何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています

鷹 綾

文字の大きさ
17 / 40

第17話 呼び止めないという信頼

しおりを挟む
第17話 呼び止めないという信頼

 夕刻の回廊は、昼間の陽気を少しだけ残していた。

 フィレ・バーナードは、手にした本を閉じ、窓の外へ目を向ける。
 庭の向こう、屋敷の門が見える位置だ。
 人の出入りは多くない。必要な分だけ、正確に行われている。

(……ここは、本当に無駄がありませんわね)

 それは、住み心地の良さでもあり、同時に“規律”でもある。
 自分はその内側にいる。
 だが、規律に縛られている感覚は、不思議とない。

 廊下を歩く足音が、近づいてきた。

「奥様」

 振り返ると、執事が立っていた。
 いつもより、少しだけ表情が柔らかい。

「今夜、公爵様は遅くなられるとのことです」

「そうですか」

 それ以上の説明はない。
 だが、フィレは察する。

(外で、何かがあったのですね)

 けれど――。

「承知しましたわ」

 それだけ告げる。

 引き留める言葉も、心配を口にする必要もない。
 それが、自分の選んだ距離だ。

 執事は一瞬、何か言いかけてから、静かに一礼した。

「……失礼いたします」

 彼が去ったあと、フィレは小さく息を吐いた。

(呼び止めない、というのも……選択ですわね)

 不安がないわけではない。
 ただ、不安を理由に踏み込まない。

 夜。

 食事は一人だった。
 静かな食堂で、必要な分だけを口に運ぶ。

 誰も急かさない。
 誰も、代わりに話さない。

(静かで……良いですわ)

 一方、屋敷の外。

 馬車の中で、カーネル・クリスは窓の外を見つめていた。
 用件はすでに片づいた。
 問題は、深刻になる前に処理されている。

(……彼女は、何も聞かなかった)

 それが、なぜか心に残る。

 普通なら、気にする。
 引き留めるか、理由を尋ねる。

 だが、彼女はしなかった。

(信じている、というより……)

 彼女は、“役割を分けている”。

 自分の役割と、相手の役割。
 そこに踏み込まないことが、信頼なのだと。

 屋敷に戻ったのは、すでに夜も深い頃だった。

 灯りは落とされ、静けさが満ちている。
 廊下を歩くと、遠くに一つだけ、まだ灯りが残っているのが見えた。

(……起きているのか)

 無意識に足を止める。

 だが、扉を叩くことはしなかった。

 彼女は、呼び止めなかった。
 ならば、自分も――踏み込まない。

 翌朝。

 フィレは、いつも通りの時間に起き、朝食を取っていた。

「お帰りになったのは、深夜だったそうですね」

 給仕の侍女が、事実だけを伝える。

「そう」

 それだけで、話は終わる。

 しばらくして、廊下で二人は顔を合わせた。

「……昨夜は」

 カーネルが口を開きかける。

 フィレは、静かに首を振った。

「お疲れさまでした。それだけで、十分ですわ」

 その言葉に、カーネルは言葉を失った。

 労い。
 だが、詮索はない。

(……呼び止めなかった理由が、分かった)

 彼女は、信頼している。
 だから、追わない。

 それは、重くもあり、心地よくもあった。

 フィレ・バーナードは、何もしなかった。
 だがその夜、
 呼び止めなかったという事実が、
 辺境公爵カーネル・クリスの胸に、
 確かな余韻を残していた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私は実は“本物の聖女”でした。 

さら
恋愛
 私――ミリアは、クラスで地味で取り柄もない“都合のいい子”だった。  そんな私が、いじめの張本人だった美少女・沙羅と一緒に異世界へ召喚された。  王城で“聖女”として迎えられたのは彼女だけ。  私は「魔力が測定不能の無能」と言われ、冷たく追い出された。  ――でも、それは間違いだった。  辺境の村で出会った青年リオネルに助けられ、私は初めて自分の力を信じようと決意する。  やがて傷ついた人々を癒やすうちに、私の“無”と呼ばれた力が、誰にも真似できない“神の光”だと判明して――。  王都での再召喚、偽りの聖女との再会、かつての嘲笑が驚嘆に変わる瞬間。  無能と呼ばれた少女が、“本物の聖女”として世界を救う――優しさと再生のざまぁストーリー。  裏切りから始まる癒しの恋。  厳しくも温かい騎士リオネルとの出会いが、ミリアの運命を優しく変えていく。

家族から邪魔者扱いされた私が契約婚した宰相閣下、実は完璧すぎるスパダリでした。仕事も家事も甘やかしも全部こなしてきます

さら
恋愛
家族から「邪魔者」扱いされ、行き場を失った伯爵令嬢レイナ。 望まぬ結婚から逃げ出したはずの彼女が出会ったのは――冷徹無比と恐れられる宰相閣下アルベルト。 「契約でいい。君を妻として迎える」 そう告げられ始まった仮初めの結婚生活。 けれど、彼は噂とはまるで違っていた。 政務を完璧にこなし、家事も器用に手伝い、そして――妻をとことん甘やかす完璧なスパダリだったのだ。 「君はもう“邪魔者”ではない。私の誇りだ」 契約から始まった関係は、やがて真実の絆へ。 陰謀や噂に立ち向かいながら、互いを支え合う二人は、次第に心から惹かれ合っていく。 これは、冷徹宰相×追放令嬢の“契約婚”からはじまる、甘々すぎる愛の物語。 指輪に誓う未来は――永遠の「夫婦」。

白い結婚のはずでしたが、冷血辺境伯の溺愛は想定外です

鍛高譚
恋愛
――私の結婚は、愛も干渉もない『白い結婚』のはずでした。 侯爵令嬢クレスタは王太子アレクシオンから一方的に婚約破棄を告げられ、冷徹と名高い辺境伯ジークフリートと政略結婚をすることに。 しかしその結婚には、『互いに干渉しない』『身体の関係を持たない』という特別な契約があった。 形だけの夫婦を続けながらも、ジークフリートの優しさや温もりに触れるうち、クレスタの傷ついた心は少しずつ癒されていく。 一方で、クレスタを捨てた王太子と平民の少女ミーナは『真実の愛』を声高に叫ぶが、次第にその実態が暴かれ、彼らの運命は思わぬ方向へと転落していく。 やがて訪れるざまぁな展開の先にあるのは、真実の愛によって結ばれる二人の未来――。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝🌹グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 そう名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  ✴️設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 ✴️稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

「商売する女は不要」らしいです

たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリアナ・ヴァルトハイムは、第二王子の婚約者だった。しかし「女が商売に口を出すな」と婚約破棄され、新しい婚約者には何も言わない従順な令嬢が選ばれる。父にも見捨てられたエリアナは、自由商業都市アルトゥーラへ。 前世の経営コンサルタントの知識を武器に、商人として成り上がる。複式簿記、マーケティング、物流革命——次々と革新を起こし、わずか一年で大陸屈指の豪商に。 やがて王国は傾き、元婚約者たちが助けを求めて土下座してくるが、エリアナは冷たく突き放す。「もう関係ありません」と。 そして彼女が手に入れたのは、ビジネスでの成功だけではなかった。無愛想だが誠実な傭兵団長ディアンと出会ってーー。

死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?

神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。 (私って一体何なの) 朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。 そして―― 「ここにいたのか」 目の前には記憶より若い伴侶の姿。 (……もしかして巻き戻った?) 今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!! だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。 学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。 そして居るはずのない人物がもう一人。 ……帝国の第二王子殿下? 彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。 一体何が起こっているの!?

厄介払いされてしまいました

たくわん
恋愛
侯爵家の次女エリアーナは、美人の姉ロザリンドと比べられ続け、十八年間冷遇されてきた。 十八歳の誕生日、父から告げられたのは「辺境の老伯爵に嫁げ」という厄介払いの命令。 しかし、絶望しながらも辺境へ向かったエリアーナを待っていたのは――。

処理中です...