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その背後に潜むもの
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アルナイルの王子との婚約の話が上がったのは、まだ幼い時分だ。
王家に生まれた者として、セラフィナはそれは当たり前のこととして受け止め、不満などはなかった。
もちろん少女の頃には物語の中で見かける恋愛に憧れたものだが、それは自分の立場で許されることではないことを理解してもいた。
ただし婚約者であるからといってそうそう顔を合わせる機会もなく、わかることといえば絵姿と時折交わした手紙のみ。更に王子からの手紙は大抵素っ気ないもので、不安がないかと言われればそういうわけでもなかった。
初めて会ったのは公務でアルナイル王国を訪れた時のことだ。
アルナイル前王が王位を退くこと決め、それを継ぐことになった王子の戴冠式でのことだった。
式典の後で食事の席が設けられたが、限られた時間ということもあって相手を深く知るにはやはり難しかった。
印象としては口数が少なく真面目な男というものだった。それでも言葉の端々には、誠実さや優しさのようなものが滲み出ていて、セラフィナは彼に対して好感を持った。
一年後。セラフィナが成人すると、すぐに婚礼の儀の日取りが決められた。
式典の準備と、国のしきたりや風土に慣れるようにと、セラフィナは式典よりも一ヶ月早くアルナイルを訪れた。
その時に婚約者である王から紹介されたのは、友人であるという宮廷魔法使いだった。
白銀の髪と青色の目の男。
彼はティエンランと名乗った。
エストレラ。
雪に閉ざされた王国。
二年ほど前に滅びたその国の民は、みなその髪色と目の色をしていたという。セラフィナはそれなりに世情に通じていたので、すぐに彼がエストレラの人間だということに気が付いた。
更にティエンランという名にも覚えがあった。
エストレラの王子。魔法に携わる者の間で、彼の名を知らない者はいない。
侵略により行方知れずになったと聞いていたが、その男がまさかアルナイルに逃げのびていたとは思いもしなかった。
王と男は随分と親しげだった。まるで昔からの親友のような、そんな気安さが二人の間にはあって、セラフィナは彼らのことを少し羨ましく思った。
その後のアルナイルでの生活は、セラフィナにとって辛く孤独なものであった。
国から共にやってきた侍女はただ一人。
習慣も食事も、郷里のものとは異なる。
花のにおいも、風のぬくもりも、鳥のさえずりも何もかも。
もちろんそんなことは初めからわかっていたことだったし、できるだけ早くこの国に馴染めるようにとセラフィナ自身も努力した。
だが、
「アルナイルの人間は皆、私を歓迎していなかった」
冬の空気のような、冷え切った声でセラフィナは言った。
ティランは黙ったまま、彼女の言葉の先を待った。
「囁き聞こえてくるのは私を、私の故郷を誹る言葉。そして、嫌がらせは毎日のように続き、次第にひどくなっていった。お茶に毒が仕込まれていたこともあったわ。命にかかわるものではなかったけれど、毒見をした侍女が私の代わりに体調を崩して……」
ティランは愕然とする。
アルナイルの人々の多くは朗らかな性質で、少なくともティランが接したことのある城の者たちは皆親切だった。
セラフィナの話はティランにとって、とても信じられるものではなかったが、彼女が嘘を言っているようにも見えなかった。
困惑しつつも、口を開く。
「やったらなんでアイツに言わんかったんや? そんな話聞いたらロッソの奴も黙っては」
「言えるわけがないでしょう。そんなこと。あの方に、そんな惨めな姿を見せるだなんて絶対に嫌だった。負けるものかと思って耐えることを決めて、だけどあなたが」
どろりとセラフィナの輪郭が揺らめいて、その周りを黒い何かが渦巻く。
「私と同じ余所者であるはずのあなたが、皆から受け入れられて、どうして私だけが? あの方だってそうよ、あなたには私にはない親しさで、あんな顔で、楽しそうにしたりして。私にはいつだって一歩引いたような感じだったのに。私は、私だってあなた達と同じようにあの方と親しくなれたらと、いつだってそう思って頑張っていたのにどうして、どうしてあなたばかりが!」
彼女の悲鳴のような叫びが刃と化し天井を切り裂くと、そこからまやかしは崩れ去り、辺り一面に闇が広がった。
セラフィナの凍てつく瞳がティランを捕え、言葉を紡ぐ。
自嘲気味に、そして静かに。
「そうよ、結局はロッソ様も私のことなど見ていなかった」
その憎しみと悲しみに満ちた呟きに、ティランは目を見開く。
思い出される王との会話。
セラフィナがすっと腕を上げると、彼女の周りを取り巻いていた黒いそれがまるで蛇か何かのようにティランに絡みついてきた。
「待ってくれ。ちがう、あいつは、ロッソはおまえさんのことを」
「慰めの言葉など聞きたくないわ」
「そうやない、おまえさんと初めて会ったあの日、あの後あいつはおれに言うたんや」
「聞きたくないと、」
黒いものが口の中にまで入ってきて、ティランは言葉が封じられてしまう。
セラフィナは口端を大きく持ち上げ、にたりと笑う。
そうしてくぐもった声が言った。
「言ってんだろ? 賢者様よぉ」
王家に生まれた者として、セラフィナはそれは当たり前のこととして受け止め、不満などはなかった。
もちろん少女の頃には物語の中で見かける恋愛に憧れたものだが、それは自分の立場で許されることではないことを理解してもいた。
ただし婚約者であるからといってそうそう顔を合わせる機会もなく、わかることといえば絵姿と時折交わした手紙のみ。更に王子からの手紙は大抵素っ気ないもので、不安がないかと言われればそういうわけでもなかった。
初めて会ったのは公務でアルナイル王国を訪れた時のことだ。
アルナイル前王が王位を退くこと決め、それを継ぐことになった王子の戴冠式でのことだった。
式典の後で食事の席が設けられたが、限られた時間ということもあって相手を深く知るにはやはり難しかった。
印象としては口数が少なく真面目な男というものだった。それでも言葉の端々には、誠実さや優しさのようなものが滲み出ていて、セラフィナは彼に対して好感を持った。
一年後。セラフィナが成人すると、すぐに婚礼の儀の日取りが決められた。
式典の準備と、国のしきたりや風土に慣れるようにと、セラフィナは式典よりも一ヶ月早くアルナイルを訪れた。
その時に婚約者である王から紹介されたのは、友人であるという宮廷魔法使いだった。
白銀の髪と青色の目の男。
彼はティエンランと名乗った。
エストレラ。
雪に閉ざされた王国。
二年ほど前に滅びたその国の民は、みなその髪色と目の色をしていたという。セラフィナはそれなりに世情に通じていたので、すぐに彼がエストレラの人間だということに気が付いた。
更にティエンランという名にも覚えがあった。
エストレラの王子。魔法に携わる者の間で、彼の名を知らない者はいない。
侵略により行方知れずになったと聞いていたが、その男がまさかアルナイルに逃げのびていたとは思いもしなかった。
王と男は随分と親しげだった。まるで昔からの親友のような、そんな気安さが二人の間にはあって、セラフィナは彼らのことを少し羨ましく思った。
その後のアルナイルでの生活は、セラフィナにとって辛く孤独なものであった。
国から共にやってきた侍女はただ一人。
習慣も食事も、郷里のものとは異なる。
花のにおいも、風のぬくもりも、鳥のさえずりも何もかも。
もちろんそんなことは初めからわかっていたことだったし、できるだけ早くこの国に馴染めるようにとセラフィナ自身も努力した。
だが、
「アルナイルの人間は皆、私を歓迎していなかった」
冬の空気のような、冷え切った声でセラフィナは言った。
ティランは黙ったまま、彼女の言葉の先を待った。
「囁き聞こえてくるのは私を、私の故郷を誹る言葉。そして、嫌がらせは毎日のように続き、次第にひどくなっていった。お茶に毒が仕込まれていたこともあったわ。命にかかわるものではなかったけれど、毒見をした侍女が私の代わりに体調を崩して……」
ティランは愕然とする。
アルナイルの人々の多くは朗らかな性質で、少なくともティランが接したことのある城の者たちは皆親切だった。
セラフィナの話はティランにとって、とても信じられるものではなかったが、彼女が嘘を言っているようにも見えなかった。
困惑しつつも、口を開く。
「やったらなんでアイツに言わんかったんや? そんな話聞いたらロッソの奴も黙っては」
「言えるわけがないでしょう。そんなこと。あの方に、そんな惨めな姿を見せるだなんて絶対に嫌だった。負けるものかと思って耐えることを決めて、だけどあなたが」
どろりとセラフィナの輪郭が揺らめいて、その周りを黒い何かが渦巻く。
「私と同じ余所者であるはずのあなたが、皆から受け入れられて、どうして私だけが? あの方だってそうよ、あなたには私にはない親しさで、あんな顔で、楽しそうにしたりして。私にはいつだって一歩引いたような感じだったのに。私は、私だってあなた達と同じようにあの方と親しくなれたらと、いつだってそう思って頑張っていたのにどうして、どうしてあなたばかりが!」
彼女の悲鳴のような叫びが刃と化し天井を切り裂くと、そこからまやかしは崩れ去り、辺り一面に闇が広がった。
セラフィナの凍てつく瞳がティランを捕え、言葉を紡ぐ。
自嘲気味に、そして静かに。
「そうよ、結局はロッソ様も私のことなど見ていなかった」
その憎しみと悲しみに満ちた呟きに、ティランは目を見開く。
思い出される王との会話。
セラフィナがすっと腕を上げると、彼女の周りを取り巻いていた黒いそれがまるで蛇か何かのようにティランに絡みついてきた。
「待ってくれ。ちがう、あいつは、ロッソはおまえさんのことを」
「慰めの言葉など聞きたくないわ」
「そうやない、おまえさんと初めて会ったあの日、あの後あいつはおれに言うたんや」
「聞きたくないと、」
黒いものが口の中にまで入ってきて、ティランは言葉が封じられてしまう。
セラフィナは口端を大きく持ち上げ、にたりと笑う。
そうしてくぐもった声が言った。
「言ってんだろ? 賢者様よぉ」
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