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第38話 転び方を、覚え始めた日
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第38話 転び方を、覚え始めた日
朝の庁舎に、ほんのわずかな緊張が戻ってきていた。
それは、混乱の兆しではない。
失敗の予感でもない。
“結果が出始める前”に特有の、静かなざわめきだ。
私は回廊を歩きながら、その空気を確かめていた。
(……動きましたわね。今度は、本当に)
執務室に入ると、机の上に複数の報告書が並んでいる。
いずれも、昨日自立した判断を下した王国の地方都市からの続報だった。
私は一つずつ、丁寧に目を通していく。
成果は、出ていない。
むしろ、小さな問題がいくつも浮き彫りになっていた。
手配が遅れた資材。
現場の理解不足。
想定していなかった反発。
どれも、致命的ではない。
だが、無視すれば膨らむ類のものだ。
(……転び始めています)
私は、その事実を否定しなかった。
午前中、内部の共有会合が開かれた。
「王国の地方都市で、
実施した施策に対し、
いくつかの不具合が出ています」
私は、事実だけを淡々と伝える。
「失敗、でしょうか」
誰かが、慎重に問いかけた。
「部分的には、そうです」
私は、はっきりと答えた。
会議室が静まる。
「ですが、
“失敗したから間違っていた”とは限りません」
視線が集まる。
「重要なのは、
彼らが、どう転んでいるかです」
転び方には、種類がある。
勢い余って、全てを壊す転び方。
誰かのせいにして、立ち上がれなくなる転び方。
そしてもう一つ。
「彼らは、
転びながらも、
手を離していません」
私は、報告書の一部を指した。
「問題点を、すぐに言語化し、
中央ではなく、
自分たちの会議で整理しています」
誰かが、小さく息を吐いた。
「……転び方を、覚え始めている」
「ええ」
私は、頷いた。
「立っただけでは、十分ではありません。
転び、
起き上がり、
また歩く」
その一連を、自分の足で繰り返せるかどうか。
午後、私は王国宛ての返書を作成した。
内容は、極めて簡潔だ。
「報告を確認しました」
「問題点の整理が適切です」
「修正の過程も、記録してください」
助言は、相変わらず書かない。
答えも示さない。
だが、
“見ている”という姿勢は、はっきりと伝える。
夕方、カイルが執務室にやってきた。
「……初めての転倒ですね」
「ええ」
私は、窓の外を見やる。
「避けられないものでした」
「不安は、ありませんか」
「あります」
私は、正直に答えた。
「ですが、
不安があるのは、
“他人の足”で立っていない証拠でもあります」
転ばないように支え続けることは、簡単だ。
だが、それでは、
転び方を覚える機会がない。
「転び方を覚えなければ、
本当に危険な時に、
立ち直れません」
カイルは、静かに頷いた。
その夜、王国の地方都市では、責任者たちが再び集まっていた。
「……この部分は、見通しが甘かった」
「現場への説明が、足りなかったな」
「だが、
原因は分かった」
責める声はない。
押し付け合いもない。
あるのは、
淡々とした振り返りだけだ。
「次は、こう修正しよう」
「時間はかかるが、
戻す必要はない」
そのやり取りを、誰も外に助けを求めずに行っている。
夜更け、私は迎賓館の窓辺に立ち、静かな街を見下ろした。
転び方を覚えるということは、
失敗に慣れることではない。
失敗を、
扱えるようになることだ。
痛みを知り、
原因を見つめ、
次の一歩に変える。
今日、彼らは転んだ。
だが、それは、
前に進んだからこその転倒だ。
立ち止まっていた者は、
転ぶことすらできない。
私は、カーテンを閉め、静かに息を整えた。
転び方を覚えた者は、
もう、致命的な転び方をしない。
そうなるまで、
私は、助けない。
信じて、
見守り続ける。
今日という日は、
失敗の日ではない。
“立ち続ける準備”が、
本当に始まった日だった。
朝の庁舎に、ほんのわずかな緊張が戻ってきていた。
それは、混乱の兆しではない。
失敗の予感でもない。
“結果が出始める前”に特有の、静かなざわめきだ。
私は回廊を歩きながら、その空気を確かめていた。
(……動きましたわね。今度は、本当に)
執務室に入ると、机の上に複数の報告書が並んでいる。
いずれも、昨日自立した判断を下した王国の地方都市からの続報だった。
私は一つずつ、丁寧に目を通していく。
成果は、出ていない。
むしろ、小さな問題がいくつも浮き彫りになっていた。
手配が遅れた資材。
現場の理解不足。
想定していなかった反発。
どれも、致命的ではない。
だが、無視すれば膨らむ類のものだ。
(……転び始めています)
私は、その事実を否定しなかった。
午前中、内部の共有会合が開かれた。
「王国の地方都市で、
実施した施策に対し、
いくつかの不具合が出ています」
私は、事実だけを淡々と伝える。
「失敗、でしょうか」
誰かが、慎重に問いかけた。
「部分的には、そうです」
私は、はっきりと答えた。
会議室が静まる。
「ですが、
“失敗したから間違っていた”とは限りません」
視線が集まる。
「重要なのは、
彼らが、どう転んでいるかです」
転び方には、種類がある。
勢い余って、全てを壊す転び方。
誰かのせいにして、立ち上がれなくなる転び方。
そしてもう一つ。
「彼らは、
転びながらも、
手を離していません」
私は、報告書の一部を指した。
「問題点を、すぐに言語化し、
中央ではなく、
自分たちの会議で整理しています」
誰かが、小さく息を吐いた。
「……転び方を、覚え始めている」
「ええ」
私は、頷いた。
「立っただけでは、十分ではありません。
転び、
起き上がり、
また歩く」
その一連を、自分の足で繰り返せるかどうか。
午後、私は王国宛ての返書を作成した。
内容は、極めて簡潔だ。
「報告を確認しました」
「問題点の整理が適切です」
「修正の過程も、記録してください」
助言は、相変わらず書かない。
答えも示さない。
だが、
“見ている”という姿勢は、はっきりと伝える。
夕方、カイルが執務室にやってきた。
「……初めての転倒ですね」
「ええ」
私は、窓の外を見やる。
「避けられないものでした」
「不安は、ありませんか」
「あります」
私は、正直に答えた。
「ですが、
不安があるのは、
“他人の足”で立っていない証拠でもあります」
転ばないように支え続けることは、簡単だ。
だが、それでは、
転び方を覚える機会がない。
「転び方を覚えなければ、
本当に危険な時に、
立ち直れません」
カイルは、静かに頷いた。
その夜、王国の地方都市では、責任者たちが再び集まっていた。
「……この部分は、見通しが甘かった」
「現場への説明が、足りなかったな」
「だが、
原因は分かった」
責める声はない。
押し付け合いもない。
あるのは、
淡々とした振り返りだけだ。
「次は、こう修正しよう」
「時間はかかるが、
戻す必要はない」
そのやり取りを、誰も外に助けを求めずに行っている。
夜更け、私は迎賓館の窓辺に立ち、静かな街を見下ろした。
転び方を覚えるということは、
失敗に慣れることではない。
失敗を、
扱えるようになることだ。
痛みを知り、
原因を見つめ、
次の一歩に変える。
今日、彼らは転んだ。
だが、それは、
前に進んだからこその転倒だ。
立ち止まっていた者は、
転ぶことすらできない。
私は、カーテンを閉め、静かに息を整えた。
転び方を覚えた者は、
もう、致命的な転び方をしない。
そうなるまで、
私は、助けない。
信じて、
見守り続ける。
今日という日は、
失敗の日ではない。
“立ち続ける準備”が、
本当に始まった日だった。
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