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その地に残された想い
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一夜にして滅びた王国。
あの日、強力な武器を携えた軍勢が押し寄せた。
抵抗する者もそうでない者も、殺されたり或いは捕えられたりした。
それでもまだ建物は形をとどめていたし、そこに住人の姿がないことを除けば、記憶にある街の風景と大きく変わらない。その様子に、ティランは胸の奥が何かよくわからない感情でいっぱいになった。
寒さは感じない。魔法で、服の内側に温かい空気を滞留させている。
記憶が戻ると同時に、魔法に関する知識もすべて思い出した。
まっさらな雪の上を歩いて進む。
今は埋もれて見えない王城への道。
城と言っても、規模は小さく、特別な備えがあるわけでもない。貴族の邸宅に近い。ただし書物は充実していて、居住区域よりも書庫の方が立派なのではないかと、子供心に思った覚えがある。
開け放たれたまま放置された扉。割れた窓ガラス。寂しげに揺れるカーテン。そこから吹き込む雪が絨毯を白く染めていた。そこかしこに荒らされた形跡がある。金目のものは全て持ち出されていた。
この国は、あの日から時間が止まったままだ。
そこに働く誰かの意思と力を、故郷に足を踏み入れた瞬間にティランは気がついていた。
最初に向かったのは研究室だ。
部屋の扉は開いていた。
そして中の様子を目にしたティランはぐっと唇をかみしめた。
土足で踏み込まれた形跡が、この場所にも残されていた。魔法に必要な道具類や素材がこの部屋には置かれていて、その中には貴重な品物がいくつもあった。その多くが失われている。
使えるものをできるだけ掻き集め、今度は書庫に向かう。
幸いなことに書庫の本は無事だった。
ティランや国の人々にとって、知識は何よりの宝であったというのに、攻め込んできた蛮族たちは全く愚かなものだと蔑む。
ここにある殆どは魔法に関する書物だ。
ティランは迷いなく、まっすぐに一つの書棚に向かう。
何冊かの本を手に取り、床の上に直に座って読み始める。
読むスピードは早く、ページはどんどんと捲られてゆく。あっという間に一冊を読み終え、横に積んだ本をまた手に取る。
そんなことを何度か繰り返した後、ティランは今度は書き物机の前に腰を下ろした。
書き物机の中には、様々な文字と図形が書き込まれた紙束と、未使用の紙が何枚かあった。そこにペンで何かを書きだしていく。
紙が足りなくなると持ってきた鞄の中から新しい紙を取り出し、更に文字を連ねる。
しばらくして、ティランはペンを置くと、書き記した紙束を手に立ち上がって書庫を出た。
ティランが挑もうとしているのは、記憶に関する魔法だ。
土地に刻まれた記憶を辿る法。
湖の古城で起こった不思議な出来事。あの体験を思い出し、考えついた魔法だ。
手元にある素材だけで術式を構築しようとすると、どうしても複雑で無駄な部分が多く出てしまう。それでも今から素材探しに各地を巡るよりは、遥かに近道だった。
魔法の実験を行うための、だだ広い部屋。
灰色の石床に、ろう石を使って魔法陣を描いていく。
何重もの同心円とその隙間を埋め尽くすように文字を書きこむ。
窓の外がすっかり暗くなっていたが、それにも気づかないほどティランは作業に没頭していた。
魔法陣が完成する頃には、ティランは疲労で限界を感じていたが、それでも軋む体を叱咤して杖を手に取る。だが魔法の言葉を口にしようとした時、ふと脳裏に声が聞こえた気がした。
「無理をしてはいけません」
平淡だが、いたわりに満ちた言葉だった。
ティランはゆっくり息を吐き出すと、杖を構える腕を下ろす。
全身から力が抜けて、立っていることもままならず倒れ込む。
杖が石床を転がりカランと音を立てたが、ティランの意識は既に深い眠りに取り込まれていた。
夢を見た。
夢に現れた人物は、揺れる水面に映る光景のように安定しない姿をしていた。
声もまたぶれているうえに、小さなノイズが混じっている。
国全体を覆う魔力の影響だろうと、夢の中でティランは理解する。
『おかえりなさい。あなたが無事に逃げのびたことを信じ、いつこの地に戻ってきてもいいように、私はできる限りのことをしたいと思います』
これは思念だ。
あの時生き延びた誰かの。
いや、ティランの幼い頃からよく知る人物の。
一方的に語りかけてくる様子にそう思って、絶えずゆらぐその輪郭をティランは見つめた。
『ですが、これは決してあなたに重責を押し付けるものではないということを理解してください。選択肢の一つとして考えてもらえるように、私は最大限の力を使ってこの国の形をできる限り保存します。国も民も無き今、あなたはもはや王族ではありません。ですが、あなたの体の中に流れる血は紛れもなくこの国の王のものであり、どちらを選んでもそれはあなたの自由です。あなたの道はあなたが決めてください。私はただ、これからあなたが歩む道を、明るい光が照らし出してくれることをいつも願っています』
大きく揺らいだ輪郭が一瞬形を整え、その微笑みが自分に向けられるのをティランは見た。
『ですから、どうかお心のままに。ティエンラン様』
『せんせい……!』
五百年の時を経て、ティランはようやく声をあげて泣いた。
あの日、強力な武器を携えた軍勢が押し寄せた。
抵抗する者もそうでない者も、殺されたり或いは捕えられたりした。
それでもまだ建物は形をとどめていたし、そこに住人の姿がないことを除けば、記憶にある街の風景と大きく変わらない。その様子に、ティランは胸の奥が何かよくわからない感情でいっぱいになった。
寒さは感じない。魔法で、服の内側に温かい空気を滞留させている。
記憶が戻ると同時に、魔法に関する知識もすべて思い出した。
まっさらな雪の上を歩いて進む。
今は埋もれて見えない王城への道。
城と言っても、規模は小さく、特別な備えがあるわけでもない。貴族の邸宅に近い。ただし書物は充実していて、居住区域よりも書庫の方が立派なのではないかと、子供心に思った覚えがある。
開け放たれたまま放置された扉。割れた窓ガラス。寂しげに揺れるカーテン。そこから吹き込む雪が絨毯を白く染めていた。そこかしこに荒らされた形跡がある。金目のものは全て持ち出されていた。
この国は、あの日から時間が止まったままだ。
そこに働く誰かの意思と力を、故郷に足を踏み入れた瞬間にティランは気がついていた。
最初に向かったのは研究室だ。
部屋の扉は開いていた。
そして中の様子を目にしたティランはぐっと唇をかみしめた。
土足で踏み込まれた形跡が、この場所にも残されていた。魔法に必要な道具類や素材がこの部屋には置かれていて、その中には貴重な品物がいくつもあった。その多くが失われている。
使えるものをできるだけ掻き集め、今度は書庫に向かう。
幸いなことに書庫の本は無事だった。
ティランや国の人々にとって、知識は何よりの宝であったというのに、攻め込んできた蛮族たちは全く愚かなものだと蔑む。
ここにある殆どは魔法に関する書物だ。
ティランは迷いなく、まっすぐに一つの書棚に向かう。
何冊かの本を手に取り、床の上に直に座って読み始める。
読むスピードは早く、ページはどんどんと捲られてゆく。あっという間に一冊を読み終え、横に積んだ本をまた手に取る。
そんなことを何度か繰り返した後、ティランは今度は書き物机の前に腰を下ろした。
書き物机の中には、様々な文字と図形が書き込まれた紙束と、未使用の紙が何枚かあった。そこにペンで何かを書きだしていく。
紙が足りなくなると持ってきた鞄の中から新しい紙を取り出し、更に文字を連ねる。
しばらくして、ティランはペンを置くと、書き記した紙束を手に立ち上がって書庫を出た。
ティランが挑もうとしているのは、記憶に関する魔法だ。
土地に刻まれた記憶を辿る法。
湖の古城で起こった不思議な出来事。あの体験を思い出し、考えついた魔法だ。
手元にある素材だけで術式を構築しようとすると、どうしても複雑で無駄な部分が多く出てしまう。それでも今から素材探しに各地を巡るよりは、遥かに近道だった。
魔法の実験を行うための、だだ広い部屋。
灰色の石床に、ろう石を使って魔法陣を描いていく。
何重もの同心円とその隙間を埋め尽くすように文字を書きこむ。
窓の外がすっかり暗くなっていたが、それにも気づかないほどティランは作業に没頭していた。
魔法陣が完成する頃には、ティランは疲労で限界を感じていたが、それでも軋む体を叱咤して杖を手に取る。だが魔法の言葉を口にしようとした時、ふと脳裏に声が聞こえた気がした。
「無理をしてはいけません」
平淡だが、いたわりに満ちた言葉だった。
ティランはゆっくり息を吐き出すと、杖を構える腕を下ろす。
全身から力が抜けて、立っていることもままならず倒れ込む。
杖が石床を転がりカランと音を立てたが、ティランの意識は既に深い眠りに取り込まれていた。
夢を見た。
夢に現れた人物は、揺れる水面に映る光景のように安定しない姿をしていた。
声もまたぶれているうえに、小さなノイズが混じっている。
国全体を覆う魔力の影響だろうと、夢の中でティランは理解する。
『おかえりなさい。あなたが無事に逃げのびたことを信じ、いつこの地に戻ってきてもいいように、私はできる限りのことをしたいと思います』
これは思念だ。
あの時生き延びた誰かの。
いや、ティランの幼い頃からよく知る人物の。
一方的に語りかけてくる様子にそう思って、絶えずゆらぐその輪郭をティランは見つめた。
『ですが、これは決してあなたに重責を押し付けるものではないということを理解してください。選択肢の一つとして考えてもらえるように、私は最大限の力を使ってこの国の形をできる限り保存します。国も民も無き今、あなたはもはや王族ではありません。ですが、あなたの体の中に流れる血は紛れもなくこの国の王のものであり、どちらを選んでもそれはあなたの自由です。あなたの道はあなたが決めてください。私はただ、これからあなたが歩む道を、明るい光が照らし出してくれることをいつも願っています』
大きく揺らいだ輪郭が一瞬形を整え、その微笑みが自分に向けられるのをティランは見た。
『ですから、どうかお心のままに。ティエンラン様』
『せんせい……!』
五百年の時を経て、ティランはようやく声をあげて泣いた。
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