の食事はとても豪勢と聞くから、ルフスはそれを何よりも楽しみにしていた。
予定では今日の昼過ぎには到着するはずだ。地図で確認したら、この先にある森を抜けたすぐ先のようだった。
道はやがて細くなり、木々が鬱蒼と生い茂って、見通しが悪い場所に出る。
「何するんや! 離せあほ!」
そんな怒鳴り声が聞こえたのは、森に入ってしばらくしてからのことだ。
振り返ると男が三人、何やら揉めているようだった。そのうちの一人はまだ年若く、他の二人とは様子が違って見える。
一人の男が逃げようとする若者の腕を掴む。
「見ろよ、こいつの服。随分いいもんだ。こりゃどこぞのお坊ちゃんってとこだろうよ。家出か、迷子か、どっちにしろここで保護しておうちまでお送りすりゃあ、謝礼がたんまりいただけるんじゃねぇか?」
「けど、どこの大金持ちの息子だってんだ。この辺りにゃそんな、それらしい家もないしよ」
「わからなけりゃわからないでいいさ。この見目なら、売っても十分金になるだろうよ」
どうも性質の悪い連中のようだとルフスは思って、自ら男達に近づいていった。
「おい、やめないか」
若者を捕える男の手首を、ルフスは掴んで捻る。
思いがけず強い膂力に痛めつけられた男は悲鳴を上げ、慌てて手を振り払った。ルフスはすかさず若者と男達の間に入る。
体格の良いルフスを目の前にして、男達はぎょっとした顔になる。
手首を捻られた男が吠えた。
「この野郎なにしやがるッ!」
「あんたたちの方こそ、どうも穏やかでないように見えたんでね。人間の売り買いは法で禁じられてるだろ」
「はン、そんなもんいくらでも抜け道があるんだよ。じゃまだ退け」
懲りずに殴りかかってきた男の拳を掌で軽く受け止め、ルフスはもう片方の手で男の腕を捕えると、そのまま投げ飛ばす。投げ飛ばされた男の身体が、同時に飛び掛かってきた男にぶつかり、二人の男は伸びてしまった。
「大丈夫か?」
後ろで呆気にとられている若者に向かって言う。
年は同じくらいだろか。黒い髪と、猫を思わせる少し吊った目。色は髪と同じで黒だ。肌は日に焼けていなくて白い。身長は、大人の男にしては低い。四肢は伸びやかで、全体的に華奢だ。纏っている服も、そこに伸びている男達が言っていたように、上等な生地が使われていて、どこかの令息だと言われれば得心がいく。
「おい」
「あ、す、すまん。おまえさんのおかげで助かったわ。おおきに」
おおきにってなんだろう。
耳慣れない言葉だ。しかしルフスが疑問を口にする前に、若者が言った。
「それでちょっと聞きたいんやけど……」
「?」
「いや、あのな、変に思われるかもしれんけど、その……ここはどこや? あ、先に言うとくけど森の中ってことくらいはわかっとるからな」
「どこといわれても、リュナ近くの森としか……」
「りゅな……」
若者は呟いて、ぽかんと口を開けたまま固まった。
何だか様子が妙だ。いきなり全く知らない場所に放り出されでもしたかのような、そんな感じだ。
「おまえ、どこから来たんだ? 家は?」
ルフスの問いに若者は数度瞬きをし、それから俯いて首を横に振った。
「わからんのや」
「は?」
「おれが誰なんかも、どこから来たのかも何もかも……」
若者が肩を落とすと、その細い体は一層頼りなく小さくなったように見えた。
若者は名をティランといった。
しかしそれもまた正確なものかどうかはわからない。彼が身につけていたペンダントに彫られた文字から、どうにか読み取ることができた一部分というだけだ。
それでも名前がないのは不便だから、ひとまずルフスは彼のことをティランと呼ぶことにした。
ティランが目覚めたのはどこか、この森の近くにある廃墟だったという。
光の届かない地下のような暗い場所に一人きりで、とても恐ろしく、手探りで出口を探し外に出て、森に迷い込み、彷徨っていたところを先程の男達に絡まれたらしい。
記憶も行く宛てもないという青年を放っておくこともできずに、ルフスはひとつの提案を持ち掛けた。
「リュナであんたのことを聞いてみよう。ひょっとしたら誰か知ってる人がいるかもしれない」
途方に暮れていたティランはそれに同意した。
ティランが失った記憶は自身のことに限らず、世界に関するいくつかの情報も含まれていた。
地図を見せたところ、街や国の名前に覚えのないものがあると話す。
だが言ってしまえば、欠乏しているのはそのくらいのもので、会話や意思疎通、基本的動作に問題はない。
「街なら医者もいるだろうし、診てもらえるといいけどな」
リュナへ続く道を歩きながら、ルフスがそう言った。
だが治療を受けるには金が要る。医者の治療は高額だ。
さて、どうしようかと頭を悩ませる。
持ち合わせはいくらかあるが、足りるかどうかわからない。そもそも、それは村の長から預かった旅の資金で、ルフスには為すべきことがある。
街道脇の葡萄畑では、たわわに実った紫色の果実を収穫する人々の姿が見られる。食用ではないそれは、酒にするため醸造所に持ち込まれることになる。
ルフスの故郷の村でも今頃は葡萄の収穫作業が行われていることだろう。
街道を東に進む。
天気がいい。
午後の陽射しは柔らかく心地いい。
空は澄んだ青色で、雲が薄く細やかだ。金木犀の甘やかな花の香りが風に運ばれてくる。
季節は秋。
このまま道なりに進めば、リュナという街に出る。街や村の多くはこの時期、祭りが催される。収穫を感謝する祭りだ。祭りの時期には特別な料理が振る舞われ、それから家や木に飾り付けをしたり、広場で音楽が奏でられたりするのだという。
街の食事はとても豪勢と聞くから、ルフスはそれを何よりも楽しみにしていた。
予定では今日の昼過ぎには到着するはずだ。地図で確認したら、この先にある森を抜けたすぐ先のようだった。
道はやがて細くなり、木々が鬱蒼と生い茂って、見通しが悪い場所に出る。
「何するんや! 離せあほ!」
そんな怒鳴り声が聞こえたのは、森に入ってしばらくしてからのことだ。
振り返ると男が三人、何やら揉めているようだった。そのうちの一人はまだ年若く、他の二人とは様子が違って見える。
一人の男が逃げようとする若者の腕を掴む。
「見ろよ、こいつの服。随分いいもんだ。こりゃどこぞのお坊ちゃんってとこだろうよ。家出か、迷子か、どっちにしろここで保護しておうちまでお送りすりゃあ、謝礼がたんまりいただけるんじゃねぇか?」
「けど、どこの大金持ちの息子だってんだ。この辺りにゃそんな、それらしい家もないしよ」
「わからなけりゃわからないでいいさ。この見目なら、売っても十分金になるだろうよ」
どうも性質の悪い連中のようだとルフスは思って、自ら男達に近づいていった。
「おい、やめないか」
若者を捕える男の手首を、ルフスは掴んで捻る。
思いがけず強い膂力に痛めつけられた男は悲鳴を上げ、慌てて手を振り払った。ルフスはすかさず若者と男達の間に入る。
体格の良いルフスを目の前にして、男達はぎょっとした顔になる。
手首を捻られた男が吠えた。
「この野郎なにしやがるッ!」
「あんたたちの方こそ、どうも穏やかでないように見えたんでね。人間の売り買いは法で禁じられてるだろ」
「はン、そんなもんいくらでも抜け道があるんだよ。じゃまだ退け」
懲りずに殴りかかってきた男の拳を掌で軽く受け止め、ルフスはもう片方の手で男の腕を捕えると、そのまま投げ飛ばす。投げ飛ばされた男の身体が、同時に飛び掛かってきた男にぶつかり、二人の男は伸びてしまった。
「大丈夫か?」
後ろで呆気にとられている若者に向かって言う。
年は同じくらいだろか。黒い髪と、猫を思わせる少し吊った目。色は髪と同じで黒だ。肌は日に焼けていなくて白い。身長は、大人の男にしては低い。四肢は伸びやかで、全体的に華奢だ。纏っている服も、そこに伸びている男達が言っていたように、上等な生地が使われていて、どこかの令息だと言われれば得心がいく。
「おい」
「あ、す、すまん。おまえさんのおかげで助かったわ。おおきに」
おおきにってなんだろう。
耳慣れない言葉だ。しかしルフスが疑問を口にする前に、若者が言った。
「それでちょっと聞きたいんやけど……」
「?」
「いや、あのな、変に思われるかもしれんけど、その……ここはどこや? あ、先に言うとくけど森の中ってことくらいはわかっとるからな」
「どこといわれても、リュナ近くの森としか……」
「りゅな……」
若者は呟いて、ぽかんと口を開けたまま固まった。
何だか様子が妙だ。いきなり全く知らない場所に放り出されでもしたかのような、そんな感じだ。
「おまえ、どこから来たんだ? 家は?」
ルフスの問いに若者は数度瞬きをし、それから俯いて首を横に振った。
「わからんのや」
「は?」
「おれが誰なんかも、どこから来たのかも何もかも……」
若者が肩を落とすと、その細い体は一層頼りなく小さくなったように見えた。
若者は名をティランといった。
しかしそれもまた正確なものかどうかはわからない。彼が身につけていたペンダントに彫られた文字から、どうにか読み取ることができた一部分というだけだ。
それでも名前がないのは不便だから、ひとまずルフスは彼のことをティランと呼ぶことにした。
ティランが目覚めたのはどこか、この森の近くにある廃墟だったという。
光の届かない地下のような暗い場所に一人きりで、とても恐ろしく、手探りで出口を探し外に出て、森に迷い込み、彷徨っていたところを先程の男達に絡まれたらしい。
記憶も行く宛てもないという青年を放っておくこともできずに、ルフスはひとつの提案を持ち掛けた。
「リュナであんたのことを聞いてみよう。ひょっとしたら誰か知ってる人がいるかもしれない」
途方に暮れていたティランはそれに同意した。
ティランが失った記憶は自身のことに限らず、世界に関するいくつかの情報も含まれていた。
地図を見せたところ、街や国の名前に覚えのないものがあると話す。
だが言ってしまえば、欠乏しているのはそのくらいのもので、会話や意思疎通、基本的動作に問題はない。
「街なら医者もいるだろうし、診てもらえるといいけどな」
リュナへ続く道を歩きながら、ルフスがそう言った。
だが治療を受けるには金が要る。医者の治療は高額だ。
さて、どうしようかと頭を悩ませる。
持ち合わせはいくらかあるが、足りるかどうかわからない。そもそも、それは村の長から預かった旅の資金で、ルフスには為すべきことがある。
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