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第3話 追放令嬢と、誰も気づかない空白
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第3話 追放令嬢と、誰も気づかない空白
王宮を出る朝は、驚くほど静かだった。
追放と聞けば、もっと慌ただしく、騒がしいものを想像していたが、現実は違う。
早朝の石畳を踏みしめる馬車の音だけが、やけに大きく響いている。
私は馬車の中で、窓越しに王宮の尖塔を見上げていた。
(本当に、終わったのね)
昨日まで、あそこが私の「居場所」だった。
王太子の隣に立つ未来、王妃としての責務、期待、義務――それらすべてが、今はもう遠い。
胸が痛むかと思っていた。
けれど、実際には、胸の奥に溜まっていたものが、すっと抜けていく感覚のほうが強かった。
「エリシア様、まもなく王都の門を出ます」
御者の声に、私は軽く頷く。
「ええ、ありがとう」
それだけのやり取りで、十分だった。
見送りはない。
王宮側からの正式な見送りは、当然のように用意されなかったし、私自身も望まなかった。
ただ一人――
マルタだけが、最後まで馬車の傍に立っていた。
「……どうか、ご無事で」
「ええ。あなたも、元気で」
それ以上の言葉は交わさない。
情にすがるほど、私は未練深くなかった。
馬車が動き出し、王都の門がゆっくりと遠ざかる。
その瞬間、私は心の中で、はっきりと区切りをつけた。
――ここから先は、私の人生。
◆
同じ頃、王宮では、ささやかな、しかし確実な「異変」が起きていた。
「……おかしい」
財務局の会議室で、初老の官僚が帳簿を睨みつける。
「前期と同じ税率のはずだ。なのに、なぜ支出がここまで膨らんでいる?」
「ええと……こちらの補助金の配分が……」
「それは、先月、修正済みのはずだろう!」
会議室に、苛立った声が飛び交う。
これまでなら、誰かが静かに口を開き、的確に指摘し、修正案を提示していた。
議論は長引かず、最終的には「問題なし」で終わる。
――だが、今日は違った。
「誰が最終確認を?」
「……王太子殿下、かと」
「殿下は数字にお強くないだろう!」
誰もが、その事実を知っている。
だからこそ、今までは“別の誰か”が、最終的な調整をしていた。
「……エリシア様が、よく見てくださっていたのですが……」
ぽつりと漏れたその名前に、場が静まり返る。
「……もう、いない」
誰かがそう言った。
そして、誰も否定しなかった。
◆
一方、私は王都から半日ほど離れた街道を進んでいた。
行き先は、まだ正式には決めていない。
ただ、王国を出る準備は整っている。
隣国との非公式な連絡網。
過去に交わした、いくつかの書簡。
私の中には、選択肢がいくつもあった。
(追放される令嬢にしては、ずいぶん余裕がありますわね)
自嘲気味に微笑みつつ、私は手元の書類に目を落とす。
王宮を出る直前まで整理していた資料の写し。
正式には“私の私物”ではないが、私がまとめたものだ。
――もう、返す義理もない。
その時、馬車が大きく揺れた。
「失礼いたします、エリシア様。
街道の先で、荷車が立ち往生しておりまして」
「そう。では、少し待ちましょう」
外の様子を眺めながら、私は気づく。
行商人たちが、困り果てた様子で話し合っている。
税関での手続きが滞り、通行許可が下りないらしい。
(……あら)
私は、思わず小さく息を吐いた。
この街道の通行手続きは、数年前に私が簡略化したはずだ。
必要書類を減らし、検査の重複をなくし、時間短縮を図った。
それなのに。
「担当者が変わってから、話が通らなくて……」
行商人のぼやきが、耳に入る。
――もう、私が関わることではない。
そう思ったはずなのに、胸の奥が、わずかにざわついた。
あの仕組みが、元に戻されているのだとしたら。
それは、小さな不便に見えて、確実に国を蝕む。
(気づくのは、いつかしら)
私は、あえて口を出さなかった。
助言すれば、通れる。
けれど、それは“王国のため”であって、“私のため”ではない。
――もう、私は王太子妃候補ではないのだから。
◆
その日の夕方、王宮では、もう一つの異変が起きていた。
「外交文書が、差し戻されただと?」
王太子レオナルトは、苛立ちを隠さず声を荒げる。
「形式が違う、と……隣国から……」
「馬鹿な! 今まで問題なかっただろう!」
書簡を投げ捨て、殿下は椅子に背を預けた。
――なぜだ。
なぜ、こんなにも些細なことが、次々とうまくいかない。
その答えが、すぐ目の前にあることに、彼はまだ気づいていない。
私がいない空白。
誰も意識してこなかった“歯車”。
それが、静かに、しかし確実に、王国を狂わせ始めていた。
そして私は――
王都を遠く離れた宿で、穏やかな夜を迎えていた。
追放された令嬢としては、あまりにも静かな一日。
だが、この静けさこそが、嵐の前触れであることを、
まだ、誰も知らなかった。
王宮を出る朝は、驚くほど静かだった。
追放と聞けば、もっと慌ただしく、騒がしいものを想像していたが、現実は違う。
早朝の石畳を踏みしめる馬車の音だけが、やけに大きく響いている。
私は馬車の中で、窓越しに王宮の尖塔を見上げていた。
(本当に、終わったのね)
昨日まで、あそこが私の「居場所」だった。
王太子の隣に立つ未来、王妃としての責務、期待、義務――それらすべてが、今はもう遠い。
胸が痛むかと思っていた。
けれど、実際には、胸の奥に溜まっていたものが、すっと抜けていく感覚のほうが強かった。
「エリシア様、まもなく王都の門を出ます」
御者の声に、私は軽く頷く。
「ええ、ありがとう」
それだけのやり取りで、十分だった。
見送りはない。
王宮側からの正式な見送りは、当然のように用意されなかったし、私自身も望まなかった。
ただ一人――
マルタだけが、最後まで馬車の傍に立っていた。
「……どうか、ご無事で」
「ええ。あなたも、元気で」
それ以上の言葉は交わさない。
情にすがるほど、私は未練深くなかった。
馬車が動き出し、王都の門がゆっくりと遠ざかる。
その瞬間、私は心の中で、はっきりと区切りをつけた。
――ここから先は、私の人生。
◆
同じ頃、王宮では、ささやかな、しかし確実な「異変」が起きていた。
「……おかしい」
財務局の会議室で、初老の官僚が帳簿を睨みつける。
「前期と同じ税率のはずだ。なのに、なぜ支出がここまで膨らんでいる?」
「ええと……こちらの補助金の配分が……」
「それは、先月、修正済みのはずだろう!」
会議室に、苛立った声が飛び交う。
これまでなら、誰かが静かに口を開き、的確に指摘し、修正案を提示していた。
議論は長引かず、最終的には「問題なし」で終わる。
――だが、今日は違った。
「誰が最終確認を?」
「……王太子殿下、かと」
「殿下は数字にお強くないだろう!」
誰もが、その事実を知っている。
だからこそ、今までは“別の誰か”が、最終的な調整をしていた。
「……エリシア様が、よく見てくださっていたのですが……」
ぽつりと漏れたその名前に、場が静まり返る。
「……もう、いない」
誰かがそう言った。
そして、誰も否定しなかった。
◆
一方、私は王都から半日ほど離れた街道を進んでいた。
行き先は、まだ正式には決めていない。
ただ、王国を出る準備は整っている。
隣国との非公式な連絡網。
過去に交わした、いくつかの書簡。
私の中には、選択肢がいくつもあった。
(追放される令嬢にしては、ずいぶん余裕がありますわね)
自嘲気味に微笑みつつ、私は手元の書類に目を落とす。
王宮を出る直前まで整理していた資料の写し。
正式には“私の私物”ではないが、私がまとめたものだ。
――もう、返す義理もない。
その時、馬車が大きく揺れた。
「失礼いたします、エリシア様。
街道の先で、荷車が立ち往生しておりまして」
「そう。では、少し待ちましょう」
外の様子を眺めながら、私は気づく。
行商人たちが、困り果てた様子で話し合っている。
税関での手続きが滞り、通行許可が下りないらしい。
(……あら)
私は、思わず小さく息を吐いた。
この街道の通行手続きは、数年前に私が簡略化したはずだ。
必要書類を減らし、検査の重複をなくし、時間短縮を図った。
それなのに。
「担当者が変わってから、話が通らなくて……」
行商人のぼやきが、耳に入る。
――もう、私が関わることではない。
そう思ったはずなのに、胸の奥が、わずかにざわついた。
あの仕組みが、元に戻されているのだとしたら。
それは、小さな不便に見えて、確実に国を蝕む。
(気づくのは、いつかしら)
私は、あえて口を出さなかった。
助言すれば、通れる。
けれど、それは“王国のため”であって、“私のため”ではない。
――もう、私は王太子妃候補ではないのだから。
◆
その日の夕方、王宮では、もう一つの異変が起きていた。
「外交文書が、差し戻されただと?」
王太子レオナルトは、苛立ちを隠さず声を荒げる。
「形式が違う、と……隣国から……」
「馬鹿な! 今まで問題なかっただろう!」
書簡を投げ捨て、殿下は椅子に背を預けた。
――なぜだ。
なぜ、こんなにも些細なことが、次々とうまくいかない。
その答えが、すぐ目の前にあることに、彼はまだ気づいていない。
私がいない空白。
誰も意識してこなかった“歯車”。
それが、静かに、しかし確実に、王国を狂わせ始めていた。
そして私は――
王都を遠く離れた宿で、穏やかな夜を迎えていた。
追放された令嬢としては、あまりにも静かな一日。
だが、この静けさこそが、嵐の前触れであることを、
まだ、誰も知らなかった。
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