緋の英雄王 白銀の賢者

冴木黒

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ひとときの休息を

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「あ、が、」

 ルフスは両手で頭を抱え、背を丸くすると、全身を小刻みに震わせた。
 ティランは靄との格闘を続けながら叫ぶ。

「ルフスっ、ルフス!!」
「ははぁ、なんだざまあねぇなあ」
「あ、てめえ、水鏡か! 助けろ!」

 姿こそ見えないものの、頭上から降ってきた笑い声にティランは怒鳴りつける。

「あ? それが神に物を頼む態度か」
「我らか弱き人の子にどうか救いの手を水鏡のミコト後で覚えとれよ」
「お願いしますは」
「……お願いします」

 クソッタレと忘れず付け足す。
 ティランは実体がなくなり、絡みついてくる闇をすり抜け、逃れることに成功した。
 途端に蛇のようにうねり暴れていた闇が散って消える。見るとティランの姿をした水鏡が掌をこちらに向けていて、何かしたのだということが知れる。
 今体奪う必要あったか!?
 声にならない声でティランは言うが、水鏡は奪った姿のまま、ルフスの傍に歩いて行った。腰に手を当て、見下ろす。ルフスは頭を抱えたまま、びくびくと身体を跳ねさせている。

「で、こいつどうしたよってそうだった、口きけねぇんだった、人間ってぇのは不便なもんだな、ハハハ」

 水鏡は片膝をつき、ルフスの顎を掴んで顔を上げさせると、指先で額に触れた。
 触れた場所がぼんやりと光る。

「ハーン、なるほど。記憶を弄られたか。まあとりあえず眠らせといてやるから、後は自分たちでなんとかしろ。山吹の奴もじきに来るだろ」

 ルフスの体から力が抜けて倒れ込むのと同時に、水鏡は消え、ティランは体を取り戻した。
 急いでルフスを抱き起こして、仰向けにする。
 汗がひどい。瞼は涙で、口元は唾液で汚れていた。
 それでも穏やかに息をしていることに安堵する。
 全身で呼吸をして、脱力する。ぼんやりと天を仰ぐ。
 休ませないと。
 色々あって疲れているはずだ。
 こいつに今必要なのは休息だ。
 ベッドや温かい食事や安息やそんなものが。
 だから、帰らないと。
 この地の底から出て、どこか近くの街か村で宿を取って。
 そのためには杖が必要だ。杖がなくてはティランは魔法を使えない。無力だ。この場所から動くことすらかなわない。
 ああと吐きだした息が震える。
 五百年も。

 おれはいったい何をしていたんだろう。

 最善だったか?
 本当に?
 もっと他に、もっと何かもっと、もっといい方法があったんじゃないか。闇の存在になぜ気づけなかった。あんなことになるまでどうして。
 どうして。
 どうして。
 どうして。
 そんな考えばかりが頭の中をぐるぐると巡って、それからはたと思いつく。
 城の人々はどうなったのだろう。
 それからロッソ。ロッソは、物語の中ではこのガドール・フォセで果てたと言い伝えられている。
 命と引き換えにあの闇の者を封印するために。

「ティラン殿」

 山吹が頭上から降りてきた。
 服の袖がひらりと舞って、まるで鳥か何かのようだった。

「ご無事で何よりです。ルフス殿は」
「だいじょうぶ。眠っとるだけや。さっき水鏡が……」
「そうですか」
「どこかで休ませんと」
「あなたも」

 一瞬何を言われたかわからず顔を上げる。
 山吹が変わらぬ無表情でティランをじっと見つめていた。

「顔色がよくありません、ティラン殿。ティラン殿にも休息が必要かと」

 言われて初めて自覚する。
 自分は今ひどく疲れているようだ。
 考えが悪い方向にしか向かわない程に。

「これより地上へ向かいます。まずは食事をとって眠りましょう。よろしいですか、考え事は休息をとってその後に。無理をしてはいけません」

 地上では馬が大人しく待っていて、その近くには荷物と杖が置かれていた。
 杖を手に取る。
 木のごつごつとした手触り。
 久しく触れていないような気がした。
 手元にあるだけで安心できる。杖さえあればまだ自分にもできることがあるのだと、そう思えるから。
 本来は別の人間のものだというのに、今ではすっかりティランの手に馴染んでいる。

「山吹」
「はい」
「記憶が戻った……ぜんぶ、思い出したわ。おまえと、ルフスにも後で話しておきたい」
「はい」
「移動するぞ」

 転移魔法を使って戻ってきたのはメルクーアの森だった。
 赤い実のなる木の幹に刻まれていた魔法文字。数日前、ラータを訪ねた時に見かけて記憶に残っていたものだった。恐らく彼が付けたのだろうと、ティランは思っている。
 それを目当てにして飛んだ。
 木々に囲まれた一軒家。
 断りもなくベッドを使用することを心の中で詫び、眠るルフスをそこへ運んだ。体格がいいので運ぶのに少し手間取ってしまい、山吹も手伝ってくれた。
 寝室にはベッドが二台並んでいて、一台は大人が二人寝そべることができるサイズで、もう一台は少し小さかった。それでも小柄な山吹であれば十分に使える大きさがあったので、そちらを使うように言った。

「ティラン殿」

 寝室を出ようとするティランを山吹が呼び止めた。

「……すぐ戻る」

 家を出て歩いて向かったのは、岩山に自然にできたトンネルだ。
 空中に鈍く光る魔法陣。
 ティランの唇が鍵となる言葉を紡ぐ。
 魔法陣は消え、壁が一時的になくなった。だがティランが通り抜けると、再び壁ができあがる。
 遠い昔に国の誰かが施した結界。
 真っ直ぐに伸びた道の先に見えてきた光。
 トンネルを抜ける。
 視界が白で埋め尽くされる。
 一面の雪景色。

 荒らされた形跡は所々にあったが、街はあの頃のままそこに残っていた。
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