『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』

鷹 綾

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第三十四話 手を離したあとで

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第三十四話 手を離したあとで

 王宮の朝は、少しだけ静かだった。慌ただしさが消えたわけではない。ただ、焦りの音が混じらなくなった。

 ユリウスは会合の資料に目を通しながら、進行表を確認する。以前なら、どこかで誰かの判断を待つ空白が生まれていた。今は違う。担当者が決め、期限を置き、結果を持ち寄る。その循環が、無理なく回っている。

「ここは現場判断で進めていい。報告は簡潔で」

 短い指示に、異論は出ない。任せることが、逃げではないと分かっているからだ。決める人が決め、引き受ける人が引き受ける。戻す理由は、もうない。

 一方、王宮の外では、新しい婚約者が予定を一つ減らしていた。支援先からの連絡に、今は対応不要と返す。相手は納得し、次の確認日を決めるだけで終わる。関係は切れない。むしろ、呼吸が合っている。

 彼女は机に向かい、短い覚え書きを残した。判断の基準、連絡の窓口、例外の扱い。それ以上は書かない。詳細は、必要になった時に決めればいい。

 ヴァイセル公爵家では、午後の光が廊下を斜めに伸ばしていた。リュシエンヌは庭に出て、しばらく立ち止まる。手元に書類はない。考えるべき案件もない。

 手を離したあと、世界はどうなるのか。答えは、もう出ている。何も起きない。だからこそ、うまくいっている。

 侍女が声をかける。

「お嬢様、こちらは今後どういたしましょう」

 差し出されたのは、以前なら即断していた類の案件だ。リュシエンヌは目を通し、首を横に振った。

「今は扱いません。必要になったら、改めて」

 判断を先延ばしにすることが、責任の放棄ではないと知っている。今は、触れない方が良い。それだけの理由で十分だった。

 夕方、王宮から簡潔な報告が届く。現場で処理し、結果は安定しているという内容だ。リュシエンヌは紙を畳み、机に置く。返事は書かない。必要がないからだ。

 夜、ユリウスは執務室の灯りを落とし、一日の流れを振り返る。決断は多かったが、誰かの不在を言い訳にする場面は一度もなかった。それが、確かな変化だった。

 同じ夜、新しい婚約者は報告書を閉じ、明日の予定を白紙のままにする。続くために、詰めない。その選択が、今は自然だ。

 リュシエンヌは窓辺に立ち、外の闇を眺める。遠くの動きは見える。だが、引き寄せない。手を離したあとで見えるものは、案外多い。

 任せた先で、物事は進む。
 触れなかったから、壊れない。

 その実感が、彼女の足元を静かに固めていた。
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