婚約破棄された令嬢は、もう誰の答えも借りません

鷹 綾

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第1話 婚約破棄という名の解放

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第1話 婚約破棄という名の解放

 その日は、王宮の大広間にやけに人が集まっていた。
 貴族、重臣、騎士、聖職者――誰もが正装し、ざわめきの中に妙な高揚感が漂っている。

 私は、その中央に立たされていた。

 エリシア・ヴァルテンベルク。
 王太子レオナルトの婚約者として、長年その隣に立つことを求められてきた公爵令嬢。

 ――けれど。

「エリシア・ヴァルテンベルク。
 本日をもって、君との婚約を破棄する」

 その言葉は、あまりにも唐突で、あまりにもあっさりしていた。

 ざわ、と空気が揺れる。
 貴族たちの囁きが一斉に広がり、好奇と期待に満ちた視線が私に突き刺さった。

「理由は明白だ」

 王太子レオナルトは、私を一瞥すると、まるで価値のない品を評価するかのような口調で続ける。

「君は、あまりにも地味だ。
 そして――無能だ」

 胸の奥が、ひやりと冷える。

 だが、不思議なことに、痛みはなかった。
 長年、覚悟してきた言葉だったからだろう。

「王太子妃として求められるのは、国を導く光。
 だが君は、何の成果も示していない」

 その背後で、一人の少女が一歩前に出る。

 白銀の髪に、神々しいほどの笑み。
 純白の法衣に身を包んだ少女――リュミエール。

「皆様、ご安心くださいませ」

 彼女は胸に手を当て、朗らかに微笑んだ。

「これからは、私がこの国を導きます。
 神より選ばれし聖女として――」

 どっと歓声が上がる。
 奇跡を信じたい人々の、あまりにも素直な反応だった。

 私は、ただ静かにその様子を見つめていた。

 レオナルト殿下が、満足そうに頷く。

「そういうことだ、エリシア。
 君は、もう必要ない」

 ――ああ、やっぱり。

 心の中で、私は小さく息を吐いた。

 思えば、これまでずっとそうだった。
 会議資料をまとめ、数字を精査し、外交文書を整え、領地からの嘆願を処理する。
 それらはすべて、“王太子の仕事”として扱われ、私の名が表に出ることはなかった。

 それでも構わないと思っていた。
 隣に立つ人の支えになれるなら、それでいいと。

 ――けれど。

「異議はあるか?」

 そう問われて、場の視線が一斉に私へ集まる。

 泣き叫ぶのを期待している者。
 弁明する姿を楽しみにしている者。
 あるいは、惨めな失敗を確信している者。

 私は、ゆっくりと一礼した。

「いいえ。ございません」

 その瞬間、空気が凍りついた。

「……は?」

 レオナルト殿下が、思わず声を漏らす。

 私は顔を上げ、穏やかに微笑んだ。

「王太子殿下のご判断、承知いたしました。
 婚約破棄、謹んでお受けいたします」

 ざわめきが、先ほどよりも大きくなる。

「ちょ、ちょっと待て。
 何か言うことはないのか?」

「特にございませんわ」

 私は首を傾げる。

「殿下がお選びになった方が、この国にとって最善なのでしょう。
 でしたら、私が口出しする理由はありません」

 ――本音を言えば。

(やっと、終わった)

 その一言に尽きた。

 リュミエールが、わずかに眉をひそめる。

「……あら?
 ずいぶんと潔いのですね」

「ええ。私は、殿下のご決断を尊重いたします」

 私は再び一礼した。

 それ以上、何も言うことはなかった。

 王太子殿下は、納得いかない様子で腕を組んだが、やがて鼻で笑う。

「そうか。ならいい。
 では、エリシア・ヴァルテンベルク――」

 彼は、はっきりと告げた。

「本日をもって、王都を去れ」

 追放。

 その言葉に、今度こそ会場が大きく揺れた。

 だが、私は驚かなかった。

「承知いたしました」

 静かに答え、背筋を伸ばす。

 振り返ることなく、広間を後にする。
 背中に注がれる視線が、次第に熱を帯びていくのを感じながら。

 ――けれど。

 扉をくぐった瞬間、私は誰にも聞こえないほど小さな声で、こう呟いた。

「……解放、ですわね」

 長い役目が、ようやく終わった。

 そのことに、胸の奥が不思議なほど軽くなる。

 この時はまだ、誰も知らなかった。
 この婚約破棄が、王国にとっての破滅の始まりであり、
 そして――私にとっての、幸せへの第一歩になることを。

 それを知るのは、もう少し先の話である。
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