播磨の美しい姫

阿弖流為

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秘めた決意

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 秋の夜風が竹林を吹き抜ける。蘭姫は小さな短刀を握りしめながら、静かに城へ戻った。

 自らの意思で決断したはずなのに、心は未だ波打っている。

 この城を出るということは、もう二度と家族の元へは戻れないかもしれない。

 しかし──それでも、橘と共に生きる道を選びたい。

 そう強く思った。

 ***

 翌朝、蘭姫は侍女の千代を呼び、静かに告げた。

「私、城を出ます」

 千代は驚いた顔をしたが、すぐに目を伏せ、そっと頷いた。

「……やはり、決められたのですね」

「ええ。でも、一つだけお願いがあります」

「なんなりと」

 蘭姫は一歩、千代に近づいた。

「私が消えたことを、すぐには知らせないでほしいの」

「……それは、なぜでしょう?」

「時間がほしいの。きっと、すぐに追手がかかる。でも、それまでに橘と合流できれば、逃げ切れるかもしれない」

 千代はしばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと頷いた。

「……分かりました」

「ありがとう、千代」

 蘭姫は彼女の手をぎゅっと握る。

 千代の手は、少し震えていた。

「どうか……どうか、お気をつけて」

 ***

 夜になり、蘭姫は静かに城を抜け出した。

 闇の中、誰にも気づかれないように裏門へと向かう。

 しかし、そこへ辿り着く寸前だった。

「どこへ行かれるのです?」

 背後から、低い声が響いた。

 血の気が引く。

 振り返ると、そこには蘭姫の兄、赤松家の若君・義光が立っていた。

「……兄上」

 義光の目は、冷たく鋭い光を帯びている。

「夜更けに一人で城を出るなど、不審なことこの上ない。お前、どこへ行くつもりだ」

 蘭姫は答えられなかった。

 義光は、彼女が何かを隠していることをすぐに察したのだろう。

「……橘と、会うのか」

 その名を口にされた瞬間、蘭姫の背筋が凍った。

 橘の名を知っている──つまり、すでに城の者たちは彼の存在を掴んでいる。

 義光は一歩、蘭姫に近づいた。

「お前は、赤松の娘だ。主家のために生きるのが務め。それを捨てて、村上の残党と共に行くというのか?」

「……私は……」

 蘭姫の声が震える。

 しかし、それでも彼女は一歩も引かなかった。

「私は……私の意思で生きたい」

 その言葉に、義光は目を細めた。

「──愚かだな」

 義光は小さく呟いた。

「よかろう。お前がその道を選ぶというのなら、もう妹とは思わぬ」

 そう言い残し、義光は踵を返した。

 だが、彼が最後に放った言葉だけが、蘭姫の胸を深く刺した。

「……だが、必ず追手を放つ」

 ***

 蘭姫は息を呑んだ。

 もう、戻る道はない。

 竹林へと駆け出す。

 義光の言葉は、まるで冷たい刃のように蘭姫の心に突き刺さっていた。

 ──それでも、私は行く。

 闇の中、蘭姫はただひたすらに走り続けた。
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