63 / 67
甘いにおい
しおりを挟む
おれってそんなに信用ない?
複雑な計算式を物凄い速さで書きながら、ティランは頭の隅で考える。
そうかもしれない。
山吹のことを告げれば、ルフスはショックを受けるだろうし、自責の念にかられるだろう。元はといえば、力を利用されたティランに非があるというのに、それを言ったところで、ルフスにはきっと響かない。
共にいて何も気づけなかったことを後悔するに違いない。
ルフスという人間は意外に繊細だ。それはティランがルフスと一緒にいて感じたことだ。感情を殺したり、見切りをつけるということができない優しい男だ。本来ならば戦いとは無縁の世界で、平穏に生きることが性にあっているタイプだろう。
いや、本当はティラン自身がそれを彼に望んでいるだけかもしれない。
柔軟な思考も、苦難を乗り越えられるだけの強かさも、ルフスにはあって、ただティランが見たくないだけなのかもしれない。ルフスが傷つくところを、傷ついた顔を。
だからルフスには知らせず、ティランは自分の力でどうにかするつもりでいた。
魔法と、呪い、妖の力。それらに関する、あらゆる知識を得れば、それをかけ合わせて解呪の方法を作り出せるかもしれない。
魔王は大いなる知識を持つ存在だが、そこから新しいものを生み出すことはない。
生み出すのは、この世界に生きる者達の役目だ。
「?」
不意に書きかけの文字がぐにゃりと歪んだように見えて、ティランはペン先を持ち上げた。
何枚にも渡って綴られた紙に、黒のインクで記された図形。そして文字と数字の群れ。それらが紙から剝がれ浮き上がり、ひとりでに動き始めたので、ティランはぞっとして、傍に転がしておいた杖を取り、飛び退って座卓から離れた。
バラバラにされた文字と線が組みなおされ、空中に描かれた魔法陣。
それは召喚に関するものだ。
ただし、対象は魔王ではない。
虚ろなる深淵。
筒蛇。
空間を繋ぐ存在。
読み取ると同時に、魔法陣から飛び出してきた真っ黒な塊が大きく口を開き、ティランを頭から飲み込んだ。
視界が暗転する。
まるで全身を押しつぶされるような圧に、ティランは意識を失った。
次に気が付いた時、ティランは檻の中にいた。
商品である人間を入れるための鉄の箱。競売場で何度も目にしたそれだ。ティラン自身はそれ以前に傀儡の術を施されていたので、他の逃げ出すおそれがある奴隷などはそこに閉じ込められ運ばれていた。
格子越しに見える外は、無骨なそれとは不釣り合いな場所だった。
思い出すのは、初めてロッソと出会ったあの時。
そう、アルナイル城の謁見の間。
長く伸びた真紅の絨毯の先、壇上に据えられた玉座。そこで微笑みを浮かべて座るのは、本当の主ではなく、彼の婚約者であった女だ。
可憐な唇から二重にぶれた声が発せられる。
「気分はどうだね、賢者殿」
「アンノウン……!」
[693262032/1671786850.jpg]
強く睨みつけながら、ティランは吐き捨てるように言った。起き上がろうとして、身体の動きが鈍いことに気づく。
両手を床につきながらどうにか上半身を起こすティランを眺め、アンノウンは微笑む。
「もうしばらく遊ばせてやってもよかったんだがね。この身体がそろそろ限界のようで、猶予がなくなってしまった。恨むならこの愚かな姫君を恨むといい。自ら聖剣に貫かれるなど愚行を犯したこの身体の持ち主を」
「だまれ」
頭をもたげたまま、ティランは低く言う。
なんだこれは。体が思い通りにならない。頭が重くてぼんやりしている。思考がまとまらない。
魔法か。
いや、その気配はない。
ただ何か……
室内に漂う、この甘ったるい匂い。ゆっくりと顔を上げ、視線を動かして部屋の隅に香炉を見つけた。こめかみを嫌な汗が伝う感触が妙に生々しい。
そうだ、この匂いは。この症状は。徐々に働かなくなる頭を、気力だけでどうにか動かし、ティランは答えを導き出す。
「りゅう、りんそう……」
「正解だよ、流石だなァ賢者殿」
手を叩いて喜ぶアンノウンのふざけた態度にも、ティランは怒る余裕さえ残っていない。
上半身を支えていた腕から力が抜けて、床に倒れる。
「人間達の間で麻薬としても使用されるこの植物は強い快楽を生むが、同時に使用者の脳に影響を与える。強引なやり方だが、こうでもしないと君に憑りつくのは難しそうだからね」
アンノウンは玉座から腰をあげる。
薄れゆく意識の中、ティランの耳にどさりと音が響いた。
それは、今までアンノウンの依り代となっていたセラフィナの身体が床に落ちた音だったが、ティランがその事実を知ることはなかった。
それからややあって、檻が唐突に消えたかと思うと、倒れていたティランが立ちあがった。
自身の体を見下ろし、手指を曲げ伸ばししたりして動きを確認する。
望む通りに動く体。
そして、身の内から溢れんばかりの魔力。
クッと喉が震える。
三日月の如く弧を描いた唇から、抑えきれない笑い声が漏れた。
複雑な計算式を物凄い速さで書きながら、ティランは頭の隅で考える。
そうかもしれない。
山吹のことを告げれば、ルフスはショックを受けるだろうし、自責の念にかられるだろう。元はといえば、力を利用されたティランに非があるというのに、それを言ったところで、ルフスにはきっと響かない。
共にいて何も気づけなかったことを後悔するに違いない。
ルフスという人間は意外に繊細だ。それはティランがルフスと一緒にいて感じたことだ。感情を殺したり、見切りをつけるということができない優しい男だ。本来ならば戦いとは無縁の世界で、平穏に生きることが性にあっているタイプだろう。
いや、本当はティラン自身がそれを彼に望んでいるだけかもしれない。
柔軟な思考も、苦難を乗り越えられるだけの強かさも、ルフスにはあって、ただティランが見たくないだけなのかもしれない。ルフスが傷つくところを、傷ついた顔を。
だからルフスには知らせず、ティランは自分の力でどうにかするつもりでいた。
魔法と、呪い、妖の力。それらに関する、あらゆる知識を得れば、それをかけ合わせて解呪の方法を作り出せるかもしれない。
魔王は大いなる知識を持つ存在だが、そこから新しいものを生み出すことはない。
生み出すのは、この世界に生きる者達の役目だ。
「?」
不意に書きかけの文字がぐにゃりと歪んだように見えて、ティランはペン先を持ち上げた。
何枚にも渡って綴られた紙に、黒のインクで記された図形。そして文字と数字の群れ。それらが紙から剝がれ浮き上がり、ひとりでに動き始めたので、ティランはぞっとして、傍に転がしておいた杖を取り、飛び退って座卓から離れた。
バラバラにされた文字と線が組みなおされ、空中に描かれた魔法陣。
それは召喚に関するものだ。
ただし、対象は魔王ではない。
虚ろなる深淵。
筒蛇。
空間を繋ぐ存在。
読み取ると同時に、魔法陣から飛び出してきた真っ黒な塊が大きく口を開き、ティランを頭から飲み込んだ。
視界が暗転する。
まるで全身を押しつぶされるような圧に、ティランは意識を失った。
次に気が付いた時、ティランは檻の中にいた。
商品である人間を入れるための鉄の箱。競売場で何度も目にしたそれだ。ティラン自身はそれ以前に傀儡の術を施されていたので、他の逃げ出すおそれがある奴隷などはそこに閉じ込められ運ばれていた。
格子越しに見える外は、無骨なそれとは不釣り合いな場所だった。
思い出すのは、初めてロッソと出会ったあの時。
そう、アルナイル城の謁見の間。
長く伸びた真紅の絨毯の先、壇上に据えられた玉座。そこで微笑みを浮かべて座るのは、本当の主ではなく、彼の婚約者であった女だ。
可憐な唇から二重にぶれた声が発せられる。
「気分はどうだね、賢者殿」
「アンノウン……!」
[693262032/1671786850.jpg]
強く睨みつけながら、ティランは吐き捨てるように言った。起き上がろうとして、身体の動きが鈍いことに気づく。
両手を床につきながらどうにか上半身を起こすティランを眺め、アンノウンは微笑む。
「もうしばらく遊ばせてやってもよかったんだがね。この身体がそろそろ限界のようで、猶予がなくなってしまった。恨むならこの愚かな姫君を恨むといい。自ら聖剣に貫かれるなど愚行を犯したこの身体の持ち主を」
「だまれ」
頭をもたげたまま、ティランは低く言う。
なんだこれは。体が思い通りにならない。頭が重くてぼんやりしている。思考がまとまらない。
魔法か。
いや、その気配はない。
ただ何か……
室内に漂う、この甘ったるい匂い。ゆっくりと顔を上げ、視線を動かして部屋の隅に香炉を見つけた。こめかみを嫌な汗が伝う感触が妙に生々しい。
そうだ、この匂いは。この症状は。徐々に働かなくなる頭を、気力だけでどうにか動かし、ティランは答えを導き出す。
「りゅう、りんそう……」
「正解だよ、流石だなァ賢者殿」
手を叩いて喜ぶアンノウンのふざけた態度にも、ティランは怒る余裕さえ残っていない。
上半身を支えていた腕から力が抜けて、床に倒れる。
「人間達の間で麻薬としても使用されるこの植物は強い快楽を生むが、同時に使用者の脳に影響を与える。強引なやり方だが、こうでもしないと君に憑りつくのは難しそうだからね」
アンノウンは玉座から腰をあげる。
薄れゆく意識の中、ティランの耳にどさりと音が響いた。
それは、今までアンノウンの依り代となっていたセラフィナの身体が床に落ちた音だったが、ティランがその事実を知ることはなかった。
それからややあって、檻が唐突に消えたかと思うと、倒れていたティランが立ちあがった。
自身の体を見下ろし、手指を曲げ伸ばししたりして動きを確認する。
望む通りに動く体。
そして、身の内から溢れんばかりの魔力。
クッと喉が震える。
三日月の如く弧を描いた唇から、抑えきれない笑い声が漏れた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる